断章 天使達編 第24話 氷のクリスマス・イヴ
<<零時空間>>に落とされたというカイトだが、サリエルの言葉通り、それは正しかった。如何にカイトといえども不意打ちで魔眼に捉えられた挙句にそのまま一瞬で<<零時空間>>に落とされては逃げる事は出来なかったのだ。そうして落とされたカイトが放ったまず第一声は、これだった。
「さっぶー! 何だここ! めちゃくちゃさびぃー!」
ガクガクブルブルと震えながら、カイトが歯をカタカタと鳴らす。とは言え、カイトが軽装だから、というわけではない。一応ドレスコード等は無いので室内着だったが、それでも冬なので厚着は厚着だ。
だが、それ以前の問題として、周囲にはブリザードが吹き荒れていた上、吐いた息は一瞬で凍るほどの寒さだったのだ。
「あ、これはダメだわ! ルゥ! コートプリーズ! マジでこのままだとオレがコールドスリープしちまう! 多分ここ殆ど絶対零度の状況だわ! 魔力切れるとオレもお前も氷漬けだぞ!」
『あらあら・・・収支で言うと入ってくる方が多くて無尽蔵とも言える旦那様の魔力切れというのは見てみたいですが・・・寒いなら、肌で温めてさし上げましょうか?』
カイトの言葉を受けて、ルゥが何処か楽しげに問い掛ける。こんな時だというのに、二人共完全に余裕だった。まあ、カイトの方には別の意味で絶体絶命のピンチ状態だったが。
ちなみに、そんな二人だが、ここは正真正銘、絶対零度直前の空間だ。現在の外気温は摂氏マイナス270度という程度で、カイトも魔力で冷気をある程度遮断していなければ、確実に氷漬けになっただろう。
「後にしろ! こんなとこで素っ裸とかやってられっか! 暖かいとこに出たら泣いて頼んでもやめてやらないから! 今はさっさとコートくれ! マジ寒い!」
『あらあら・・・正真正銘寒いご様子ですわねぇ・・・こちらは暖房器具完備でヌクヌクですよ? 旦那様も私のコートをお渡ししますので、がんばってくださいまし』
『カイト、頑張ってね』
「ちくせう! こっちの大精霊も結局は大精霊か! お前ら恨むからな!」
どうやらディーネも精神世界に居たのだろう。ぬくぬくとしている彼女の激励にならない激励が響いてきた。そんな彼女達に対して、カイトは恨みがましい文句を言うが、決して出て来てくれるつもりは無い様だ。それに笑い声を上げるだけだ。使い魔に振り回される主もどうかと思うが、これが彼らの距離感だ。
まあ、それに誰が好き好んでブリザード吹き荒れる空間に出たいと思うのか、と言われれば、おそらく氷の大精霊である雪輝ぐらいだろう。神狼族であるルゥだって嫌だ。その彼女にしても地球側は相も変わらず音沙汰なしだし、エネフィアはそもそも連絡が取れるはずがない。
「うぅ・・・ここ、なんなんだ?」
取り敢えず、脱出しようにも空間全体に転移術禁止の力場の様な物が展開されており、脱出は難しい。というわけで歩き始めたカイトだが、一面に見えるのは雪と氷だらけだ。他になにかがあるわけではない。それから数時間。カイトは歩き続ける事になるが、そうして一つ気付いた事があった。
「・・・腹は・・・減らない様だな。疲労感はある・・・ふむ・・・興味深いな」
ルゥの革で出来たロングコートにすっぽりを覆われた事で冷気が遮断された事で幾分マシになったカイトは相変わらず氷と雪だけの世界を歩き続けたのだが、そうなると当然あるべき疲労感はあった。
だが、それに対して一向に空腹感がなかったのだ。そうして暫く周囲を観察していたカイトだが、ある一つの答えに辿り着いた。
「ディーネ。もしかして、ここは時間がとてつもなく遅い空間なのか? 体感だけでなくて、実際に身体に流れる時間も」
『そうみたいだね。ここは時間がとんでもなくゆっくり。これを作れた人は多分かなり高度な魔術知識を持ちあわせていたんじゃないかな・・・それも、時間と空間、その両方に、だよ』
「・・・その二つでここまで超高度となると、あの種族だけ、か・・・? この世界に居るのか?」
『・・・わからない。彼らだけは、私達の範疇を離れるから・・・って、言う必要無いよね』
