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剣の王

作者: 楠木

 こふりと喉からこみあげてくる塊を吐き出す力も残っていなかった。左腕はくたりと力を失い、自慢の右手は高らかにどこかへ飛んでいき、あるべき場所にない。

 目の前は霞み、薄暗い森がまるで夜のようにも思えてくる。


 男は泣いていた。

 仲間の名前を呼んだ。最初は声に出し、声を出すことができずとも心の中で。なぜ、とは投げかけなかった。彼の顔色が悪いことには気付いていた。今日だって話があると呼び出されたのは、ようやく彼に踏み込もうと男も決心したからだ。

 戦乱の世と謳われる今において、少々力をつけた程度の都市はほかの都市に併合される。男が務める自衛団はその腕っぷしの強さから一目置かれている存在ではあった。

 油断はない。男がその都市を守りたいのは、そこに大切なものがあるからだ。

 その心は誰もが同じ。


 ゆえに、苦しみに気づけてやれず、男の心は泣いていた。

 男に刃を向けたのは仲間だ。気心しれた、少し気の弱い彼。けれど愛妻家で愛娘がいて、二人の話をするときは幸せそうで、それを見ることが男も好きだった。

 手練れである男に不意打ちだからこそ一撃を浴びせることができたのだ。彼に信頼を置いていたから、男はなんのためらいもなく背を向けた。疑う余地などなかったから、彼の言うとおりの場所に誰にも言わずにひとりできた。

 泣きながら、それでも彼は剣を振るった。すまない、けれど、こうしなければ……! その言葉で察した。察してしまった。同じ釜の飯を食い、夢を語り、ともに戦場を駆けていった仲間が、男に剣を向け命を奪う理由。それ以上に大切な誰かのためだと思えば、ああ、そうか、人質かとすとんと落ちた。


 何より誰より大切な妻か、娘が人質となれば、彼は決死の覚悟で男に剣を向けるだろう。卑怯と罵られても剣を振り下ろすだろう。それでも無事かわからない妻と娘を思い、手を汚すのだ。

 悩んでいた姿を見ていた。

 何より誰より大切な妻と娘を囚われているだろうに、それでも都市と仲間と安寧と天秤にかけて悩んで悩んで、そして彼は決めたのだ。


 気付いてやればよかった。揺れる瞳に不安を見つけたとき、無理やりにでも聞きだしてやればよかった。他人に話すなと言われていただろう。おそらく監視をしていたものが近くに潜んでいたはずだ。ああ、そうなるとほかの者たちにも危険が及ぶかもしれない。

 次々と浮かんでは言葉が消えていく。


 止めを刺さずに彼は逃げた。失血死するだけの血を流す男に止めはいらないと思ったのか。

 死にたくなかった。こんなところで死んではならなかった。


 男の守る都市を手に入れようという動きがあることは知っていた。だが、戦上手と名高い男が盾となり、真正面からぶつかってくることはなかった。


 まさか、こんな手で。


 周囲の色がどんどん暗くなる。男にあるのは悲しみと悔しさ、彼に対する恨みはある。どうして、どうして相談してくれなかった。ふがいない自分への怒りがある。どうして気付いてやれなかった。


 どうして!


「あんたさ、英雄みたいな考え方するよね」


 意識が途切れる寸前に聞こえた声。今にも途切れかけていた思考が、ふとつなぎとめられる。


「誰もかれも助けたいなんて、本当にできるって信じてるの? あんたを利用してやろうって考えで集まってくる奴らなんてごろごろいる。馬鹿正直に助けてやって、恩にも思わなくて、あっさりと裏切られてさ、傷つくばっかり」


 視界に何かが映る。男か女か、それもわからない。


「死の間際まで気にかけて、死にたくないって思ってるくせに殺したことへの憤りはない。変な奴だね」


 見つめてくる瞳は、銀。

 鮮烈な銀の瞳に、声にならない声をあげる。


 彼のいうことに対して、ただひとつだけ言わねばならない。死へ向かう船へと片足を突っ込んでいてなお、これだけは反論せねばならない。


「殺されてもかまわんと思える奴がいる。俺は、幸せだ」


 ああ、そうだ。

 ここで命が潰えても、きっと自分ではない誰かが意思を継いでくれる。俺に手をかけた彼を、きっと誰かが止めてくれる。そう信じられるだけの奴に背中を託してきた。

 英雄でもなんでもない。俺にいたのは仲間だ。同じ目的を持って走り続けた仲間。信じたものに同じだけのものが戻ってこないからといって、それを嘆くことはない。


 それでいいと俺が思っているからだ。


「…………そっか。じゃあ俺に教えてくれない?」


 あんたの、名前は?


