断章 大妖怪編 第32話 玉藻の前
カイトによって解き放たれた殺生石は、ばしゃん、という音を立てて、水面に落下した。が、暫くの間待てど暮らせど、何も起きない。
「・・・ん?」
「・・・なんも・・・起きひんな・・・」
二人は顔を見合わせると、事情を知るであろう皇家の面々の方向を確認する。
だが、どうやら彼らにも何が起きているのかわかっていないらしく、彼らは倒れたまま、怪訝な顔をしていた。
「・・・おい、これでマジで何にも起きなかったら、てめえらマジで生け贄の捧げ損だぞ」
「・・・な、なぜだ? 封ぜられているのでは、無いのか・・・?」
カイトの問いかけに、涼夜も訝しんだ様子で皇志を伺う。全てを知り得るのは、この場では皇志だけだ。なので彼に注目が集まった所で、全員が異変に気付いた。いや、異変は一瞬で地下空洞全体に起こったので、気付いた、というより、気付かざるを得なかった、ともいえよう。
「異界化か! こりゃ、お見事!」
「ちょ、おまっ! 興奮しとる場合か!」
地下空洞だった空間には一瞬で周囲に闇夜の帳が降り、月明かりが照らし出した。更には周囲には金色のすすきが生い茂り、一足早い秋の色を滲ませる。おまけに、空洞の壁は無くなり、上は満天の星空と、黄金の満月が浮かんでいた。まさに、風光明媚な秋の様相。何時しか周囲はそんな状況だった。
異界化。簡単に言えば、自分に都合の良い空間を創り出す技だ。魔術の世界においては、世界を改変するという最高難易度の魔術と言える。そんな超高等技術を出来るのは、この場ではカイトだけだ。彼がやっていないのなら、それは即ち。
『こここ・・・なんぞ、よくわからぬが・・・どうやら、封から出られた様子じゃなぁ・・・』
全員の脳裏に、女の声が響いた。その声はすすき生い茂るこの空間にありて、唯一すすきが生えていない湖の中から、聞こえていた。そうして、その声の主が、水面の月を破って、現れた。
『こここ! これはこれは! 安倍の血族に・・・それに、帝の血脈達か! なんぞ封印の儀式にでも失敗しおったか!』
現れたのは、金色の狐。それも、九尾の尾を持つ九尾狐だ。それは空中にとどまると、此方に気付いて、楽しげな笑みを浮かべた。それは狐の獣面であるにも関わらず、どこか、艷が存在していた。
『ここ・・・あの混じり者の匂いがせぬなぁ・・・どれだけの月日が流れたかは知らぬが、あれもとうの昔に果てたか・・・こここ! よいよい! ならば、好きにさせてもらうとするかのう!』
すんすんと鼻を鳴らしていた玉藻だが、空気の中に自分を封じた男の匂いが無い事に気づくと、楽しげな声を上げる。
彼女にとって、自らの正体を見破って討伐に一役買った安倍晴明はやはり天敵なのである。それが居ないのだから、笑い声を上げるのは当然であった。そうして彼女は、此方に顔を向ける。
『まあ・・・それもまずは貴様ら憎き帝と安倍の子孫達を滅ぼしてからにするかのう』
ぎろり、とひと睨みして、玉藻が此方に圧力を放つ。それは喩え日本の陰陽師界において最強と言われる皇家の当主でさえ、抗えぬ物だった。
「ぐぅ!」
「おぉう、良い圧力」
やはり、普通の人の身では限界がある。皇志に劣る実力の鏡夜も例に漏れず、膝を屈する。
だが、そんな圧力でさえ、カイトにとっては、そよ風に過ぎない。この程度で怯む様な戦場を超えてはいない。
『こここ・・・何ぞわからぬモノがおるのう・・・安倍でも帝でもない。奇妙な匂いよ。我らと同じく妖族の匂いはしておるが・・・』
「お前・・・これ、平気なんか・・・」
目を細めた玉藻と膝を屈した鏡夜が、平然とするカイトに注目する。曲がりなりにも相手は日本最大の妖怪だ。その圧力を受けて、平然と出来るなぞ考えたくもない。
まあ、とは言えこの結果は目に見えていたので、カイトは平然と元の<<霞>>に戻した刀を構える。
「まあ、こうなるよな。んじゃ、まあ、一人でぶっ潰しますかね」
「少々、お待ちを」
そこに、声が掛かる。それは女の声だった。その声の主は直ぐにカイトの横に顕現した。
「出来れば、私が」
