#31 芸能界は芸の深い礼の深い人の集まりか
ラジオ番組30本録りというとてつもなく大変な仕事をこなした後の藻野美由さんと会うことになったが、ラジオは5分番組なので30本録っても150分だし、何人もの友達も一緒にお食事をするので何の緊張もない。
芸能人の集団と行動を共にするというのはちょっとした大大大事件で、言ったことや書いたことなんて寝て起きたり、うつ伏せに寝てエビ反りの状態でフローリングの上で起きたりすれば忘れてしまうものなので発言などの矛盾は仕方がないが、2度目ましてで親密な家飲みに僕が誘われるのは人生に矛盾してる。
藻野美由さんの部屋は、それはそれは豪華で火の着け所がないし、非の打ち所が無くて、広くて広くて広くて交通の便がよくて何か高いところにあって、とにかく凄かった。
「どうぞ」
「お邪魔します」
車のエアコンは助手席に乗った人がつけるくらいで自分では全く使わないから使い方が分からないし、部屋の中を進んで行くと右にも左にも全く使い方が分からないオブジェのオンパレードだったが、リビングは有名人のオンパレードとはいかなかった。
「初めまして、久慈雅人です」
「初めまして」
7カ国語を話せると聞いていた藻野美由 さんのマネージャーさんもそこにいて、僕が自分の名前を言っただけで笑ったのだが、僕の名前はどこかの国の言葉では『馬鹿すぎる男』という意味かもしれないと少し思ったが気にしないことにした。
思い出し笑いということもありそうだが、のど飴の噛み砕き音が朝の常套音だったことを思い出してする『思い出し苦笑い』や足裏向上委員会というどこで聞いたか分からないような名前がなぜか頭に度々出てきてする『思い出し困り笑い』をする僕は思い出し笑いを熟知しているのでたぶん違う。
歯磨き粉はもちろん口の中に入れてもよくて、ハンドソープもよく洗い流していない状態の時に手に付いてしまったクリームを舐めることを前提で作られていると思うので口の中に入れてもたぶんよくて、食器用洗剤もよく洗い流していない状態の時によそったカレーを一滴残らず食べたい人用に舐めても大丈夫なように作られていると思うので口の中に入れてもたぶんいいが、口に入れてはイケなそうなカラフルな箸や得体の知れない青い液体が入ったビンがテーブルに並ぶ。
子供がつけられないようにスイッチを重くしてあるライターでさえも僕を子供扱いしてくるので、目の前にいる藻野美由さん以外の女性三人に除け者扱いされないように頑張る。
「僕以外女性なんで緊張しますよ」
「あっ、僕は男です」
『これを買ってきて』と言われて渡されたリストの中に『あんみつ』と『ようかん』があって、その2つの間に平仮名で『せんざい』と書いてあって洗剤ではなくて『ぜんざい』だと思い込んでしまったこともあった。
それと一緒で女性と女性の間に髪の長い男性がいたら少しも疑わず女性だと思い込むのも仕方のないことだし、美人マネージャーとフランス人プロレスラーとロン毛俳優と人気ナンバーワン女優に囲まれた自称社長の僕が場違いだと思い込むのも仕方のないことだ。
「私の手作りピザだよ。食べてね」
「いただきます」
誰か怖い人に『皿買いなよ!無いからさ!』という回文で怒鳴られることと、『お腹すいた』が『何か食べたい』に繋がらないというたまに起きる現象よりも遥かに嫌いなトマトが『目は口のようなモノをいう』という間違った慣用句を使っていた知人の鼻くらいの大きさでピザに乗っていて焦った。
どのくらい焦ったかというと、ハンドソープや食器用洗剤などの薬品系を口の中に入れてもたぶんいいみたいなことをさっき言ってしまったことで、誤解が生まれてしまい、10年くらい更新してないブログとかが炎上してしまうかもしれないという焦りと同じくらい焦った。
洗剤は絶対に口に入れてはイケないものだし、藻野美由さんの手作りピザは絶対に口に入れなくてはイケないものだと思っていて『マドレーヌを食べても気分は紛れーぬ』というダジャレみたいな気分だ。
トマトも含めたものがピザであり藻野美由さんの作品なので、トマトを食べないと藻野美由さんの親友であるフランス人の女子プロレスラーのリーズさんに何をされるか分からないからチーズだけのピザがよかった。