 あと一息で、安寧の闇が訪れる。

 男はわかりきった最後に、それでも笑みを浮かべた。


「アレク」


 どくん、と最後に鼓動がひとつ。

 そしてアレクの意識はそこで途絶えた。







***** *****







「って最初の出会いがマジで懐かしいわー。いかにもこれからの青年だったのにアレクも爺さんになったよね」

「やかましい。人のこと言えん。お前だって爺だろう」

「俺のどこを見て爺なのよ。ほら、肌だってぴっちぴち」

「究極の若作りめ!」

「それって褒め言葉? ねえ、褒め言葉?」


 二人のやりとりをある者はまた始まったと頭をかかえ、ある者はいつものことだとくすくす笑い、あるものは目を丸くした。二人のそんな姿を見ることができたのは、長い付き合いのあるものがほとんどだ。小さな都市から始まり、周囲の都市を併合し、初代国王を名乗ったそのあとに繋がりを持ったものたちはほとんど知らない。

 気の置けない二人の関係を。王となったアレクが常にそばに置いた側近中の側近が、仲良くじゃれ合う姿を、見たことがあるのは昔からの仲間たちだ。


「アレク様、守護様、いい加減になさい。あなた方の素に慣れてない方もいるのですよ」

「そりゃ今まで猫をかぶっていたのは仕方ないじゃん。新興国家だからって舐められちゃたまらないじゃん」

「普段の神聖さからの落差を考えてください」


 盛大なこれ見よがしなため息を吐かれたところで知るか、と言い返した。完全に固まっている孫を見てアレクは笑った。そう、アレクには孫ができた。息子ができ、孫が出来ようかという年齢まで生きた。


 あのとき森の中で死にかけていたアレクを助けた存在がなければ、この未来はなかったのだ。

 アレクが倒れたのは国が軌道に乗り、アレクの息子に王位を譲り、さあいよいよ隠居生活を楽しもうかと思っていた直後だった。

 度重なる無理に、身体はついに悲鳴をあげた。

 それだけのことだった。


 王の寝室に招かれたのは、アレクの息子、孫、ともに戦ってきた当初の仲間たち、そしてリンクスだ。

 息子も、息子に止められた孫も、仲間たちも、最期はリンクスに譲ってくれた。


「なあ、リンクス」

「なんだい、アレク」


 手を伸ばす。

 出会ったときと変わらない姿に、もう一度笑う。


「ありがとう。感謝してもしきれない」

「何言ってんの。勝手に契約して、勝手に寿命伸ばしたのは俺だよ? アレクはむしろ恨みつらみをぶつけてもいいくらいさ」


 アレクが感謝の言葉を告げるたびに、リンクスはそう返す。アレクがどれほど恩を感じて、どうにか報いたいと思ってもリンクスは何も望まなかった。いいんだ、必要ない、俺が勝手をしただけなんだ。繰り返される言葉にアレクは何度も何度も言いつのった。


 何を言うか。お前がいなければ俺は生きていなかった。俺が生きて、都市に戻って守れたのはお前のおかげだ。幾多の戦いを生き延びられたのはお前のおかげだ。暗殺を何度防いでくれた。都市が大きくなり、難民を抱え始めたときに行き先を示してくれなければ共倒れになっていた。他市との交渉をうまくまとめてくれた。あのとき、背後に憂いを残していては挟み撃ちにあっていたかもしれない。なあ、命を直接救ってもらった回数も、間接的に助けてもらった回数も、星よりも多いんじゃないかと思う。

 馬鹿言え。星がいくつあるか数えたことあるのか、と言われるまでがお約束の流れだった。


「リンクスって名前も悪くなかったなあ。リンクってつながるって意味があるんだよね。人をつなげて、つながって、王になったからなあ。アレクを現してるって名前。たまにはいいことするよね」

