01
合法ロリがいる。思わず三度見した。見るだけで終わってしまったのは交番裏の外壁に向かって小便たれ流している最中だったから。
不相応な化粧でババア化してる高校生とか、はだけた服装の中学生とか、手を出しても違法だしそもそも見た目が違法でやるだけの価値すらないゴミだらけの渋谷において、神のご加護とも呼べる存在だと思ったのだ。整った顔立ちは西洋人形のようにも見えるし、艶やかな黒髪と濃い瞳は市松人形をも想起させる。そんな浮き世離れしたオーラを解き放っていた。
ちなみに合法だと判断したのは二度目に遭遇した時、猛烈なナンパ攻撃を「小童めが」という一言で切り捨てられたことによる。こちとら丁寧にアキオミという名前があるのだと告げたのに。しかし小童などという言葉遣いをイマドキ女子中高生がするわけもないし、未成年ではないらしいという感触を得られただけでも十分だった。
三度目の遭遇で、年齢情報をゲットした。口で言うのが嫌なら指でと執拗に迫ったところ、右手に四本、左手に二本立った。俺の側から見れば四十二だが、彼女の側から見れば二十四である。どっちだろう首を傾げたと同時にそれは五本と三本に変わった。
彼女側から見たとして、二四三五だ。なんと紀元前の生まれであった。そこまでくると二十代だろうが四十代だろうがどうでも良くなる。人間はそんなに長く生きられないから、もしかしたら脱法ロリかもしれないという結論を得、その日は終わった。
四度目の遭遇で、もしかして彼女とは赤い糸で結ばれているのかもしれないと思った。そろそろお名前くださいよと、仰々しくかしづいてみせる。
「教えたってどうせ忘れるくせに」
「そんなことないさ」
「人間は忘れる生き物なの」
くるり踵を返して歩く彼女の後ろ姿は軽やかだ。前回はワンテンポ出遅れたせいで一瞬の人混みに見失ってしまった。今日こそはと大股歩きに近付いて、細い手首を捕まえた。
「道玄坂の上まで行ってみようよ」
「露骨だね」
坂の上はホテル街。ナンパしている時点でそういうことしか頭にないし、端から可能性ゼロならここで切り捨ててくれて構わない。でも案外、思い切った意思表示をすれば一夜限りの遊びに付き合ってくれる子は多いのだ。
「ホテルばかりじゃないよ。ライブハウスだってある。今日はヴィジュアル系のなんとかってのがいるらしくてさ、辺りはゴスロリだらけだよ。君も、そういうの似合いそう」
「そういうプレイが好きなの?」
「大当たり」
彼女の着こなしはたっぷりした黒のパーカーにワークショーツ。どちらかといえばヴィジュアル系よりパンクロック系を好んでいそうな出立ちだった。それはそれで悪くもないんだけれど、リボンとレースで華やかなジャンパースカートとかドローストリングのワンピースとか、そういう服がよく映えそうだ。そんな感想を正直に述べたところ、男のくせに詳しいのねと鼻で笑われた。
「昔遊んだサユリちゃんに教わったよ。記憶力には自信あるから」
「うそつき」
「うそじゃないってば」
なんなら遡って女の子の名前を挙げてみせようか。十六人目まできたところで、彼女の指が唇にあてられた。温かくて甘い匂いがする。
「昔話に興味ないわ」
「俺は興味あるよ、君の昔話。なんてったってギネス級の長寿なんだろ?」
大きな瞳がくるりと動いた。そして何か言いかけたとき、彼女が突然後ろを振り返る。
「どうしたの?」
「……ごめんなさいね。やることができたみたい。でも貴方おもしろいから構ってあげる。何時間かかるか分からないけど、待っててくれたら構ってあげる」
「え、マジで?」
