コントリュビューション
王都から帰還して一日が経過する。流石に帰ってきたその日に計画したり、色々と動きに移るのは疲労や情報把握の関係上、避けておきたい事だった。故に余裕を持って一日が経過してから再び自室に持っている情報を確認する。それは領地に関する情報であったり、昨日のうちに纏めておいた行動案だったりと、様々な事が書かれた紙が机の上に散らばっている。
そんな事もあって自室は変わらず散らかっている。椅子の上で胡坐をかく様に座り、肘を膝に乗せて黙りこむ。横には休むことなく立ち続ける老婆、メイド長の姿がある。ともに無言に時を過ごしているのは散らばっている紙から情報を見て、吸い上げているからだけだ。互いにもてる情報を認識し、それを飲み込むまでたっぷり時間をかけてから、
「……税率は五割で変化なし。塩の輸出は少し減ってるけどと公爵に流れる金に関しては依然変更なし、と。まあここら辺はそのままだな。あー……税率下げてくれって嘆願がまた来てるな。まあ、気持ちはわかるけどさ。その為に自由市だの土地を安く貸して開拓とかさせて税率が高くても何とかなる様に色々やってんだけどな」
「ま、そういう事情は伝わらないものだよ。公爵閣下もそこらへんは暴動を起こさない為のあたしの入れ知恵と判断してくれているか黙っててくれているしねぇ―――あぁ、嘆願に関してはこっちが原因かもねぇ。魔物襲撃が報告されているよ。開拓中の所で襲撃があって女子供が浚われているねぇ。どうやらゴブリンの巣だったらしいけどこっちは公爵閣下が善意でおいてくださっている護衛の皆様が何とかしてくれたようだねぇ」
メイド長の皮肉たっぷりの言葉に笑い声を零す。善意、それほど信じられないものはこの世には存在しない。公爵の置いてある護衛軍、護衛舞台というのは”成人を迎えていないウォリック伯爵を補佐するため、持っていない戦力を補うために代わりに動く治安維持部隊”というものだ。事実成人前で正式に家を継いでいない状況であれば部隊を作ったり運営する事は無理だし、指揮する能力もない。だがもちろん別の方法はあるし、そちらを取ってもいいはずなのだが―――誰もそれに対して文句を言わない、言えないのは確実に相手の手腕の賜物だ。今、こうやって成人してしまえば領地に置いておく名目の大部分は消えるが、それでもまだ今までを守ってきたのが公爵の者であるという事実は変わらないし、急に戦力を編成したり揃えた所で怪しまれるだけだ。
その上、此方の領地に置いてある以上、此方が妙な行動をとった場合即座に制圧させるためにもアレは動かせる―――むしろそっちの方が用途としてはメインだろう。ともあれ、メイド長に件の報告書を渡してもらい、確認する。
「こいつら戦力を一箇所に固めてるから出動した場合の対応が若干遅いんだよな。今回も無事に救い出せたのは一人もなし、拉致られた子供は全員食用に解体されて女は既に繁殖用にレイプ済みか。巣の方は洞窟型で埋める事によって潰したらしいけど……」
「他にも魔物被害は報告が来ているねぇ。まあ、これに関してはあたしらじゃあどうにもならない話だよ。それこそどっかで適当な武功を立てなきゃあの公爵がいらないって納得させることはできないねぇ。今は繁殖期じゃない筈なんだけどねぇ……何かあの化け物どもを動かす事でもあったんかね」
「とりあえずこれに関して出来るのは借りているあの連中に注意をいれて注意して貰うぐらいだよな。あぁ、忌々しいなぁ。これで指揮権が此方にありゃあ領地全体に戦力分散させてやったのに」
「それを警戒して一箇所に固まっているんさね」
それもそうだ、呟きながら自分には意味のない報告書を捨てる。魔物は害獣と同じ様な扱いだ。人間に対してはそのほとんどが問答無用で襲い掛かってくる。故にその対処は面倒ながら必須だ。決して相容れる事の出来ない隣人、それが魔物。一時は殲滅したとしても何時の間にか再び出現している。故に完全な根絶は不可能とされている。ただそれでも出現や活動にはある種の波があるのは研究で理解されている。繁殖期、活動期、そういう風に色々と区分けされる程度には大体の生態は解っている。
故にそういう類を駆除する手順というのも割と出来上がっている。―――できるかどうかはまた別の話だが。
「なんにしても、自由に内政できる環境が欲しいな、とりあえずとしては。何をするにしたってまずはそれからだ。一番の方法は善政をしても全く問題の無い環境を構築する事だ。つまり公爵から見て違和感のない環境を作る事。それには―――」
「妹の方を此方に呼び戻すのが必要だねぇ。手紙で確認している分には飛び級で卒業できそうな成績をキープしているそうだよ。少なくとも来年には卒業して戻ってこれるそうだねぇ」
