断章 神々の宴会編 第14話 酔った挙句
信綱との戦いの後、カイトはお風呂に入っていた。カイトにしてもただ単に汗を流す程度にしか考えていなかったのだが、予想以上に神様のお風呂は気持ちが良かった。疲れを取るというよりも、しっかりと浸かっていたくなる程だった。
ちなみに、お風呂にはカイト以外にも酒を抜く為に入る神様達の為に常にお湯が張られている、との事である。なお、流石に大風呂もあるが、カイトはのんびりと入りたかったので個人用のお風呂に使っていた。
「はぁ・・・」
「お加減如何でしょうか!」
「あぁ・・・良い湯だ」
玉藻の言葉に、カイトが振り向く事なく片手を振って答える。カイトはゆっくりとお風呂に浸かり、身体の疲れを取っていく。そうして湯船にもたれ掛かって居たのだが、そこに横でことん、と音が鳴った。
「ん?」
「冷酒です!」
音に気付いて横を振り向くと、お湯に浸かっても大丈夫な作務衣を着た玉藻が風呂桶に入った冷酒を湯船の横に置いていた。そしてその後、玉藻はそのまま風呂場に待機する。
「では、私はここにいろ、ということなので、ここに居ます!」
「ああ、仕事頑張れよ」
そうして、カイトはお風呂に浸かっている間玉藻と暫くの雑談を行う。玉藻が仕事を始めたのは、ここ数週間の事だ。なのでまだまだわからない事だらけだ、との事だったが、そこには大人の玉藻にも少女の玉藻にも無い明るさが存在していた。そしてそんな玉藻を見て、カイトは非常に嘆かわしい顔で嘆く。
「何がどーなったら、あーなるんだろうなぁ・・・」
「さあ・・・私にもわかりません。何がどうなったか少女になって、ああなってました」
「なあ、そういえば玉藻は何処の生まれなんだ?」
「あ、えーっと、確か京の都に近かった、と思うんですが・・・」
その後も暫くの間、二人は雑談を続けていく。そうして、この日は湯浴みをしながら一日が終わるのだった。
宴会は当然だが、その日が終わっても何日も続く。なので毎日の様に、宴会は続いていった。そうして、大体10月も中頃が過ぎた頃。それは起こった。
「うぁー・・・」
流石に神様といえども、二週間も飲み続ければ酩酊もする。それは如何に軍神インドラといえども、同じだった。なので彼は演技ではなく、正真正銘の酔った状態だった。そんな彼に、電話が掛かって来る。それは他ならぬ彼の息子のアルジュナからだった。
『父上。こちらの用意は整っているのですが、如何でしょうか?』
「うぁ・・・何の事だ?」
完全に酔っているインドラは、アルジュナの言葉が理解出来ず、頭を振って――と言うか、酔って揺れているだけ――思い出そうとする。当たり前だが、そんな様子のインドラはアルジュナからすれば、手に取るように見えていた。なので彼は声に怒気を滲ませた。
『ち・ち・う・え・・・? まさか自分でやると強引に進めておきながら、忘れているわけではありませんよね・・・? こちらでは既に全員用意を整えて待っているのですよ?』
「あぁー・・・そういやそうだったか・・・あぁーもういいんじゃね、って思ってたわ・・・」
『父上! 私の目の届かぬ所だから、と言って飲み過ぎていますね!? あれほど何度も何度も』
「あぁ・・・ワリィ」
これ以上愚痴を聞かされてはたまらない、とばかりに、インドラは適当に会話を切り上げる。酔った所に息子の怒鳴り声を聞かされては響くのだった。そうして、彼は数日前から再び一緒に飲んでいたカイトとスサノオに問い掛ける。
「んぁ? どうした?」
「なあ、中国行かね? つうか上海か香港」
「何しによ」
唐突なインドラのお誘いの言葉に、カイトとスサノオが首を傾げる。それに、完全に酔った状態のインドラが揺れながら笑いながら告げる。ちなみに、酔っているので通り道だし中国行こうか、という程度にしか考えていなかった。
「一勝負しに。日本鉄火場ねーだろ?」
「おー・・・いいねぇー。カイト、お前中国の通貨持ってなかったっけ? 俺仕事柄もってねえんだわー」
「あー・・・ちょい待ち・・・大体現地通貨で10万ぐらい持ってるな」
「貸してくれー」
