#98 剥き出しの放し飼いのパンダ達
一人で遊園地に来ていて、一人で遊園地に来ているということもあって、一人で遊園地に来ているみたいな雰囲気になっているが、【コーンクリーム】という文字が【コンクリート】に見えるみたいな感じで、一人で遊園地に来ていることが別のものに見えるようになる方法が知りたい。
コンクリートという言葉が頭のなかに流し込まれて、今はコンクリート脳になってしまっているが、またこの遊園地に一人でやって来るかもしれないという、その確率は皆無で、コンクリートから【今度来ると】という言葉を脳に染み込ませることは出来なかった。
土地の隅の広場的なところに、パンダとかクマとかの100円で動くやつがあったから、そのパンダとかクマとかの100円で動くやつに乗ろうと思って、そのパンダとかクマとかの100円で動くやつに近づいて、そのパンダとかクマとかの100円で動くやつに100円という動力源を入れて股がり乗った。
乗ったら、それはそれは動物感のない機械的な動きを披露してきて、ジェットコースターと比べたらそりゃヤバいくらいしょうもなくて、でもこのような類いの乗り物にしてはしっかりしている方だよなと飲み込み、【相手の意見に納得したときに、ニッカポッカって言いそうになる癖がある僕】は、今もそれを言いそうになっていた。
声援を送る時と翼くん家への電話の時には、いつも『翼に変われ』と思っているが、もっとパンダの動くやつで楽しみたいという想いも、少しだけ翼に変わって欲しいなって思っているし、【来たのは頼んでもいない『レモネード』『でもね、良い』】と思ったときのように、【でもねいいと】と思っている。
『バカ』と職業欄に書くことを想定した時に、字面の良さ、頭の良さを考慮すると、カタカナのバカより漢字の馬鹿の方がいいが、熊という漢字が入った偽名を使用して住所を鳥取県にして雑誌の「国産牛肉プレゼント係」までハガキを応募すると、『馬』『鹿』『熊』『鳥』『牛』という5種類の動物がハガキに溢れてかえってしまい、まるで字の動物園と化してしまう、でもそんな馬鹿なことはしないからいい、と昔思ったりしたことを思い出した。
思い出したのは、ここのメリーゴーランドに『馬』『鹿』『熊』『鳥』『牛』という5種類の動物がなぜか存在していたからで、その変わっているメリーゴーランドを見たときに変な声を発さなかったと言ったら嘘になるほどで、口を開けずに閉じたまま咀嚼すると、咀嚼音は何パーセントくらい軽減されるのだろうかとか考えたことがあるが、今は口を開けずに変な声を出せば良かったと後悔した。
メリーゴーランドとか、メリーゴーランドとか、メリーゴーランドとか、ここには変わったタイプのアレンジを加えたものがあるというのに、真上にゆっくり上がって、かなり上まで上がって、一気に下がってゆくあれを見つけることが出来ずに、ガッカリした。
その時のガッカリ感は、どのくらいのガッカリ感だったかというと、あの位置情報が正確に分かるというGPSの略が、ゴッドパワーサーチの略ではないと知ったときくらいのガッカリ感くらいかもしれない、うん、たぶんそのくらいのガッカリ感だと思う。
色々なものを見て回って、結局はものすごく揺れるヤツに乗って、左右にものすごい揺れたり、前後にものすごい揺れたり、時には回ったりして平穏なときを過ごしたけれど、どこにもその乗り物の名前なんてなくて、探している商品が近くのスーパーにあるかどうかを知らせてくれるアプリもかなりほしいのだが、今乗っている乗り物の正体が分かるアプリのほうが欲しい。
ここまでは電車で来たけど、電車とか遊園地とか全く関係ない『インターチェンジ』っていう言葉の響きが好きで好きで、ずっと脳のなかで唱えてしまっていて、脳内に最近住み始めた『インターフェース』という言葉とごっちゃになりながら、ひるんだフェイスで、その例の揺れる乗り物に乗り続けた。
僕はIC乗車券をインターチェンジ乗車券の略だと思っていたくらいのバカだが、この揺れる乗り物に乗車して、このいい感じの揺れを体験したことで、脳がシェイクされてシェイクされてシェイクされて、さらにもっとバカになっていくような予感がした。
そう言えば、『このカラダの向きのまま直進すれば自動改札をそのまま通過できると言われて、IC乗車券を持っていないので券売機に寄り道をすることにはなったが、迷わずに電車まで行けたことが結構前にあったことを思い出した。
揺れる乗り物に二回から七回までの数字のどれかの回数だけ乗ったのだが、【[ショウジョマンガ]とカタカナで書かれていて、それを[ショウジョウバエガマン]と見間違う人】なんて誰もいないと思うし、【彼女という漢字を縦に重ねて、ギュッとしたものが【婆】だと思っている人ばかりで、そうじゃないと思っている人】なんていないと思うし、僕は今、鳥肌が出ているかもしれないけど、出るわけないと思って道を歩いている。
前にいるサラサラの髪の女性と、僕の鳥肌のザラザラな感触で思い出したのだが、【『家の皿がザラメでザラザラなのがザラなサラサラ髪のサラさん』という言葉の中にカタカナの『サ』と『ラ』は7文字ずつ使われているが、僕が言った「花を記念に」という言葉の中にカタカナの『サ』と『ラ』が1文字ずつ隠れているということはどうでもいい】みたいにいつかのどっかで思ったこともあった。
なんか車的なものの中で、飲み物的なものを売っていたので、喉も渇いてたことだし、かなり安かったし、紙のコップに入っていて、プラスチックの蓋がしてあって、プラスチックに開いた穴から伸びたストローで液体をすすり上げるタイプの飲み物を買って、一気に飲んだ。
自分がもしマラソン選手だとしても、走っている最中に飲み終えたドリンクを周りにポイ捨てするなんて絶対に出来なくて、たぶん道の隅の地面にそっと置くだろうと思うくらいなので、今持っているドリンクを道に放り投げる衝動にかられることは一切無かった。
僕は『インスタグラムやってる?』と聞かれたら『飲酒企むことしかやってない』と答えたいような人だけど、結局言えないような人で、結局そのユーモアを体内に溜め込んでしまうタイプの人だから、これからのひとり遊園地が不安で不安で不安で不安で、ファンデーションを顔に塗ったように白い顔にならないか不安で不安だ。