ディーネの済まなさそうな言葉に、カイトが苦笑する。大精霊だからと言っても、全てを知り得るわけでは無い。当然だが、どうしてもわからないことも存在しているのだ。そうして二人で知識をすりあわせて、カイトは一つの結論に至る。
「ああ・・・ということは、外はまだ1秒と経過していないだろうな」
『うん。まだカイトが消えてコンマ数十乗の1秒しか経過していないよ』
「げふっ!? じょ、冗談だろ?」
ディーネの言葉に、カイトがおもわず吹き出す。彼女もこの内側に居るが、外との接続が無いわけでは無い。そもそもそんな事は不可能だ。それ故に、外の時間経過も分かる事が出来たのである。
そうして告げた彼女の言葉は即ち、時間が止まっているに等しいと言ったに近いのだ。この空間を作り上げた製作者は物凄い技量と認めるしかなかった。
そしてカイトが吹き出すのも当然だった。この分野は、ティナでさえそこまでは不可能、いや、この数十分の一も不可能だ。ティナ以上の圧倒的な技量に、カイトも思わず信じられなかったのである。
『ううん。冗談じゃないよ。ここは物凄い綺麗な術式で編まれている。綺麗すぎて、私た・・・私でも思わず息を呑むぐらい』
途中ディーネがおもわず苦笑して言い直したのはおそらく、他の大精霊達も少し興味を覚えてカイトの側に来ているからなのだろう。とは言え、まだ介入してくれるわけでは無いらしい。
「そうか・・・これは空恐ろしいな・・・強引な脱出は出来そうにない、か・・・どうにかして、脱出経路を探すしか無いな」
ディーネの言葉を真実と判断して、カイトは自力脱出を決める。そもそも外からの増援は望めない。なにせまだ敵に気付けてもいないのだ。ここで一年を経過させた所で、外では1秒も経過していないのだ。自力脱出以外に方法が無いのは、当然だった。それに、もう一つ理由があった。
『それに、見せたくない、でしょ? この空間は』
「ああ。あいつには、見せられない。ティア達の、ジェイクの爺の・・・無数に受け継がれてきた想いを踏みにじる事になるかもしれない。まあ、あいつらもまさか異世界にこんな空間があるとも思っていないだろうけどな」
『しょうがないよ』
カイトの言葉を聞いて、ディーネが慰めの言葉を送る。とは言え、それで諦められる話では無い。確かにティナであれば、この空間を完璧に理解出来る可能性がある。だが、カイトはそれはやりたくなかった。
自分の我儘で、ティナを地球に連れて来たのだ。その我儘で、ティナの真実に関わる全ての者達が必死で堪えてきた想いを、踏みにじるわけにはいかなかった。それ故に、カイトは少しの後悔も無く、自力脱出を決める。
「・・・しゃーない。いっちょ気合を入れて、この空間から脱出する事にしますかね」
『頑張ってね』
今度は何の嘘偽りも、茶化しも無い激励の言葉を、ディーネが送る。この愛おしいほどに純粋な想いに、彼女は惹かれたのだ。そうして、それはまた別の一人の大精霊も一緒だった。
『・・・右に20度。向きを変えろ』
「・・・は?」
『右に20度だ。それから3時間。ひたすらに歩き続けろ』
声は澄んだ声で、まるで一切の空気が入り込んでいない氷の様に綺麗な声だった。そうしてそれはカイトには、誰の声なのか、理解出来た。だからこそ、カイトは敢えて何も問う事なく、歩き続ける事にするのだった。
カイトが謎の声を聞いてから、約3時間。カイトはようやく止んだブリザードを受けて、氷の世界の中で遥か空を見上げる。
「・・・綺麗な空だなー・・・オーロラ見えてら」
上に広がる紺色の空とそれを綺麗に飾るオーロラに、空を見上げたカイトは一時の安らぎを得る。そこには異世界で見た様々な幻想的な風景に勝るとも劣らない幻想的な光景が広がっていた。
ブリザードが止んだ事で、寒さにしても一段落ついていた。おまけに風も殆ど無いおかげで、今までよりも遥かに過ごしやすく――と言ってもまだまだ人が生存出来る領域では無いが――なったため、カイトは一度休憩する事にしたのである。
流石にカイトとて無尽蔵のスタミナと精神力を抱えているわけではない。何処かで、休憩が必要なのだ。そうして指示通りに進んで腰を下ろし、それと同時に感じる背中の気配に、声を掛けた。
