スプリング・タイム
ルインを見せびらかす様に釣りへと連れ出すのはその一回では終わらなかった。数日置きにまた、何度もルインを連れて同じ湖へと釣りの為に向かう。やはり大会が近い事もあって、何度か通ううちに同じ大会を目的とした釣り人の姿を偶に湖で見かける事となる。偶に挨拶をしたり、偶に遠くから見つめられたり、そうやって釣りをしながら―――王都からの帰還、それから一週間が経過する。
数日前に雨が降った事からこの日もまた、暖かい陽気が眠気を誘う晴れの日だった。
◆
ここ数日は何度も通っている道をまた、二人で歩く。後ろから無言で付いてくるルインの存在にも大分慣れたものだと自分でも思う。正直に告白すれば天使の存在なんて若干おっかなビックリでもあったのだが、話し合ってみれば意外と見えてくるところがある、故にこの数日は実に気分が良い。特に進展があったわけでもないが、それでも美女を従僕に釣りという意味もない行動に時間を費やしていると物凄く無駄な人生を送っている様に思える。それは時間というリソースを消費するこの世で最も豪華な贅沢なのではなかろうか?
そんな事もあり、今の自分は気分が良い。鼻歌を歌ってしまうぐらいには。
「……」
そんな自分に一切リアクションを見せてくれないルインは若干寂しいと評価せざるを得ない事でもあるが。ここら辺は何時か、追々という形だとして納得しておく。結局は籠絡しなきゃいけない面子の一人だし、とその思考を今は頭から追い出しておく。
本日はハーティ湖の釣り大会―――参加者は一般が多い。馬鹿と無能をアピールするためとはいえ、遊びに来ているのは間違っていない。故に今日ばかりは複雑な思考を頭から追い出して身も心も馬鹿一色に染めなくてはならない。特別な事をするわけでないし、服装は釣りに出かける時に何時も通りの恰好、クォーターにハーフスリーブに麦わら帽子となっている。
……こういう恰好が許されるのも若い内だなぁ。
そんな事を苦笑しながら思っていると、道の前方に湖の姿が見えてくる。何時もの見慣れた湖の姿だが―――道の先には人の集まりが見える。どれもこれも男、それも少々歳の入った姿が多いが、こうやって人数が一箇所に集まるのは珍しい。誰もが釣竿を持っている事から彼らが同行の仲間である事は一目瞭然だ。此方が相手の姿をとらえるのと同時に、手を振ってくる。それに反応する様に手を振り返す。
「領民からの感情は良くないと思ったのだが」
「そんなこたぁねぇよ? いや、確かに税率高いけど、税率が高い代わりに俺の方から仕事を回す様にしているし。それに税が高い代わりに色々と生活しやすいに気を使っているし。この大会だって別に遊びなわけじゃないぜ? 三位まではちゃんと賞金出るし、その賞金にしたって俺が出しているし。まあ、俺が馬鹿な傀儡って認識はあるし、あるのはヘイトって言うよりは同情なんだけどな!」
口を開けて笑い声を飛ばすと背後からは沈黙が返ってくる。ここら辺はやっぱりもうちょっとノリに乗ってくれた方が色々と嬉しいのだが、それをこの段階で期待するのは酷な話なのだろう。こうなるとルインとは別にフーを連れてきた方が話とかでは捗ったかもしれないと思う。ともあれ、歩きながら集団に近づくと、白髪、ベスト姿の老人が前に出てくる。むろん、自分の知っている人物だ。片手をあげて挨拶をすれば、向こうも片手をあげて挨拶をしてくる。
「やあ、若殿。あ、いや、今は伯爵殿でしたなぁ。今度も大会の出資をありがとうございます」
「若のままでいいよ」
実際、当主にはなったが出来る事が少なすぎて本当に領主になった感じは少ない。もうちょっと派手に動き回れれば胸を張って当主を名乗るのだが、それまでは若呼ばわりでも別に問題はないと思う。
