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第一話

 とある国のとある貧しい家にそれは美しい娘が生まれた。


 真珠のように白い肌。サファイアのようにきらめく青い髪。ルビーをはめ込んだような赤い瞳。

 赤ん坊ながら整った顔立ちは将来の美貌を予感させた。

 両親はたいそう喜んだ。誰も見たことのない美しい色合いを持ったこの娘は貧しい自分たちへの神様からの贈り物に違いないと。


 スフェラと名付けられた彼女は大事に大事に育てられた。

 僅かな食料を彼女が飢えることのないよう与え、肌が荒れぬよう家事を一切させなかった。

 上等な服を買う余裕はなかったがそれでも精一杯こ綺麗にさせた。


「スフェラ、美しくなりなさい。あなたを一目見れば誰もが夢中になる。きっとこの家に求婚者の行列が出来るわ。もしかしたら貴族様、いいえ王族の方だってあなたを見初めるかもしれない!私の美しいスフェラ。私の宝石」


 スフェラを抱きしめて、寝物語として、母親は繰り返し何度も何度も言い聞かせた。そうすればみんなが幸せになれるのだと。




 想像通り、否。両親の想像以上に美しく成長したスフェラの噂は瞬く間に国中に広まった。

 スフェラを見たものは息を呑み瞬きすら忘れて彼女に魅入った。

 まさしく神が宝石を用いて創り上げた人形のような美しさは完璧としか言いようがなかった。


 母親の言葉通りスフェラの前には美しい花嫁を求める男達の列が出来た。我こそはと競い合い貢ぎ物の山が築かれていく。


 野辺の花から始まり、異国の音色を奏でるオルゴール。王都で流行っている香水。至る所に刺繍の施された豪奢なドレス、彼女の色をあしらった装飾品の数々。


 男達は必死になってスフェラの気を引こうとしたが彼女が求婚を受け入れることはなかった。

 贈られた品々で着飾ったスフェラを誰も貧しい平民の娘だと思わなくなった頃、彼女はこう呼ばれるようになった。


 ーー宝石姫、と。




 ある日、求婚者の列に最後の名が連ねられた。


 最近ではよく聞くノックの音が小さな家に来客を告げた。両親がもったいぶって玄関を開け幾ばくかの会話の後、居間で寛いでいたスフェラの元へ大慌てで戻ってきた。


「スフェラ!この国の王子様から手紙が来たわ。あなたを妻に迎えたいですって!」


「まあ。わたしは王子様に嫁ぐの?」


 最近では程よく肉付いてきた頬を上気させ興奮気味にまくし立てる母親にスフェラは首を傾げた。


「ええ、そうよ。ランベール王国の王子様。いずれ国王となられる第一王子のヨシュア様ですって!神様があなたを遣わした時からこの日を信じていたわ。底辺にいた私たちの頭上にも栄光の冠が輝くと!」