「よう・・・来てくれるとは思わなかったぞ」
「・・・我が主にして、我が祝福を得し者よ。自らに課す氷が如き澄んだ想いに、祝福を授けよう」
「名乗りもくれないか?」
カイトは振り向いて、自身に力をくれるという女性に何処か茶化す様に問い掛ける。そこに居たのは、日を受けて照り輝く氷の様に輝く髪と氷の様に澄んだ瞳を持つ一人の絶世の美女。もはや何かを言うまでも無く、氷の大精霊だった。
とは言え、エネフィアの彼女の様に何処か気怠げでは無く、氷の様に冷たく、それでいて澄んだ気配を持つ氷の如き美女だった。
「名乗る必要があるか?」
「無いね・・・だろう? 雪輝」
「然り。私が、この世界における雪輝だ」
カイトの言葉に地球の氷の大精霊が厳かに認める。まさに、氷の女王。そう言わんばかりに厳かで、そして自らに絶対の自信を持つ澄んだ意思を持った声だ。そうして、彼女は一瞬で、カイトの前に移動する。
「・・・目をつぶれ。向こうでは無数に繰り返したかもしれないが、私は初めてだ」
「そりゃ、役得で」
雪輝の何処か照れた様な言葉に、カイトは頼み通りに目をつぶる。流石にこんな所で交わるつもりも無いし、本来はくちづけそのものが不要な物だ、というのはディーネの時と同じだ。そして彼が目を閉じると同時に、首に人の体温ほどのぬくもりが巻き付く。雪輝が手を回したのだ。
そうして、カイトの唇に、少し湿っていて、冷たくて、それでも温かい人のぬくもりが感じられる。とは言え、そのぬくもりもほんの僅かな時間だけだ。
『・・・終わった』
「・・・恥ずかしいらしな」
『・・・うるさい』
終わった、という言葉に目を開いたカイトだが、そこには元から誰も居なかったかの様に、何の人影も存在していなかった。
『・・・これで、貴様はこの場の冷気が通用しなくなったはずだ。空腹感も無いのなら、後は自由に活動出来るだろう』
「出入り口は・・・教えてくれないよな」
『流石にそれは少々出来かねる』
カイトの言葉に、雪輝が苦笑したように告げる。どうやらこれは人同士の争いごとなので、カイトへの過度な介入は出来ないのだろう。それに、カイトも自力脱出を選んだのだ。他力本願、というのも何か違うだろう。まあ、大精霊達の力は彼の力でもあるので、そこの所は微妙な話だろうが。
「だろうね。じゃあ、まあ、遠慮無く氷の祝福を適用させてもらうか・・・あぁ、一気に楽になった」
再びカイトはその場に腰をおろして、氷の祝福で張られた膜の影響で寒さをシャットアウトする。取り敢えず疲労を回復しない事には、何も始まらないのだ。どれだけ頑張っても、時間は腐るほどある。それに野宿用の一式は昔の癖から常に携帯しているのだ。
「取り敢えず、テントでも貼って一回休憩するか。流石に6時間以上ぶっ通しだと、眠いな」
元々パーティーが開始された時点で夜だったのだ。それから6時間以上歩き続けているので、体感時間的にはもう24時を回っていた。というわけでカイトはその日はその場で、就寝する事にするのだった。
翌朝。カイトは再びテントを仕舞い歩き続けていた。幸いだった事は疲労感は感じられてもそれが精神的な物だからなのか、空腹感を得る事が無い事だろう。
まあ、歩けど歩けど氷の世界なので、歩いているのかわからず気が狂いそうになるのはなるのだが、それでも上のオーロラは綺麗だし、精神世界には相も変わらず賑やかな声が響くのだ。問題があるようには思えない。
「少し吹雪いてきたな・・・こっちはハズレか」
取り敢えずカイトはブリザードの止んでいる方向を選んで、歩いていた。ここ一帯だけ止んでいる、という事は何か意味があるはずなのだ。そこから掴めるかもしれない、と思ったのである。
そうして、起床してから歩き続けること約3時間。ついにこの場の中心らしい場所に辿り着いた。そこは外とは違い常春に近い空間で、とある花が咲き乱れる場所だった。
「これは・・・『冥界華』?」
カイトがしゃがんで確認したのは、エネフィアでは『冥界華』と呼ばれる半透明の花だ。どうやら彼にとって馴染みの深いそれは確かに『冥界華』であるらしく、特徴的な澄んだ香りがカイトの花に届く。
