#95 お餅のようにへばりつく過去
外食しようと街まで出掛けてきたのだが、外食といっても食べるのは室内で、室内だから正確に言うと、外食の内食な訳で、本当の外食というのは、オープンテラスみたいなものを言うのかな、みたいに考えちゃったりしてた。
オープンテラスの【テラス】という部分は、カタカナの上の部分が平らになっていて、その上に寝そべったりしたら気持ち良さそうだなと思いながら、【テラス=気持ちいい】だろうと考えているとお腹が鳴った。
三つに分かれている道とかが出てきて、どこの道に行けば、この空腹のお腹を満たしてくれるのかとか考えたり、ラジオはドライブ中に聴く人が多いにも関わらず、ラジオから流れてきた曲にはウインカー音みたいなものが一定のリズムで刻まれていて、全然集中出来なかったなみたいなことを思い出したり、この世の中には複雑なものが溢れすぎている気がした。
今は叉焼のことを思い出してしまっているのだけど、三叉路に来ているからとか、三叉路と叉焼に同じ漢字が入っているからとか、【叉】という漢字の共通点だけで思い出しちゃったとか、そういう理由ではない。
電波が悪い場所で通話をしているときのような、途切れ途切れの声を発するセミが、いつも自宅トイレの外辺りにいるのだが、それを普通だと思い始めていて、それと同じような感じで、三叉路はいつも通っている人や、地元の住人の方にとっては普通の道で、三叉路⇒散策ロード、と思っている人が多いのかもしれないと思ってる。
何か食べたいけど、レストラン密集地帯で沢山ありすぎて困っていて、何を食べようか考えた結果、【白いマグカップにミルクを注いで途中まで飲んだのだが、白かったもので終わったと勘違いして流しで洗ってしまった過去】を何となく思い出してしまって、なんか、<どこまでもどこまでも白い看板>の出ているお店に入っていた。
酔ってもいいですか?とか、家に寄ってもいいですか?とか、ティッシュを細くよってもいいですか?とか言われて嬉しくないわけがないが、世ってもういいです、みたいなことを言われたら、このお店に入ってから少し上がったテンションも少しは下がってしまうかもしれない。
ここは食事界の何でも屋的存在の店で、炊き込みご飯も普通にメニューにあって、『炊き込みご飯』とは炊き込んだご飯という意味で、店員の多喜子さんがご飯を食べている客を見つめていてくれるサービスがついたメニューの『多喜子見ご飯』ではない、みたいに昔思ったこともあったな、と懐かしんでいた。
なんで部屋の空気中に米粒くらいのビニール片が浮いているのだろうかとか、なんでGから始まる単語なのに『ヌ』という発音から始まるものがあるのだろうかとか、色々疑問に思うことはあるが、このお店のお餅のメニューがどこを探しても【お餅ステーキ】しかない理由が一番疑問に思うことだ。
「ポイントカードはおもちですか?」と店員が聞いてきて、切り餅は確かにポイントカードと同じ長方形だが、ポイントカードが薄く切った餅なら、財布の中でベチャベチャになってもおかしくないので『ポイントカードはお餅ですか?』という店員の問いかけに「いいえ」と答えようとしたことも前にあったけれど、今はお餅の気分ではないので、頭でねばってへばりついているお餅に関する情報を剥がして、肉のことを肉が憎々しくなるほどに考えようと思う。
浜クリームとだけ書かれたピーマンを道の駅で発見して買ったのだが、浜クリームが生クリームの発音に似すぎていて、【シェフ特製ハンバーグ ~浜クリームソース生クリーム仕立て~】という料理名が頭でずっと渦巻いていて、今メニューからそのようなメニューを探したが、あるはずもなく、ハンバーグ一択に落ち着いた。
ハンバーグを注文したら、注文されなかったステーキ肉の呪いか、尿意が急に表れてきて、30分にも満たないうちに2回もテレビで【斧を的に投げてストレスを発散するヤツ】を見るなんて、夢にも思ってなかったように、来店して30分も満たないうちにトイレに行くなんて、夢にも思ってなかった。
トイレに関して、思い出したことがあるのだが、御手洗さん<ミタライさん>という名字の人の、御手洗と書かれた表札が、白の背景にシンプルな字体で横書きだったら、トイレだと思って御手洗さんの家に駆け込む人も少なからずいるかもしれないと、昔は考えたこともあった。
髪の毛はずっと、ワキの毛やスネの毛と同類だと思っていたが、髪の毛は【髪】という形で単独行動をしても、髪の毛のことを表していて、なのにワキを単独行動させてもワキ毛にはならなくて不思議だなと、今、何のキッカケもなしに思いながらトイレから出ると、髭の男性とすれ違った。
その髭を見て2つ思ったことがあるのだが、ひとつ目はあの大量の髭が邪魔してハンバーグが食べづらくならないのだろうかということ、そして、あの髭に肉汁がつかずに食べきることが出来るのかということ、二つ目は、男女5000人にある女性の写真を見せて『この人はアゴがしゃくれてますか?』と聞いたとしたら4890人が『はい』と答えるくらい、知り合いの女性のアゴがしゃくれていたという過去があったということだ。
トイレ前に思ったことを、トイレの水で汚物と一緒に、全て流してしまうという癖のある僕は、さっき何を食べようとしていたかも忘れていて、もうトイレの前には戻れないことに少しの残念さを感じたが、他のテーブルを見てすぐにハンバーグを食べる予定だったのだと思い出した。
サッカー中継があるのを忘れて他局のテレビ番組を見ていたら、その局で後日放送するサッカー中継のコマーシャルをやっていて、今日サッカー中継があることを思い出させてくれたのに、違うチャンネルに変えてしまうことになるのでその局の人に『ごめんなさい、そしてありがとう』と言いたくなって、別れることとなった女性にも『ごめんなさい、そしてありがとう』と言いたくなった、みたいなことも昔にはあったなと、思い出しながら懐かしく思っていた。
ハンバーグを頼んで待っている間にも、幾つもの昔の思い出たちや、全く何にも関係のない考えや、視角の断片から広げられた妄想が繰り広げられていて、【横浜の横幅】という言葉を何度も言いたくなるみたいな事実があることや、カレンダーで祝日の赤色が顔みたく配置されている月を探したが見つかるわけもなかったことや、喉仏のことを息仏と呼んでいる友人がいることや、『手の甲を返すようなやり方で今までやってきたけれど』と言ってくる知人がいることを、ずっと考えながら待っていた。