第十話:女の子に負けて。
歩が、恭子たちのグループの中にはいった。女の子たちは、歩を歓迎した。
「桜坂くんが、わたしたちのグループにはいったおかげで、わたしが背の順番が二番目になるのねぇ」
「ちょっと、沙織さん。桜坂くんは、女の子だから桜坂さん、と呼ばなきゃダメじゃない」と志保が注意した。
「いっけなーい。そうでした」沙織はあやまった。でもそれは、反省の色がないあやまりかただった。
「紹介するね桜坂さん。四組の倉本沙織さん」
「ヨロシクね。ところで、桜坂さん。ちょっとわたしの横にならんで」沙織にいわれた歩は、沙織の横にならんだ。「ねえ見た。わたしのほうが、桜坂さんより背がたかいでしょ」
「ビミョーだね」恭子がいった。たしかに、歩と沙織の背は、ほんのわずかの差だが、沙織のほうが背がたかかった。でも、たいした差がないのであった。
「ヒドーイ。滝沢さんのイジワル」
「だって、二人の背はいっしょだもの。そうでしょ、みんな」恭子がいった。みんなも集まって、歩と沙織の背を見たが、ほとんど、背がいっしょだという意見だった。
「どれどれ、先生にも見せてごらん」歩と沙織が背くらべをしているのを見て、彩花も、中にはいっていった。二人を見比べると、彩花はいった。「ほんのわずかだが、倉本さんのほうが背がたかいわね」
「先生のいうように、わたしのほうが背が、桜坂さんより背がたかいでしょ」沙織は自慢げにいった。
「でも、桜坂さんに、抜かされるんじゃないの」沙織と同じ四組のクラスメイトにいわれた。
「そんなコトないもーん」
「ハイハイ、静かに、静かに」彩花がいった。それまで騒いでいた全員が、彩花の一声で静かになった。
「今日の授業は、五十メートル走だけど、ケガのないようにね。最初は、三組から」
歩は、走るのがニガテだった。
だから、ゴールをするのがいつも最後だった。
でも、歩は、今日から女の子になったとはいえ、男子と女子では体力の差があるから、最後にならないと歩は思っていた。
「はい、じゃあ、つぎの人は、前に出て」
彩花がいったので、歩の順番がやってきた。
「桜坂さーん、ガンバってねー」後ろから、歩を応援する沙織の声が聞こえた。
「位置について、ヨーイ、スタート」
彩花の声と同時に、歩らは走った。
最初は、歩がリードしていた。でも、三十メートルを越えたところで、二人に抜かされ、四十メートルでは三人抜かされた。ゴールの前で一人抜かされ、結局、歩が最後にゴールしたのだった。
「あらあら、桜坂さん、どうしたの。手加減しなくてもいいのよ」
「……先生、……ちがいます。……本気で、……走りました……」息を切らしながら、歩はいった。
歩といっしょに走った女の子たちは、息を切らしていなかった。それを見て、彩花は歩にいった。
「桜坂さんは、女の子に負けて恥ずかしくないの。……あっ、そうか、桜坂さんは、いまは女の子だから、恥ずかしくないのね」
「ち、ちがいます。……恥ずかしく、泣きそうです」
「そうよね。女の子になったとはいえ、桜坂さんは男の子だから、女の子に負けて恥ずかしいわね」彩花にいわれて、歩はうつむいて黙ってしまった。
「だから、みんなのところに戻ったら、大声で泣きなさい。わかったわね」
「先生、そんなこと、できません」
「桜坂さん。あなた、いまなにいったの」
「だから、そんな情けないこと、できません」
「桜坂さん。これは命令なのよ。あなたは男の子のプライドがあるけれど、いまは女の子なのよ」
「……そんなこといったって、……オレ」
「また、男の子みたいな言葉をしゃべったわね。このことも含めて、章子先生に報告をするわね」
「いわないでください。もうしませんから」
「だったら、みんなの前で泣くのよ。わかったわね」
「……わかりました」そういって、歩はみんなのところに戻った。
彩花は、ちょっとやりすぎたかなぁ、と思った。
実は、歩といっしょに走った女の子たちは、五十メートルのタイムが、歩よりはやい走りをした女の子たちだった。
だから、歩が走っても、最後になるのが当然だった。このアイデアは、章子の考えだった。
女の子に負けたということで、歩の男の子としてのプライドが、ズタズタに引き裂かれるという、それが章子のねらいで、そのねらいは成功だった。
歩が、大声で泣いているので、みんなからなぐさめられているのだった。
歩の泣く姿は、自分たちより同い年とは見えなくて、なんだか、年下のように見えた。
このことがきっかけで、クラスの女子から、ますます女の子にされていくのが、歩にはわからなかった。