バイイング・スレイヴス
足音を五月蠅く立てながら戻ってきた見張りの男と一緒にいたのはフォーマルスーツ姿の男だった。いわゆるタキシード、それに似た服装をしている肥満体の男だった。正装をしているのはいいが、頭の上に乗せているシルクハットのサイズが頭と比べて明らかに小さい、それがどこかコミカルな姿を見せていた。その様子は此方が見ても解るように焦っていた。相当無理をして走って来たのか顔にはびっしょりと汗が溜まっており、それをたらしながら荒い息を吐き出していた。横にいる少女がクスリ、とその姿を見て声を零す。彼女も笑ってはいけないと理解しているからそれ以上声を出さなかったのだろう―――割と頑張っている方だと思う。
何せ自分はその姿を見て、割と笑わない様に苦労していたから。
……こういう時は……。
鋼の精神で抑え込めるメイド長の事が羨ましく思える。チラリと横のメイド長の姿を盗み見るとまるで興味の欠片も持たないような視線を肥満体の男へと送っている。やはりここら辺は従者として極まっている、等と思いつつ頭の中でスイッチを入れ替える。ようやくここまでやってきたのだからここへと来た目的が果たせると、その為の行動を開始する。
「あぁ、お待たせしました伯爵様、本日はこんな所へお越しくださってありがとうございます。私はこの奴隷市場の支配人をさせていただいております」
そう言ってぺこりと軽く頭を下げる男は此方が伯爵である事を知っていた。何故、かと一瞬だけ考えるが、そう難しい話でもない。念話等の遠距離通話方法で支配人に対して此方から得た情報を共有しただけだろう。所詮支配人は金持ちであって貴族ではない―――自分程度の貴族であっても、本気を出せば家族一つ消し去るの等容易過ぎる。故に貴族は、怒らせたくないし敵に回したくもない相手となる。
ともあれ、
「前置きはめんどくさいからさっさと本題に入ろうか支配人。クソ面倒な正罰神の信徒共を抜けてここまで来たんだ、ちゃんとしたもんを見せてくれよ?」
「えぇ、そのご心配はなく伯爵様、ここはリベラ唯一の奴隷市場であり、そして何よりもこの国一の奴隷市場で御座います。それに伯爵様は中々運が良い!」
そう言いながら支配人は手を揉みながら近づいてくる。明らかに媚を売っているが、距離感を計っているのか即座に近づくような事はしない。その視線から此方の事を観察しているようだ。まあ、国内最大の奴隷市場を仕切っている人間が無能だという事はまずありえないだろうという事だ。そんな事を思っていると、少女が近づいてくる。素早い動きで耳に口を寄せてくるその動作を避ける事もなく受け入れる。
「正解だ。貴様の身分を軽くだが疑っているが、それでも商機であると判断して距離感を計ってるな」
「ヒントは求めてないんだ。引っ込んでていてくれ」
「あい、解った。手堅いなあ、貴様は」
なるべく関わりたくないだけです。
人生波風立てずに生きている方が幸せであるのは決まっている。それが不可能であると解っていても、平和にできる部分は平和的にやりたい……と思うのは決して間違ってはいないはずだ。普通なあらば、という言葉が付くのだが。日々が退屈な人間からすればその言葉は全く共感の出来ない戯言となるのだろう―――つまりはそういう話だ。
息を軽く吸い込んで、言葉を少しだけ強める。態度等を少しだけ乱暴な、強めなものへと変える。貴族と言えど、見た目が、発言が軟弱であればナメられる。それだけは駄目だ。何よりこの少女には通じないが、被らなくてはならない仮面は十分にある。
「へぇ、運がいいか。どういう風に運がいいんだ俺は?」
「へへ、何て言ったって今は奴隷で市場が潤っていますからね! 本来は昨夜売れる筈だった奴隷が売れずに残っちまいましたからね。おかげで今はいっぱいいますよ。絶対伯爵様のお望みの奴隷をご用意できますさ」
前へと踏み出すのと同時に支配人が門を開けさせ、そして彼を追う様に奴隷市場の中へと入って行く。広いその空間は予想よりも綺麗だった。少なくとも広場の大地に塵や糞が落ちているようなことはなく、悪臭だけが漂っている空間だった。その臭いはここへと到着してから更に鋭くなっているが、幸い香水のおかげでまだ乗り切れる。逆に言えば香水が無ければ臭いが酷すぎる環境でもある。良くこんな所で何年も商売していられるものだと改めて思う。
「へぇ、いいさ。そんなたくさんいるんだったらちゃんと俺の求めるもんもあるんだろうな?」