「おーう・・・じゃあ、オレも財布で行くかなー」
三人とも完全に酔っている為、まともな口調では無い。が、足下はおぼついているワケでは無いし、判断力そのものは酔っていようと問題が無い。この状態で何処かの国を攻め滅ぼせ、と言われた所で出来るだろう程だ。
魔術で思考回路を分割した予備があるので、そちらで一応の判断はしているのである。酔った勢いで何か手酷い過ちを起こさない様にしているのであった。まあ、それはバックアップにすぎないので、やはりそれ相応に酔っている事には変わりないのだが。
「おーい、あねきー」
「ティナー」
「む?」
「何ー?」
取り敢えず、誰にも言わない、ということは無い。なのでスサノオとカイトは同時に後ろを向いて、一緒に飲んでいたヒメ――現在は昼なので、昼の状態――とティナに声を掛ける。すると、そちらも少し赤らんだ頬でこちらを向いた。
「俺達ちょっとインドラの旦那に誘われたから、一勝負しに中国行ってくるわー」
「はーい、いってらっしゃーい・・・ご迷惑かけちゃダメだからねー」
「おーう、じゃあティナ。ちょっと任せらぁ」
「うむ。インドラ殿、スマヌが、其奴の事を頼んだ」
「あいあいー。じゃあ、弟さんと旦那さん借りてきますー」
今回の主催の許可も取れた事で、三人は立ち上がって、一瞬でその場から消え去る。そうして三人は高天原を後にして、一路カジノがある中国を目指すのだった。
一方、丁度その頃。アレクセイは全ての調査を終えて、更には娘の公演会も終わった事でようやく故国へ戻る準備を進めていた。
『エリナ。日本はどうだった? 楽しかったかい?』
『ええ、楽しかった。桜も瑞樹もありがとう』
既に十月も中頃だ。何故英国への帰還に約1ヶ月も掛かったのか、というと、簡単に言えば9月に入ってカイトが活発に動き始めた事を察知したからだ。本来は9月中頃のエリナの新学期に合わせて帰るつもりだったのだが、カイトが各地の異族達との戦闘を始めた所為で、その調査に更に時間が必要になってしまったのである。
英国に居るフェイもフローラも始めは驚愕していたのだが、動いたのなら、現地の調査員を動かさぬ道理は無い。そこで急遽アレクセイを動かす事になったのであった。
『桜ちゃんも瑞樹ちゃんも、学校の途中だというのにわざわざありがとう。挨拶に来てくれて』
『いえ、構いませんわ。私の学校はここから近いので、大した苦労にもなりませんでしたもの』
『私も丁度こちらにお父さまもいらっしゃいましたので、宿泊先には困りませんでしたし、一日ぐらい学校を休んでも問題無いですよ』
アレクセイの言葉に、瑞樹と桜が笑いながら謙遜を示す。ちなみに、覇王が近くに居る――と言うか、同じホテルに宿泊している――のは当たり前だった。なにせアレクセイと情報のやり取りをする為に、日本に居たのだ。会談の為に近くに宿を押さえたのである。
『にしても・・・エリナさん。お勉強は大丈夫でしたの?』
『どうせ帰っても家庭教師が付くだけだもの。それにお勉強の殆どが音楽に関する事よ。そっちは問題無いわ。他の勉強にしてもパソコンを使って日本でもきちんとやってるもの』
瑞樹の言葉に、エリナが少し拗ねた様子で答える。そこには少しだけ辟易した様な感があった。実は彼女がここに未だに居る理由もここだった。帰りたがらなかったのである。
ちなみに、授業のプリント等はデジタル化されて送付されているので、勉強についての問題は無かった。公演会やコンクールに参加する等の関係で世界各地を飛び回るエリナの為に、遠距離でも授業が出来る学校を選んでいたのが功を奏したのである。
一応言っておくがアレクセイも仕事がこれ以上長引く様なら帰らせるつもりだったのだが、予想通りに10月に入るとカイトの動きが無くなった為、一緒に帰るか、となったわけである。
『あはは・・・でもエリナ。我儘は今回だけだからね? 来年からは次のキーステージなんだから、きちんとするんだよ?』
『はーい、お父様』
苦笑しながらもきちんと父親として言うべき事を言ったアレクセイに対して、エリナが少し口を尖らせながらも頷く。キーステージとはイギリスでの風習の事で、一つの区切りとされている物の事だった。