「そうだな。王子様と結婚することこそスフェラに与えられた運命に違いない」


 父親も満足げにうんうんと頷き受け取ったらしい王家の封蝋が押された上質な羊皮紙の手紙を目を細めていつまでも眺めている。


「さあ、スフェラ。準備しなさい。使者の方がお待ちよ」


 その言葉に窓の外を見れば確かに身なりの良い男の人と腰に剣を提げた護衛らしき男達が家の前に並びその向こうには二頭立ての馬車が待機していた。


「レヒド夫妻。先ずは宝石姫の顔を見せろ。話はそれからだ」


 スフェラは聞き慣れない威圧的な声に身を竦めるも母親があっという間に玄関へと引っ張っていく。


「さあ、しかとご覧くださいませ!これほど美しい娘は他にはどこを探したっていないでしょう?」


 母親は使者達の前にスフェラを突き出し、いかに美しいかを語り始める。しかし彼らの耳にはこれっぽっちも聞こえていなかった。


 説明されずとも全身が震えるような麗人が目の前にいるのだ。

 人の身であるのがいっそ不思議なほど繊細な美貌と色合いは最上無二であり、これ以上王子に相応しいものはないと思えた。


「宝石姫か…。確かにこんな美しい娘は見たことも聞いたこともない。我々が責任を持って王子の元へ送り届けよう」


 使者のその言葉にしかし両親は顔を見合わせ何事かを頷きあった。


「あのー、使者様。いくら王子様と言いましてもスフェラは私たちの可愛い娘でして。この子がいれば貧しい生活も我慢出来ましたがね……」


 意味ありげに言葉をぼかす父親に使者は冷ややかな目を向けると後ろいた男に合図して木箱を持ってこさせた。


「ふん。本来は花嫁が持参金を出すものだがな。宝を手離した両手が寂しかろうと心ばかりの慰めとしてお前達に与えよと王子から預かったものだ。受け取るがいい」


「ああ!ありがとうございます!ありがとうございますっ!!」


 ずしりと腕にかかった重みに父親の腰が沈む。母親は使者を拝むように何度も何度も頭を下げた。


「もういいだろう。さあ、スフェラ様でしたか。参りましょう。王子がお待ちです」


 使者はスフェラの手を取り馬車へ連れていこうとしたが彼女はその場から動かなかった。


「えっ?今から?でも準備が……」


「必要な物はすべてこちらで準備いたします。あなたの御身だけあればいいのです」


「でも、まだ……」


 突然の事に戸惑うスフェラにしかし両親は満ち足りた表情で彼女を諭した。


「そうよ、スフェラ。あなたはこれから王子様の元で贅沢な生活を送るのだから、なんの心配もいらないわ」


「そうだぞ。ぐずぐずしていては王子様が待ちくたびれてしまう。寂しくなったらたまに帰ってこればいいじゃないか」


「私たちは幸せよ。あなたが王子様に嫁いでくれて」


 そう言って涙を流す母親にスフェラは何も言えなくなった。

 使者に促され馬車に乗り込んだスフェラを見送ることもせず両親はそそくさと家に入っていった。その様子を小さな窓から見ていたスフェラは口元に笑みを作って呟いた。


「幸せなら、良かった……」


 頬を伝う雫に誰も、スフェラ自身でさえ気づかなかった。







 出発して幾日か経ったある日。


 彼女達は森の中を進んでいた。王子の花嫁を迎えに来たのは使者と御者を合わせてたったの七人だった。ささやかな集団は誰の目にも留まることなく粛々と王子の元へと向かう。


 間隔の広い木々の間を縫うように進んでいた馬車はなんの前触れもなく停止した。


「様子を見てきます。スフェラ様はここから動かないように」


 同乗していた使者が様子を確認する為に外へ出る。


 スフェラはほっとした。

 使者は何を話すでもなくずっと彼女を食い入るように見つめていたのだ。馬車の外に出ればそこに護衛達の視線も重なる。狭い空間でそんな日々が続いていたスフェラに心休まる時間はほとんどなかった。


 やっと一人になれた事に安堵のため息をついたのも束の間、いくつもの怒号と金属がぶつかり合う音が馬車越しに響いた。


 外の様子は分からずとも尋常でない事態に恐ろしくなったスフェラは、しかしどうする事も出来ず自分の身体を抱いて時間が過ぎるのをただ待つしかなかった。


 しばらくすると音の一切が止み先程とは打って変わり痛いぐらいの静寂が支配した。

 待てども待てども使者が戻ってくることはなかった。外で何が起きたのか気にはなるが恐ろしくて確認しようとは思えない。


 そうしてまたどれほどの時間が流れただろうか。固く閉ざされていた扉が唐突に開け放たれた。

 薄暗かった馬車の中に差し込む夕日にスフェラは目を細めた。目に飛びこむのは光に反射して赤金に輝く髪。


 ひとり取り残され孤独という暗闇に押し潰されそうになっていたスフェラにはその温かなきらめきが凝った心を溶かしてくれるような気がした。


「……きれい」


 思わず呟いた言葉に影になった人物がびくりと肩を震わせる。我に返ったスフェラも見知らぬその人から逃げるように反対側の壁まで下がった。


「……だ、誰!?」


「……なるほど。君が宝と言うわけか。いいだろう。僕が拾ってあげる」


「どういうこと?」


 スフェラは訝しげに眉を顰める。使者や護衛達はどこへ行ったのだろうか?いきなり現れたこの青年は?