少しだけ脅す様に語感を強めて支配人へと言葉を放つと、支配人は落ち着いてきたのか、焦ることなく商売用の笑顔を浮かべ、此方へと対応してくる。
「ええ、もうそりゃあ。何て言ったって国内最高という言葉は偽りがないですから。品揃えに関しては国内のどの市場よりも品質の高いものを提供しているつもりです。間違いなく伯爵様の御眼鏡に適うものを用意できると自負しております」
奴隷市場に入ってそこに奴隷が―――いるわけではない。一日中広場に出していればさしもの奴隷も逃げるチャンスがあるだろうし、何よりも商品に風邪ひかせてしまうかもしれない。そうとなれば商品価値が下がってしまう。その為奴隷は外に出しっぱなしなのではなく、奴隷を収容する施設が広場に存在する。おそらくそうであろう建物へと一瞬だけ目を向け、そしてそのまま支配人と歩みを合わせて奥の建物へ、おそらく上客を迎える為の建物へと連れて行く。
ここでの支配人の狙いは非常に解りやすいため、今回は楽な話になりそうだと少しだけ思う。
支配人の軽いセールストークを聞きつつ、奥の建物に入る。そこは少し広いサロンのような内装をしており、臭いは外とは違ってそこまでしていなかった。サロンみたい、とは言ったがサロンと似たような役割をこの建物はしているのだろう。そのまま支配人に導かれるようにサロンの奥の部屋に入ると、交渉用の部屋か、落ち着いた雰囲気の部屋に到着する。
部屋の中には既に使用人が数人存在した。此方が部屋に入ってくるのを確認するのと同時に、流れる様な動作で椅子を引き、此方に座るように誘導してくる。逆らう理由もなく、自分と支配人、そして少女が座る。もはやこの娘に関して言えることはないので必要な時以外は完全に無視するとここからは決め、後ろにメイド長を控えさせる。
数秒後にはテーブルの上には茶と菓子が揃っていた。そのてきぱきした手際を見れば彼らがこれを何度も何度も繰り返してきた事が良く解る。一種の機械的精確さを感じる動きだった。ただ、それはおそらく元奴隷である使用人として求められる最低ラインの実力なのかもしれないと、使用人の首についている隷属の首輪を見て確認する。奴隷の地位等存在しないも等しい。故に彼らは買われた場合、主の機嫌を満たす事のみでその存在の価値が証明される。それ以下はただの塵、必要のない道具でしかない。それはしっかり理解している。故に足を組んで、そして出された茶を持ち上げ、口へと運ぶことなく、そのままのポーズで支配人を見る。
使用人たちが後ろへ下がるのと同時に支配人が口を開く。
「それで伯爵様、本日はどのような奴隷をお求めでしょうか?」
「ウチの屋敷で働いていた連中があまりに愚図でな、全員纏めてクビにしたやったんだよ。その後でババア一人残したらどうにもならないって事を思い出してな。ま、後の祭りってやつだよ。嫌々仕事したり、金を払う必要のある使用人を雇うよりは、有能な奴隷を購入した方が早いだろ?」
「えぇ、まさにおっしゃる通りで! 伯爵様の御考えは間違っておりません。隷属の首輪は行動を縛るだけではなく、強力な術者の手にかかれば思考にまで制限をかける事が出来ます。それを利用すればどんな奴隷だってこのように―――」
そう言って支配人は部屋の奥で人形のように立つ使用人を指さす。その首に付けられている首輪が奴隷である証だが、機械的な動きの正体が思考へのロックである事に気づかされる。なるほど、確かに有効な手段ではある。だが自分はそこまで突き抜ける事はできないな、と内心自嘲しておく。手段の一つ、としては使える程度の認識は忘れない。
ともあれ、
「えぇ、もちろん伯爵様に相応しい、使用人向けの奴隷は多数揃えております」
「そうか、なるほど」
では、と言って、一旦支配人の言葉に割り込む。
「奴隷の相場と言うのは幾らだ? あぁ、もちろん全体の相場だ。ランク分けされている分を含めてな」
「相場ですか。基本的に一番低級な、肉体労働用の奴隷がメルト銀貨二十枚ほどとなりますね」
支配人から出てきた奴隷に対する値段を自分が来る前に―――正確にはメイド長が調べた値段と照らし合わせ、そしてそれが合致する事に納得する。ここからさらに値切りなどで値段が下がる場合があるが、それを考慮したとしても銀貨二十枚という値段は妥当な値段だ。金額で言えばそこそこいい馬を購入するのとあまり変わりのない値段だ。だが逆に考えればその程度の値段。商人であれば購入しやすいラインの値段だ。
「比較的普通と言える品質の奴隷が大体銀貨六十枚、魔導適性が高かったり教育されていたりする品質の良い上級の奴隷が大体金貨一枚から二枚、と言ったところでしょうか」
