フェア・ウェル
その日、ウォリック伯爵領の領主の屋敷、玄関ホールには屋敷で働く使用人たちの姿が集められていた。そこに集められる使用人の表情にはどれにも困惑、疑問と言った風の、そこへと集められた理由を求める様な表情を浮かべていた。それもそうだ、彼ら、彼女らは己達が呼び出される様な理由を知らないし、ましては”悟られる”とは全く思ってもいない。故にそこに集まる使用人たちは誰もが困惑し、そして誰かが口を開く。
もしかして、領主になった事ではないか、と。
そう言われて納得する者が出てくる。そこで彼らは思いだす。つい先日、この領の領主であるウォリック伯爵が成人したため、後見人よりこの領地の経営に関する権限を返して貰った事を。あの領主は馬鹿であり、そして妹とは違って無能だというのが使用人の共通した見解だ。故にたぶん、見栄を張りたいのだろう。そう判断が下される。そしてその判断がなされると使用人たちの硬化していた態度も一気に軟化する。
疑問は解消された。故に不安になる事も頭を悩ます事もないのだ。
少しだけ軽い雰囲気が玄関ホールに漂う。きっと馬鹿の事だから、派手に自分の存在を使用人に見せたいのかもしれない。いや、めでたい事にかこつけて大きく祝うのは一般的な事だ。だとしたらここの領主も、若きウォリック伯爵も同じような事をするのではないだろうか。疑問が納得できる形で答えを得られると、それを中心に想像と理由が出来上がって行く。何時しか使用人たちの頭の中にはパーティーでもないのだろうか、そんな期待が膨らみ始める。
そんな時に、ウォリック伯が後ろに老婆のメイド長を連れて現れる。
「お、集まっているな諸君。そう、俺が君達の雇用主、領主のカーン・ウォリック伯だよ。そう、伯、伯爵なんだ。ついに伯爵なんだ」
そう言って現れるウォリック伯の姿は酷い物だった。その姿は使用人の誰もが知る姿だった。ぼさぼさの金髪に混じる赤いラインの特徴的な髪色に、白い肌、そして青い瞳。数年前まで肥満体系に入りかけていたその体格は今では影はなく、常人並の体格をしている。そこまではいい、そこまでは普通だ。
だが、普通だったら着飾り、そして自分を綺麗に見せようとするはずの貴族が胸元のボタンを開け、シャツの袖をまくり、ズボンからシャツの裾を出した状態で現れた。それを指摘する筈のメイド長は呆れた様な表情を浮かべ、黙っている。その様子からして説得には失敗したという事がうかがえる。そしてメイド長が失敗したのであれば、誰が行っても無駄だと。
そう思ったところで、
「さて、諸君!」
そう言いながらウォリック伯が何かを投げた。カシャン、と音を立てて伯爵の前に落ちたのは布袋だ。その中に見えるのは黄金の輝き―――金貨の入った袋だ。その存在にゴクリ、と誰かが唾を飲み込む音を静かなホールに響かせ、伯爵は言った。
「お前らクビ」
「……えっ」
「いや。クビだよクビ。正直毎日同じ顔ばかりで飽きてたんだよ。だからえーと、なんだっけ? それ退職金。皆で仲良く分けてね。あ、割り切れない数字にしておいたから余った一枚は適当に争奪戦でもしてくれたまえ諸君」
◆
「は、ははは、ははははははは!! 見たかよあの顔!! 超笑えるんだけど。なんか期待したような表情を浮かべてからクビって言ったらアイツら全員一瞬にしてぽかーんとした表情浮かべてさ! は、ははは……あははは……やっちゃった……俺、誰かを解雇させるって人生で初めての経験だよメイド長。今が就職氷河期じゃなくてよかったなぁ……」
「相変わらず浮き沈みの激しい子だね」
自分とメイド長だけが広い屋敷の中には残された。解雇して、使用人を全員追い出した屋敷の玄関ホールは予想を超えて広く、そして静かだった。適当に引っ張ってきた椅子をホールの中央置き、その上に座っている。背中を預ける筈の背もたれを前に、そこに正面から体重を預けるように座る。正直に言えば貴族にあるまじき態度だ。そうなのだが―――それを咎められる人間はこの世には存在しない。メイド長も割と楽しんでいるのか口を挟む事はしない。
とりあえず頭を抱えるのをやめる。そして深く息を吸い込み、しばらくしてから吐く。深呼吸をすると心がゆっくりとだが落ち着くのを理解する。良し、と心の中で言う。