「それまで此方からなるべく縁談の話は握りつぶすして通さないようにしなきゃなあ。アレは公爵に確実に敵になるって睨まれて海外留学で隔離されているわけだしな、海外に送り出している理由なくせば普通に帰ってこれるし」
時間制限付きの隔離だ、これは。相手の理想としては海外でそのまま縁談を決めて、そしてそれを通す。卒業と同時に嫁ぎ先へと送り出してしまえば此方へと帰って来れないだろうが、その為に縁談を握りつぶしたり、誤魔化すだけの言葉はいくらでもある。多少の無茶をしてでも彼女を家へ戻す事には大きな意味がある。
つまり愚兄と賢妹という認識の利用だ。
兄は愚かだからこそ傀儡であり、そして公爵の言葉に盲目的にしたがっている。であるなら、身近に舵取りの出来る賢い人物を配置すればいい。―――つまり妹の指示に従っている、というスタンスを取ればある程度は怪しまれずに自由に内政を行う事が出来る様になる。傀儡の操り主を公爵から妹へと此方から乗り換える、というやり方だ。これならば、まだ愚かなフリができる。まだ無能のフリをして公爵を油断させる事ができる。だからこれから一年間、妹が戻ってくるまでが勝負どころかもしれない。
「ま、今はどうしようもない未来の話をしていてもしょうがない話だね。んー、やっぱ塩の密売をもうちょっと広げるのが一番いいか。今まではお前を自由に動かせないから細々とした取引しかできないけど、これからはもうちょっとだけ大口の取引もできるな。掘って塩が出るのはいいけど少量しか売る事が出来なかったから掘っても余るんだよなぁ……」
「これから売れると考えればいいんじゃないかね。まあ、此方に関してはまだ数日中には無理な動きだね。予め買い取り先に連絡は入れておけるけどまだまだ若い連中が放っておけないから、此処から離れる事は出来ないよ」
となると密売に関しては最低で一ヶ月、もしくは二ヶ月後の話になる。それでも即金を考えるのと長期的に使える人材が増えるのとを天秤にかければ、やっぱり投資している分、使用人達の方が重要度としては高いと思う。故にこれに関しては問題なし。ならこれらを踏まえて何をすべきか、というのがこれからの話になってくる。使用人達が使い物になるまではメイド長を動かす事は出来ないし、大きな動きは最低限、妹が帰って来てからではないと無理だ。故にこの期間中出来る事は本当に少ない。
これ、結局は今までとあんまり変わらないんじゃ……?
そんな考えが頭を過ぎるが、それを即座に振り払う。そんな事はない。今ではゴーサインを出したりする役割が自分にある。後見人の公爵ではなく自分だ。つまり権限は自分にある。それは大きな違いだ。大きな違いなのだが―――やはり普通に行使する事が出来ないとなると色々と悲しくなってくる。やはり総じてあんまり変わらないと思う。
「あー……昨日はマジで気分良かったのになんか改めて鬱になってきたわ……」
「浮き沈みが激しいクソガキだねぇ……その様子だと来週何があるのか忘れている様だね」
「えっ」
来週というキーワードが脳の片隅に引っかかる。何かあったはずだと思うが、肝心の内容が思い出せない。何かを思い出そうとすれば思い浮かんでくるのは数日前の王都での遊びばかりだ。アレは楽しかったなぁ、なんて思うが来週とは全く関係のない話だ。来週、となると使用人達も全く関係のない話だろうし、そうなると中々思いつかない事になってくる。ヒントをメイド長から貰うのは癪に障るので、部屋の中を軽く見回し、ヒントになりそうなものを求め―――壁にかかっている物を見て思いだし。
「あ、釣り大会」
「忘れてたね……」
「わ、忘れてねーし」
声を震わせながら言ってみるが、完全に忘れていたことは否定できない。言い訳なんてできない。完全に自分のミスだが、少なくとも一週間前に思いだせただけまだマシな方なはずだ。
一度公爵が視察しに来るのを素で忘れた結果酒飲んで酔いつぶれて玄関ホールで半裸で寝たまま公爵を迎えてしまった時があるから、あの事件と比べれば今回はまだいい方だ。あの時扉を開けたメイド長のあの動きは確実に確信犯だと今でも睨んでいるが……今は関係のない話だ。
ともあれ、
「最近忙しくて釣りしてなかったからなぁ……」
「手続きに買い物と続いていたからねぇ。大会に出る前に一度、勘を取り戻すつもりで近くの湖にでも出かけるのが賢い選択さね」
