断章 第15話 集結編・第8中学校七不思議―ロクサスのお悩み相談室―
『やはりもう帰宅されましたか・・・』
「ええ、はい・・・授業は16時前には終わり、学校には生徒は誰も残っていません。」
『そうですか・・・最近めっきり喧嘩をしなくなったので、安心していたのですが・・・』
電話越しに、男二人のため息が零れた。それは学校が終わって一時間ほどの頃だったのだが、最近の襲撃事件で設定された門限になってもソラが帰って来なかった為、天城家の老執事、雷造が学校に電話を掛けたのであった。そして、返って来た答えが、先の最上の答えなのである。
「こちらでも校区内を探してみます。最近は物騒ですので、生徒に何かがあってはいけませんので。」
『此方でも家人をやって捜索させていますが・・・お願い致します。』
「はい、では。」
今の状況で万が一があれば天城家の面子に関わる。それ故、ソラの捜索は大人数で行われていた。天城家にしても襲撃者が魔術を使いこなすことは把握していたので、万が一を考えればこの対応は当たり前だったのである。
そして、学校にしても勝手に出歩かれたとは言えもし被害に遭えば最悪なので、校区内を探そうというのも、当然だった。幾ら不良とは言え、ソラはまだ中学生なのだ。
「はぁ・・・ようやくおとなしくしてくれたと思えば、これか・・・」
受話器を置いて、最上がため息を吐いて呟いた。だが、彼の頭痛の種はこれで終わらなかった。受話器を置いたと同時に、再び電話が鳴り響いたのだ。隣の若い女性教諭がそれを憐れみの視線で見ていたが、最上は諦めて再び受話器を手に取った。
「はい、天神市第8中学校の最上です。」
『ああ、2年A組三枝の親族の者ですが・・・担任の最上様で間違い有りませんか?』
「はい、そうです。三枝さんの親族とのことですが、お父様ですか?」
始め丁寧な口調だったので安心しきっていた最上だが、告げられた名前に気付いて悲嘆な表情が表に出た。この時の最上の顔に浮かぶ表情は、職員室中の教員たちが長く記憶するほどに哀れな表情であったという。
『ああ、いえ。彼女の姉の夫です。少々手が離せない彼女に変わって、私がお電話させていただきました。それで、魅衣は本日学校へは登校しては・・・』
「いえ、来ていませんが・・・」
最上が答えたその瞬間。電話越しでもわかるほどに受話器がミシリ、と音を立て、更にはギリッ、という奥歯を噛みしめる音が最上の耳に聞こえてきた。だが、返って来た答えは先ほどと同じく柔和な声音であった。
『そうですか。有難う御座います。』
「あ、いえ。どうかなさいましたか?」
『いえ、お気になさらず。では、お時間を取らせました。失礼致します。』
「あ、ちょっと!」
明らかに何かがあった、と思わせる応対だったのに、竜馬が強引に通話を切断する。そうして吐かれた最上の深い溜息に、横の女性教諭が深い哀れみと共に問い掛ける。
「三枝さんの親御さん?」
「いや、親戚。はぁ・・・校長の所行ってくる。」
「いってらっしゃい。その間、電話番代わっておいてあげるわ。」
「ありがとう。」
最近仕事に慣れが出始めて更におせっかいを焼いてくるようになった隣の女性教諭の気遣いを心の底から有り難く思い、最上は校長の所に向かう。そうして雷造から告げられた事情を説明すると、校長の仙崎は大いに心配した様子で口を開いた。
「それは直ぐに向かいなさい。生徒に何かあってはいけませんからな。」
「分かりました。では、少々席を外します。」
「ああ、ちょっと待ちなさい。教頭先生。他に手すきの先生方を連れて、最上先生のお手伝いを。」
「はい、分かりました。」
校長の仙崎は一見すると生徒の身の安全を心配している様な口ぶりだが、全然そういった事が無いことぐらい、教頭にも最上にも理解できていた。仙崎が心配しているのはソラの身ではなく、自身の去就だった。
名家の天城家の長男の身に何かあれば自分の進退に影響しかねないだけではなく、現状でもし何か不手際が発覚すれば確実に覚えが悪くなる。それを恐れたのだ。自分勝手も極まりないが、それでも二人にとっては拒否出来ない指示だ。
「では、最上先生。先に行っておいて下さい。私は体育教師の皆さんに声を掛けてみます。」
「お願いします。」
そうして、仙崎の許可を得られた最上が一足先に職員室を後にする。こういった時に調整を行うのが、この学校での教頭の役目だ。それはマニュアルでも決められていた事なので、最上は素直にそれに従ったが、その足取りは重く、その姿には覇気が無かった。そんな覇気の無い様子だったからだろうか。彼がその場所に迷い込んだのは。
