断章 天使達編 第25話 銀の少女 ――ルイス――
<<零時空間>>に落とされてから、氷の大精霊こと雪輝の祝福を得たカイトは『冥界華』が咲き乱れる花園に辿り着いていた。そんな彼だが、その後少しの雑談の後、ディーネに導かれ、『冥界華』を育てるのに必要な澄んだ水の在り処へと、足を進めていた。
「少し遠くで水の流れる音がするな・・・一度水を飲んで、食べれそうな食べ物を捜索するか」
こんな空間なのにこの一帯だけは幻想的で、それに心を奪われながらも、カイトは注意深く森の中を進んでいく。注意深く観察しているのは、食べ物が無いかな、という程度だ。
というのも、ここに生き物が居るとは思っていないし、天使達が配置した看守か番人が居るとも思わない。ここを指定して入れるのなら別だが、そんな器用な芸当は出来るとは思えない。
そもそもこの『冥界華』の花園がそのまま残っている事は天使達だって知らないだろう。番人を送り込んだ所で、時間の殆ど止まった空間の中に入った所で、数秒も保たずに氷漬けだ。そんな無駄をするとは思えなかった。
「・・・お? おぉ。リンゴ見っけ。まさかエデンにあった知恵の実とかじゃないよな・・・まあ、そんな事気にするオレじゃ無いんですけどねー」
そうして注意深く木々を観察していたカイトだが、どうやら食べ物があるかも、という予想は大当たりだった。運良くリンゴが実っている木があったのだ。
どうやら『冥界華』の影響かこのリンゴの木にも時の流れがあるらしく、その周囲にはりんご以外幾つかの果物の果樹園が出来上がっていた。
「おぉ、なかなかに美味」
「え、本当?」
「気になるか? ほらよ」
「私のも頼む」
「あいあい」
どうやら大精霊達も『冥界華』の影響を受けた果物というのには興味を抱いたらしい。寒くない事も手伝って、カイトの左右に顕現する。
リンゴの味や美味しいかおいしくないか、というのは世界の情報にも記載されていない情報だ。そもそも属人的過ぎる。そうして、カイトが手渡した二つのリンゴを二人の大精霊が同時に齧る。
「甘いね」
「もう少し、甘さが控えめでも良い」
どうやらディーネの口には合ったらしく笑顔を浮かべていたが、雪輝の口には少し合わなかった様だ。エネフィアの雪輝だとこの程度の甘さを好むので、やはりここらも、当人達の差なのだろう。そうして、リンゴを幾つか食べた所で引っ込んだ大精霊達と共に、カイトは再び歩き始める。
「さて・・・奇しくも飯の方が先にゲット出来たわけだが・・・もうすこ・・・え?」
大分と近くなった水の音に向けてカイトが歩き続けて、そうして開けた場所に出た所で、カイトがおもわず息を呑んだ。そこには、一人の少女が立っていたのだ。それも、単なる少女では無い。裸身の少女だ。だが、そんな事程度でカイトが息を呑むはずが無い。裸身なのは当然で、水浴びをしていたからだ。
では、何が彼に息を呑ませたのか。それは、その少女はあまりに美しすぎたのだ。彼の身近な少女で例えるならば、ティナと同じく神に愛された造形といえるほどの美しさだ。
少女を敢えて言葉で例えるのなら、月光よりも遥かに美しい白銀の髪に、まるで新雪が如くに純白の肌。そして端正な顔。女性的な柔らかさを持ちながら靭やかさの失われていない肢体は、神々しささえ存在していた。
ただし、ティナとは身に纏う風格は、完全に正反対だ。ティナが太陽の如く明るくはっきりした雰囲気を身に纏うのに対して、彼女の雰囲気は鋭利で研ぎ澄まされ、そしてそれでいながら、幻想的な雰囲気があった。
例えるのなら、ティナが太陽の美少女であるのに対して、彼女は月の美少女だ。そうしてそれの印象を深めているのが、彼女の髪だ。
髪型はウェーブの掛かったセミロングという所なのだが、それはティナの太陽の輝きの如き黄金色とはこれもまた正反対に、神聖な白銀色だった。それが、オーロラが輝く濃紺の空に良く映えた。
「綺麗・・・だ・・・」
陶酔を含ませた様に、カイトがつぶやく。彼の人生にして初めての一目惚れだった。カイトはそれほどまでに、その少女の美しさに見惚れてしまう。
だが、彼で無くても、その光景には心奪われるだろう。周囲に咲き乱れる幻想的な『冥界華』の花園に、その中の小さな湖で水浴びをする姿。そして、遥か天高くに掛かるオーロラ。なによりも最も特徴的なのが、彼女の背中にある、一対の黒白の翼。
