フィッシー・デイ
先日と同じ通り空は曇ひとつない快晴を見せている。どこまでも青く広がる空と、そして頭上から世界を照らす太陽がひたすら熱を叩きつけている。まだ夏に入っておらず、その前、春だ。故に暑い、というよりは暖かいと言う方が今は正しい。数か月後には汗をかきながら歩く必要があるのだろう、なんて事を思いながら舗装されていない土の道を行く。この道の横は林で挟まれており、そこから生まれる影が道の上にもかかっている。おかげでぽかぽか暖かい陽気ながら木陰である程度の涼しさも感じられるようになっている。
「快晴快晴! いやぁ、絶好の釣り日和だと思わないか?」
振り返ることなく後ろへと向けて声を飛ばす。服装は何時もの着飾ったものではなく、クォーターパンツにハーフスリーブのシャツ、そして麦わら帽子と非常にラフなものになっている。それに加え右手には肩に乗せる様に釣竿が二本、左手には独自に開発したルアーや、その試作品が入った小さな箱を持っている。釣り文化はあるがルアーが無いと言うのは許せなかった為、ひいきにしている工房やら職人と協力し数年、漸く最近になって自分を満足させるラインになってきた。やはり釣りは良いと思う。これだけで軽く一日時間を潰せるものだ。
「……」
背後から返事は帰ってこない。気配があるのでそこに彼女がいる事は把握している。だけどそれを視界で確認する為に視線を背後へと向ける。予想通り、そこにいるのはルインの姿だ。王都で購入したメイド服はそのままだが、長すぎた髪の毛は先日のうちに切りそろえられたのか、腰位の長さにまで整えられていた。顔を隠すような前髪も短く切りそろえられ、鋭い目の美女の顔を見せていた。髪は本日はツインテールとなっているが、これもまた似合うな、なんて感想を抱く。
「まるで壁に向かって喋っているようで寂しいんだけど」
胸を見ると壁と表現できない位には豊満で―――寧ろ壁と表現できるのはシーリンの方なのだが。
「それは命令かしら」
「俺が女に何かを強制させるようなタマに見えるかよ」
「そう、じゃあ答える義務はないわね」
つまらない回答が返ってくるため、溜息を吐きながら歩き続ける。天使は神造種族であり、そして神の奉仕種族でもある。故に任務を遂行するために強く、美しく、そして多くの教養を持っており、大半の場合で若干機械的とも言える性格をしている。ただルインの場合は機械的というよりは嫌がっている、という風に見られる。つまり確固たる自我を持っている。それはそれで頼もしい反面、面倒でもある。
いや、面倒事があるからたのしいのだが。
「義務とか義理とかばっかりで考えていると息が詰まらないか?」
「それでしか計れないのよ、私達は」
「お前ら全員そろってめんどくせぇな!」
「そうよ、だから?」
溜息を吐きつつ歩き続ける。色々と難しい連中だとは予め知っていたが、そろいもそろってこんな感じだとは実に恐れ入る。元も神に仕える事は使命として、そして至上であるとしている種族だ。義務感や義理で絡め取る事が何よりも効果的な方法なのは理解しているが、それでは意味がないと思っている。義務や義理で縛っているという事は、それが果たされてしまった場合簡単に離れるという事だ。ついでにいえばそれを上回る様な使命が下さればあっさりと裏切る事だってある。だから自分の意志から仕えたい、そう思わせる事が何にとっても重要だ。
……ま、今は無理だな。
苦笑しながら釣竿を抱え直し、そのまま道を行く。普段であれば適当なメイドか執事を捕まえて行く所だが、連中とは一切会話をしない。そもそもまともに会話ができる程信用していなかった。故にこうやってつまらない回答だが軽い返答が返ってくるのはちょっと新鮮で、少しだけ道程が楽しく感じられた。
◆
屋敷から一時間程度歩けば大きな湖に到着する。一番近い都市からもそう遠くはなく、春や夏になれば釣りや体を冷やす為にやって来る人の姿が見える。何よりも透き通る程に綺麗な水はそれ自体が様々な錬金術や生活の為に使える必需品となっている為、割と人の出入りは多い場所だったりする。時によっては少々騒がしいかもしれないが、自分の条件を満たす釣り場としては最適な場所でもある。
到着するのと同時に向かう場所は決まっている。もはや定位置というべき場所がある。湖をぐるりと囲む様に林、南側には少しだけそれが湖へと突き出ている所がある。つまり湖の端に座っていたとしても、木と葉が頭上を覆う所がある。そこに到着するとまずは持って来た釣竿を横に置き、そして箱も横に置く。軽く体を捻りほぐしてから、そのまま草地の上へと座る。
「あぁ、バケツに半分ぐらい水をいれて適当に横に置いておいて。今日は浮き釣りでのんびりとやるから釣れるかどうか怪しいんだけどな。まあ、気分次第で変えるけどさ」
「……浮き釣り?」
バケツを下したルインが首をかしげる。名前は小さく呟いたのはきっとその言葉の意味を知らないからだろう。基本的に釣り、といってもそれには色々と種類がある。その中でも釣りを嗜んでいない人間からすれば釣り針に餌を付けて水の中に投げ入れる、それぐらいの知識しかないのだろう。
