断章 調印式編 第34話 調印式
ジャクソン達の会合の翌日。カイト達日本の代表団とフェイ達イギリスの代表団は、ジャクソン率いるアメリカの代表団との会合を得ていた。場所は当然、同盟の盟主となるアメリカだ。
「これで、全員が署名を終えたね?」
「ええ、終わりました」
「こちらも署名した」
3ヶ国の長達が、書類に署名する。書類は言うまでもなく、同盟の締結に関する物だ。これで、完全に同盟が締結されたのである。
「よし・・・まあ、身内の集まりだ。堅い事は抜きにしようじゃないか。では、各々の保証人にサインしてもらうとしよう」
ジャクソンが平然と、次の署名に入ろう、と提案する。が、実はこの場でそんな平然と出来ていたのは、彼と極小数だけだ。というのも、次に名乗りでた少女を見れば、誰もが平然と出来ないのも理解出来た。
「では、私も」
一人の少女が、後光を纏いながら、筆を取って書類にサインを行う。彼女は、日本の総氏神。つまりは、ヒメだった。今回の同盟には、裏も関わっている。なので彼女が見届人として、参加したわけであった。だが、それでは終わらない。
「へー・・・日本の神様はかわいいね」
「おい、クズ。もし手ぇ出したらこんどこそおっ勃てられない様にしてやるからな」
「こっわいなー・・・」
半眼どころか殺意の混じった目にドスの利いた声でモルガンから制止されたオベロンが、身を竦ませる。あの後ティターニアから何をやったか聞いたらしい。殺意が混じっていたのはそのためだ。
ちなみに、これは公式でありながら、非公式の会談だ。それ故、代表団にはヒメを筆頭に日本の神様や有名な異族達、オベロンやアルトを筆頭にイギリスの有名な異族や英雄達が参加していた。この面子を前に、気圧されるな、という方が普通は無理だ。
覇王や御影を筆頭に出席しているとんでもない胆力の持ち主達でさえ、気圧されていたのだ。ジャクソンがどれだけ可怪しいのか、というのが如実に理解出来る一幕だった。
「お前はしないのか?」
「オレは一応立場としちゃ、一組織の代理人だ。見届けるだけだな」
自らは署名を終えたアルトの問いかけに、カイトが苦笑気味に答える。そもそも彼が署名する場合は『ブルー』という一言になるのだ。署名の意味があったものではない。
「大同盟圏、か・・・しかも、立会人は・・・」
「すごいだろ?」
アルトが見た方向に居た一組の男女を見て、カイトが笑う。これは国家同士の同盟なので裏切りなぞあり得ないが、第三者の立会人が居ればなおさら、どちらも裏切りが難しくなる。
ということで、カイトのコネを使って、その第三者に依頼したのだ。しかも、本来ならば同じ場に立てない様な二人を、である。
「インドラ神に、大天使ガブリエルか・・・」
雷を纏う雷神と、6枚の純白の翼を持つ四大天使。その二人は本来ならば、居並ぶ事は無い。だが、今回は違う。日本側からは仏教系の帝釈天ことインドラを立会人として、アメリカとイギリス側からはキリスト教系の熾天使ガブリエルを立会人として、同盟を締結する事にしたのである。
お互いにこういう理由では戦う事は無理だ。表の面子が大いに損なわれる。更には立会人を請け負った彼らの面子も損なわれる。
しかもお互いの国を考えれば、この二人に立会人を頼む事は何ら不思議は無かった。なので偶然と言えるが、何ら周りに不思議に思われる事もなく、立会人を受ける事が出来たのである。
「立会人の署名も、お願いできますか?」
「ああ」
「わかりました」
ジャクソンの求めを受けて、インドラとガブリエルが頷く。とは言え、どちらが先に署名を、という事は無い。二人は同時に各々が持って来たペンを魔術で操ると、同時に署名を行う。順番で順列を付けない為の対処だった。
「ふん・・・あの小娘が偉くなったものだ」