全てが、幻想的だった。幻想的な物を見飽きる程に見てきたカイトが見惚れるのだから、その凄さは理解でき様ものだ。
「誰だ?」
思わず動きを止めていたカイトに、どうやら少女も気付いたらしい。少し驚きというか訝しみを含んだ複雑な表情を浮かべ、カイトに誰何する。
「あ、いや、済まない。ついあまりに綺麗だった物だから、見惚れてしまった。無礼は謝るよ」
少女と目があって、カイトは慌て気味に後ろを振り向く。何時までも見ず知らずの年頃の――と言っても見た目相応の年齢では無いだろうが――少女の裸身をまじまじと観察するのは、彼とて無礼である事は理解していた。
「オレはカイト。昨日・・・と言ってもこの中の時間で、だがここに来てね。彷徨っている内にここに辿り着いた。まさかこの空間にオレ以外の誰かが居るとは思っていなくて、覗く事になって申し訳ない」
「昨日・・・まさか、一晩もここに居て・・・無事だったのか?」
少女の訝しむ声が、カイトの耳朶を打つ。どうやら彼女にとって、裸を見られた事は怒るほどの事では無いらしい。そんな少女にカイトは少し苦笑と助かった、という思いを抱きつつも、はっきりとそれを認める。隠すほどの事では無いからだ。ちなみに、助かった、と思ったのはこんな空間に誰も居ない、では精神的にきついからである。
「ああ」
「・・・お前は、そこに居るのか?」
何処かカイトを見る自分自身を訝しむ様な声で、少女が問い掛ける。これに、カイトが首を傾げる。言っている意味が理解出来なかったのだ。
「どういう事だ?」
「・・・いや、気にするな。ふん・・・数千年ぶりに、ここに人とはな」
カイトの問い掛けに対して、少女は何か苦笑の様な物を浮かべる気配があった。そうして少しの間衣擦れの音がして、少女が口を再び開いた。
「こっちを向いて良いぞ」
「ああ、悪かった」
少女の許可で、カイトが後ろを振り向く。するとそこには、まるでローマ時代の様な神話的な衣服を羽織った少女が居た。
その美は布を覆った所で隠せるわけもなく、いや、まるで神話からそのまま出て来たかの様なその衣服が更に幻想的な感を強めてさえいた。そうして振り向いて再度為されたカイトの謝罪に、少女が傲慢に空中で足を組んで肩を竦める。
「ふん、気にするな。別に見られた所で私の身体に恥ずかしい所は無い」
「それは同意しよう。君は素直に、綺麗だった」
「ほう・・・褒めるのが上手いな」
今更見た事を否定も出来ないし、それに対してまるでバツが悪そうにするのも失礼だ。それ故に、カイトは素直に本心からの称賛を少女に送る。
それはどうやら少女には気に入った答えだったらしく、顔には少し傲慢ながらも嬉しそうな笑みを浮かべた。そうして上機嫌な中、カイトに自らの名を告げる。
「私は・・・そうだな。ルイス。そう呼べ」
「ああ、ルイス。それで、君は何故こんな所に?」
「それは私のセリフだ。貴様は何をやった? それにその奇妙な服装はなんだ? 一体外では何が起きている?」
カイトの問い掛けに対して、ルイスは矢継ぎ早に質問を飛ばす。それにカイトは少しルイスを観察しながらも、取り敢えず質問に答える事にした。
「オレが何故入れられたか、何だが・・・それがまったく分からない。急に強襲されてね。イキナリ動きが止められたと思ったら、次の瞬間にはここだ。一体何がなんだかさっぱりだ」
「サリエルと戦ったわけでは無いのか?」
「サリエル・・・? ああ、あの死を司る天使の事か? いや、オレは自分の誕生日を祝うパーティーに出席していたんだ。それで気付いたら、この有様でね。危うく凍え死ぬ所だった」
「ちっ・・・あいつの事だ。大方何か暗殺紛いの事でもしたのだろう。だから、堕天使だ、と言われるんだ。動きが止められたのは、奴の魔眼の影響だ。奴は<<茨の魔眼>>と<<心眼>>の持ち主だ・・・どうやら、貴様は相当な危険人物らしいな。奴が交戦もせずにここに叩き込むとは、まず滅多にない」
「魔眼か・・・ちっ、西の天使共も流石にクリスマス・イヴには動かんだろう、と油断したな・・・」
何処か忌々しげなルイスの言葉を聞いて、カイトが顔に少しの悔しさを滲ませる。まあ、彼にしても自分の誕生日だし、おまけに時期も時期だ。そこまで警戒をしていろ、というのも少々酷な話だろう。