「なんか伯父さんに言われた通りやっているだけで領主になった実感ないし……それよりもさ、やっぱ楽しい事は派手にやらないといけないと思うんだよ。ほら、馬鹿やって楽しめるならお金を使わないわけがないだろ? あ、オーノ老もあんまりハッスルしすぎんなよ、もうそろそろいい年なんだからあまり派手に動いてると腰痛めるぜ」
「いえいえ、私はまだまだ元気ですよ、はっはっはっは! ……っと、そういえば後ろの方は初めて見ますな? もしかしてお屋敷の方の……」
「ん? あぁ、こいつか。ウチで新しく働き始めた天使のルインだ。色々と無愛想だけど仕事はちゃんとやってくれる若干可愛くないやつだよ。ま、今日は天気も良いしお互いいい勝負ができる事を祈って」
「えぇ、そうですね。正々堂々と勝負しましょうか」
軽い握手を交わし、互いの健闘を称えた所でまた今度は別の男がやって来る。此方はオーノと違ってもう少し若い男だ。此方へとやって来るのと同時に片手をあげて来る。それに合わせる様に手を叩きつけ、がっしり握手を交わす。
「よう、ボンボン! 今度の優勝は俺が貰うからな!」
「何言ってんだ、今回こそは俺が優勝して出した賞金を回収させてもらうからな!」
「ハ、今に見てろよ。俺がヌシ級のやつを釣ってやるから」
軽口を交わし、そのまま軽い褐色の男が去って行くのを見る。それと入れ替わりで次々と別の参加者たちが寄ってくる。馬鹿のボンボン、という風なイメージを領民に与えているが、特別に悪感情が無ければこういう付き合いになってくる。そして出資者である以上、参加者が挨拶に来るのは必然的な事だ―――別に知らないわけでもないし。釣りをやっているグループとはもう既に何年来かの付き合いで、釣りをするのであれば割と頻繁に会うような連中だ。
そういうこともあって、挨拶が落ち着くまでは十数分程度かかった。会うたびに手を叩いてくる者、背中を叩いてくる者、握手を交わしたりするから軽く手が痛みを訴えているが、軽く手を振って痛みを抜く。その間に参加者達が揃ったのか、司会進行役の男が集団の前に立ち、聞こえる様に手を叩く。
「はい、みなさん! ご注目!」
そこから挨拶が始まり、出資者―――つまり自分への感謝の言葉になり、そしてルールの説明へと入る。大会のルールは大体統一されており、支給される餌を使い制限時間内になるべく大きな魚を釣るという風になっている。釣竿に関しては持ち込み自由である為、それを抜けば運、センス、そして技量の勝負になってくる。やっている事は大体何時も通りなので、そう複雑なルールではない。
「それでは大会開始です!」
言葉と共にのろのろと釣り人達が動き出す。まだ若い、賞金にギラついている参加者たちが場所確保のために走り去って行くが、場所に関係なくベテラン連中は大物を釣り上げて来るのであまり場所取りは意味をなさないような気がしてくる。ともあれ、支給品の餌を回収し、釣竿を背負い直す。何時もの場所へと向かうか、それとも新しい釣り場でも発掘するか、どうしようかと悩む。チラリと視線をルインへと向けるが、ルインは全く反応を返さない。つまらない。
「おや、若殿」
声の方向に視線を向けると、ベスト姿の男、オーリの姿がそこにはあった。まだ此方が開始地点に残っている姿を見てちょっとだけ、驚いているらしい。
「オーリ老か。場所の確保には?」
「これから向かおうかと。あまり騒いで急ぐのも自分らしくはないかと思いまして……」
と、そこできゃっきゃ騒ぐ声が聞こえる。そちらの方へ視線を向けると、基本的に年齢層が高い集団の中に、一つだけ小さな姿が混じっているのが見える。短い黒髪でおそらくは八歳、九歳ぐらいの子供だ。子供らしく元気に走り回っている姿はそれは此方、というよりもオーリの姿を見かけると笑顔を浮かべ、手を大きく振りながら他の釣り人達に付いて行く。その微笑ましい姿はオーリと共に横に並んでみる。
「あれは……」