……そうだ、踏み出したら止まれないんだよな。
その為に政治や経済とかの勉強はした。元々は肥満体直前だったこの体も鍛えて今の標準体型まで落とした。貴族に必要な知識のアレやコレも習ったし、人生で初めて人の殺し方何てことも習った。それを踏まえて今更何をこんな事で焦ってるのだと思う。
まあ、それとリアクションは別だよな。
ネタに走れる内はまだ割と余裕があるのだと思う。ともあれ、退職金として金貨を渡しておいたのでアレで生活はしばらくの間保証される。アレだけあれば次の職を見つけるまでは余裕があるはずだ―――願わくばあのお金が領内で使われて、此処にある金が領内で循環してくれることだが、それは願い過ぎだろう、と。
「とりあえずこれで計画の第一段階、って所かな」
「何十あるというね」
「それを言わないでくれよ、心が折れそう」
「折れる心なら折れて諦めちまいな」
辛辣な言葉に軽く泣きそうになりながらも、言葉にするべき事を口にする。
「―――これで信用の出来ない人間を全員屋敷から追い出す事が出来た」
「その信用できない人間を追いだそうとする結果、屋敷の中の人間をあたしを抜いて全員追い出さなきゃいけないってのには流石に予想外過ぎたけどね。何だかんだでまだ働いている古馴染みとかがいたからあたしゃ若干ショックだよ」
「ま、それだけ警戒されてたんだろ―――妹が」
本来のカーン・ウォリックは愚物だ。警戒するに値しない。”そういう風”に育てられた事実があるが、それでも事実は覆らない。ただその愚物とは違い、妹であるフェリシア・ウォリックの方は非常に優秀だった―――兄よりも幼いというのに公爵が領地の利益を奪おうとしていたという事が理解できる程度には。そして幼いながらも、土地本来の所有者が声を張り上げればまだ”昔”であれば十分公爵の力を払いのけるだけの権力がこの家にはあった。
だからこそ今フェリシアは留学という形で国外へと追いやられているのだが。そしてだからこそ、普段から無能と馬鹿を演じている俺がこんな行動に出るとは思いもしないだろう。そしてたとえ行動に出たとしても”馬鹿の思い付き”で済ませる事が出来る。それも一応は回数限定だが。流石に何度も公爵を謀議する様な、手から逃れる様な行動を連続で取ればあからさま過ぎてバレる。だからこんな行動がとれるのは今の内。
「ま、クリーンな職場環境を作らなきゃ何時まで経ってもまともに計画を練ったりすることもできないからな。とりあえず第一段階屋敷を取り返す完了。んでこっから第二段階である”人材確保”に移りたいわけだけど―――これってぶっちゃけ普通に人を雇えないよな」
「普通に考えればそうだねぇ」
メイド長はその言葉に苦笑しながら答えてくれる。普通なら無理だと、此方の言葉を肯定してくる。その言葉の区切り方はまるで普通ではない方法を此方へと催促してくるようなもの言いだ。そして実際それは正しい。普通じゃない手段を使えばいいだけの話だ。だがまずは自分の為にも、話を整理するためにも軽く一から話を通す。
「さて、ここである程度文通で状況を知らせているまだ直接会った事のない我が妹を国内へ呼び戻す事ができればいいんだけど―――」
「不可能だねぇ。そうさせない為に国外に留学させたんだし。帰ってくるまでに縁談を組まれてそのまま嫁ぎ先へ、何て事があるかもねぇ」
「前々から思ってたんだけど公爵ガチすぎねぇか」
「昔、前領主に痛い目にあわされてるのさ。だからやるなら徹底的に、という事だろう。ほら、どうするんだい?」
「油断したり慢心してくれたら楽なのになぁ―――まあ、常識的に考えて領地内の村や町から雇うって選択肢はまず除外しなきゃいけないんだよな、これ」
そうだねぇ、とメイド長は言ってくるが、
「それはなんでだい?」
そりゃあ、と前置きをする。
「簡単な話、公爵の手のものがいたとして、簡単に潜りこめるからだよ。読心の魔法なんて俺もメイド長も使えないし。だったら公爵側の人間が簡単に入りこめるだろ。それに結局俺は領内だと”悪い領主様”ってやつになってるんだよ。そんなやつの所に進んで働きたがる奴なんて俺を殺そうとしているやつか、ド変態か、もしくは買収されたやつだけだよ。つまりノー、嘘もつける。裏切りもできる。そんな連中信用できるわけがない」