「おおっぴらにそんな事言うなよ・・・お前が現在も封印されているはずの前天使長だってバレると拙いんだから・・・」
カイトの横、仮面を被ったルイスが、ガブリエルを見ながら小声でつぶやく。幸いにして聞かれると面倒な面子には誰にも聞かれていない様子だったが、聞かれると面倒な事この上ない。
ちなみに、その逆側はティナなのだが、まだ隠れていた為、生存は公にはなっていない。まあ、どうせそう長くは隠すつもりでは無いし、そもそも隠さなくたって問題は無い。が、面倒なので隠れていたのである。
「ふん・・・大昔、あいつが初めて一人で交渉を取り纏めた事を思い出せば、こうも思う」
去来するのは、大昔にまだガブリエルがルイスの補佐を得ていた頃の事だ。その当時は、ガブリエルは初の署名とあって、大いに緊張していた。その時のあたふたとしていた様子とは、全く異なっていたのである。それを見て、改めて時の流れを実感した、というわけだ。
そんなルイスに、ガブリエルが恥ずかしげに念話を使っておずおずと申し出る。彼女としても、その時は忘れた事は無かった。
『もういい加減に忘れてくださいよー』
『お断りだ。永遠に覚えておいてやる。ミカエルが初めて軍を指揮して拳を固く握りしめていた事も、ウリエルが助けた子供達に囲まれてうろたえていた時のことも、ラファエルが子犬に懐かれて嬉しそうにしていた時のことも、全て、覚えておいてやる』
それら全部が、彼女にとって大切な記憶だった。甘いだなんだと言われようとも、彼女はこのまま歩き続けるのだろう。それが、彼女の人徳の根源だった。
『うぅ・・・』
こんな前天使長の有様を見せられては、ガブリエルとしても恥ずかしげに何も言えなくなる。この得難き尊さこそが、彼女が天使長として今でも慕われている理由だった。
「さて・・・これで、とりあえず全段階は終了。この次の段階へと、移行出来るわけだが・・・これで、君達も満足かね?」
「ああ、受け入れよう」
ジャクソンから問いかけを受けて、こんな場だというのにサングラスを着用したままの大柄な男が笑顔で頷く。彼は、アメリカの代表団のオブサーバーという所だ。そして、この日を誰よりも待ち望んでいた者でもあったのであった。
少しだけ、時は遡る。この調印式まで数日に迫ったある日。最後の大詰めとして、ジャクソンはジョンとジャック、そして子供達との会合を持っていた。イギリス内紛での報告会と、ある事を話し合う為の会合だった。
「ついに、ですか・・・本当に、今日、来られるのですか?」
「ああ、ダニー。ついに、最後の空席が埋まるよ」
一つの椅子を見ながら、二人は会話する。実はこの会談では、一つだけ、空席が設けられていた。というのも、そこの座るはずの者は彼らが生まれるよりもずっと前に物別れをして、空席になってしまったのだ。
だが、今日は、ついにその最後の一席が埋まる事になった、というわけだ。そうして、扉が力強くノックされた。
「ああ、開いているよ」
「やあ、諸君。待たせてしまったかな?」
入ってきたのは、サングラスを掛けた大柄な男だ。身体つきは鍛えられており、豪快さや快活さが滲んでいた。年の頃はおおよそ40代前後。顔立ちはサングラスに隠れてよくはわからないが、少なくとも並の者では無い、と一目で分かる顔立ちだった。
そんな彼だが最も特徴的なのは、その真っ黒なサングラスと改造したガンベルトに分厚い一冊の本を携えている、という所だろう。服装はスーツの上に分厚いロングコートを着込んでいた。ロングコートは薄汚れていたし、端は擦り切れていた。そんな彼の姿を見て、ジャックが僅かに、身を強張らせる。
「っ・・・」
「ん? 君は・・・何処かであったかね?」
「あ・・・ああ」
ジャックの声は、彼の来歴ではほぼ無いぐらいに、上ずっていた。緊張が見え隠れしてもいた。とは言え、それは悪い意味での緊張というよりも、ようやく、と言ったり憧れの人物を前にして、という風が強かった。そして滅多に無い事に、彼が丁寧な言葉で答えた。
