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ニュー・チェンジ

 ゆっくり、ゆっくりと馬車がその速度を落として行く。既に門を抜けて領主の館―――実家の敷地内に入る。位の高い貴族であればそうなる様に、ウォリック伯爵家の屋敷の敷地も広い部類に入る。少なくとも数十秒で門から玄関まで到着できるようなことは無い。敷地内に入った事もあって歩く速度で馬車はカタカタと音を立てながら進む。ここ数日の馬車での道程はそれなりに快適で、そして有意義なものであった。深く話しこむことは無いが、それでも互いの目的や目標、そしてある程度の合意を得る事の出来る時間だった。少なくともフーとシーリンに関しては確実に此方に対して全力で取り組む事は理解できた。


 フーは積極的に自分を買い戻すという事はしない。その代わり給金のいくらかを南部の部族の方に送るために安定した職場環境に居続けたい、と。シーリンは己を買い戻す、北方へと戻って部族の再興を。


 唯一目的や動機が理解できない、語らなかったのがルインだけだった。彼女に関しては仕事はする、という言葉だけを貰った。ただ元々、彼女に逆らうという選択肢は存在しない為、それは必須とも言える事だった。故に実質的に、ある程度の譲歩、恭順を引き出せたのは二人だけだ。ルイン、というよりも天使は長い時を生きる様に設計されている為、他とは違う精神構造を持っている所もある。今回はそういう事もあるのかもしれない。


 速度を落とす馬車は次第にその動きを止める。馬車の小窓から外を見れば、そこには見慣れた屋敷の姿がある。約一週間ぶりに見る屋敷の様子は出る前と変わらぬ姿を見せている。他の三人も同様に窓の外から屋敷の大きさに驚く様に視線を送り、フーが振り返る。


「本当に伯爵だったのか……!」


「殴るぞ貴様」


 拳を固めると、反応する様にフーが頭を押さえ、尻尾を体に巻きつける。巨漢の虎人がそんな姿を取るものだから、その姿は非常にコミカルに見える。笑いの代わりに軽く呆れの溜息を吐き、そして御者が扉を開けるのを待つ。早く外に出たくとも、こういう開け閉めを下の人間にやらせなくてはいけないのが貴族の辛い所だ。下の人間が税金やら領主に敷かれたルールに縛られる様に、貴族もまたこういう細かい所での見栄や貴族社会のルールに縛られている。


 と、そこで扉が開かれる。だがそれを開けるのは御者の姿ではなく、見た事のないメイド服の侍女の姿だ。その事に一瞬だけ頭を悩まし、そしてその向こう側に見える人物を視界の端に収める事で軽く納得する。誰にも聞こえない様に軽く笑い声を零しながら、馬車から降りる様に踏み出すと、馬車の脇に待機していた別のメイドが手を差し伸べてくる。それを片手で掴みながら楽々と馬車から降り、そして前方で左右に分かれて玄関まで続く使用人達の列を見る。彼、彼女達は誰もがちゃんとした使用人の服装に身を包んでおり、顔も髪も見違えったかのように綺麗になっている。が、その中のいくつかの顔は覚えている。奴隷市場で購入してきた奴隷達だ。その証拠に首輪が装着され、彼らが奴隷身分である事を証明している。


「お帰りなさいませご主人様」


 馬車から降り、彼らの前に立つと一斉にその言葉と同時に頭が下げられる。壮観ともいえるその光景を見て背後から軽く口笛の音が聞こえてくる。この光景だけを見るのであれば目の前の奴隷達は訓練された使用人と遜色無い姿を見せている。内心軽く驚きつつも、その列の間、奥、扉の前に立つ老婆―――メイド長の姿を見つける。その姿は不満も得意げな表情も見せない。彼女からすればこのぐらい出来て当然の結果なのだから、この程度の行動で何かしらリアクションを見せることは無いだろう。改めて厳しい婆だと認識する。だから背後に残りの三人を連れ、列の間を進み、メイド長へと近づく。


「やるじゃねぇか婆さん」


「ハッ、何がやるじゃねぇかだよ。あたしからすりゃあこの程度出来て当然なんだよ、一々褒めてたらキリがないね。ほら、あんたらも何時までボサボサしとるね。あたしらの主のお帰りだよ」