「まあ、釣りの中でも一度投げ入れたらぼーっとしている奴だと思えばいいんだよ。基本的な認識はほれ、これを見ろ」
釣竿を持ち上げ、そしてその先に付いているウキを見せる。ついでに箱を開き、その中から適当なルアーを取り出して装着する。
「ここにウキがあるじゃろ? その先に糸があって、この先の針に普通は餌を付けて、んで投げ込む。魚が餌に食いついたら針にかかる訳だから糸を肴が引っ張るだろ? そうなるとウキが沈むから魚がかかったって解るんだよ。まあ、本当は予め餌を撒いたりとかするんだけどそこまでプロフェッショナルにする必要はないしな。時間を浪費するつもりで来ているし」
「なるほど……」
やっぱり釣りに関しての知識はなかったのだろうか、ちょっと興味を示すその姿は可愛らしかった―――口に出したらまた無視されるであろうから絶対に言わないが。
内心軽く苦笑しておきながら箱からルアーを取り出し、針と餌の代わりに設置する。小魚型のルアーだが、極限まで本物に似せて作ってあるし、そこらへん本物と誤認する様に魔法で処理されている。無駄にファンタジー技術を取り込みながら作成したワンオフルアーは自慢の一品だったりする。ささっと慣れた手つきで釣りの準備を整えると握った釣竿を振り、静かな湖面の中へと投げ込む。軽い胡坐を組む様に草地に座ったまま、釣竿を支える。
「あぁ、適当に座ってても構わんぞ。何時間いるか解らないし」
「そう」
そのまま無言で湖面を眺める。背後で草地に座るルインの気配を感じるし、言葉に甘えて座り込んだのであろう。メイド長が見れば確実にデコピンを叩き込んでくるであろう光景だが、それを気にする程自分は器量の狭い男ではない。他の人間に示さなきゃいけない状況ならまだしも、こういう時間で貴族ごっこをしているのは疲れる。
何よりここには敵が一人もいない。それだけで十分すぎる理由だ。
透き通る程に美しく澄んでいる湖面を覗き込めば、その下で悠々と泳ぐ魚の姿が見える。気楽そうに泳ぐその姿は羨ましく思える反面、彼らが迎える将来を考えると人間として生まれてきて良かった、何てくだらない事を考えさせる。丁度良い春の陽気に段々と眠気を誘われるが、流石に到着したばかりで眠る訳にもいかない。後で適当に昼寝でもするべきかな、なんてことを思考していると、後ろから声がかかってくる。
「……これだけ?」
「不満?」
「暇よ」
タイプ的に仕事を欲しがるような風には見えなかったのだがなぁ、なんて呟くと、それに反応したかのようにルインが口を開く。今日は偉く饒舌だと思う。
「奉仕する相手が神か人か、それだけよ。結局は従僕という立場から抜け出せないのであれば言われた事をやるしかないし、そこで満足するしかないわ。だから暇になるとは思わなかったわ」
「ははーん、お前さん仕えていた神様から逃げだしたクチか」
「……」
ルインは黙る。もしかしてだが、たぶん図星だったと思う。まあ、珍しい話ではあるが、無いわけではない。天使が性格的に若干機械的、盲信的なのは反乱や造反、そういう反逆行為を起こさない為の処置だ。人間が犬を躾けるのと一緒の原理だ。ただこの場合は創造された時点で躾けが終わっている、というだけだ。
ただ、一部の神は人間を好んでいる、人間らしさを好んでいる神がいる。
そういう神が人間らしさを兼ね備えた天使等を生み出したりする。ルインもそういう者の内の一人だったりするのではないのだろうか。
「暇なら適当な話でもするか? 雇主とのコミュニケーションは内申点高いぞ? あ、ちなみにカーン先生はどちらかというとクーデレ系が好みです」
「お前の好みはどうでもいいし、別に話し合う理由も見つからない」
「そんな悲しい事を言うなよ、折角敵が一人もいないし、盗聴される可能性のない場所に来ているんだから。ちょっとぐらいハメ外そうぜ。あ、ちなみにハメ外すってのは決してエロい意味じゃないからな? 俺ってやっぱり初めてはこう、好きあった者どうしというか、やっぱり妻となる人物とだなぁ」
「脳がやられているのか? ……敵がいない?」
ルインが吐いた言葉に対して反応した。そのニュアンスの意味をおそらく察したのだろう。ここに来て敵がいない、それはつまりまだ屋敷には敵がいるという言い方でしかない。ルインの反応速度を見て、脳の回転が速いのを確認し、改めて自分の意志から俺に対して仕えてくれる忠実な僕になってほしいと思う。ただ、まあ、言葉の意味には苦笑を漏らすしかない。
「だってさ、なんで俺死んでないんだよ」
それが第一の疑問だ。良く考えろ。怪しまれるから? 面倒だから? いや、そういう話じゃない。伯爵家一つを傀儡にできる様なやつが、国側から大きな信用を得ている様な公爵家がここまでの規模をやらかしているのにまだ普通に運営を続けている。伯爵家を何年間も傀儡にしている様な実力の持ち主が、なんでこの土地を、家を吸収しない。確かにやってしまえば面倒がやって来るだろう。だがやれない事ではない筈だ。これだけの事をやって、続けている奴にやれない事ではないだろう。妹に関してだって処理するのはそこまで難しい話じゃない。
何せやり方なんて暗殺、事故、考えればキリが無い程に存在する。
じゃあ何が我が家を存続させている?