「これほどこの花が咲く、ということは・・・ここはあの世とこの世の境界線に近いのか」
カイトほど、この『冥界華』に精通している者も居ない。それ故に、この場が普通の空間とは微妙に異なる事を嗅ぎつける。そうして同時に、この場がこの空間の起点では無い事も、嗅ぎ当てた。
「この花がある、ということは、ここはハズレだな。この花は一切の魔術が無効化する・・・どうやら元はこの花園を隔離する目的で作った空間だったかな?」
『多分、そうだろう。その花は地球ではもはや知る者がいない。そこにしか咲いていない』
『うん。私達もこんな所にあったなんて、って驚いてるよ』
カイトの推測を、大精霊達も同意する。『冥界華』は最高級の回復薬に使われる素材なのだが、その理由の一つが、この魔術を無効化する、というよりも魔術を強制的に魔力に分解して吸収しまう、という特殊な性質にあった。おそらく天使達はこれの性質を誰よりも早くに掴んだか、カイト達が睨んでいる横槍の存在がそれを伝え、ここを発見、悪用されない様に隔離したのだろう。
「まあ、正しい判断ではあるな・・・如何に強大な神といえど、『神殺しの花』には勝ち目がない。精錬する事が出来る奴が居るとも思えんが、危険視するのは当然だ」
『うん。多分、入れ知恵が入ったんじゃないかな。あの種族なら、これを知っていても可怪しくない』
『いや、それは無いだろう。『冥界華』の使い道で回復薬以外で知られている事は無い。神殺しに使える事を知っているのは、私達ぐらいだ』
『そうかな?』
『そうだ。それに、よくよく考えても見ろ。そんな情報を私達以外が握っているはずが無いだろう?』
カイトとディーネの推測に、雪輝が否定を入れる。どうやらこちらの世界の雪輝はエネフィアに比べて饒舌らしく、それなりによく話してくれた。
『冥界華』をカイトが隔離された事にカイト達が納得したのは、これ故だった。『冥界華』は魔力を吸収する性質を持つ。とは言え、そのまま自生しているだけでは吸収力も強い物ではないし、分解の力自体も強くは無い。そして生きている者から魔力を吸収しようとする事も無い。
だが、これを高純度まで精錬すると、話は別だった。分解する力が強くなり、精神、即ち魔力だけで身体が構成されている神族にとっては天敵といえるレベルの分解力と吸収力を持ちあわせていたのである。神族以外の肉体を僅かにでも有する生命体については辛い程度で良かったが、完全に魔力で構成されている神族にとっては、致命的だったのだ。
「それもそうか。まあ、よく考えりゃ、これを精錬出来る、という事も精錬方法も知ってるのオレ達だけか。無理は無理か」
『確かに、そもそも私達全員の力を借りないと精錬出来ないわけだから、警戒しても意味無いね。もしかしたら、あの唯一神は本能が何かを察して、ここを隔離する様に指示したのかもね』
雪輝の言葉に、カイトもディーネも苦笑して自分達の考え違いに納得する。そもそもでカイトが知り得たのも、大精霊達の知恵を借りたからだ。大精霊達もカイトだからこそ教えたのであって、他に教えているとも思えない。なにせこれは世界を滅ぼせる力に繋がるのだ。教えるはずがなかった。
「まあ、ここを休憩所に定めたいから、少し探ってみるか」
『うん。それが良いね。幾ら外でテント張れるから、って吹雪の中で休憩する必要は無いもの』
カイトの言葉を聞いて、ディーネが同意する。確かにテントはあるが、それも何時まで使えるか分からない。それに、脱出にどれだけ時間が必要なのかもわからないのだ。確実に休憩出来る所が欲しいというのは、当然だった。
「まあ、『冥界華』がある、ということは水と食べ物がある可能性は高いな。食わんでもなんにも問題無いが、精神的にありがたい」
『あはは・・・左、少し行った所に水があるよ』
「助かる」
食べなくて良いからと言っても、精神的に飲まず食わずというのは辛いのだ。そうしてそうこぼしたカイトのために、ディーネが水の在り処を示してくれた。そうしてカイトはそちらへ向けて歩き始め、彼の運命において重要な少女との逢瀬を果たすのだった。
お読み頂きありがとうございました。




