#94 商店街で色んなものを背負う展開
昔ながらの小さなお店がたくさんある商店街を、そっと天涯孤独風に歩いていると、背負う天涯孤独の寂しさに何か変な感じになって、凸凹とか亞とかってよく見れば変な漢字だなって思ったりなんかもしてみたりした。
そんなときに見えてきたのが駄菓子屋で、昔ながらの外観と昔ながらの雰囲気を放っていて、その駄菓子屋から放たれる全てのパワーや、学生時代の友達でいうところの【全く勉強してこなかったと言いながら高得点を取っちゃうヤツ】みたいな謙遜が滲み出ている【駄菓子屋】という名前が心に染みた。
『所持金500円のタロウ君は駄菓子屋で100円分の駄菓子を自分に買って350円分の駄菓子を友達のハナコちゃんに買ってあげました。果たしてタロウ君の恋は叶うのでしょうか?』という算数の問題くらい恋愛は難しいと思ったことも昔あったなと、駄菓子屋を覗きながら思っていた。
駄菓子とか、甘いものとかを避けて長い間生活してきたので、【たったひとつの嘘が人生を狂わせる、何気ないドラマの夢オチや、ドラマの時系列乱しが、大切な脳を酷使させる、そして、たったひとつの菓子が人生を苦くさせる】という言葉がずっと頭に張り付き続けていた。
お手伝いさんが鉄のテーブルのことを【御鉄台】と呼ぶことや、【高下駄で足繁く通った葦茂た橋桁で、首を傾げた】というフレーズがなぜか、頭に浮かんできて、糖分不足だからなのかとか、駄菓子に飢えているからなのかとか色々考えたが、いつも通りという結論で落ち着いた。
先客として来ていた身長が大きいけどランドセルを背負っている、たぶん小学生だと思われる人物が、駄菓子を物色して吟味していて、【オジサン、何か買ってあげようか?】と言いそうなくらい堂々としていて、もし、そんなことを言われたら、【歩き愛でます】とアルキメデスに言われたり、【ガビーン赤点だった】とキャビンアテンダントに言われることと同じくらい引くだろう。
近寄らないでくれ、近寄らないでくれ、近寄らないでくれ、近寄らないでくれ、と5回から10回の間の回数くらい頭のなかで唱えたのだが、大きな小学生はジワジワと僕の方に接近してきていて、17mの小惑星が地球に迫ってくるのよりも、170cmの小学生が迫って来る方が怖いんだなと、僕は感じていた。
『タロウ君は駄菓子屋に来ましたが浪費癖のせいでお金が12円しかないので親友のハナコちゃんに1000円を借りました。ハナコちゃんはタロウ君のことを嫌いになったでしょうか?』という算数の問題を解くことくらい、ナンパは容易ではないと思ったこともあったなと昔を懐かしく思った。
【葛切りが1000万。嘘ついたらハリセンをビョーンって伸ばす】みたいな約束するときにみんながよくするような歌がどこからか聞こえてきたので、それを聞いたり、【僕と結婚してください】と滑舌が悪い僕が言ったとしても、たぶん相手には【木刀で決闘してください】と伝わってしまうと思うので、不安でもう恋に関する行動は何も出来ないだろうと思ったりしていると、あっという間に時は過ぎていった。
『タロウ君はハナコちゃんとユウスケ君が二人で駄菓子屋にいるところを見てしまいました。タロウ君が流した涙は何ミリリットルでしょう?』という算数の問題の答えは全然分からないが、システムアドミニストレータがどんな職業なのかも全然分からなかったなと、昔のことを思い出したりもした。
『タロウ君が乗っている電車にはタロウ君をいれて全部で10人が乗っています。タロウ君は恋人のハナコちゃんと一緒に次の駅で電車を降りました。電車には今、何人が乗っているでしょう?』という算数の問題を解くことと一緒で、僕が誰かに惚れるのも簡単だと思っていたこともあったことも蘇ってきた。
だが、その思い出した事柄の詳細などは全く分からず、あ脱臼だったか、ほ脱臼だったか、ま脱臼だったか分からないけど、そんなやつをかなり前にやってしまったことと同じで、曖昧で曖昧で曖昧という感じで頭のなかにいた。
今は駄菓子屋にいる、だがしかし、駄菓子屋の菓子が食べたいというわけではないし、駄菓子屋の菓子がかなり好きというわけではないし、駄菓子ではなくて今は肉とかガッツリ食べたい気分だから、特にここにいる必要もないかもしれない。
それはそれは美味しい駄菓子である『なんとかなんとかカツ』みたいな駄菓子はあるが、あれはガッツリ食べたい人にとっては量が僅かに少なすぎるし、カツと名乗っているので肉だろうとは思うが気分はチャーシューに行っちゃっている。
叉焼の『叉』みたいな形の椅子に座ってる店主みたいな人がこちらをずっと見ていて、目に焼き付けてやるみたいな感じで、ずっとずっと見てきているが、この状況を簡単に表すなら、『叉』みたいな椅子で僕を目に『焼』き付けている店主、略して『叉焼』だ。
ワーストクラスに乗りたいと聞こえたが、『乗りたい』と言っていたのでワーストクラスではなくて、飛行機の中で大量の焼豚と共に生活する『チャーシューと暮らす』でもなくて、飛行機の一等席の『ファーストクラス』だよな、と昔思ったことをチャーシューが思い出させた。
何も用がないので、駄菓子屋を出ようとすると、一人の小学生番長みたいな感じの子供がやってきて、『チャーッシュ』という『チャーシュー』によく似た言葉の挨拶をしてきて、そのあと駄菓子屋の店内の地べたに『ポテッ』と座った。
肉のことを考えたり、『ポテッと』という言葉を使ったことで思い出したのだが、「お店でフライドポテトを頼んだらフランクフルトがきたんですよ」という話や、「小学生の頃に『シロナガスクジラを見に行った』と言ったら『血を流すクジラ』だと勘違いされて引かれたんです」という話を誰かにされたことが昔あって、でもそれは特にこれからの人生に関わりがなさそうなので、覚えておく必要はないだろう。
小銭を使わなくては気が済まなくて、全種類の小銭を持ち歩かないと気が済まなくて、小さい財布を買ったはいいが小銭があまり入らないので、結局壊れた大きな財布をずっと使っていて、小銭消費症のせいで小さい財布の出番がないのだが、今度駄菓子屋に来るときには、その小さい財布を使おうかな、なんて思っている。
レンタルショップで中古CDを3枚買って540円で、その帰りにスーパーマーケットでペットボトルのお茶とアイスとカップラーメンを買って、エコバック割引きや早朝割引きなどで引かれて297円で、それを払ったら、あんなにジャラジャラしていた財布の小銭が綺麗さっぱり無くなって、あんなに暑い夏の日だったのに震えと寒気が止まらなかったことがあったが、今は小学生番長みたいな子供が可愛すぎて震えが止まらない。