「はぁ・・・こんなとこ、生徒たちには見せられないな・・・」
疲れきった表情で、最上が下を向きながら呟いた。そうして、前を見なかった為、廊下の壁にぶつかる。
「いてっ!・・・ててて・・・」
これはいよいよ見せられないな、苦笑しながら、最上は少しだけ気を取り直して顔を上げる。そこで、彼は有り得ない物を目撃した。
「は?バツ・・・いや、X組?」
学年表記も無く、既に生徒たちが帰宅した事を鑑みても、まるで元々人は居なかったかのように人気が無い部屋だった。彼は初めて見る不思議な教室に一瞬疲れていたが故に見間違えたか、と眼をこする。だが、再び見たところで、何かが変わるわけではなかった。
そうして、彼は興味の赴くまま、少しだけ開いた扉から、教室を覗きこんだ。
「・・・誰か居るのか?」
そうして最上が覗きこんだ部屋の中には、おそらく男性らしい一人の人物がソファに乱雑に腰掛けていた。男性らしい、なのは、彼が道化じみた仮面を被っており、体格から判断したからである。
そうして、最上の声に気付いたかのように、仮面の男が読んでいた本から顔を上げた。本にはカバーが掛かっており、最上には内容は読み取れなかった。
「おや、これは珍しい。こんな所に来客とは。」
口調も道化じみているな、どこか聞いた事のある声音に最上はそう思う。そうして、スーツと思った男の服装を良く見てみれば、それはどこかのパーティででも着用しそうな燕尾服を少し弄った物であった。それが、ますます男の道化っぷりを印象づけた。若干男を警戒しながらも、最上は扉をくぐり、教室の中に居た仮面の男に問い掛ける。
「あの・・・ここは?」
「ここ?・・・そうだね・・・ロクサスのお悩み相談室、とでも言っておこうかな。」
「ロクサス?それがあんたの名前か?」
「そう・・・だね。そう思って貰って大丈夫だよ。」
ロクサスは若干言い澱むが、最上の問い掛けを認める。ちなみに、彼は道化じみた容姿にちなんで北欧神のロキ―Loki―の名前と、未知を意味する『X』―これは教室のクラスの由来でもある―を組み合わせ、『Lox』と言おうとしたのだが、ロクスやロックスは言い難かったので、更に改変して『ロクサス』と名づけたのだ。
だが、名付けてそれを最上に告げて、それが自身の名前と勘違いされてしまったので言い澱んだのである。ちなみに、自分の名前を考えていなかった為、肯定した方が早いと肯定したのである。
では、何故『お悩み相談室』なのか、というと、此方は最上を茶化しただけだ。彼の先ほどまでの行動に悩みが見え、それ故、茶化して『お悩み相談室』、と告げたのである。
「それで、ここは一体何なんだ?」
「ん?だから、お悩み相談室だよ。何か悩みがあったら、それを相談する。それだけだね。」
この時、ロクサスは本当に相談されるとは思っていない。ただ単に、怪しい男に相談する奴も居ないだろうから、そう告げているだけだ。だが、最上は彼の予想に反した1つの行動に出た。
「じゃあ、ここに座っていいか?」
「?どうぞ?」
「じゃあ、失礼して・・・」
最上はロクサスに許可を取り、彼に対面する様に設置されたソファに腰掛ける。そうして、少しだけ悩む素振りを見せ、口を開いた。
「1つ、悩みというか、相談があるんだが・・・」
「・・・なんだい?」
「生徒の一人を探してるんだ。ちょっとやんちゃな生徒で、行方がわからないって親御さんから連絡があって、これから探しに行くんだが・・・どこに居るのかわからなくて、な。どこに居るのかわからないか?」
まさか本当に相談されるとは露とも思っていないロクサスだが、相談されてしまった以上は答えなければならない、と少しだけ考えこむ素振りを見せた。
「その生徒の名前は?」
「天城 空。有名な天城家の長男だ。」
「有名、と言っても僕は知らないんだけどね・・・まあ、いいか・・・ちょっと待ってくれたまえよ。」
ロクサスはそう告げると、どこからともなく一束のトランプを取り出した。そうして彼はトランプの束を手のひらの上に置くと、上から7枚のトランプが彼の手に触れられる事無く、空中に浮かび上がる。浮かび上がった7枚のトランプは、空中にタロット占いのヘキサグラム・スプレッドの如く展開し、光の線で六芒星を刻む。
「なっ・・・」
目の前で繰り広げられる異様な光景に、最上が息を呑む。が、彼はそれを高度な手品、程度にしか思っていない。まあ、実際にそう見える様に舞台じみているのだから、当たり前だ。そうして、その7枚は高速でくるくると回り、次第にゆっくりとなり、ついに最上に絵柄を向けて停止した。