「あのババア、絶対俺の知らない所で公爵とどっかで取引をしているぜ。そしてその契約に従って此方の行動を幾つかお目こぼしさせてもらっているか……まあ、そんな所じゃねぇかなぁ」
そうやって考えると色々と辻褄が合うのだ。やっている事の大きさに対しての公爵のリアクションの鈍さ、反応の悪さ。此方の行動に対する報復や確認の薄さ。前々から疑問はあったのだ。メイド長という圧倒的に脅威になる様な人材が何故、まだ生きている。年老いているから放置すれば死ぬ? 使用人という立場からでは何もできない? そんな甘い見通しをするような相手じゃない事は知っている。
だから、
最悪の最悪を想定すると、メイド長がどっかで通じていると考えて、何らかの取引が存在する。そしてその結果として此方はある程度の行動であれば見逃してもらえていると思うと……割とスッキリしてくる。
「まあ、そうなってくると色々と細かい所で疑問は生まれて来るんだけどな。だけど……まあ、個人的には八割方婆は黒だな。最悪で敵に回ると予想して、何時かは俺一人であの怪物婆をぶち殺せるぐらいにならなきゃな。ま、婆がどこまで俺の事を察しているか解らんけど読心は出来なくても疑っているかどうかを悟るかは出来るだろうし、屋敷内では軽く全部忘れて完全に信用信頼する様にしているけどな。じゃなきゃ心が持たない」
「……」
ウキが軽く沈む。予想していたよりも遥かに速く魚が釣れそうな予感がする。軽く立ち上がり、釣竿を少しだけ強く握る。そのまま数秒間動きを止める。ウキが二度、三度と沈むが感触からしてまだ突いているだけだと判断する。
そして四度目。
完全にウキが水面に隠れる。瞬間、魚が食いついたと判断し即座に釣竿を引っ張り魚を逃がさないようにする。逃げる様に泳ぐ時は気を使い、そして力が抜けた瞬間に一気に寄せる。何度も繰り返した事のある動作を流れる様に行い、一気に魚を引き上げる。
連れたのは茶色の魚、トラウトだが……まだサイズが小さい。おそらく成長途中のだ。無言で針からそれを外すと、そのまま湖の中へと投げて逃がす。
「逃がすのか?」
「小者だしなぁ。ま、大きく育ったらいい勝負しようぜ、って事で」
―――俺達が見逃されているのもまだ小者だからだったりして……。
ありえないな、とくだらない考えを頭の中から追いだし、再び釣竿を振るう。湖面のなかへと小さな波紋を起こしながら落ちた先を見届けてから、視線をルインの方へと回す。
「屋敷へと戻ったら他言無用だし絶対に態度に出すなよ? ババアに関しては俺でも探ってるから……まあ、欠片もそういう証拠見せないんだけどなぁ、あの化け物」
婆の裏切りが発覚して、どういう形であれ処理する必要が出来たら最強の駒を捨てるという事になるので、激しく発狂したくなる話ではある。故にどうか勘違いであってほしいとは思う。
「そもそも興味が無い」
「だろうな。だからこそ安心して話せるんだけど」
興味が無いからこそ関わらない、興味が無いからこそ思い出しもしない。現状のルインの存在は敵でも味方でもない。だからこそ使い勝手がいいのだ。ただ、まあ、やはり味方にはなってほしい。というよりもなってもらわないと後々困る。故に、
どんな形でもいいから、この女を籠絡する必要がある。それは非常に手ごわいだろうが、時間で解決できない以上、どうにかして手段を見つけなければならない。
そういう思考を軽く整理しつつも、静かに一日を釣りで消費する。
ある程度政略とかそういう部分はファジー処理していますというかファジーにしなきゃひたすらガチ理論展開して理詰めばかりの説明オンリーのお話になります。ギャグを挟む所が無くなるのです。ですので細かい所で説明不足って感じたら若干ファジー処理はいってると思う感じで。なるべく納得できる形にはしてますけど。
ともあれ、四面楚歌な感じで。一番の味方が実は敵かもしれない恐怖。