#107 借りを返すことはいいことだ
レンタルビデオ店で眺めるのが好きで最近は借りてないけど、なんかレンタルビデオ店に眺める目的でつい行ってしまっていて、今もレンタルビデオ店で眺めていて、【たぶん僕が昨日食べたヨーグルトには片栗粉が入っていて、片栗粉が入っていなければ説明できないほどの粘りがあった】ということと、レンタルビデオ店は某テーマパークに負けないほど面白いということは確かだ。
今までに出会った女性の中に「上手くメイクしようとすると、目がイクんだよね」みたいな悩みを相談してきた人がいたけど、その悩みを解決するDVDはこのレンタルビデオ店にはなかったような気がする。
並んだDVDの表紙に、監督江草とあり、【エクササイズ】をするギャルの家に着いて家を眺めたが【XLサイズ】とはいかなくて、人間で言うと学生時代に「これあげるよ」と言ってただ持っていたものを上に挙げるだけ、というつまらない遊びを流行らせた中肉中背の江草くんくらいの大きさの家で、まとめるとギャルの家は【江草サイズ】ということだと昔、頭で考えたことがあったなと思った。
江草きっかけで今注目している女優さんを思い出して、その名前をごく少量の声として連呼しながら進んでいったけど、その名前を連呼することで生まれる違和感に押し潰されそうになったりした。
『牛乳・卵・牛乳・卵……』と唱えながら買い物に行ったら、いつの間にか『牛乳・卵・生ゴミ・牛乳・卵・生ゴミ……』と唱えていた僕くらいヤバいギャルの動きに衝撃を受けたことがあったと、今の行動で思い出した。
DVDのお笑いコーナーに足を踏み入れると、今日の朝に【アナウンサーがテレビで『昨日はあたたかく、過ごしやすい日々でした。ポカポカ陽気でした』みたいなことを、まるであたたかい日々が死んだみたいなテンションで喋っていたことを思い出してしまい、それに似たようなテイストのコントをするお笑いトリオのモノを探すも見つからなかった。
午前4時に目が覚めて、久し振りに夢を見たなと思って振り返っていて、見た夢が『停電の夢』と『モノマネ芸人が「伊能忠敬」一本でいきますと宣言している夢』だったので、今日はツイテないだろうなと思っていたのに、まあまあ普通だったときもあったけど、今日は普通だと思っているから、少しいい日々だろう。
スポーツドリンクを『スポドリ』と略してしまうと『シェフのケーキ~スポンジケーキにドリアンを添えて~』の略と間違えるかもしれないので、いつもスポーツドリンクと長く言っていた時期があったことを思い出した。
トイレに行くみたいで、ある女性は動き出し、僕は動き出したある女性と同じ道を通っていたが、ある女性が誰かにぶつかり、ギリシャ文字の『【Γ】ガンマ』みたいになって謝っていたのを見たことがあって、それも突拍子もなく思い出している僕がいる。
そういえば、ここのレンタルビデオ店は、どっかのマンガ喫茶と同じ会社が経営しているとか、なんか系列店的なものだと聞いた気がして、ホワイトチョコレート柿の種の袋を開けたら、チョコレート柿の種とホワイトチョコレート柿の種の割合が、ノーマル柿の種とピーナッツの割合と同じでなんか嬉しくなったときに少しだけ感じた、フワフワ感に少しだけ襲われた。
『マンガ喫茶<マンガキッサ>』を逆さから読んだら『さっきガンマ』となって、さっきギリシャ文字の『【Γ】ガンマ』みたいに謝っていたある女性は『マンガ喫茶でさっきガンマ』という回文のようなことをやってのけていたことになり、ある女性はマンガ喫茶と深い縁があるような気がしていたのは、遠くも近くもない昔のことだろう。
面白そうなお笑いDVDを見つけたけど、面白そうと思っただけで絶対に面白いかなんて誰もわからなくて、<とりにく><ぶたにく>と来たら、普通は<うしにく>なのに、<ぎゅうにく>と読むのは何でなのだろう、みたいに思ったのと同じ感じの状態になった。
借りようかなと思って手に取ったときに[うしにく]から[丑三つ時]が連想されて、丑三つ時の意味のことで頭がパンパンになってしまって、もう丑三つと言わず、丑九つくらいが頭に詰まってる感じだ。
最近はやっぱりお笑いの第86期ブームが来ているから、お笑いばっかり見ている気がして、寝ているときにもネタの映像が頭に流れたときがあって、最近の朝は、眠りのなかで爆笑したときに布団を蹴りあげてしまう時があるが、布団がふっとんだ、というダジャレ程度にはまだ、なりきれていない。
『あなたは自分が頭の中で思い浮かべてるダジャレを新しいと思ってるかもしれないけど、新しいんじゃなくてクソダサイからみんな言ったり使ったりしないだけだよ』と思ってしまった人は、280円多く払って速達でハガキや手紙を僕に送ってきて欲しいと思っているが、ダンボールいっぱいのプチプチと固形石鹸の上に手紙を置いて送ってきてもいいと思っていて、着払い以外なら何でもいいと昔思ったりしたことを、ダジャレきっかけで思い出した。
最近までは使えていたけど、DVDプレーヤーが壊れている可能性が否定出来ないということに気がつき、モヤモヤが喉の途中につかえている感じで、その事を考えただけで、ストレスという四文字がドンと来た。
ストレス発散はプチプチ潰しと石鹸削りが二大巨頭らしいのだが、ギャルやある女性から与えられたストレスなんて全くないのでストレス発散をする必要なんてなくて、今一番のストレスは『構想三年夏期八年』という結構前にスマホのメモ帳にメモした謎の言葉の処理方法が見つからないことだけだ、というときも前にあった気がする。
ふと通路の先の先の先の先の先の方を見ると、家電コーナー的なものがあって、そこにはポータブルDVDプレーヤーらしき四角もあって、【小説好きとしては、相撲で『ものいい』のときに、説明する審判長みたいな人の「○○しましたが、」の二重や三重の重複がどうしても気になり、絶対にその重複を聞き流すことが出来なくなる】けど、今はこのチャンスを水に流すことは出来ない。
タピるという言葉をタピオカを飲むときだけに使うのはやめて、タラコピザを食べることを【タピる】と呼んだり、タマネギとピーマンを食べることも【タピる】と呼べば、世界もタピオカみたいに丸く平和になるのだろうと感じたけど、今なんでそんなことを考えているかは、タピって落ち着いてもきっと、分からないだろう。