 光の角度が変わって照らされた顔はどこか気怠げながらも端正でスフェラより幾ばくか年上に見える。価値を見定めるようなその視線に不思議と嫌悪感は湧かなかった。しかし言葉の真意を掴めず戸惑いを隠せない。


「君に迎えは来ない。置いていかれたんだ」


 青年はまっすぐにスフェラを見つめ淡々と言った。


「嘘よ!私は王子様に嫁ぐんだもの!」


 咄嗟に言い返したスフェラに青年は得心がいったというように口の端を歪めて嗤った。


「あんな少人数で未来の王妃を送り届けるなど余程腕に自信があったのだろうな。……あんたの護衛は死んだ。賊と相討ちだ。あんたは運が良かったな。生き残った賊共に捕まっていれば碌な未来じゃなかっただろう。王子に嫁ぐというのも碌でもなさそうだが」


「嘘よ……っ!!」


 彼は何を言ってるのか。信じたくない。けれどひとりぼっちでいるこの状況が真実を物語っていた。


「まあ、信じようが信じまいが僕には関係ない。言っておくけど外には出ない方がいい。君のようなお嬢さんは当分、悪夢に魘される羽目になるだろう」


 そう言うと青年は扉を閉めようとした。スフェラは咄嗟に手をのばして青年の腕を掴んだ。


「やめて!閉めないで!!」


 薄暗く狭い空間にひとり。荒々しく地面を蹴る音と鈍い金属音、時折届く自分の名を呼ぶ悲痛な叫び。再び同じ空間に閉じ込められそうになって聴覚にのみもたらされた恐怖が一度は解けた心を更にきつく締め上げようとする。


 目の前の青年が何者かはわからない。けれど馬車の中にひとりでいるよりも彼が一緒にいてくれた方がましだった。


「……わかった。でも少しだけ我慢して。ここで降りても今以上に恐ろしい思いをするだけだ」


 青年は必死ですがりつくか細い腕をいたわるようにぽんぽんと叩き、かすかに頷いた少女を確認してそっと手を離すと今度こそ扉を閉めた。









 ーー面倒な拾い物をしたものだ。

 ゆっくりと馬車を走らせながら青年は思う。



 森を縦断するようなこの通りはランベールの王都へと続く抜け道となっているがすぐ脇に大きな街道が整備されているためこんなところを通るのは後ろ暗いところがある商人か、それを狙う盗賊くらいだ。


 青年はこの日も盗賊が奪い尽くした後のおこぼれを頂戴しようと森を巡回していた。

 そうして見つけたのは森の開けた場所にぽつんと佇む一台の馬車とその周囲を囲むように点在するいくつもの屍だった。


 いつもと違う様子に青年は眉根を寄せる。盗賊なら馬車ごと持ち去り死体もそのままの状態で残しておくはずがない。身ぐるみ剥がすか、殺さず生きたまま売りに出すだろう。盗賊の仕業でないとすれば内輪揉めか、私怨による強行での相討ちか。


 そんなことを考えていると倒れていた内の一人がむくりと起き上がった。


「……がはっ。ス、フェラ。わ…、私の、宝石。げほっ。ごっ……王子……なん、ぞに…」


 血を吐きながら馬車の元へはっていこうとした男はしかし途中で力尽きそのまま息を引きとった。


 ーーさて、どうしようか。


 過ぎた宝は換金しようとしただけで身を滅ぼしかねない危険が付き纏う。そんなものに興味はない。けれど男の最後の言葉が気になった。


 あまりいい予感はしないがほんの少しの好奇心が青年を馬車へと向かわせる。扉を開けて青年の目に飛び込んだのは華奢な肩を震わせて縮こまる美しい少女だった。


 怯えた瞳を夕日に眇めて少女は呟いた。


『……きれい』


 何を見てその言葉を口にしたのだろう。少女の視界に映っていたのは……。そこまで考えて青年は首を振った。


 そんなことよりも少女をどうするかだ。一度拾ったからには再び捨てるというのは自身のなけなしの矜恃に反する。少女の言葉を信じて王子の元に送り届けるか、家に帰すか。さほど思い悩むこともなく青年の中で答えは決まった。