俺の返事を最後まで聞き終えることなく、彼女は人混みに向かって走り出していた。あっという間にその姿は消えてしまう。体よくあしらわれただけかと気付いたときにはもう遅かった。
「……本当に待ってたんだ」
馬鹿正直に路傍で座り張り込んでいたらゆらりと彼女は戻ってきた。呆れた口調にも関わらず表示は明るい。
「ここはいつまでも待てる忠犬の街だよ」
あんまり期待はしていなかったけれどどうせ暇なんだ。そう思った暇つぶしにしては長かった四時間半。晩秋の風は身にこたえた。
「ねえ、何しに行ってたの」
「お仕事」
「仕事ってどんな……」
言いかけた質間については黙りなさいと、またさっきのように唇を遮られた。その指先は温かくもなく甘くもない。一瞬触れただけだったのに総毛立ち錆びた匂いの名残だけがあった。
「構って欲しいんでしょ?」
「もちろんね」
「それじゃあ行こうか」
俺の手を取った彼女の指は不思議ともう温かい。合法ロリかつ肉食系なんてまさかの逆転ホームラン。思わず顔がにやけてしまうのも隠さずに坂を上る。冷たい風すらも心地よい。
ゲスなネオンサインをくぐって散々いやらしいことをして大方満足したのだけれども、俺はまだ彼女の名前を聞かされていない。
打ちつける腰を止めたら彼女の瞳にはたちまち抗議の色が浮かぶから、その淫奔ぶりは期待以上だったりして思わず許したくなる。でも俺はまだ彼女の名前を聞かされていない。
「そろそろ教えて」
「ううん、ヤダ」
「やめちゃうよ?」
「それもヤダ」
「教えてよ」
「嘘みたいなホントの話はね、しない方がいいの」
まただ。またしても唇を塞がれる。突き出された指はやっぱり甘い。俺だけ満足するのもなんか違うし、まあいいか。彼女の身体をグッと押し付けたらとろけたような悲鳴を上げた。
「アキオミって名前なのね」
「覚えててくれたの?」
暫くの間、シーツにくるまってふたりグズグズとしていたら唐突に彼女は喋りだした。
初めて名前を呼ばれて嬉しかったのに、彼女は俺が名乗ったことなど忘れていた。名前を知ってるなら覚えていたんじゃないかと指摘したが彼女は首を振る。
「私ね、いま貴方の匂いが分かる」
「汗臭いのは仕方ないだろう」
「体臭って意味じゃないの」
「じゃあどういう意味なのさ」
言うか言うまいか逡巡しているのがよく感じられる。もう一押しで聞き出せるかもしれない。
「教えてくれたら最高な気持ちにさせてあげられるのに」
「そんな餌に釣られないわ」
軽快なステップを鳴らして彼女はベッドを下りてしまう。柔らかな素肌はあっという間に色味のない服に包まれてしまった。よくよく思えば上も下も真っ黒だ。それが透き通るくらい白い肌を際立たせている。
「言ったでしょ。胡散臭い真実なんて秘密にしておくものなのよ」
「だったら初めからもったいぶらないでよ」
「もうじき知ることになる」
目を瞑って。そう言いながら近付いてきた彼女の腕が首に回る。大人しく従うと、とびきり甘美な口付けが与えられた。
「私はね、誰にも気付かれないの。いつの間にか現れていつの間にかいなくなるのが私だから」
唇同士が触れたまま彼女が言って腕は解かれた。目を開けたら誰もいない。まさか、奇術か。それとも魔法の類か。
俺、全裸のままでとても間抜けだった。
彼女がパタリと姿を消して二週間。街はクリスマスの色合いが濃くなりつつある。赤と緑のコントラストが目にぎらついて、黒っぽい彼女は余計に見つけづらくなってしまう気がしていた。
