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ラフ・アウト・ラウド

 生きている心地がしなかった。


 それが正直な感想であり、そして心境だった。


 おそらく歩いた。割と、数分ぐらいは。ただその歩いた距離は覚えてないし、道筋も良く覚えていない。おそらく大半の時間を呆然と過ごしていたし、それでいて半分の間はこれ以上なくテンパっていた。故にあれやこれよと、気が付いた時には既に到着し、そして座っていた。何時の間に、と思う暇もなかった。


 人生、本気で混乱すると何の情報も頭に入ってこなくなるのは本当らしい。


「ここのパイはな、わら―――私のオススメでだな、実に美味だと思っている。砂糖という高級品を使わずに如何に甘みを引き出すかということに挑戦している。蜂蜜をそのまま使用するだけではなく、その品質を管理している所などここぐらいだろうと思っている。地域や季節によって蜂蜜の味は何故か変動するからな。ここの店主は教えてくれないが、味を一定に保ち続けるコツは存在するらしい」


 そう言って果物と蜂蜜の詰まったパイに美味しそうにかぶりつく少女の姿がテーブルの対面側に座っている。自分の目の前には少女と同じ様に皿の上にパイが乗っている。先ほどかまどから出て来たばかりで手に持ってみれば確かな熱さを感じる。この中には蜂蜜と、そして少女のチョイスした果物が食べやすいように切られ入っているのだろう。ただ手に持ったのは全く食べられる気がしない。


「ん? 食べないのか?」


 少女が此方が手にパイを握って、動きを止めているのを見て、そう発言する。


 ……これって食えって事だよな……!


 横で立つメイド長が此方と全く視線を合わせてくれない。心の中で裏切り者と叫びながらゆっくりとパイを口へと運び……そして食べる。本来なら美味しかったのだろう。いや、実際に美味しいのだろう。ただこんな状況で楽しんで味わえるほど心臓は強くできてはいない。口の中に入ったパイから全くなんの味もしない。それだけ緊張していた。


「お、美味しいです」


 声が若干震えているのはしょうがない。恐ろしい、怖いという感情がそこにはあるからだ。


「ほう、そうかそうか。わら……私はこれが大好きでなぁ、わら……えぇい、まどろっこしい! 妾はこれを毎日食べたいと父上に申したのだが激太りする等と言われて逆に制限を食らってしまってな。全く、女子から甘味を奪うとはなんたる横暴。これは斬首ものであるな。あ、しかし妾も割とデブは嫌だ」


 その言葉にどうリアクションを返せばいいのかが解らない。笑えばいいのだろうか。いや、流石にそれは駄目だろう。


 ただ、目の前の少女は―――いや、”お方”が誰だか解る。


 いや、そもそもその顔が誰であるのかを国内で知らない人なんて存在しない。この少女はそれだけ有名な人物である。そしてだからこそのハンチング帽なのだろうが、ちゃんと見てしまった今では彼女の存在に対して萎縮してしまうばかりだ。こればかりは国民である以上どうしようもない事だ。それは教育という過程で刷り込まれて行くものだ。故に顔を見れば誰だか解る。”何番目”までかは解らないが、その特徴的な瞳の色と顔立ちで解ってしまう。


 故に、まずは意を決する。この先何が起きるにしても、まずは確認しなくてはならない。


「あ、あの」


「なんだ」


「もしかしなくても貴女様は―――」


「ん? 妾はただの美村娘だぞ」


「お―――」


「美村娘」


「―――」


「村娘」


「……」


「……」


 ここ王都だから村娘はねぇよ。そうツッコミたい。思いっきりツッコミをいれたい。だけどこれは確実に不敬罪になるのではないのだろうか。いや、成るだろう。そしてそれは嫌だ。


 故に喉から飛び出そうな声をぎりぎりの所で抑え込んでおく。目の前の少女の正体に関しては今は忘れておくというか飲み込んでおく。彼女の”噂”に関しては良く聞く話、というよりは有名な話だ。故にこういう行動もその一環なのかもしれないと、そう自分に言い聞かす事で無理やりにでも落ち着く。そうでもしないと頭がどうにかなりそうだ。


 ……うし、落ち着いた。俺は冷静になった。


「美味しかったです。では」


 片手をシュタ、と持ち上げて立ち上がろうとする。


「まあ待て、逃げるな。まるで妾が脅している様ではないか。んン? おかしいな、こんな美村娘から逃げる様な輩はおるまいよな。うんうん、さあ、座るがよい」


 椅子から立ち上がろうとした瞬間、少女の声に呼び止められる。まあまあ、と言いつつ彼女は片手で此方の腕を握っている。とっさに助けを求めてメイド長へと視線を向ける。その視線の先でメイド長は三度ほど頷く。流石メイド長、我が領地最後の砦。そう思ったところでメイド長は笑みを浮かべる。


「ん? あぁ、解っているさ―――お酒が欲しいんだね? 何、このオババがちょっと買って来るさ」


 ……クソババアめ……!