そうだな、と返答しつつ壁に掛けられた釣竿を見る。釣りは個人的な趣味だが、無能や傀儡のフリをする上でも非常に役立つ趣味だった。つまり遊びほうけている領主を見ればどう足掻いても無能に見える、そういう簡単な話だ。故に時間が開いたら外、人が見える所で釣りをすることは割とある。他にも狩り等も軽く嗜んでいるが、それでも一番気に入っているのは釣りとなる。そういう大会に参加するのも一応、遊び人としてのアピールだったりするのが建前で―――近年は完全に楽しんでいる事を否定しない。
……まあ、この状況で出来る事と言ったら遊ぶか鍛えるか、勉強するか。それぐらいだもんな。
「ま、王都へ数日遊びに出かけていたんだし、新しい使用人のアピールには丁度良いんじゃないかね」
「まあ、明らかに天使とか虎人とかの武力の高い奴隷を揃えていたら怪しまれるからな。こりゃあ一度連れ回して自慢して、貴族のボンボンっぽさをどっかでアピールしておくべきか」
民衆というのは馬鹿ではないが、話題に餓えている。露骨にアピールや話題を提供してやれば直ぐに食いつき、そして燃え上がる様に話は広がる。これで購入した奴隷を隠すようであればいらない噂が出来上がって広がるのだろうが、それに先んじて此方から噂を用意してやれば話は別だ。此方から話題の内容は用意できる。留意すべきなのはこの内容が十中八九公爵の耳に届く事だ。いや、別に届かない事だってあるかもしれないが、それでも敵は常になるべく強大であると想定して挑んだ方がいい。対処してオーバーキルだった場合はそうだった場合で、マイナスになる事なんて一切ない、寧ろ鬱憤が晴れるだけだ。
「ま、そんなわけで狼人のお嬢ちゃんか虎人の坊主を連れていきな。アレは見た目的にインパクトがあると同時に実力も年の割にはある方さね。護衛としても見せ札としても、集客にもいい感じさね。安全性や安定を取るなら坊主を、影響を考えるなら嬢ちゃんかねぇ。やっぱり美女を連れ回しているってのは早く話が広がるだろうし」
あー……めんどくせぇ。
遊び一つとってもこうやって裏で何か考えなくてはいけない。何時になったら頭をからっぽにして釣りをすることができるのだろうか。少なくともあと一年は不可能であるという事は理解している。早く妹がやってこないだろうか。それだけで大分状況は改善されるだろうに。いや、寧ろ妹がのっとってくれないだろうか。適当な入り婿を捕まえてきてそいつを当主にして、裏から妹が操る。
必要なくなった俺は適当に金を貰って出て行って、悠々自適の生活を―――。
「ありえねぇ」
「馬鹿な事を考えてたんかい?」
「うん」
「だと思った」
テーブルに散らばった書類のうち一つを確認し、どうするか、と呟いてから視線を窓の外へと向ける。窓の外は見事に晴れている。ここしばらく快晴が続いている事からもうそろそろ雨でも降る頃だと思う。早くて明日、たぶん明後日ぐらいだと思う。少なくともまだ空気はまだ乾燥したままだし、今日のうちはない。そんな快晴の下、庭では汗を流しながら雑草の処理や、庭にある菜園の手入れをしている使用人達の姿が見える。やはり書類を眺めているよりはああやって体を動かす方が自分の質としては正しいのだろうな、なんてことを思考する。
「ま、明日は大会に向けてリハビリって感じで釣りしに行くわ。何気に負けるのも負け続けるのも大っ嫌いだし」
欠伸を軽く漏らしてから椅子の上で体を伸ばす。ここ数日馬車の中に缶詰だったし、王都でもあまり体を動かす機会には恵まれなかった。そろそろ運動をしなくては体が鈍る所だし、眠気覚ましには丁度いいのかもしれない。椅子から降りて両足で立ち上がる。
「眠気覚ましにちょいと鍛錬の相手よろしく頼むわ」
「ババア相手に刃振り回す鬼畜なガキめ、あんたには老人を敬う心がないのかねぇ」
「ハハ、痛くなきゃ覚えないとか言って骨を折ってきた糞婆が何か面白い事を言ってるぞ―――で、オチは?」
一瞬視線を合わせ睨みあうが、これも何時も通りの流れ。メイド長は文句を言うが、使用人としての立場は理解しているし、此方には相当不当な命令や間違った判断ではない限り反対をすることは無い。だから、そういう所では信用できるし、信頼もしている。
―――完全に、その全てを信用しているわけではないが。
「そんじゃあたしは剣を取って来る……けど、何時もの様なペースはやらんよ。軽く汗を流す程度で済ますよ、いいね?」
「あいよ、先生」
動きやすい服に着替えておくか、と軽く呟きながら壁にかけてある釣竿を見る。とりあえずは、誰を連れていくか決めておく必要がある。
「まあ、もう決めてあるけど」
見せ札にする以上、やはりは―――。
GWが某二大刺客に時間ドレインされて行く……更新時間遅いのは大体そういうのが理由で。ともあれ、作者本人は戦闘をそろそろ書きたい所なんだけどまだ機会がコナイナー。