断章 第5話 ティナ編入編・ティナ入学する
「天音いるか?」
ティナがカイトの家に来る数日前。梅雨も終りを迎えかけた頃。カイトは今日も今日とて中学に来ていたのだが、朝一で担任の最上から声が掛けられた。手には少し分厚目の書類が持たれており、表紙にはティナの名前が書かれていた。
「急ぎだったが、今度の留学生の書類審査が終わった。」
「そうですか。急な話で申し訳ありません。」
「ははは、お前が謝ることじゃないだろ。元々は別の学校で受け入れ予定だったのが急遽できなくなって、大急ぎで代替案を探したらしいからな。向こうさんもかなり感謝してたぞ。強くお礼を言っておいてくれ、ってな。」
最上がカイトが謝罪した事に苦笑して、フォローを入れる。当たり前だが、全て作り話だ。カイトが謝罪した方が正しかったが、そんな事を最上は知る由もない。
「いえ、それでも急遽ウチで受け入れを、となってウチの中学に持ち込んだのは留学開始の一ヶ月ほど前でしたし、元の受け入れ予定の学校もしょうがない事情でしたので・・・で、どうでしたか?」
「ああ、うん。なんとか通過した。が、あのしゃべり方は・・・何かあるのか?」
「どうにも向こうに居た日系人の友人の御祖母に教わった所、ああいうどこか変な口調になったらしいですね。」
誰もが思うことだったので、当然、最上もティナの喋り方に少しだけ笑みを浮かべる。それを見たカイトもまた、苦笑して設定を語り、そう言われた最上は半ば釈然としない物を感じつつも当人がそう言うのだから、と納得する。
ちなみに、日本語の語学能力の確認―儀礼的な物なので、これが悪かったからと言ってどうという事でもない―ということでテレビ電話を用いた面談が為されており、その際に編入予定のクラス担任ということで最上が参加していた為、彼もティナの口調を知っているのである。
「そうか。じゃあ、こっちが受け入れ先の念書等の書類になる。親御さんにきちんと渡しておいてくれ。。当日の迎えから何からお前のご両親にはご迷惑を掛けるが、よろしくお伝えしておいてくれ。」
「はい、分かりました。」
最上から手渡された書類を受け取り、カイトはカバンの中に入れておく。これで来週の始めからティナも学校に通える様になる筈である。
「おう、天音。なんかあったのか?」
「ん?ああ、ちょっと書類を受け取ってた・・・別になんかやらかしたわけじゃないぞ。」
カイトが持ってきた書類がかなり分厚かったので、偶然近くの男子生徒が興味を持ったらしい。声を掛けて来た。彼はカイトの書類の封筒を覗き込み、表紙に英語が書かれていたのでびっくりしていた。
「英語・・・フォーエイ・・・何これ?」
「おい、勝手に読むなよ・・・っと、わり。」
「おい・・・ん?・・・foreign student?」
書類を奪い取ろうとした男子生徒に、カイトがひょい、と腕を躱した所、近くで参考書片手に唸っていたソラと衝突。その際に書類を取り落とし、ソラが溜め息を吐きながら落ちた書類をひろおうとして、表紙に書かれていた英語を口に出した。それはかなり流暢な発音で、意味も理解している様子だった。
「留学生?受け入れやんのか?・・・って、なんだよ。」
「天城・・・お前これ読めんの?」
カイトは英語の授業の補習をやっている時に気付いていたのだが、ソラは飲み込みがかなり早い。カイトが教えるまでもなく、英単語ぐらいは参考書片手で、暗記する事ができていた。が、当然そんなのを知らない男子生徒が目を見開いて驚いていた。
ちなみに、ソラは最近少し丸くなったお陰で、なんとか話せる程度には周囲も受け入れ始めていたのである。まあ、こういう風に何か理由があった時ぐらいで、通常はあまり会話に参加することは無いのであるが。
ちなみに、ソラが揉め事を起こさなくなったお陰で、教員達がトンデモなく安心している―と、同時に嵐の前の静けさか、と怯えている―のだが、それは置いておく。
「あ、ああ。まあ、これぐらいはな。」
「まじかよ・・・すっげ・・・」
男子生徒はソラが認めたので少しだけ驚く。それにソラが少し恥ずかしげ頬を染めていた。先の一件から一ヶ月とちょっと。最近はこの様に本来の素直な性格が表に出ることも多くなり、随分と無作為に周囲に放つ威圧感が薄れていた。
「って、そっちはどうでも良い。天音、留学生の受け入れやんのか?」
「まあ、バレたらしょうがないか・・・まあな。来週の始めには転入してくるはずだ。」
「え!?マジか!?」
そうして、ソラの言葉に興味を覚え、カイトの言葉に耳をそばだてていた教室中が騒然となる。まあ、留学生に縁のないクラスの生徒たちだ。いきなり降って湧いた留学生の話に興味を持つのは仕方がない。ソラが近くに居る時は滅多に近寄らないクラスメート達だが、彼が最近丸くなった事と、それ以上に留学生というビックイベントに対する興味で、一気にカイトに近くに群がった。