 そのままカウンターへお酒を買いに逃亡した。クソババアと罵ってやるが、それでも俺だったら同じことをやるので間違っているとは言わない。メイド長の歩みが何時もよりも断然遅いのは明らかに戻ってくるまでの時間を稼いでいる証だろう。


 おそらく戻ってくる前に話をつけてほしいと、そう言いたいのだろう。解っている、解っているのだ。だから座る。この状況で逃げる事は不可能だと受け入れる。現実からは逃げられないのだから仕方がない。


「……」


 少女が腕を解放したところで一旦呼吸を整える。幸い、相手は誰であるか解った―――そして相手がどういうスタンスを取っているのかもわかった。故に恐れる事は一気に減った。逆に恐れる必要のない理由が増えた。


「えーと」


「ん? なんだ? 申してみよ」


 尊大な少女の態度に思わず隠す気があるのかと言いたくなるが、それをぐっと堪え、そして最後の確認を行う。この返答次第で大体わかってくる事になる。


「あの、その……一体どういったご用件なのでしょうか」


「いや、面白そうな話をしているから混ぜろと言ったではないか」


 そう言って、少女はじつに楽しそうな表情を浮かべている。いや、実際に彼女は楽しんでいるのだ、この状況を。なぜなら彼女は”楽しみに”来たのだから。つまりはそういう事なのだ。不明瞭だったからこそ恐怖を感じたが、相手の意志が確認できるとそれもなくなってくる。軽く頭痛を感じて頭を抱えるが、それでも現状問題はないと断言できる。一つ、今までの会話で確定した事がある。そしてそれは確信できる。


「奴隷買いに行くだけですよ」


「そうだな」


 肯定された。相手は奴隷商売に関して思う事はないようだ。


「忍び込むだけですよ?」


「そうだな」


 それも肯定した。少女は別段そんな事問題ではないと、その尊大な態度を持って示している。


「詰まらないですよ」


「―――それは否、だ」


 少女はパイを食べ終ると、自身の指に付いたパイ生地や漏れた蜂蜜を舐めとり、そして綺麗な方の指を向けて来る。


「それは否だ。否と言わざるを得ない。それが面白いのかどうかは妾が判断する。それが無価値か有価値であるかは妾が決める。貴様がどういう存在であるかを判断するのも妾だ。指図も意見の押しつけも必要ない。貴様は黙って妾にストーキングされる事を許せばいいのだ」


 断言した。己の価値観は己で決めると。故に何をするか見せろ、それでどうなのかを判断すると。全く面倒だ。思わずため息が漏れる。そしてそれとともに、口から言葉が漏れる。


「ストーキングかよ……」


 もういい。もう、かしこまった言葉は必要ない。背景は関係ないと言ったところで本当に無視できるという状況は稀有だ。関係ないと言ったところで一緒に過ごした時間や、目の前で起きてしまった事は変わりはしない。今回もそういうケースだが―――法律を破るようなことは何一つやる訳ではない。それに、


 この相手に嘘偽りは通じない。


 ”そういう存在”だ。


「あぁ、妾のストーキングスキルを舐めるではないぞ。こう見てもネズミ一匹がこの街を逃げ回ったとしても追いかけられる自信があるからな」


「それもうストーキングとは言わねぇよ……」


 素敵だ。実に素敵だ。本当に素敵で、素敵過ぎて涙が出そう。


 つまる所、この女は俺を知っている。知っているうえで同行し、見ようと思っている―――のだと思う。面倒だ。演じるか演じないかという選択肢が通じないという存在は。だからいい。極力まで空気として扱う。勝手についてくるならそれでいい。


 利用できるなら―――徹底的に利用する。ここはそういう世界だ。


「おや、話は終わったのかい」


 丁度終わった所を見計らってかメイド長が戻ってくる。ちゃんとワインボトルを手に。このタイミングの良さは確実に会話を盗み聞きしていたに違いないのだろう。


「話も何も妾は最初から話しに混ぜろと言っているだけであって、別に話をつけるもないのだがな」


「そして拒否権はない、と。いいよ。なんかアホらしくなってきたし。どうせ外観を取り繕っても無駄な相手だし。暴れたら暴れたでどうしようもなさそうだし。最初からあきらめる事だけが正解ならそう言ってほしいもんだ」


「さて、何のことやら」


 ここまで来るともうだいぶ平常心を取り戻せている。寧ろ今の状況をどう利用すべきなのか、そうも考え始めている。遠慮は必要ない。そもそも遠慮なくした方が喜ぶ部類の人種だ、これは。だとすれば適当に相手をするだけだ。