「同じ九尾として、気になるか?」
「ええ、気になります。気になるに決まっています」
現れたのは、月花だ。彼女もまた玉藻の前と同じ九尾の狐だ。それ故に、玉藻との戦いに心惹かれて出て来たのである。戦士としての性でもあった。それを受けて、カイトは構えを解いた。了承を示したのである。
『こここ・・・これはこれは。妾以外に九尾を見るとは・・・どうやらお主の主はいつの間にか生まれた名のある大妖のお頭か・・・おんし、名は?』
「ここでは名前隠してるんでな。とりあえず、お頭で頼む。別にお前に聞かれた所でどうでも良いんだが、あっちが問題でな」
玉藻の問い掛けに、カイトは苦笑して少しだけ申し訳無さを伴って軽口を返す。それを受けて、同じく呼び名を迷っていたらしい月花が頷いた。
「わかりました、お頭」
『こここ・・・これはこれは。どうやら妾に縁あるではなく、お頭殿は単なる好き者か。どれ、では妾も人型で相手をするか。かつては居なんだ同類とは、復帰戦には良い相手よ』
どうやら、玉藻の前はカイトの事は敵では無く、カイトと月花の身に纏う覇気から同類の戦好き集団の長か、状況から自らの封印を解いた物好きだと思った様だ。彼女は敵意を収めると、人型に姿を変えた。
それは見るもの全てが見惚れる金色の長髪に、月の如くに輝く白い肌。嫋やかな身体を持つ妖艶な美女だった。ただ、人とは異なり、その頭には狐の耳があり、その尻には九尾の尾があった。
「じゃ、オレは上から見てるわ」
「こここ・・・では、ゆこうか。白銀の九尾よ」
「中津国・武官<<月天>>の月花。異国が金色の九尾との大一番・・・押して参ります!」
カイトが空中に飛ぶと同時に、二人は同時に声を上げると、玉藻の前は呪符を胸元から取り出して、月花は刀の鯉口を切ったのだった。
「こここ・・・<<万軍招来>>!」
まず、先手を打ったのは玉藻の前だ。彼女は呪符を天空に投ずると、何らかの言葉と共に、何かの魔術を展開する。すると、呪符の周囲に無数の魔法陣が展開される。
「こここ・・・流石に分かたれた我が身では全軍は呼べぬか・・・じゃが、万は超える・・・そちらもよば・・・何ぃ!?」
「すいません。私は呪術が苦手なのです。ええ、とても苦手です」
玉藻の前が呼び出したのは、鎧姿の数万の軍勢だ。かつて、安倍晴明ら時の朝廷軍に玉藻が追い詰められた時に使った万の軍勢を呼び出す術であった。どうやら身体が分かたれた結果全力では使えないらしいが、それでも万を超える軍勢を呼び出せていた。
これはどうやら彼女の言葉によると、九尾の狐であれば出来るらしい。月花にも使う事を薦めたが、そうして起こした月花の行動に、思わず驚愕した。なんと月花は平然と万を超える軍勢に突撃していったのである。
「はっ!」
「なっ・・・なっ・・・何ぃ? わ、妾が眠っておる間に狐族は近接を行うようになったとは・・・」
「ま、そうなるよなー。いや、あいつが例外だから」
「な・・・」
理解できない。端正な顔でそんな表情をする玉藻の前に対して、カイトが上空で笑いながら頷く。玉藻の前、というか月花も然りその妹の燈火も然りで、九尾の狐という種族が属する狐族は本来、戦いにおいての役割は後方支援の魔術師としての役割だ。それは近接戦闘においてあまり適正が無く、魔術に対する適正が高いという種族独特な理由がある。
が、月花のそれはそれらを一切無視していた。おまけに一切無視した挙句種族的に得意な分野を平然と苦手といい、殴りこみを掛けて自分が呼び出した軍勢を相手に無双を始める同族が居れば、如何に玉藻とて混乱するだろう。しっぽはありえない物を見た、とでも言わんばかりに逆立っていた。
「あいつ、狐にしちゃ生真面目だわ近接大の得意だわ、色々と異端なんだよなー。張りはあるけど胸ちっさいし」
「お頭! それは言わないでください! ええ、言ってはなりま・・・っと、<<天鏡の剣>>!」