「大昔に・・・30年ほど前にアーカムの大穴で・・・一度、出会っています」
「30年ほど前の大穴・・・ああ、あの時泣いていた少年か。そうか、君は立ち上がれたか。見事だ」
サングラスの男がジャックの言葉に記憶を手繰ってにぃ、と快活に笑う。そこには懐かしさも何も無く、ただただここまでたどり着いた事への称賛があった。
「っ・・・ありがとうございます」
「うむ。まさかあの時の少年とこのような場で出会うとは・・・名残惜しいが、先に会談を始めるとしよう」
ジャックの感謝に、サングラスの男が笑顔を見せて告げる。そうして、サングラスの男が一同に対して、お辞儀と共に、名乗りを上げた。
「ラバン・シュルズベリィ。アーカムのミスカトニック大学の神秘学の教授の末席に加わり、教授をしている。少年少女達よ、今回はお招き頂き、ありがとう。感謝するぞ」
ラバン・シュルズベリィ。彼は末席に加わり、と言ったが、彼こそがアメリカで唯一とも言えるミスカトニック大学という魔術組織において、最高の魔術の権威だった。第一人者と言っても良い。
そして同時に100年前の第二次大戦において、物別れに終わる事になった元凶、でもあった。今までの全てを聞いて、彼らもついに自分達が復帰すべき時だ、と判断したのである。
「では、会談を始めよう・・・ああ、次からはアーミティッジ家の子息に来てもらう事にするが、構わないかな?」
「ああ、構わないよ、教授。本来その席に大人が座るのは厳禁、だからね」
ラバン・シュルズベリィ教授の問いかけに、ジャクソンが笑って頷く。アーミティッジ家とは彼と共に戦うアーカム・シティの一族、だった。表向きは有名なアメリカの医薬品メーカーだ。戦いで怪我をしたりする者達の為のサポートをしているのであった。
「では、今回の会談を始めよう」
最後の一人を加えて、ついにアメリカも本格的に動き始める事になる。そうして、ついにアメリカも一枚岩になって、会談が始められる事になるのだった。
時は再び、調印式に戻る。ジャクソンからの問いかけに、ラバン・シュルズベリィ教授は笑顔で頷く。これこそが、彼の望みだ。不満があるはずが無かった。
「結構。100年前に我々が望んだままの結末だ。いや、それ以上と言っても良い」
「それは良かった」
「これで、我々は人類共通の敵に対して手を施せる事になる・・・そこの所は、君も問題無いかね?」
ラバン・シュルズベリィ教授は、こんな場だというのに偉そうな態度を正す事もないカイトとアルトの二人組に向かって、問いかける。この二人が、実際に彼に協力する事になるだろう相手だったのだ。
「我々には問題は無い。ブリテン騎士の名に恥じぬ戦いを約束しよう」
「こっちも同じく、だ。世界最悪の島国のもののふ達。刮目してくれ」
「よろしい。君は若いというのに、私が導く必要はなさそうだ」
何処か尊大な風を見せつつも、ラバン・シュルズベリィ教授が納得したように頷く。ここらは教授という教える者であるが故の態度だろう。
「む?」
「ああ、そういえば言っていなかったか・・・この目は盲ていてね。君の魔術は私には意味が無い。しっかりと、君の姿が見えているよ。隠れているそこの魔女も、だ」
カイトの訝しんだ様子を見て、ラバン・シュルズベリィ教授がサングラスを外す。その下には、目が無かった。サングラスはこれを隠す為の物、だったのである。
そうして彼はしっかりとカイトとティナの二人に魔術的な視線の焦点を合わせる。どうやら盲目であるが故に、魔術的な隠形に対しては鋭敏な感覚を持ち合わせているのだろう。
「恥ずかしい話だが、魔眼持ちでね。こうすれば逃げられるのでは無いか、と愚かにも安易に抜いてしまったのだよ・・・無意味だったがね」