「さて・・・これはどこかな。うん、多分何かの遊技場だね。がちゃがちゃと騒がしい。彼ぐらいの年齢の少年達が見えるよ。どこかわかるかい?」
「え?いや、遊技場・・・ゲームセンターとかか?」
「そこじゃないかな。」
「・・・もう少し詳しくわからないか?」
「・・・うーん。」
さすがに大雑把すぎた答えに最上が少しだけ眉を顰める。ロクサスは最上の問い掛けに応じて、純白の手袋越しに指を1つスナップさせる。すると、ぱちん、という音ではなく、ぽん、というコミカルな音と共に、最上の目の前でいきなり7枚のトランプの絵柄が変わる。
最上は目を白黒させる。それにロクサスは仮面から少しだけ除く口元と眼に悪戯っぽい微笑みを浮かべると、次いで何かを窺い見る様に最上に告げる。
「うーん・・・これは多分、どこかの駅前かな。」
「何か特徴は?」
「そうだね・・・ちょっと大きめの家が多い、大きい街の駅かな。」
「天神市駅か・・・?」
「さて、そこまではわからないな。」
「そうか、ありがとう・・・っと、何か支払った方がいいのか?」
立ち上がって立ち去ろうとした最上だが、ふと、相談―と、言うより占いに近かったが―を受けてもらった事に対して対価を支払うべきかと悩み、問い掛けた。それに、ロクサスは少しだけ、逡巡した。
「うーん・・・そうだね、じゃあ、一つだけ。今見たのは、『今』、彼が居る所だよ。だから、今からそこに向かったからといって、彼がそこに居るとは限らない。それを許してくれ、と言うところかな。」
「なるほど。それはお安い御用だ。」
信じるも信じないも最上の自由なのだ。最上にしても、行動の指針にするかな、ぐらいにしか考えていなかった。それ故、別に居なかった所で文句を言いに来ようとは―また来れるとも―思っていなかったので、彼の対価は十分に受け入れられる物であった。
そうして、誰かに相談することで若干気が紛れたのか、来る時よりも少しだけ晴れやかな表情で、彼は部屋を立ち去る。そして玄関へ向けて廊下を数歩歩いたところで、彼は後を振り返る。そこにはやはり、彼の想像通りに校舎の壁があった。
「夢・・・か?」
だが、それにしては妙に時間が経過していたし、現実味があった。そうして、彼は狐につままれた様子で、その場を立ち去る。
今見た物がなんであれ、1つの指針にはなる。そう考えた最上は、試しに駅前のゲームセンターへと足を運ぶと、案の定、そこにはソラの姿があった。ソラは格闘ゲームの筐体の前に座り、熱心にレバーとボタンを操っていた。
「おい、天城。」
「あん?って、最上センセか。なんだよ。」
「ああ、名前覚えてくれてたのか・・・ご家族から電話があってな。事件も起きているんだから、さっさと家に帰れ。」
「あぁ?・・・って、あぁ!」
最上の言葉にソラが最上を睨むがそのせいでゲームの操作が疎かになってしまい、CPU相手に惨敗を喫してしまう。彼の悲鳴に似た声はそれ故に上がったものだ。彼は若干落ち込むが、再びチャレンジしようと財布を開いて、顔を顰めた。
「げ・・・ねーや。今日1階の両替機壊れてんだよな・・・」
「ちょうど良かったじゃないか。家に帰れ、って神様からのお告げだろ。」
最上の茶化すような言い口にソラは若干眉を顰めて彼を睨むが、両替機が壊れているのでは仕方がないと諦めた。
「ちっ、しゃーね。腹減ったし、帰っか。」
「ふぅ・・・」
少し残念そうだったが、小腹も空いた事もあって立ち上がって帰宅の意を示したソラに、最上がほっと一息吐いた。素直に帰ってもらえるなら、彼の仕事は難なく終わるのだ。
「じゃあ、帰れよ。」
「おーう。」
そうして、最上はきちんとゲームセンターから出るのを見守って、ソラが家に足を運んだのを見て、自身も学校に帰ろうと足を向ける。ソラの様子から見れば、どうやら本気で帰るつもりに見えたので、最上は一安心、と言った所であった。
「・・・あの相談室もなかなかに馬鹿には出来ないな。」
そうしてふと、彼はこの場に来ることになったそもそもの経緯を思い出し、くすり、と笑う。
「もし今度何かがあれば、また依頼したいもんだな。」
そうして、彼や他の利用者を発端として、天神市立第8中学校の7不思議の1つ『謎の相談室』として長らく伝えられる事になるが、それはまだ少し、先の事であった。
お読み頂きありがとうございました。
2017年1月15日 追記
・誤字修正
竜馬のセリフで『三枝』とすべき所が『小鳥遊』になっていたのを修正しました。