カイトの茶化しに反応した月花だが、気を取り直して玉藻の前の軍勢を相手に無双を続ける。彼女は自らの愛刀を上段に構えると、月の光を集めて斬撃を放つ。それだけで、数百の鎧兜達が吹き飛んだ。それがなお、玉藻の前の困惑を呼ぶ。色々と異端な同族を目の当たりにして、彼女はただただパクパクと口を開け閉めするだけだった。だが、それで武官たる月花の攻撃が止まるわけではない。
「<<風将鶴>>!」
続けて、更に月花は横薙ぎに風を纏った斬撃を放つ。斬撃は白刃となると、そのまま無数の小さな折り鶴へと姿を変える。風で編まれた折り鶴は、まるで鎧兜なぞ存在しないかの様に、玉藻の前の軍勢を貫いていく。
「・・・い、いったい何が起こっておる・・・と、とりあえず、破っ!」
「<<水空>>!」
このまま呆けてもいられない。そう思い直して玉藻の前は呪符を取り出して月花に投げつけるが、それは安々と月花が創り出した水面に飲まれて消える。
「く、くろうたじゃと!」
掌底一発。それで呪符を完全に水色の穴で喰らい尽くした月花を見て、玉藻の前が絶叫を上げる。何か魔術を使った形跡は無く、単に普通に技を使っただけだ。その驚きを前に、月花は飛び上がり、白銀の九尾の狐の姿を取る。
『九尾の尾にはこういう使い方もあるんです。ええ、あります・・・<<閃狐・九重>>!』
空中に浮かび上がった月花はくるりと縦に回転すると、9本のしっぽそれぞれに魔力を宿らせる。そうして、そのまま空を斬り裂いて、9本の斬撃を生み出す。九尾の狐の姿を取れる彼女独自の攻撃方法だった。
「では、終わりましょうか」
「これ以上、何をやるつもりじゃ!?」
そうして、なんとか気を取り戻した玉藻の攻撃を躱しつつ月花は3割程度の鎧兜を撃破して、刀を鞘に仕舞い告げる。それに、最早困惑が極まった様子の玉藻が最大の警戒をするが、月花は答えを行動で示した。
「ふっ!」
一瞬、玉藻は月花の姿を見失う。これは月花があまりに速く、姿を捉えきれなかったのだ。だが、曲がりなりにも玉藻とて上級の戦士だ。直ぐにどこに行ったのか気付いた。
「上!」
「・・・良き月です。<<月天>>が喜んでいる。ええ、喜んでいます」
月花は刀を抜き放ち、中空に立っていた。刀を前に出して、まるで月の光を浴びせる様な形で、である。そして、その月の光を浴びた<<月天>>は、まるで月の光を得て輝いているが如くに、白銀に光り輝いていた。
「射掛けよ!」
何はともあれ、あそこでじっとしている所を狙わない道理は無い。なので、月花へ向けて、玉藻は配下の鎧兜に矢での攻撃を命ずる。それを受けたから、というわけではないが、月花は更にその場から虚空を蹴って上昇していく。
「・・・私は<<月天>>。中津国が最高位の武官。その秘技を、お見せしましょう。ええ、見せて差し上げます」
米粒よりも小さくなり、月花はそう、呟いた。そして、彼女は地面に向けて、一気に虚空を蹴る。
そうして、射掛けられる矢の嵐を魔力を纏った突進で全て吹き飛ばし、彼女は地面へ向けて、刀身に蓄えられた白銀の閃光を解き放つべく、刀を構える。場所は、敵陣のど真ん中だ。
「<<月華>>!」
彼女と同じ名前の口決と共に、銀色の閃光が解き放たれる。生まれたのは、月の光で出来た、銀色の華。9枚の花弁を持つ、月の花だった。それは、万を超える無数の鎧兜達を完全に消滅させた。
「終わりです・・・貴方が本来の姿なら、私にも敗北はあり得た。その分かたれた姿であるのが、実に惜しい。ええ、惜しすぎます」
「・・・参った」
地面に着陸すると同時に、再び月花は地面を蹴っていた。月の花が収まった後に玉藻が見たのは、自らの喉元に突き付けられた<<月天>>の刃だった。それに、玉藻が降伏を告げる。それが、戦いの決着だった。
そんな圧倒的な光景を、陰陽師達が全員で見ていた。自分の敵同士の戦いなのに、あまりの練度に最早感嘆の溜め息さえ出た。それほどまでに、二人の戦いは彼らには及ばぬ位置にあるものだった。
「お頭。終わりました」
「おーう。どだった?」
「実に惜しいです。ええ、惜しい」
縛に付けた玉藻を連れて来た月花に対して、カイトが問いかける。それを受けて、月花は非常に残念そうだった。全力であればもっと伯仲した戦いになっただろう、という戦士としての嘆きだった。