「うむ。適当に付けたんが、結果往来というやつだな」

「本人を前にして言うなよな」


 アレクがリンクスに求められたことがあるのは、ただひとつ。

 呼び名を決めてくれ、ということだけだった。アレクの、アレクが決める、アレクだけの名前。アレクの命をつなぎとめる、相棒の名前として。


「リンクス」

「何?」


 ああ、とアレクは目を細めた。

 紺色の髪。白磁の肌。煌めく銀の瞳。


 吟遊詩人は王の傍らに立ち続けた軍師を讃える歌を歌い、その美貌を誉めそやした。いつまでも変わらぬ姿に畏怖を語った。

 故に、王国の守護者と呼ばれるリンクスだが、それでもアレクだけの相棒だ。


「お前はこのあとどうするのだ?」

「アレクがいないんだったら俺がここにいる意味はない。それは前から言ってるとおり」

「ああ、残って欲しいなんてそんなことを言うつもりはないぞ。十分すぎるほどお前には付きあわせてしまったからな」

「別に。お前の人生ひとつで、どうってことないし。俺、人間じゃないからさ」


 リンクスは、剣だ。

 今は目の前に絶世の美青年としているが、その実態は一振りの剣だ。持ち主を癒す力を持ち、意思を持ち、一薙ぎで百人の命を奪える力を宿した剣だ。

 剣が意思を持ったのか、それとも意思ある存在が剣として在ったのかはアレクは知らない。そのあたりのことをリンクスは語りたがらない。

 だからそういうものだとそのままを受け入れた。アレクを救い、そして望む未来へと連れてきてくれた相棒に、ただただ感謝を告げる。


「もともと自由に生きてきたんだ。これからも自由に生きろ」

「ひでえな、まるで俺に教養がないみたいじゃないの」

「ただ、宿り木は必要だろう?」


 アレクの言葉に、リンクスは不思議そうに首をかしげた。


 姿が変わらないことに化け物と恐れられたことがある。剣に転変する姿を見て魔物かと騒ぎになったことがある。一薙ぎで百人以上の命を奪い呪われた剣だと罵られたことがある。

 そのどれもをリンクスは受け止め、揺るがず、アレクのそばにいてくれた。


 死の際まで。


 何を返せるのだろうか。人間ではないリンクスが欲しいものなどないのだ。富も栄誉もいらぬ。女もいらぬ。欲もなく、ただただアレクの望みのためにいてくれた。

 何を返せるのだろうかとアレクは考え続け、そして答えを出した。


「暇になって、さびしくなってどうしようもなくなったら、帰ってこい。この国ならお前の覚えているものが残る」

「……何言ってんの」

「残すんだよ。見た目は変わっていく。どれくらい未来になるかもわからんし、正直どれだけ残るかもわからんが」


 血は続いていくのだ。人の営みが続く限り。


「少なくとも、俺の息子はお前をいつでも歓迎してる、だとさ」

「……なんとまあ、アレクの息子とは思えない」

「やかましい」


 少しだけリンクスは目を細めた。

 アレクにとってリンクスとはかけがえのない相棒だ。だから、この先、アレクがいなくなったとしてもその心が少しでも晴れるようにしたい。


 リンクスは残されていくものだ。時間に置いて行かれて、一人残ってしまうモノだ。


「なあ、リンクス」

「なんだい、アレク」


 このやりとりも、もうあと少し。

 あの森の中でリンクスに与えられた時間が、今、終わる。


「俺は英雄じゃないぞ」

「そうだね」

「俺は仲間に恵まれていただけだ」

「うん」

「お前もその一人だからな」

「照れるじゃん」

「照れておけ」


 じゃあな、と笑う。

 リンクスは泣かない。目元をくしゃりと歪ませても、泣くことはできない。

 でも、その気持ちはわかる。半生を越えるだけ、彼と共に生きてきたのだから。


 俺は幸せだ。







 そうして、建国王と呼ばれたアレクの人生は終わりを告げた。いくつもの戦場を駆け抜けた王は、ただひとつの剣を持っていた。

 その剣と出会い、導かれ、そして王国を築くことになったのだ、と後世の歴史家は語る。王の死と共に剣は姿を消し、長く続いた王国が滅びるときまで失われていたという。

 そう、次に王のそばに剣の逸話が見られるのは、次なる王の物語。

 その剣は、戦乱の時代にこそ見いだされ、次なる王を導くと言い伝えられている。


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