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青みがかった黄色いピンク  作者: 高嶋ともつぐ
最終章 久慈雅人
89/110

#89 出所してからはヤケに過去を思い出すっしょ

僕はようやく出所をしたのだけれど、昔のことは何となくしか覚えていなくて、脳がもう完全に、過去の出来事を忘れ去ろう忘れ去ろうとしているみたいで、【同姓同名】っていう言葉は、【水はどうせ透明】、【ワープはどうせ移動名】と同じくらいしか使わないなと昔、考えたりしたな、くらいしか思い出せていない。


一番自分の性格に合っていてほしいものは恋人の性格ではなくて、靴の材質や耐久性でもなくて、パンツとかパンツとかパンツとかパンツとかパンツとかパンツとかパンツとかでもなくて、歯ブラシの形状や質感なんだと思っているが、昔の僕は、かなりハッチャけていたみたいだから、今の僕の性格には、誰にも見つからずにひっそりと暮らすことが合っていて、性格的にも精神的にも肉体的にも隠居生活が合っている気がする。


しかし、今の僕の部屋の壁は、なんかオーロラみたいなシミの模様があるし、ダイヤモンドダストのような模様の天井もあるし、他の壁には雪男みたいな形のシミもあるし、ずっと壁を眺めていられるくらい面白くて面白くて、もう時間も忘れてずっと壁だけをひたすら眺めていた。


壁を見ていて少し思い出したことがあるのだが、【これで自分の部屋の壁を一日の4分の3見つめる生活から、4分の1しか見つめない普通の生活に戻れるだろう】みたいに思ったこともあったことを、なんとなくではあるが思い出していた。


昔使っていたものは全て捨て去って、オーロラと雪男メインの部屋みたいになってはいるけど、なんかすごくしっくり来ていて、これをミニマリストとか、ゴムマリストとか、そんな感じの名前で呼ぶらしいけど、僕にゴムマリストみたいな名前は似合わない気がする。


うちのおばあちゃんとおじいちゃんはよく僕に『古いものは、感覚のふるいにかけよ!』って言ってきていたし、僕も今は、ふるいにかけることはいいことだと思っているのだが、『古いものは、感覚のふるいにかけよ!』という、それなりにクダラナイおばあちゃんとおじいちゃんの駄洒落も、ふるいにかけてほしかったなと、少しだけ思っている。


双方が同じことを繰り返して、なかなか決着がつかないことという意味の【堂々巡り】や【いたちごっこ】みたいなことが起きた場面に僕が【手洗い後の汚なタオル】と名付けていたことや、おじいちゃんとおばあちゃんとの記憶とかはきちんとあるので、結構昔のことは覚えているが、少し前から最近にかけてのことは忘れてしまっているのだと思う。


ミニマリストという呼び方で合っていると思うが、ミニマリストという形式なのにも関わらず、無性に金魚が飼いたくなって、小さな水槽に金魚を一匹飼っているのだが、【顔の下にある糸の中で、襟に使われている糸が一番エリート】みたいなダジャレ的考え方の人が、あまりよく理解出来なくて、そう考える意図があまり見えてこないのだが、一番よく分からないのは、何で金魚を買ったのかということだろう。


小さな水槽にいる一匹の金魚を見ていたら、【カラフルな中から見繕って選んだら、3つ黒って!】という駄洒落と共に、【病気が治るのならば、ドクターフィッシュに足の角質を全て提供する覚悟だってあるんだよ】みたいに思ったこともあったことをだんだんと思い出していた。


散歩なんてことは、あんなことがあった前にもほとんどしなかったと思うが、今は無性にしたくなったから、外に出掛けてみて、僕は今現在、散歩で三歩以上歩いていて、歩くことは『賛』か『否』かでいったら『賛』なので、これは『賛歩』でもあり、1000歩は歩く予定なので『サンポ』というより『センポ』であり、このあと太陽の光を存分に浴びて、カラダがポッと熱くなるだろうから『SUNポッ』でもあるだろう。


散歩に出掛けて、『僕は散歩をしている』と実感し始めてから三歩目を踏み出した今、目の前には杖をつくだいぶ年上の老人と想像以上に黒いカラスがいて、『飛べない鳥のペンギン』と同じ類いの『魔法が使えない魔法使い老人』と昔、特訓をしたこともあったなと、少しだけ懐かしみながら思い出していた。


今日の朝刊の隅に漢文が載っていたけど、難しすぎてよく分からなくて、新聞の漢文はチンプンカンプンだなって思ったのだが、今、道路上ですれ違った若奥様系の人が右手に五連の箱ティッシュをぶら下げ、左手には聖火のようにネギを掲げていて、僕はチンプンカンプン過ぎて持っていた傘を掲げて、戦いを挑みたい心に少しだけなっていた。


左手にネギではなく生花を掲げていたのなら、生花を聖火のように掲げていた、という面白い状況を作り出すことができたのにと、少しだけ残念に思ったが、よく考えてみたら、『青果』という野菜や果物を指す言葉もこの世には存在していて、ネギを青果とすれば『青果を聖火のように掲げる』というダジャレ的状況に立ち会えたことになるのだ。


若奥様系の人が手に持っていた箱ティッシュを見て思い出したのだが、普段は高級な保湿ティッシュくらい優しい老人だが、怒るとクリオネの捕食する姿くらい怖かったということを、状況はほとんど覚えていないが、何となく覚えていることが分かった。


103歩、203歩、303歩と散歩は軌道に乗ってどんどんと深みに進んでいき、年齢が二桁を越えた日から人に好意を持たれることがなくなったなとか、年齢が二桁を越えた日から顔の可愛さが削がれていって今に至ったなとか、昔のことを妄想しては、どんどんと深みにハマっていった。


散歩をリズミカルに進めていくと、あの若奥様に連れていかれたネギが少し前までいたであろう、八百屋さんを見つけて、中に入ると、大きいトマトやら、小さいトマトやら、中くらいのトマトやら、ピンポン玉くらいのトマトやら、色々なトマトがあり、その横の横の横くらいにもやし、その横の横くらいに山芋が置いてあった。


それを見て、とても重要だろうなと思うことを今思い出したような気になっていて、それは、昔どこかのお店で、もやし5本を山芋にぶっさしたような女性の右手に、僕の左手を合わせたという事実で、それを思い出しただけでも、山芋を素手で少しだけすりおろしただけでも手が痒くなるあの状態が、今は手ではなく心に表れていた。


サビの言葉が切れる部分の、これから盛り上がるんだろうなと思うような部分で、#の連なりが現れて、控えめに音が上がっていく曲が好きなこととか、羽がない扇風機は羽が0ということで、0という数字によく似た形状になっているのだろうかとか、色々と考えてしまっていて、昔みたいに脳が活発に動いていることに気付かされ、少しだけ笑みが溢れた。

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