「男?女?」
「女だな。これぐらいの、小柄な少女だ。」
「え、もしかしてお前ん家に泊まんの?」
「ああ、元々留学予定だった家にご不幸があったらしくてな。急遽知り合いだったオレの所に滞在する事になった。」
「うわ、女の子と同居かよ。いいなー。」
そうして、カイトに対する質問が開始される。その週は結局、ティナの話題で一週間が過ぎ去るのであった。
そして、明けて翌週。子供状態に容姿を落としたティナが入ってきた教室は、それまでの騒がしさに反して静まり返っていた。
「というわけで、アメリカからの留学生のユスティーナ・ミストルティンだ。これから一年程、お前らと一緒に勉強に励む事になる。」
「皆、よろしく頼む。余はユスティーナ・ミストルティンじゃ。まあ、こんな喋り方故、若干取っ付きにくいとは思うが、仲良くしてくれると嬉しい。」
「まあ、海外で日本語を学んだらしいからな。多少日本語がおかしいのは目を瞑ってやれ。席は天音の横だ。」
最上の紹介の後に、ペコリ、と頭を下げた彼女に誰もが息を呑む。口調のおかしさよりも何よりも、まさに眼を見張るような美少女に呑まれてしまったのだ。留学生が来るとは既に学年中に知れ渡っていたが、まさかここまでの美少女が転入してくるとは、誰もが予想外だったのである。ちなみに、最上は面談の時に既にティナを見知っているので、そんなことは無い。
誰もが静まり返る中、最上がカイトの直ぐ横の席を示す。この間のソラの転入と同じく、カイトに用意させた席である。ちなみに、既に席替えを行っているが、何の因果か―元々この席に決まった生徒がソラにおびえてカイトに頼み込んだだけだが―カイトとソラは隣接した席である。つまり、ティナの席はカイトを挟んでソラの逆側である。尚、ソラは窓際なので、横にはカイト以外誰も居ない。
「うむ。」
「まあ、既に知れ渡っているが、ミストルティンは天音の家に滞在している。ということで、天音。種々の世話はお前に任せる。」
「はい、分かりました。じゃあ、こっちだ。」
「うむ!」
人生初の授業とあって、ティナがかなり上機嫌にカイトの横に座る。ちなみに、さすがに教科書は用意出来ていなかった為、用意が出来るまではカイトの教科書を一緒に見る事になる。カイトが魔術を使用し、更には蘇芳翁達が裏で動いてくれたお陰で何ら問題もなく終了したティナの編入は、学校中の多大な興味を孕みながらも、上手くいったのである。
が、予想外が1つだけあった。美少女との同席の為、カイトに突き刺さる視線が痛かったのは、二人にとって予想外であった。
「で、ここが音楽室だ。」
「知っておる・・・が、中まで見るのは初めて・・・でもなかったのう。」
そうして、その次の時間の休み時間からカイトはティナ―と彼女に興味を惹かれた生徒数名―と一緒に学校中を案内しているのだが、これは殆ど意味の無い物であった。実はカイトの案内は、先ほどから殆どこの遣り取りの繰り返しだ。
ティナ当人が言う通り、既に学校中を見たことがあるからだ。カイトが構ってくれない間、ティナはずっと学校中を魔術で透視していた為、下手をすれば並の教師達以上に学校の事に詳しいかもしれなかった。まあ、更には教師達も知らない勝手に作った校舎の中の異空間も知っている分、これは正しいだろう。
そうして、留学生の案内ということで音楽の専任教師に断りを入れて、一同は音楽室の中を見学する。が、二人は先ほどと同じく、どこか苦い笑みが浮かんでいた。
「で、これがピアノ・・・」
「別にピアノなぞは向こうにもあったからのう・・・まあ、確かに和琴等珍しい楽器があれば心惹かれるが・・・」
「さすがに無いもんなー。」
「まあ、それでも楽譜などがあれば見てみたいがのう。」
「オレに音才は無いぞ。持ってる事を期待すんなよ。」
「知っとるよ。余が弾いてみたいだけじゃ。」
当たり前だが、こんな事は付き合いも10年を超えれば把握しあっている。なのでカイトが苦笑し、ティナも苦笑する。実はカイトは音楽の才能には乏しく、その良し悪しは理解出来るのだが、楽器を使うとなると特にダメだ。カイトもやる気になってきちんと練習すれば出来るのだろうが、友人たちが悪すぎた。彼らは絵になりすぎな上カイトを茶化すので、カイトのやる気を損なうのあった。
ちなみに、ティナは珍しい物というが、カイトの魔術による武器の創造の応用範囲はティナ以上にトンデモなく広く、まともに使える楽器も創り出す事も出来る。日本に来た当初に百科事典を渡した所、幾つもの見たことのない道具に興味を覚え、四六時中カイトに創らせ続けたのだ。
さすがにカイトは楽器を使うことは出来ないが、それでも、直に触る事は出来るし、分解する事も容易だ。なのでここで言う珍しい物とは百科事典に記載が無い楽器や和琴等の独自の物、という事になる。