ちなみに、<<茨の魔眼>>と<<心眼>>はそれぞれ、魔眼の名称だ。前者が見るだけで敵の動きを縫い止める魔眼の名前で、後者は見ただけで敵の大まかな――大まか、であって正確では無い――本質を見抜くという魔眼の名前だ。どちらも職務上必要な物で、唯一神が彼を生み出した時に与えた力の一つだった。
どちらも発動時には眼の色が変わるため、実はカイトと相対していたサリエルはオッドアイになっていたのだが、流石にカイトもサリエル自体を見ていないのに、気づきようもなかった。まあ、それに彼はそれを隠すためにカラーコンタクトを入れているので、結局目視では意味が無いのだが。
「で・・・奇妙な服装と言うが、君ほどか? なんだ、その古代ローマ帝国風の衣服は」
「・・・何? これでも最先端の衣服のはずだが?」
「待て・・・君は何時からここに居たんだ?」
ルイスの言葉に、カイトは薄ら寒い物を感じつつも問い掛ける。少し信じたくなかったのだ。
「・・・わからん。ここでは時間が殆ど流れん。何時からここにいたか、なぞわかりようはずもない」
「・・・たしかにな」
ルイスの言葉の裏に潜んだ極僅かな感情の揺れに気付いて、カイトは敢えてそれを認める事にする。彼女は、何時からここに居たのかを覚えている。と言うより、知っている。そしてそれが、彼女の傲慢さを以ってしても不安にさせるぐらいの長時間だ、という事を物語っていた。
「それで、外では、か・・・これは語っていると時間がものすごく掛かるが・・・」
「気にするな。ここでの時間に意味は無い。話せ」
「はいはい、お姫様」
彼女の傲慢さを、カイトが気にするはずがない。理由は簡単に理解出来たからだ。それは、不安に起因している。なにせカイトから一度も視線を逸らしていないのだ。
もしかしたら自分の見ている都合の良い幻影なのでは無いか、視線を逸すと消えてしまうのでは無いか、と不安になっていたのである。そうしてそんなルイスに、カイトは苦笑して、外の情報を彼女に教えていく。
「まあ、というわけで、今はもう世界が完全に閉じた様な状況だ。それ故、天使達も動きにくくなっている、と思って油断したわけだ」
「ふん・・・無様だな。誕生日に浮かれて、なぞガキか。お前は良い年の男が子供のように・・・何をしているんだ」
「うぐっ・・・返す言葉もない」
最強と言われ、最高と謳われようとも、罠に嵌って捕われたのは事実だ。おまけに子供の様に誕生日で少し浮かれていたのも事実だ。否定でき様の無い正論だった。
それ故に呆れた様なルイスの言葉に、カイトが少し項垂れて、小さく苦笑する。そんなきつい彼女の性格は、カイトの聞いていた通りだったのだ。そんな苦笑が自嘲と思ったのか、ルイスはスルーする事にして、カイトに問い掛けた。
「それで、貴様はどうするつもりだ?」
「いや・・・脱出する方法を探す。ここから出ない事には、何も始まらない」
「・・・諦めろ。ここから出る手段は無い」
カイトの答えに、ルイスが首を振る。そこにはかなりの諦めが見て取れた。彼女もその長い間脱出を模索し続けて、諦めたのだろう。とは言え、カイトが諦めるのかどうかとは、また、別の話だ。
「ま、気長にやっていくさ。どうせここでは時間に意味は無い・・・来るか?」
「ほう・・・別に今さら脱出に興味は無いが・・・貴様が何処で倒れるのかには、興味がある。その強気が何処まで保つのか、後ろから存分に楽しませてもらおう。久方ぶりの玩具だ。存分に楽しませてくれ」
カイトの問い掛けに、ルイスが傲慢さを滲ませて告げる。それに、カイトが苦笑する。かつて聞いた通り、だったからだ。そうして、ルイスにバレない程度に小声でつぶやいた。
「素直じゃねえなぁ・・・」
「どうした?」
「なんでも? さって、転移術用にアンカーはぶっ刺したし、行くか」
転移術で戻ってくる為のアンカーとなる魔法陣を地面に刻んだカイトの言葉に、ルイスは組んでいた足を解いて、ふわり、と宙に浮かぶ。そうしてそれから、二人はあてども無く、ここを起点として、脱出の方法を模索する事になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




