#102 卵かけご飯は命懸けご飯
たまごというものは、目玉になったり、目玉になったり、目玉になったり、ふわっとなったり、ドロッとなったりしてすごい。
最近は卵料理に嵌まっていて、もしも側溝にオムレツや卵焼きや目玉焼きが、皿に乗せられて綺麗に並べられていたら、迷わず速攻で側溝に嵌まりに行ってしまうくらい、卵料理に嵌まっている。
【長女、てやんでい!】と誰かが言ってるなと思っていたら、本当は【情緒不安定】と言っていたことがあったが、卵料理を何個も何個も食べるようになってからは、そのように聞こえることは減ってかなり普通になった。
今はこの卵を見たこともない、全く新しい料理に姿に変身させることを夢見て研究をしているのだが、熊肉とか鹿肉とか、ソッチ系のクセの強さと同等のインパクトがある、全く新しい卵料理を作りたいと思っているが出来るわけがない。
鹿肉で思い出したのだが、『ワタベタカシはシカたべたわ』と『ナガオカはカオがな』というセリフは、上から読んでも下から読んでも同じ言葉になる文という意味の『回文』だが、どういうストーリーか全く想像できない怪しい文という意味の『怪文』でもあるなと思ったことが昔あった。
タオルを首に掛けたままトイレに入って、済ませたあと立ち上がったときにタオルが床に落ちそうになった場合、スレスレでキャッチすることを50回中1回しか失敗しないほどの反射神経はあると思うし、運動神経もかなりある方なので、それが料理にも活かせそうだ。
一言で言うと、料理は歴としたスポーツであると僕は思っていて、テレビゲームがスポーツになる時代で、テレビゲームをeスポーツと呼ぶ時代なので、料理することはcookだから、Cスポーツと名付けたいくらいだ。
僕は今から究極の卵かけご飯というヤツを作ろうとしていて、電動泡立て器や簡単に泡立つ便利グッズもあるなか、僕は菜箸四本を右手に一気に持って泡立てる方法を選んだ、なぜなら、料理=スポーツだから。
好きな顔のタイプを、好きになられた人の顔に移行することは簡単にできて、それと同じように卵白を泡立てる機具を変えることは簡単に出来て、あと、エビとかイカも食べたいから究極の卵かけご飯ではなく、エビフライやイカフライにメニューを変えることも出来るのだが、僕はあえて変えずにスポーツ感を楽しむことを選んだ。
早速、右手が腱鞘炎になった時くらい痛くなってきて、早速【二つのことを同時にやるのは難しいし、あまり良くないと言うが、五感別で5個同時にやるのは出来そうだし、カラダにも差し支えないだろう】と思ったりしてきて、早速、想像の中のエビフライとイカフライが僕に手招きを始めてきた。
イカ弁当が僕は食べたくて、食べていいかを稚拙な回文で聞くとしたら『イカいいか?イカいいかい?』となるが、『イ』と『カ』の二文字しか使ってないのに回文と呼べるのかみたいなクレームが来て、「今後はイカの回文しか作らないでください」みたいに言われて『回文全部イカ?(かいぶんぜんぶいか)』みたいな回文を使う羽目になりそうなので、イカ弁当を諦めたことが結構前にあった気がする。
【道の駅すぐそこ】と書かれた看板があったので、すぐそこなのだろうと思って、ふと次の看板を見てみると【道の駅2km】の文字があって、思わず力んで『どこが!』と全力で突っ込んでしまったことがあったのだが、そのときよりも力を込めて、思い切り、力の限り卵白を泡立てているところだ。
いくらたまごが万能だからといっても、クラゲのコリコリ感とかに近づけることは出来なくて、卵に嵌まったのだから、新しいものは産み出したいが、たぶん無理に等しいだろう。
卵に嵌まった僕だが、もしも【卵】という漢字に嵌まるとしたら、左の方の物体の上にある隙間とか、右の方の物体の下にある隙間ではなくて、左の方の物体の下の三角の細い隙間の部分に足を嵌め込みたいと思っている。
混ぜても混ぜても綺麗な汗がひたいを流れるだけで、全然思い通りには泡立ってくれず、ヘッドバンギングはしてないが、ヘッドバンギングをしているかのような激しさが、虚しく泡立ち続けるだけだった。
ヘッドバンギングなのか、ヘッドバンキングなのか、記憶が曖昧になっていて、【小学生の時の組体操の、肩車的なヤツの上と下を決める基準を背の順で決められて、細い身体で下で踏ん張ってみたものの、結局上に持ち上げられる役になるという、苦い思いでだけが残ったこと】を思い出しながら踏ん張った。
ドリアンはドリアの進化系だと思っていたから食べたいって言っていたけど、僕のこの綺麗な汗のように無臭ではなく、どうやら臭いらしいし、ドリアンの上にあると信じていたドリアンヌの存在も危うくなってきている今頃である。
【卵かけご飯はどんなスポーツよりもスポーツだ!】みたいなことを、どこかの僕が言っていたが、たぶん、卵白を混ぜ続けたときに起こる筋肉痛の痛みよりも、あんなに混ぜたのにこれだけ?という心の痛みの方が強くなり、それは【クラゲ刺され】並くらいになることだろう。
【サメやクラゲやオニダルマオコゼは“ダイバーの敵”だが、僕は連続ドラマに“大抜擢”されたわけで、ドラマ出演は脇役ではあるけど、とてもめでたいことで、オニダルマオコゼを愛でたいくらいめでたいことで、でもオニダルマオコゼの背ビレには猛毒があるので絶対に触れてはならなくて、僕がある女優さんのコネで俳優になったことにも、絶対に触れてはならない】と思ったことがあったような無いようなそんな感じがしてきた。
ようやく泡が綺麗に立ち、美しい卵かけご飯が完成したが、食べる時間は刹那的で、泡が消えるようにパッと幸せな時間も消えていき、泡立てている時間の一パーセントにも満たない時間で完食した。
「ここ綺麗ね?」とホコリで埋もれたテーブルを見て母が言っていたが、その理論を使うと、不細工な女性に「綺麗だね」と言うことが悪い意味になってしまうので、母のその発言は揉み消すとして、さっき思ってしまった【泡が綺麗だ】という考え方も抹消した方がいい気がする。
今は【卵かけご飯脳】ではなくて、もう【たい焼き脳】になっていて、このたい焼き何餡だろう?と聞かれて「白餡かな?」と答えたのに「知らんがな!」とその人に聞こえていたとしたら周りには悪い人に映ってしまうが、セリフが何言っているか分からないときがあると言われた僕は、周りには滑舌が悪い人に映ってしまっているだろう!みたいに思ったときが昔あった気がする。