#108 美女と野球は相容れないのか
ラーメン屋のカウンターの端の席が好きだから、ラーメン屋のカウンターの端の席に座っているイメージをしながら、ラーメン屋へと足を踏み入れてみるのもいいかもしれないと、思っているところだ。
スーパーでぶつかってきても謝られたことがほぼほぼなくて、ペコペコしたり、道をあけたりしている僕は、世間とのギャップを感じているけど、ラーメンやラーメン屋は僕のことを常に手招きしているように感じている。
14時を過ぎたとスマホ画面に映るデジタル時計は主張しているが、たとえデジタルだとしても、電池の切れたアナログのような狂いを生み出しかねないので、時計と統計は疑わずに無条件で素直に受け入れてしまうことをせず、十分注意をする必要があるだろう。
14時からピタリと客足が少なくなったり、パタリと客足が少なくなったりするラーメン屋の常連だったから、そのラーメン屋情報のみの調べだが、今がラーメン屋に入るにはベストタイミングだと思う。
ラーメンのスープって何でこんなに身体に浸透するんだろうと、ラーメン屋の暖簾の一センチ手前で考えていたら、【『浸透圧』という言葉を一日に最低30回は言ってくる友達を見て、外腹斜筋と内腹斜筋と腹横筋は痛くならなかったが、腹直筋が痛くなるほど笑ったみたいな感じの明るい夜空の下で『食道楽で着道楽の友人はリムジンで送り迎えしてもらっていて移動楽だよな』と思いながら移動したことを思い出した。
ラーメン屋に入ると、店員さんがいて、ラーメン食べてる人がいて、テレビが流れていて、ラーメン屋は美女店員とか美人客が多いという偏見を持っていたけれど、まさに美女のラーメン屋という感じで、ラーメンより先にラーメン美女が五感を刺激し、小説よりエッセイを評価される作家の気持ちに重ねてずっと考えてしまった。
ラーメン屋をハシゴすれば、ハシゴということでラーメン一杯『845キロカロリー』と仮定しても相当いってしまって、仮に5店ハシゴするとしたら『4225キロカロリー』もいってしまう計算になって『4225』という数字は読みかえると『死に』から始まってしまっているし、なんか不吉であると思ったり昔したことを思い出したけど、今は何も考えないで感じるときだ。
ラーメン屋のカウンターの端の席が好きなので、ラーメン屋のカウンターの端の席に座ったのだが、サッカーや格闘技でよく耳にするカウンターと、ラーメン屋のカウンターのスペルが一緒なのか違うのかで悩んでしまい、最終的には今さら気づいた、股関節のカンと股間のカンが違うことを参考にして、違うと判断した。
野球は普段はあまり見ないけど、店で流れてるやつは見ちゃう、というあるあるのせいで、野球ボールみたいなカタチをした煮たまごが無性に食べたくなってきて、バットみたいなメンマも無性に食べたくなってきた。
煮たまごラーメンという、煮たまごたっぷりのラーメンを頼もうとしたとき、呼んでいた美女店員さんに、本日は14時から煮たまご二個のサービスを行っております、煮たまごプレゼントキャンペーンです、と言われたので普通のラーメンに変えて注文した。
中学生の時に気になっていた隣の女子に、クラスをたらい回しにされていた伸びる宇宙人の人形のちぎれた足の部分らしき切れ端を『あげるっ』と言われて渡されて、それが女子からの初めてのプレゼントとなったが、今もらえる煮たまごはラーメン屋経由だとはいえ、立派な女子からのプレゼントだろう。
煮たまごに煮た孫が欲しいような欲しくないような感じで、何気なく『地震速報は『自信削ぐ方』より遥かにビビるよなとか、四字熟語として⇒古変破源・コペンハーゲンはどうだろうか?とか、湿度の%を96と読んでいた人がいて、湿度を6996と言っている人いたなとか、【忍者3】の3を三乗と読んで、参上に変換すると忍者参上になるよな、とか思いながら待った。
脚立がないと付けられないだろうよっていう場所にあるテレビからは、野球が流れていて、野原で球遊びをすればそれは野球かとか、野性味溢れる球遊びは全部野球かとか思いながら、野球を見て待った。
テレビの野球解説者がウンチクを言っているのでウンチク風に言いたくなったのだが、夜道を歩いていて白い猫が道の端にいると思ったら、白い猫じゃらしで、猫の気持ちで見ていた僕を、猫に似せたシルエットで焦らしてくるという意味で言えば、『猫じゃらし』は『猫じらし』と言ってもいいだろう、いやっ、もう、『猫じゃらし』は『猫じらし』なのである!
今日の占いのラッキーフードのジンジャーエールを午前中に近くのスーパーマーケットに行って買おうと思って探したのに見つからなくて、見つからないということは神社エール、つまり神社からの声援がないということになり、神社からの声援がないということは、つまり神に見放されたということで、つまりいつもの倍はある、ある女性の今日のウンチクから、今日の僕は逃げられないということだろう、と思った日もあったな。
ラーメンがやって来て、ちゃんと煮たまごも二個付いてきていて、ニコニコしながら、煮たまご二個だから【2たまご】だな!みたいな感じで脳内でおどけていたが、幸せで幸せで幸せで幸せで、幸せで幸せで幸せで幸せだなって思ってる。
思い出したのだが、十月十日という漢字を合体させると朝という漢字になるから『十月十日の朝』という言葉は『頭痛が痛い』と同じ表現になるのかもしれないが、今は十月十日の朝でもなく、頭痛が痛くもなく、ただ美味しい食事を食べているだけの幸せな日だから、みたいに感じたときもあった。
ラーメンを食べるときはカタカナの【ラ】くらい口開けるよねみたいに思ったが、自分が【ラ】だと思っていてもみんなが【コ】だと思っているなら、もう【コ】ということで構わないし、やっぱり大量によく分からない昔のことを思い出しているけど、それもどうでも構わない。
寿司屋に行くよと女性に言われたが、まだ食べるのかよとは少ししか思ってなくて、またラーメンを食べるのかよとも少ししか思ってなくて、遠くから見てパンの専門店だと思ったらペンの専門店だったこともあったから、これから目的のお寿司屋さんに行ったとして着いたときに目に入ってくる『寿司』という看板も『ことぶきつかささんの家』ということにしてスルーしてほしいみたいに思っていた日もあった。
来たラーメンを一口すすったら、【普通サイズのカップラーメン4つと、1.5倍のカップラーメンを一つ買っていたので、実質買ったのは5個半で、略した言い方をすると『5半』で、カップラーメンという『麺』を買ったにも関わらず、カップラーメンで『パンパン』の袋、『5半』のカップラーメンというように、『ごはん』と『パン』が紛れ込んでいてマジでヤバイと思ったことも思い出した。
野球で9回表に2点を入れて2対3から4対3になり逆転したが、9回裏の攻撃で3点を返されて再び逆転を許してサヨナラ負けしてしまったという、表2点裏3点の試合内容を、二転三転と呼んでいいものかと今は思っているのだが、これも昔の昔に思ってしまって物議を醸したような気がしてきた。
ラーメンは、もう美味しくて美味しくて美味しくて、美味しくて美味しくて美味しくて、【食べるパンに、開封後は出来るだけ早めにお召し上がりください、と書いてあったら、開けた一秒後に食べることは出来るからした方がいいみたいだけど、したくないな】と思うタイプだから、店の張り紙を見て、その通りにしたくないけど、早めに食べた。