「あの・・・ユスティーナさんは音楽出来るの?」
「む・・・?えーっと、お主は三笠じゃったか?」
「あ、うん。覚えててくれたんだ。」
ティナに興味を惹かれて一緒に付いて来ていた女生徒の一人が、ティナが自分の名前を覚えていてくれた事に少しだけ嬉しそうにはにかんだ。
ちなみに、ティナが覚えているのは当たり前だ。なにせ、一ヶ月以上も授業を覗き見ているのだから、記憶力を魔術でブーストしている彼女が覚えていないはずはなかった。なので、彼女が問い掛ける様な口ぶりなのは演技である。
「ピアノはもちろん、どんな楽器でも弾けるぞ!」
えへん、と無くなった胸を張って自慢気なティナだが、実は彼女の方は音楽も得意である。伊達に自他共認める歴代最高の天才魔王を名乗ってはいない。絶対音感も持ちあわせており、二人が暮らした公爵邸には彼女専用の音楽室が二つも存在するほどである。
尚、1つは客人に披露する為の優美な物で、もう1つは音楽魔術―音楽を用いて様々な効果を発動させる支援魔術の一種―の研究用の地下研究所にある実験室の様な物である。ちなみに、被験者はカイトやルクス達かつての仲間達の中でも公爵家に居る人員である。
「まあ、ここ暫く忙しくてピアノなんぞ弾いておらんがな。」
「あの・・・じゃあ、弾いてみる?」
「良いのか!」
目を輝かせて嬉しそうな表情のティナに、三笠が頷く。
「ちょっとまってて。」
彼女はそう言うと、駆け足に音楽教師の待機する音楽準備室へと入り、そして数分もしない内に紙の束を持った中性的な若い男性と一緒に戻ってきた。
後に聞いた話だが、彼女は吹奏楽器所属らしく、ティナが音楽が得意と言った事に興味を覚えたらしい。ティナ自身が若干弾きたがっていたので、音楽教師に頼んでピアノの使用許可を得たのである。一緒に音楽室に入ってきたのは音楽教師である。
「はい、これ。」
「うむ。では、使って良いのか?」
「ええ、どうぞ。」
どこか中性的な男性教諭が頷く。それに、ティナがピアノに腰掛けて、幾度か全ての鍵盤の音程を確かめる。全て確かめたのは表向きは調律が合っているかの確認だが、正確には此方の世界のピアノとエネフィアのピアノの音階が合っているか確認しているのだ。
が、どうやら彼女の杞憂だったらしく、何ら問題無くティナはピアノに指を乗せる。そうして始まったのは、ティナには馴染みの少ない、だが地球出身の者達にとっては馴染み深いフレデリック・ショパンのピアノ曲『幻想即興曲』である。
「きれい・・・」
「凄い・・・」
音楽を嗜む二人が大いに目を見開いて驚く。ティナの指の運びには一切の迷いが無く、まるで水が流れる様に奏でられる音律はプロかと見まごうほどの腕前であった。
それがわからない他の生徒達にとっても、今奏でられているピアノの上手さは誰しもが理解でき、誰もが息を呑んでただただ聞き入っていた。そうして、10分もしない内に演奏は終りを迎える。
「何じゃ、『幻想即興曲』じゃったか。」
「悪かったな、不出来で。」
誰もが圧倒され、悦に入っていた中。ただ一人拍手をしていたカイトがティナの呟きに拗ねる。時折カイトが口ずさむこの曲に興味を覚え、魔術で記憶を補完して何とか原曲を割り出そうとしたことのあるティナだが、ついぞ上手くいかなかったのだ。
が、弾いている内に原曲だと気づくと、ようよう出会えた楽曲に熱が入ったのであった。と、そこで万雷の拍手が鳴り響く。ようようにティナの上手さを理解出来た者達が、大慌てで拍手をしたのである。
「む?」
「凄い!君は100年に一人の存在だ!君はアメリカの音楽学校の所属だったんですか!?」
大股に駆け寄った音楽教師がティナの手を握り、興奮した様子で問い掛ける。普段は穏やかな彼が興奮した様子に、常日頃の彼を知るカイトら生徒達が目を見開いて驚いた。
「い、いや、これは独学じゃから・・・」
「なんと勿体無い・・・貴方ほどの腕前があれば、音楽学校でもやっていけるのに・・・そうだ!貴方は部活はもう決めたのですか!?」
内心で100年に一度の逸材を掘り起こした、との気分からかなり残念そうな音楽教師が、目に見えて肩を落として残念そうだが、直ぐに気を取り直してティナに問い掛ける。
だが、この質問は当たり前だがティナは何も決めていない。なにせ、今日転入してきたばかりだ。まだまだ見たいものが沢山ある彼女にとって、何かに属するとは考えても居なかったのである。
「まだ決めておらんのう。」
「是非、吹奏楽部に所属して下さい!貴方の腕なら、コンクール入賞・・・いえ、優勝も夢では有りません!」
「と、時々で良ければ、考えておこう。」
「それで構いません!是非!」
身を乗り出して興奮する音楽教師に、ティナが若干引きながら頷く。そうして、のっけから多大な波乱を含みつつ、ティナの学園生活がスタートしたのであった。
お読み頂きありがとうございました。