それ以上に問題だったのは、彼女の容貌だとかが朧気にしか思い出せないのだ。あと三回くらい寝てしまえば人型の影にまで薄らいでしまいそう。自慢の記憶力が衰えたかと疑ったが、歴代二十三人全員の誕生日はしっかり思い出せたから俺の頭がどうにかなったわけではなさそうだ。
翌日になってそれはいよいよ決定的なものになった。会った思い出の感覚は確かにあるのに、何にもその時の光景が浮かんでこない。
最初に彼女を見つけたときは、どうしていたっけ。俺は立ちションしていたのだ。よたったサラリーマンの後ろにいた顔が思い出せない。
二度目は交差点ですれ違った。慌てて折り返したらショップバッグを四つも抱えた女性と衝突して舌打ちされた。彼女が信号を渡りきる前にとっ捕まえた感触が思い出せない。
記憶喪失というよりその部分だけするり抜け落ちてしまったようで、このままでは本当に忘れてしまいそうだ。
もう一度初めからやり直してみようか。こういう時はそのシチュエーションを再現してみるのが定石だろう。
ビル間を進んでほどなく、通りを斧で二股に叩き斬っている交番前に立った。人の出入りは途絶えることなく実にせわしない。ガードレールに腰掛けて行き交う人々をじっと見遣る。宵っ張りの酔っ払いが巣食っているセンター街のゴミ臭さよりはマシだけど、通り一本しか離れていないここの掃き溜めっぷりも凄まじいことが分かった。
こんな有様じゃあ収穫ないかもな、諦めて帰ろうとしたとき、ゆらり隣に立った親父の臭気にあてられた。明らかに酩酊状態で嫌な予感しかない。ゲロでも引っ掛けられたらたまったもんじゃないから半歩横に距離を置く。すると黒い霞のようなものに取り囲まれたように見えたのも束の間、親父は大の字に昏倒して頭を縁石に打ち付けた。赤黒いシミがじわりと広がってアスファルトに吸い込まれていく。
これ、やばいんじゃないの。
交番に視線を向ける。入口に立つ警官と目が合った。しかし彼は俺の足元になど目もくれずまた別の方向に顔を背けてしまう。それと同時に三人組の男女が大声で笑いながら過ぎて行く。親父の投げ出された手元あたりにあった空き缶をそのうちのひとりが蹴っ飛ばした。その音に気付いて地面をチラリと見たはずなのに、親父のことだけはまるで視界に入っていないとしか思えないほどの無反応だった。
右に左にあたりを伺ってみても誰ひとり気付いた様子がないのだ。赤ら顔だった親父はみるみる血の気を失っていく。おい、冗談じゃないぞ。ようやく飛びついて肩口を叩くけれども意識はすでにない。
「もう終わってるよ」
頭の上から声が降ってきた。四つん這いの格好のまま見上げたら、彼女がいた。
いつの間にそこで立っているのか。全く気が付かなかった。
「何かしたのか」
「お迎えにきただけ」
「意味分かんない」
「それだけなの」
口元に浮かんだのは薄ら笑いだった。その瞬間、どこからともなく怒号にも似た声が響いた。
さっきはシカトこきやがった警官が駆け寄ってきて、あっという間に野次馬が集まった。いきなりのことに慄くと彼女はいなくなっている。
どこからともなく倒れたところを見たぞという叫びが聞こえた。頭をぶつけて酷い音がしたと言う奴もいる。時間にしてわずか一分ほどだったとはいえ、そのタイムラグなどなかったかのような振舞いに悪寒を覚えた。
クラクラしてきた頭を抱えその場から遠ざかる。たちまち吐き気まで込み上げてくるからどうしようもない。分かるのは何か超常現象に触れてしまったのではないかということだけだ。堪らず俺は駆け出した。
二言三言交わした言葉を反芻する。終わってるってなんだ。迎えにきたってなんだ。あのおっさん、もしかして死んだんじゃねえの?