ほほう、と満足げな表情を浮かべながらメイド長が言葉を零す。何気にこういう質問は自信のチェックにもなるから助かる。
「―――つまり買収も、裏切りもする事のない完璧な使用人がこの世には存在するって事だね? ここにいるおばばの様な」
「おい、無理すんな婆」
睨んでくるメイド長の視線を受け流しながら息を吐く。自分が今まで吐いた言葉をもう一回だけ思い出しながら確認し、何かおかしなことがないか確認する。それを思いだし、そして思考するのは公爵の異常な執着だ。ここまで来れば詰みもいい所だろうに、決して隙を見せようとしないその姿勢だ。ただ今はそれも関係ないので、メイド長に答えるとする。
それは、
「―――奴隷だ。奴隷が答えだよメイド長」
まず第一に裏切る事が出来ない。第二に買収に応じる事が出来ない。第三に能力を此方で見定めて購入する事が出来る。第四に嘘をつく事が出来ない。雇用を考えているのであれば奴隷を使用するのは悪くはない選択肢だ。奴隷の証として首に巻かれている”隷属の首輪”は奴隷に対して様々な制限を与える事が出来る。その詳細は今は置いておくとして、
奴隷で固めるという選択肢は実に魅力的なのだ。
「まあ、これには色々とデメリットもあるんだけどね」
「たとえば?」
「まずお金がかかる。奴隷を購入すること自体はそこまでお金がかかる訳じゃないけど、使用人を雇うのとは違って住居等の生活の面倒を見なきゃいけない。長期的なコストを見れば使用人に払い続けるよりは奴隷を購入して一生使い続けた方が遥かにコストが安くて済むんだけどな。それとはまた別に奴隷を購入するという事はそれだけで教会とかの反奴隷思想を掲げている団体とかに睨まれる原因にもなる。奴隷ビジネスが便利なのに大きく広がり過ぎないのはここら辺、教会のにらみがあるからだな。あと物凄い評判が悪い」
「今更落ちる評判もなきゃ睨んでくれるような教会もないねぇ」
「うん、解ってるんだけどさ、それ。ちょっとかっこつけて解説をいれてみたんだからセメントに対応しないでくれよ。こう、ちょっとだけ心が痛むというか……うん、解った。俺が悪かった」
はぁ、と溜息を吐きながら椅子から立ち上がる。立ち上がるのと同時に椅子の背もたれを掴んで持ち上げ、それを肩に担ぐ。
奴隷を購入するのは先ほどメイド長に説明した部分だけではなく、他にも問題はある。たとえば能力面の話だ。何も欲しい人材が常に奴隷市場に揃っているわけではない。欲しい人材を得るためには日常的に奴隷市場に通って見極める必要があるかもしれない。もしくは高額で取引を行うオークションの方に手を出す必要があるかもしれない。まあ、そちらは希少種族等がメインとなるので今回関係はないが、
今回はかなり特殊なケースだ。屋敷一つ維持し続けるための使用人を確保する為に購入するのだ。
……まあ、正直な話屋敷を”維持”するだけならウチの超高性能ババア一人で十分だけど―――。
それとはまた別に、人出は必要だ。裏切らない、いや、裏切れない人間という者はこの状況では金を出してでも欲しい。……能力に関しては完全なギャンブルになるだろうが。最悪の場合はメイド長に教育させればそれで済む話だ―――また数ヶ月、無駄に馬鹿のフリをする必要があるだけで。
「ウチの領内には奴隷市場はなかったっけ」
「幸いね。今のウチは別の意味で商売しにくいだろうからね」
「ま、ここは王都に行った方が色々と選択肢増えるか。うわぁ、ヤバイなぁ……前王都に行ったの何年前の話だ。一年? 二年? 流行どうなってんだろ」
椅子を後ろへと投げ捨てる。パシ、と音と共にそれがメイド長によって空中で掴まれるのを察する。
「なんでもいいけどさっさとまともな服装に着替えてきな。その間に馬車を手配しておくから」
「はいはーい。前途多難だなぁ……」
頭を掻きながら玄関ホール奥、階段を目指す。そこから二階へ上がれば己の部屋へと行ける。着替えはいいとして、
「……長い一日になりそうだなぁ」
いい出会いがあればいいものだが、と軽く呟く。
何にしろ、ここで決めなきゃ色々と面倒になる―――それだけだ。
完全に趣味の産物とも言う。今回は設定、世界観、ヒロインも完全に趣味の産物にしようかと。