1000種のチーズのピザは食べたいが、プロレス選手のリーズのヒザは食らいたくないのでトマトのピザを食べることにした。
「凄くおいしいですこのピザ」
「良かった。マッサーが喜んでくれて」
豆腐ハンバーグを作るためにスーパーへ『350gの豆腐』と何度も唱えながら向かったらスーパーに入った頃には唱えている言葉がなぜかいつの間にか『1.5kgの豆腐』に変わっていたのだが、藻野美由さんの僕の呼び方も『久慈さん』から、なぜかいつの間にか『マッサー』に変わっていた。
マッサーというあだ名は、僕の大好きな『治療とか美容とかの目的で、手とか道具とかで皮膚とか筋肉とかをさすったりとか、もみほぐしたりとかする行為』であるマッサージから『ジ』を引いた名前で、マッサージに似ている名前なので気に入っている。
「私、一日署長とかやってみたいな」
「えっ、モノミンって一日署長やったことないの?」
僕は開閉式をヘイカイシキと読んでしまったことがあるがヘイカイシキは閉会式と書くので、本当はカイヘイシキと読むし、開閉式は形式で開会式は儀式だし、フランス人の女子プロレスラーのリーズさんが藻野美由さんのことをモノミンと呼んでいたが僕にはそんな呼び方は出来ないし、僕とリーズさんは開閉式と開会式くらい違う。
雨の日の本屋は傘の盗難、床のツルツル、雑誌を入れてもらった袋がビニール袋だったときの雑誌の反り具合などを心配しすぎて楽しくないが、雨の日の本屋よりは楽しめてる。
「一日署長はやってないけど一日工場長はやったことあるよ」
「そっか」
昨日の朝にタンドリーチキンライス、昼にカップカレーうどん、夜にチーズカレーライスという香辛料まみれの食生活をしていたのは僕だが『頭の中が住んでいる賃貸の更新料まみれになっている親友』の心配にまみれている僕の頭でさえも藻野美由さんが一ヶ月店長の話を断った話は染みてきた。
藻野美由主演の大ヒット映画“それはそうと明日の夜七時に最寄り駅前のロータリー突き進んで野垂れ死んでこい”の裏話も聞けたし満足していたら『その日のラッキーフードを知る前にもう食べていたというラッキー』みたいなラッキーが降りかかってきた。
いつものように歩きながらペン回しをしていたら手が滑って前に出したばかりの右足の上に落ちてしまって、思い切り蹴り飛ばして50メートルくらい先に飛んでいってしまったことがあるが、それくらい思いがけないものだった。
「マッサーさ、俳優になっちゃいなよ」
「えっ?」
「カッコいいし、演技上手そうだし、俳優に向いてると思うよ」
「社長やってるし、あまりそういうのは」
「事務所に頼んでおくから私の付け人からね」
「分かりました」
ボケッとしているとポケットからポロッと財布が落ち、肩からはボサッとポシェットが落ちるが、ボケッとしていないのに僕は恋に落ち、藻野美由の罠に落ち、芸能界という世界に落ちた。
自称社長兼俳優兼『かもしれない』と『だろう』を一緒の言葉として使っていたのに、かもしれない運転とだろう運転の意味が違うことに気付いてしまったので、これから楽しく生きていけないかもしれないし楽しく生きていけないだろうと思ってしまっている人間兼魔法使いとして僕は頑張る。
僕の中の一番嬉しかった出来事と一番嫌だった出来事の間はビルの谷間くらいしかなくて、最近一番嬉しかったことは藻野美由さんに会えたことで、最近一番嫌だった出来事は有名な方の不祥事が原因で言葉遊びのイメージが悪くなったことだ。
サラリーマンというものは「名刺交換!」と言われたり「メシ行こうか?」と言われたりするだけの職業だし、芸能界は夢も希望も有名も誹謗も溢れているのでいい。
うまい話と500円のうな重は疑えというし、芸能界は水着姿でスクランブル交差点を3歩で渡ることくらい簡単にいかない世界で、卵とタバコは1日1回は何処かで絶対口に入れているもので1回も口に入れないのは至難の技で、芸能界で仕事を貰うのも至難の技だろうが頑張る。
『渋柿は干すことによって渋さがなくなるように渋い俳優の僕も芸能界から干されたことによって渋さがなくなってしまうのでしょうか』という藻野美由さんの親友の髪の長いロン毛俳優が言ってきたが、その俳優の長い髪の毛みたいに“さらり”と受け流した。