『それで、アレクセイさん。この後はどうされるんですか?』
『ああ、そうだね・・・取り敢えず今日はこのまま日本に居るつもりだよ。その後は中国に少しの間滞在かな。実は数日後に香港でヴァイオリンのコンクールが開かれるから、僕もそれを見てから、イギリスかな。幸い仕事の方は一段落着いたから、少し予定も空けられるからね。リサともそこで合流する予定だよ』
瑞樹の質問を受けて、アレクセイは少し先の予定を思い出す。実はエリナの滞在を認めたのは、これが大きかった。コンクールの開かれる香港は当たり前だが、日本からの方が近い。ならば勉強にも問題がないし、無理に長距離を何度も移動させるよりもこちらから行った方が良いだろう、という判断だった。
親ばかという贔屓目無しでも、エリナのヴァイオリンの才能は天賦の才能があった。同年代では負け無しと言える程だ。それでもなるべく万全の態勢で望める様に、という親心でもあったのである。
ちなみに、アレクセイの言った『リサ』と言うのはエリナの母親の名前で、漢字では理沙と書く。瑞樹の叔母でもあった。彼女が本来英国からエリナに付き添ってコンクールに来る予定だったのだが、エリナの突拍子もない行動によって幸か不幸か、家族が香港にて一堂に会する事になったのである。
『それで、君たちはこの後はどうするのかな?』
そうして自らの予定を伝え終え、今度はアレクセイが少しイタズラっぽい笑みで桜と瑞樹に予定を問い掛ける。これが日本での最後の一日になるのだ。何が言いたいのか、馴染みの二人にはよく理解出来ていた。なので瑞樹も桜も同じく、少しイタズラっぽい笑みで答えた。
『この後は・・・まあ、私は何も無かった、と思いますわ』
『私も、何も無かったと思います』
『そうかい。じゃあ、久しぶりに皆で京都でご飯でも食べに行こうか』
これは嘘である事ぐらい、三人とも理解出来ていた。瑞樹も桜も挨拶を済ませれば帰るつもりだったのだ。今からご飯を食べているとなれば、帰るのは明日になるだろう。それはつまり、明日もサボタージュする、と言っているに等しかった。
『ええ』
『はい』
『今日は瑞樹も桜も一緒なの!? わーい!』
イタズラっぽい笑みで、三人は頷きあって、それを見たエリナが嬉しそうな表情で笑い、四人は歩き始める。そうして、二人の日本最後の夜は更けていくのだった。
その翌日。案の定空港に見送りに来てくれた瑞樹と桜に別れを告げて飛行機に乗り込んだ後。出国間際になって、アレクセイの下に急遽電話が入ってきた。掛かって来たのは仕事用のスマホで、その相手となると限られる。そして今回の場合、出発間際でも着信に出ない、というのはあり得ない相手、即ち女王その人だった。
『アレク・・・今大丈夫かい? 飛行機はまだ出ていない時間だ、と記憶してたけど・・・』
『はい、女王陛下。何か御用でしょうか?』
着信とそこに記された名前を見て即座に電話に出たアレクセイだったが、そうしてすぐにフェイの口調に何処か苦笑が混じっていた事に気付いた。
『いやね・・・悪いんだが、もう一つ仕事を頼まれてくれないか? ああ、安心しろ。日本で、じゃなくて、香港で、だよ。ちょっと興味深い情報が入ってね』
『興味深い情報、ですか?』
『ちょっと前まで追っていた男の情報、と言えばわかるか?』
『はぁ・・・<<深蒼の覇王>>、ですか?』
彼は日本に居る、というのが最終的な自分達の結論だ。それとこれから向かう予定の香港の繋がりが見いだせないアレクセイは、電話越しに首を傾げる。そんなアレクセイを見ていたかの様に、フェイが苦笑して再び口を開いた。
『ああ、いや・・・直接的な出現情報は来てない。ただ単にもしかしたら居るんじゃないか、という程度の推測だ。だからそこまで気合を入れて調査して欲しいわけじゃない』
『はぁ・・・』
『実はね。香港でまたあの猿神が暴れた、って言う話があってね・・・で、まあ、現地の奴も何時もの事か、と調査に向かったわけだが・・・そこでインドの軍神と日本のスサノオ神が居た、という痕跡を見つけたらしくてね。後誰か一人居た、という事はわかってるんだが、その一人を調べて欲しいだけだよ』