「名前がないと不便だからもうストーカーでいいよな」


「うむ、村娘らしい素晴らしい名前だ」


「私はなにもいいやしないよ」


 メイド長の発言にケラケラと少女は笑い声を零す。本当に現状を楽しんでいるような表情であり、そして声の色だ。露骨に聞こえる様に溜息を吐き、ジト目で睨む。だがそれさえも愉快だと言わんばかりの笑顔が返ってくる。


「……いいか、俺は。俺達は元々新しい使用人を雇用する代わりに奴隷の購入に来たんだ。そして来たら宗教家達が奴隷市場への道を塞いでいると来ている。通ろうとすれば確実に邪魔するだろうし、通る事は出来ないだろう。故にバレずに忍び込んで、奴隷を購入し、そしてバレずに外に出る―――法的に問題なし。特に大きな冒険はない。理解?」


 メイド長がいれてくれたワインをグラスから飲む。この六年程度ですっかりワインの味には慣れてしまった。貴族の付き合いでワインの味が解らないのは致命的だ。最低限でも良し悪しを理解できる程度の舌がなくてはやっていけない。その舌で判断する限り、今のワインはそこそこと評価できる味のワインだった。それはどうやら相手の方もそうで、満足げな表情を浮かべていた。


 では、とそこに言葉を置く。


「はい、それだけお話終了」


 それに少女が眉を歪める。満足げな表情は一転して不満げな表情へと変わる。


「待て待て、その程度ではなかろう。もっと色々とあるであろう、計画等が。どうするとか、秘密兵器とか。少なくとも妾が読んだり酒場で聞いた話ではこういうイベントでは大体裏の怪しいお店で秘密兵器を購入してだなぁ」


 そう言ってくる少女に対して言葉に割り込んで答える。


「ぶっちゃけそこまで精密な計画は必要ない。第一朝のお祈りの時間を狙って忍び込むだけだ。そんな時間誰だって知ってるし、特に準備する必要はない。ほら、秘密兵器とかいらない」


 その言葉に少女がえー、と声を漏らしながら露骨に嫌そうな表情を浮かべる。


「えー。それではつまらん。妾、何か面白そうな話が聞こえて”あ、これは妾秘密兵器として大活躍の予感……!”という感じがビンビン来た故に参加を求めたのに」


 ……それが俺やババアの胃と頭を激しく痛ませた原因か……!


 それが理由となると本当にどうしようもなくなってくるが、結局の所逆らうという選択肢は正体を確信してしまった時点でなくなってしまった―――まあ、正体という程のものでもないが。ともあれ、目の前の彼女が生粋の厄介ごとである事は理解できた。そしてそれは面倒でも付き合う必要があるわけだが、


「―――朝五時に集合だけど?」


「ぐっ」


 その言葉に少女が動きを止め、そしてワインを飲み干す。


「だ、大丈夫だ。あ、朝の五時にはちゃ、ちゃんと抜け出してここに来ている」


「あ、こいつ隠す気ないな」


 その言葉に対して胸を張るので嫌になってくる。……が、まあ、もうどうしようもない事だ。メイド長から片手でワインボトルを強奪すると、一気にその中身をグラスの中へとそそいで一気飲みにする。パイももうずいぶんと覚めてしまったが、それもいっき食いし、残ったワインをボトルから直接飲み干す。


「そんじゃ朝の五時再び集合という事で」


 空になったボトルとグラスをテーブルの上に置いて椅子から立ち上がる。少しだけフラつくのは、しょうがない話だ。支払いはメイド長に任せるとして、少しだけ頭を痛ませる。会うことはないからと完全に忘れていたが思い出した。


 ―――そう言えば才能溢れる”うつけ”が王都にはいた、と。


 もうほとんど意味のなさない情報ではあるが。


「もういい。適当に部屋を寄越せ。時間まで寝るわ」


 ポケットから取り出した銀貨を近くのウェイターへと投げれば、まるで犬の様に飛び出して部屋の確保を始めてくれる。こんな場所ではあるが部屋は一つぐらいあるだろう。


 が、さて、


「……些末な事だな」


 そう、些末な事だ。問題は解決した。いや、長期的な部分ではそうではないが見たくないので無視する。交渉とも言えない程のものだったが、相手が立場を明確に言わないという事はつまり個人であるという事だ。故にこれはセーフ……と信じるほかはない。


 と、


 つまり、


 非常に何時も通り詰んでいるだけだ。

 強キャラと思ったらラスボスだったなんてよくある事です。うん、王道王道。色々実験中。ついでに前話ちょっとだけ最後に加筆しました

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