腹にぬるく重い物が溜まる感覚がして足が止まる。そうしたら腰まで抜けて地面にしゃがみ込んでしまった。膝が笑い出したけれど全く笑えない。ひとつ思い辿り着いた結論は、彼女が殺したのではないかということだった。
「それは違うよ」
突然の声に心臓を掴まれたかと思った。背中に気配があって、微かな息遣いが首裏にあたっている。
「ここのビル、屋上にあがれるの」
吐息が静かに離れていく。慌てて振り返るもそこには誰もいなくて、怪訝そうに俺を見る通行人の姿があるだけだ。
彼女の声で言われたビルを見上げた。居酒屋が何軒か入る雑居ビルで、非常階段は上まで通じているようだ。
全速力で駆け上がった先には誰もいない。飛び抜けて高いビルでもないが、地上に比べれば遥かに広い満天の星。空気は澄んでいて淀みない風が吹き抜けた。
「今朝はね、このビルより高いマンションから中学生が飛び降りた。ほんの一週間前、お友だちと連れ立ってこの街で遊んでいたのに。そのお友だちに苛められていたみたいね」
今度は貯水タンクの上から聞こえた。どうやってそんな所に登ったのか、タンクの縁に彼女は座っていた。
「昼間は交通事故を見届けた。昨日からの徹夜明けのバーテンダー。雇われだから今日もお店は通常営業してる。ここの三階だよ」
表情を崩さず彼女は淡々と語る。ドロドロした陰鬱な空気が垂れ下がってきて、俺は言葉が出てこない。
「さっきのおじさんはね、何年も前からお酒はドクターストップだったのに、最期までやめられなかったみたい。まあ好きなお酒で死ねるなら本望かしら」
「君の仕事って」
「この国の伝承に照らし合わせるなら三途の川のガイドさん」
嘘みたいでしょう、彼女の作り笑いがかえって信憑性を深めてくれた。
「匂いで分かっちゃうの。近く案内してあげなければならない人が。さっさと連れていかないといつまでもこの世に留まることになってしまう」
「死神ってこと?」
「自由に解釈して」
自由にもなにも、それしかないだろう。神も仏も信じちゃいないけれどかといって無神論者というわけでもない。平均的な日本人の感覚で判断したら自ずからそうなってしまう。
「匂いで分かるって言ったよね。この前、俺の匂いが分かるとも言ったな」
「よく覚えているね」
「さっきまで忘れてたけど急に思い出したよ。俺ももうすぐ死ぬってことかな」
「分かってるじゃない。そのわりにあまり悲しそうに見えないけど」
やっぱり貴方って面白い、そう言って彼女は音も立てずに貯水タンクから飛び降りた。見えない翼でもなければ説明がつかないような、まるで重量を無視した軽やかさだ。
「死んだらどこに連れてかれるの?」
「貴方たちは奈落だとか地獄だとか言ってるね」
「死神っつーか、悪魔さん?」
「管轄の違いよ。勝手に天使なんて呼ばれてるのもいるけど、やってることは私と同じ」
「うーん、俺は天国じゃないのは確定なんだな」
徳を積んだこともないし、募金すらしたこともない。煩悩上等で生きてきたから天国行きなんて望むべくもあらずだけれど、いざ突き付けられると少々悲しかったりもする。
「俺、口は達者な方だから神様だろうが閻魔様だろうが言いくるめてみせる自信あったんだけどね」
「貴方がどう生きてどう死んだかなんて関係ない。生まれ落ちた瞬間に全て決まってるんだから」
「一体それは誰の教えなんだ?」
「教典なんかないわ」
「単なるガキの遣いってわけか」
ジャブ代わりに込めた皮肉は柔らかな微笑で一蹴される。
「この話はが嘘でも本当でも関係ないでしょう? 貴方にとっては死んだ後のことなんだから」
「そりゃそうだ。でも君はそうじゃないだろ。俺みたいなのはともかくとして、死んでいくのを見ているだけってつまらなくないの? 助けてやりてえなって思うような奴、たまにはいるんじゃない?」
何気ない投げかけは思わぬリアクションを得た。凛とした態度を崩さなかった彼女の見せた狼狽。それはただのアキレス腱というわけでもなさそうだ。
「その様子はいたみたいだね。そんなときはどうするの」
「……貴方には教えてあげない」
じゃあねと彼女は自分より背丈のあるフェンスを飛び越え、落ちていった。人が地面で飛び散る嫌な音など聞こえない。下を覗き込んだら涼しい顔した彼女が俺に手を振っている。また化かされた。
追いかけたところで間に合うわけがなく。その場に座り込んで天を仰ぎ見た。街が明るすぎて途切れ途切れにしか光らない星の向こうに、もっと大きな宇宙を見た。