「お、おいおい・・・むちゃくちゃな話を軽く言い放つな・・・」
少し照れを見せてはいるがラバン・シュルズベリィ教授の豪快な一言に、カイトも思わず頬を引き攣らせる。彼は魔眼でよほどの絶望を見たのだろう。そうでもなければ、目をくり抜こうなぞと思うはずがなかった。そうして、彼は二人に手を差し出した。
「では、これからは頼むよ、西の騎士くんと東の侍くん」
「いいさ。どっちにしろ人類に滅びてもらっちゃ困るのはこちらも一緒。特に日本は島国だ。大海の守るは大切だ」
「騎士とは弱者を守る為の物だ。安心してくれ」
差し出された手に、カイトとアルトが順々に応ずる。これで、正式に3ヶ国同盟が締結された。であれば、次は、決まっていた。
「さて・・・じゃあ、次はついに、陣取りゲームだね」
ジャクソンが次についてを言及する。これで、自分達の身内は固まった。次の段階に入れるようになったのである。
その次とは、仲間を増やす事だ。世界をひっくり返す様な戦争は当たり前だが、少数では出来ない。どれだけ仲間を増やせるのか、に勝敗は掛かっている。それを、彼は陣取りゲームに例えたのである。
「敵よりも先に動けたのは、嬉しいね」
ジャクソンの言葉に、ハワードも笑みを浮かべる。敵こと道士率いる占術師達は、流石にまだ軍の再編中だ。半年も経っていないのに、軍の再編が出来るはずがない。それどころかまだ内側の勢力争いの鎮圧に力点を置いている段階だ。そうして、ジャクソン率いる勢力はついに、敵に先んじて大々的に動き始める事になるのだった。
一方、その頃。このニュースは予めリークされていたので、大きな衝撃を持って世界中を駆け巡っていた。そしてそれは当然、道士達も知る所になる。
『・・・調印が終わった、らしい・・・』
『・・・我々も急がねばなるまい・・・』
『・・・では、やはり・・・』
『少々強引になるが・・・反対勢力には舞台から下りてもらう事にしよう・・・』
口々に、ジャクソンと言うかカイトの動きに警戒感を滲ませる。これは確かにジャクソンが主体となっているが、それを献策したのはカイトだ。カイトを警戒すべき、というのは相変わらずだった。
そんな彼らにとってなによりも予想外だったのは、インドラが旗色を鮮明にしていた事だった。これが無ければ、彼らももう少しゆっくりと確実に動くつもりだった。彼らはカイトとインドラはせいぜい高天原の宴会での繋がり程度、と考えていた。
他の勢力は中立、ないしは様子見を、と読んでいたのだが、まさかあの戦いの前に自分達が動く前に同盟で動いていたとは、と驚くしか無かったのである。これは完全に彼らの読み違えだった。
『・・・仕方があるまい・・・出したくは無かったが・・・』
『あれらを使う、ということか・・・?』
『しかあるまい・・・宋江を呼べ』
道士達は、少々のため息を吐いた。できれば、使いたくない手だったらしい。が、使わざるを得ない状況だ、と判断した様子だ。そうして、彼らが秘密にしていた戦力に、道士達の長が命ずる。
『お呼びか?』
『・・・即座に壊滅させろ。後の事は周に任せろ・・・』
『御意。見せしめを行っても?』
『好きにしろ・・・奴らを黙らせれば、何も言うまい・・・』
『かしこまりました』
道士達の長の言葉に、秘密にしていた戦力の長がほくそ笑む。彼らを使いたくなかった理由は、簡単だ。道士達でさえ、彼らには手を焼いていたからだ。後々を考えると使いたくはなかったのである。そうして、身を翻した男が、顔を悪辣に歪める。
『・・・許可が下りた。好きにやってよい、とのお言葉だ』
男の言葉に、闇の中に幾つもの同じような笑みが浮かぶ。こうして、道士達もまた、大々的に動き始める事になるのだった。
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