「出ておいで」


 再び扉が開いた時には暗闇が世界を包み、穏やかな月明かりが周囲を照らしていた。


 スフェラは狭い空間からやっと解放されることに安堵し馬車を降りようとした。しかし視界がふらりと傾く。ずっと座っていた体は凝り固り足が縺れて落ちそうになった。スフェラは衝撃を覚悟したが地面に激突することはなく温かな何かに支えられた。


「大丈夫か?」


 吐息がかかるほど近い場所で声が響き心臓がどきりと跳ねる。倒れそうになったスフェラを青年が抱きとめてくれたようだ。


「……だ、大丈夫!!」


 なんとか足に力を入れて自分の力で立つと抱擁はあっけなくとかれた。感じた熱が心地よかったからだろうか。何となく名残惜しい気ががしてスフェラは首を傾げた。


「ありがとう……」


「別に」


 スフェラの感謝の言葉に素っ気なく応えると青年は木に背中を預けてどかりと座った。


「えっと、私はスフェラというの。あなたは?」


 このまま置いていかれなかったことに安心し青年から体二つ分開けて恐る恐る隣に腰をおろした。


 一応助けてくれたということになるのだろうか。あのまま一人取り残されてしまえばスフェラにはどうすることも出来なかった。家からもほとんど出たことのないスフェラにとって外の世界は未知にあふれ、森の真ん中で途方にくれ野垂れ死ぬしかなかったのだ。


 あの場から連れ出してくれた恩人に気が動転していたとはいえ名前を聞くどころか名乗ってもいないことを思い出した。


「ない」


 しかし返っててきた答えは予想外のものだった。


「え……?」


「僕に名前はない」


「名前がない?どうして?」


 スフェラのなんの含みもない純粋な疑問に青年は感情のこもらない声音で答えた。


「僕は森に捨てられたんだ。だから名前も与えられなかった」


「でも…。名前がないとあなたを呼べないわ?」


 素っ頓狂な。けれど的を射た感想をもらすスフェラに青年は微妙な顔をした。


「人にはこう呼ばれてる。ーーカラス、と」


「カラス?」


「そう。気づかなかったのか?僕の髪と瞳の色」


 そう言われて改めて視線を向けると赤金に輝いていたと思った髪は確かに暗闇の中でも一層暗い色をしていた。瞳も同じなのだろう。烏と同じ色を宿していた。


「君は常識に疎いのか?黒は不吉な色として忌避される。もちろんこんな色を持って生まれた僕も蔑みの対象だ。碌な仕事にはつけないから森で拾い物をして生きてる。だからカラスと」


 けれど青年カラスの言葉に含まれた自嘲にスフェラは気づいた様子もなく明るく言った。


「じゃあ、あなたのことはカラスと呼べばいいのね?」


「…………好きに呼べばいい」


 青年は立ち上がると馬車に入り中に入りしばらくして毛布を引っ張り出して戻ってきた。一枚をスフェラにばさりと投げ渡すと手に持っていたもう一枚に身をくるんで横になった。


「今日はもう寝ろ。…明日、僕が送ってってやるから」


 スフェラは渡された毛布を見つめてしばらくするとカラスと同じように体に巻きつけてごろんと横になった。これまでの道中は一人馬車の中で眠っていたが再び中に入ろうとは思わない。


 地面は固かったけれど、さわさわと葉の擦れる音を子守唄にして不思議と穏やかな気持ちで眠りについた。

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