「私の孫です。是非釣りを見てみたいと言っていたのですが、ここに来てから湖の方にはしゃいでしまって……付き合ってくれる方には申し訳ないばかりです、たぶん魚が逃げちゃいますから」
オーリの孫の方へと視線を向けると、知り合いなのか釣り人の腕に捕まってぶら下がったり、と割とはしゃいでいる様子が見える。ああいう笑顔を領全体で見る事ができれば個人的には幸せなんだが、果たしてそれは何時の頃になるのだろうか。ともあれ、
「一緒に行きませんか?」
「ま、たまにゃあいいだろう」
「ありがとうございます」
視線を後ろのルインへと向けると、無言でクーラーボックスと支給品の餌を持ち、此方に近づいてくる。無表情であまりリアクションを返さないが、仕事はちゃんとする。やはりそういう根っこの部分では天使という種族に縛られているのだろうか。そんな事を思いつつも、釣りの面子を一人だけ増やしながら場所取りの為に歩きはじめる。
◆
三十分程歩き回って決めたのは結局、何時も自分が使っている場所だった。日差しが若干強く、長時間陽の当たる場所に居続ければ何よりもオーリの方がキツイだろうという判断からそうなった。本気で賞金を狙いに行く訳もなく、何時もの場所でのんびり釣りをすることになった。つまりはここ数日繰り返してきた事とそう変わりはない。場所取りを終わると互いに湿気やセッティングも慣れたもので、早速釣り糸を湖面へと投げ込み、片手でクーラーボックスから二人分のサイダーを取り出す。
「申し訳ありませんね」
「一人で飲むのよりは遥かに楽しいし、酒なんかよりは全然健全だからな。いや、酒が決して飲めないわけじゃないけどさ、酒癖の悪い奴を知っているとそこまで好んで飲めなくなるのは不思議だよな」
サイダーを一本オーリへと手渡す。それを感謝しながら受け取ったのを確認して、背後、木陰の中で座っているルインの方へと視線を向ける。相変わらず暇そうな表情を浮かべている―――いや、実際には暇なんだろうが、一応聞いておく。
「飲みたいなら飲んでも良いんだぞ?」
「遠慮する」
予想していたのか言葉に出した瞬間そう言い切ると、ルインは座りこんだまま目を閉じる。眠っていないのは解るが、それでも此方をガン無視したいという意図は明確に伝わってくる。
「はは、嫌われていますな若殿」
「言わないでくれよ。ああいう可愛い子にフラれるのって物凄く傷つくんだから。あー……これでも奴隷相手には凄い優しいんだけどなあ、俺」
「なんと、奴隷なんですか?」
「ほら、首輪つけているだろ?」
驚く様子を見せてはいるが、貴族として奴隷の一人や二人、寧ろ持っていない方が違和感がある。まあ、いるにはいるが、やはり貴族の大半は奴隷を所有している。やはり共和国寄りな所を探さなくては奴隷を保有していない貴族なんてものは見つからないだろうと思う。逆に帝国よりになれば保有数で競ったりしているし。
「ま、世間一般じゃ畏れられたり羨ましがられる天使を購入してみたわけだけどこれ、予想してたよりも遥かに人間臭くてどーも神造生物って話を聞いた時とはイメージが乖離してなぁ。この前食堂で笑顔を浮かべて美味しそうにパイを食べている姿を見た時は思わず同一人物か疑ったわけだし」
「なっ……!? っ、こほんこほん! ……」
とりあえず人並みの好き嫌いはある、反応はするという事が解ったので非常に有意義な時間だった。あの時はフーと一緒に盗み見していたので、今頃同室の使用人連中であれば知っている様な話なんじゃないだろうか。基本的に人間、人種というものは噂に飢える様な生き物だと思うし。
「ともあれいい天気だし」
「えぇ、ゆっくり進めましょうか」
飲みかけのサイダーの瓶を一旦横に置き、目的の半分は終わらせている為、ゆっくり釣りを楽しむ事にする。
タイトルは実は適当だったり。
ともあれヘイワー、ヘイワーですよ。今回は。次回からは知らぬ。フラグも立てましたしね。もーそろそろかと思います。