『それを、陛下は<<深蒼の覇王>>と読んでおいでですか?』
ここまで説明されれば、アレクセイとて何が言いたいのか簡単に理解出来た。それ故、問い掛けると、案の定、フェイが認めた。
『ああ・・・まあ、情報部とかはそれはあり得ないだろう、と否定してるけどね。私はそう睨んでいるよ』
『・・・フェイ殿は?』
『彼女も、おんなじ読みさ。まあ、彼女の場合は適当かもしれないけどね。まあ、私も絶対、とは思ってないよ。そうかもしれない、という程度さ。だから、アレクに頼もうとね』
フェイがアレクセイを動かそうと思ったのは、これが理由だ。如何に女王、国のトップといえど、よほどの確証も無いのに大々的な人員を動かす事は出来ない。
いや、一応はトップダウン型の指揮系統なので出来なくは無いが、トップである彼女がその推測に絶対の自信が無いのに、それは出来なかった。なので私的に動かせるアレクセイにお鉢が回ってきたのだった。そうして更にフェイが続けた。
『私の読み・・・いや、一応情報部のプロファイルでも、<<深蒼の覇王>>がやんちゃ者である可能性は高いと出ている。なら、可能性は無いわけじゃない』
『陛下。<<深蒼の覇王>>が神無月の宴会に参加していると思いますか?』
『そこがわからなくてね。情報部の奴もそこの判断が出来なくて、流石にそこまでは無いだろう、と判断している。残念ながらウチじゃあの高天原には入れないからね』
アレクセイの質問はもっともな事だった。普通に考えれば、異族にせよどんな英雄にせよ、高天原での神様達の集まりに参加出来るとは思わない。
だが、これはあの場の実情を知らないからだ。流石に神様達の会談の中身を覗けないからこその、間違った推測だった。そしてこの点については、フェイも自信がなさそうだった。だから、彼女もトップダウンで情報部を動かせないのである。
『まあ、そういうわけだから、片手間の調査でいいよ。もし手掛かりの一つでも見つかればよし。見つからないでも何の問題も無い』
『わかりました、女王陛下。では、調査は本気に、で無くて良いのですね?』
『ああ。そっちの方がいいね。道士のクソジジイ共に知られたくないだろう?』
『陛下、口が汚いですよ』
フェイの口汚い言葉に、アレクセイが苦笑して指摘する。彼女があけすけなのは何時もの事だが、今回はそれにしても度を超えていた。だが、これも仕方がなくあった。
『はっ。表みたいにおべんちゃらやってくれるなら、別に構わないさ。でもね、あいつらは知っての通り、日本の次にウチが嫌いだ。なら、私が好きになってやる道理は無いね』
『あはは・・・道士達の中の一部は下手をすれば日本以上にウチを恨んでいますよ。あれが全部のきっかけですしね』
フェイの言葉に、アレクセイは苦笑するしか無かった。知られている事だが、香港は1997年代まで第二次アヘン戦争の結果で英国の租借地だったのだ。そのアヘン戦争やその他19~20世紀の事を道士達は恨みに持っているのであった。
実は表とは別に裏では日本と同程度に恨まれているのが、他ならぬイギリスだったのである。そこでの軋轢でフェイも良い印象を持っていないのであった。そうして取り敢えず気を取り直して、フェイが口を開いた。
『はん。んな百年も大昔の事なんか知らないね・・・まあ、取り敢えず。ホテルについてはこっちで英国資本の奴を予約しておいてやったから、現地に居る奴と落ち合って場所の情報貰っときな。なんとか監視カメラの映像が僅かにサルベージ出来たらしいから、それを部屋で確認してくれれば、仕事はそれで終わりだ。まあ、顔も殆ど確認出来ないぐらいに無茶苦茶粗いらしいけどね。ああ、取った予約のキャンセルもこっちでやっとくよ』
『ありがとうございます』
どうやら後は彼の了承だけとなっていたらしい。アレクセイが了承を示したのを受けて、フェイは手筈を伝えていく。そうして、アレクセイの新しい任務も決定して、彼は娘と共に、日本を後にするのだった。
お読み頂きありがとうございました。