「・・・くぅ・・・ここまでか・・・」
「で、捕まえたは良いんだけど・・・どしよ」
「馬鹿者! 捕らえたからと言って、油断するな!」
玉藻に近づいて捕らえた後の処遇について考えようとしたカイトだが、そこに皇志からの罵声が飛ぶ。それにカイトが振り向くと同時に、甘い色香が香った。それは脳を溶かす様な甘い臭いだった。
『こここ・・・』
色香と共に、場全体に艶のある声が響く。匂いと同じで、まるで脳裏を溶かし、理性を溶かす様な蕩ける声だった。
誰による物なのかなぞ、考えるまでもない。捕らえられたはずの玉藻の物だ。彼女は捕らえられたとは言え、動きを制限されただけだ。魔術や口を封じたわけではない。
『こここ・・・ほれ、妾の縛を解くが良い』
「んー・・・良いぞ」
「なっ・・・」
「ちぃ・・・愚か者が・・・! 玉藻の前は声で男を誑かす・・・油断したな・・・!」
玉藻の求めに応じて平然と鎖を解いたカイトに、鏡夜が絶句し、皇志が忌々しげに吐いて捨てる。月花の助力は期待出来ない。主が捕らえられた以上、彼女の助力を期待するほうがおかしいだろう。万事休す、全員が、そう諦めを浮かべる。
『こここ・・・では、命じよう・・・この場の全ての者を殺戮せよ・・・特に、帝と安倍の血脈は念入りに、じゃ』
「ここまで・・・か・・・」
妖狐の裂けた様な笑みを浮かべる玉藻の言葉に、皇志が嘆息して頭を振る。だが、続いて返って来たカイトの言葉に、彼は逆の意味で嘆息した。
「は? 何いってんの?」
『・・・は?』
「・・・は?」
玉藻と皇志達陰陽師達の間の抜けた声が響いた。てっきり全員カイトが操られている、と思ったのだ。
だが、たった今、カイトは平然と玉藻の命令を拒絶してみせたのである。驚くのは無理もなかった。そんな一同を前に、カイトはさも平然と告げる。
「お前解放したのって、ただ単にそんだけの実力なら暴れた所で対処出来るから、だぞ?」
「・・・え?」
「えっと、玉藻・・・でしたね? お頭は私を遥かに超えている上、同じく九尾の私の妹やクラウディア殿・・・サキュバスの最上位の方の誘惑を無数に浴び続けていましたので・・・その、誘惑は・・・無駄、ですね。ええ、無駄です」
あっけらかんと何が起きたのかさえわからぬカイトに絶句する全員に対して、それに月花が非常に申し訳なさそうに告げる。
そう、カイトの交友関係というか男女関係の中には、燈火の様に面白半分で誘惑するのや、クラウディアの様に種族としての意地で誘惑する者は山程居るのだ。
そんなのと一緒に居れば、当然だが何時かは慣れる。慣れる程誘惑された、という意味でもあるが、とりあえず慣れているのだ。まあつまり、カイトを色香で誘惑して操るのは不可能なのであった。
「・・・お、お主ら主従は一体・・・ま、まあ良いわ。とりあえずの時間稼ぎは出来た」
「つっ! しまった! <<深蒼の覇王>>よ! 玉藻はもう一体いる! そちらに注意しろ!」
「なっ!?」
カイトと月花に流石に呆れ果てた玉藻だったが、今度は朗らかに笑い、告げる。そうして告げられた内容に、玉藻を除く他の一同が目を見開いて驚く。どうやら封ぜられた玉藻はともかく、皇の当主以外にはふせられた情報だったらしい。
「あの封印は上にある殺生石を水鏡に映し出し、丁度水中の殺生石と鏡の中で重なる位置に置き、水の中に沈めたもう一つの殺生石の封印を強化する為の物だ! 下が本命だ!」
「こここ・・・今更講釈垂れた所で無駄じゃ。思い出すのが遅すぎるわ。もう遅い。もう一人の妾が、目覚めおる。そちらはこの妾よりも、遥かに強いぞ」
どうやら今までの大立ち回りは全て、もう一人の自分を目覚めさせる為の時間稼ぎだった様だ。玉藻は皇志の言葉を認めて、笑みを浮かべる。後に聞いた話では、ここら一帯のすすきは湖を見えにくくして、隠す為の物だったらしい。
そうして、一同の注目する中、もう一つの封ぜられた殺生石が水面から浮かび上がるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