聞いた値段はやはり此方が事前に調べておいた値段と変わりない。それはつまり相手が此方に対して詐欺や、値段の偽りをするつもりはない、と判断しておく。いやそれが全てではないだろうが、これで相互で値段の確認はできた。さて、どうするか―――と、悩む必要もない。多いわけではないが、少ないわけでもない。お金がそれなりにあって、継続的な収入は確保してあるのだ。だったら、躊躇する事はない。
懐に手を伸ばし、そして紙の束を―――空白の小切手を取り出す。
「インクとペンはあるか?」
「えぇ、おい」
支配人がこっちの動きを察してか、使用人にインクとペンを持ってこさせる。それを受けとり、まだ書き込んでない小切手を一枚だけ束から千切る。束の方を懐へと戻し、そして千切った一枚をテーブルに乗せるう。
「おい、メイド長。必要な人員は何人だ」
その言葉にメイド長は数秒唸ってから答える。
「うーん、どうだねぇ。ウチは色々と小さいけど、まずは基本的に十人は最低で欲しいね。まあ、それも最低ラインの話さね。伯爵家なんだからそんな器の小さい所は見せたくないし―――」
「あぁ、そうだな……うんじゃあ適当にその二倍でいいか」
そして小切手金額を―――金貨四十枚と書き込む。いきなり書き込む金額に支配人が軽く目を見張るが、それに気にすることなくサインし終わり、そして小切手を支配人へと投げ渡す。それを支配人が受け取ったのをしっかりと確認してから、背後に立つメイド長に向けて親指を向ける。その間、ずっと少女が笑いをこらえるような様子を見せているが、もはやこの存在を無視する事に関しても大分慣れてきた気がする。
「値切りなんてめんどくせぇ真似はしない。その代わり人選や目利きに関してはウチのメイド長が全部やる。異論はないな?」
「はい、もちろんですとも! 流石伯爵様、何とも豪快な判断を成される! いやはや、なんと男らしいと言うべきですか。まさか悩む事もなくこんな風に購入していただけるとは。いや、この事に関しては私も実に感服せざるを得ません、ははは!」
使用人が頭を下げ、そして横を通り過ぎて部屋の入口へと向かう。
「目的の品は使用人が場所を知っています。案内はそれに任せるといいでしょう」
「なるべく女な。処女非処女は構わんけど見た目の良いやつ……って高い金払ってるからそれぐらい揃えてるか。ま、技能とかに関してはお前に任せる。変なの拾ってきて俺に恥をかかせるんじゃねぇぞ」
「はいはい、ババア使いの激しいご主人様」
到底主に向ける様な言葉ではない事を吐きながらメイド長は案内の使用人と共に扉を抜け、そしておそらく奴隷の選定に向かったのだろう。選定に関する目利きは完全にメイド長を信頼する。予めどういう人間が欲しいかは言ってあるし、なによりどういう人材が必要かは此方以上に家を把握している彼女の方が知っている。伊達に何十年もウォリック家に仕えてきた訳ではないのだ。とりあえずとして人手不足を解消する事に成功した。
―――寧ろここからがボーナスタイム、と言ったところだろう。
適当に支配人の媚を売るような言葉を聞き流し、そしてそれに割り込むように口を開く。
「あぁ、そうだ支配人。そう言えばここでは夜にオークションをやっているんだよな」
「えぇ、それはもう各奴隷商自慢の奴隷を持ち込み、ここで販売させていただいております」
そう、そうだ。それがオークションというシステムだ。料金を払う代わりに奴隷商が直接客に対して己の奴隷、しかも高級なものを売り込む事が出来るのだ。その性質上金額は通常の、高級な奴隷よりも吊り上る。
その代わり珍しかったり”おぞましい”ものが混じっていたりする。
「あぁ、それで昨夜は邪魔が入っただろオークション? 開催できなかっただろ? 売れ残ったんだろ自慢の奴隷。ならさ集めてくれないかな、持ち主たちを。どうせ奴隷も奴隷商もこの建物か、近くで信徒共が飽きるまで待ち惚け食らってるんだろ? だからさ、ちょっとこう言ってここに呼んで来いよ」
飛び切り悪い笑顔を浮かべて指をさす。
「―――ここに一人、良い金を出すやつがいるぞ、と」
悪ぶるのは基本スキルです。値段とかは割と適当なのでそのうち修正入るかも。ともあれ、お金は円滑に話を進めるためには必要不可欠なものですが、無限というわけではありません。ここら辺、まだ余裕があるように見せながらなるべく出費を抑えるのが大変なお話。
まあ、こういう一生モノは下手にケチらない方が良い感じで