 パンパン、と手を叩くと忙しく使用人となった奴隷達が動き始める。屋敷の裏手へと向かう者、横へと抜けて行く者、庭へと向かう者、とそれぞれの行動はバラバラであり、どこか焦る様な姿がある。初々しいその姿はまだ慣れていない者の特融の忙しさだ。メイドが二人扉を開けるのを確認し、片手で背後の三人についてくるように合図を送りながら扉を抜け、屋敷内に入る。


「さて、後ろの虎人……フーの事は知っているなそういやぁ。あー、狼人のシーリンと天使のルインがこの数日二番目の成果だ。一応それ以外にも王都での動きや流行とか、使った金額、そういうの馬車の中で纏めておいた」


 予め纏めておいたここ数日、メイド長がいない間の出来事等を纏めたレポートをメイド長へと渡す。実際に口頭で説明するよりは此方の方が彼女にとっては色々と把握しやすいし、考えやすい。それに当家でのブレインは自分ではなくメイド長の方であるという認識はある。発想、発案は己で修正や計画化が主にメイド長の分担となっている。やはり若造では今もなお現役の老人の知恵には叶わない。


 歳を取る度にボケるどころか鋭くなってるしな……。


 この老婆の存在に老いが追いつくのかどうか、それは非常に興味のあるところだ。見た目はしわくちゃで簡単に折れそうな老婆ではあるのに、武術、魔術、学術。全ての分野において完全に自分の上を行く正真正銘の化け物だ。


 だがそんな化け物も、動く事の出来ない環境にあっては飼い殺しにされているだけだ。


 どんな兵器も結局は使いよう―――現状のウチでは使い切れないという事だ。


「割と金を消費したねぇ。はーん、成果ねぇ」


「三人に関しては任せた」


 そう言ってメイド長が背後の三人へと視線を向ける。フーの事だから苦手そうな表情でも浮かべているのだろうなぁ、なんて思いながらメイド長の横を抜け、外套と手袋を脱ぐ。その回収の為に小走りでメイドが追いかけてくる。たった数日の出来事だが、基本的な教育は住んでいるんだな、と彼女の手際の良さに対して舌を巻く。外套と手袋を渡した所で、


「いてぇ!」


「ウチのクソガキはアレでも一応このウォリック伯爵家の当主でここの領主なんだよ。アレはそういう貴族の礼儀とかクソ面倒がって下への接し方が軽いけど、あたしの前ではそういう”オトモダチ”的なノリは許さないからね。使用人としての主への接し方を叩き込んで行くから感謝するさね。あぁ、もちろんそこのシマシマだけじゃなくてそこですまし顔をしているお嬢ちゃん二人もだよ。いいかい? あたしゃあこれ以上特別扱いしなきゃいけない生徒を持つ気はないからね。そんなのはあそこで聞き耳立てているクソガキ一人で十分なんだよ」


 相変わらず鋭い婆だ、と軽く呟きながらそのまま二階へと続く階段を上って行く。付いてくるメイドに対して振り返ることなく告げる。


「全く恐ろしいクソババアだよな? あぁ、そうだ。適当に紅茶をよろしく」


「畏まりました」


 ペコリ、と頭を下げてメイドが去って行く。その姿を見る事もなくそのまま自室の扉を開け、そして自室に入る。


 政務を行うための机には積み上がった書類が、壁には家宝の剣がかけられており、その横には釣竿やどこかの部族の奇妙なお面が。窓からは庭の様子を窺う事が出来、新鮮な光と空気を提供してくれている。普段はやる気のない使用人達の姿が目に映るものだが、今日は頑張って働く未熟な姿がある。机の前にある座りやすさ重視で選んだ椅子の足を軽く蹴って此方へと向かせると、倒れる様に椅子に座りこむ。そうやって見る自分の部屋はあまり褒められたものではない。少なくとも貴族にしては少々雑すぎる―――生活感が漂い過ぎている。


 それもそうだ、自室と執務室を同じ部屋にしているのだ。そりゃあこうもなりはする。だが、この乱雑さは嫌いじゃない。いや、寧ろ好きだ。綺麗に片付いているよりはこのゴマゴマとした感じが過去を―――もう帰る事の出来ない故郷の自分の部屋を思い出させる。それに自室と執務室を一つにすれば、重要なものは全てこの部屋一つに抑えられる。常に自分かメイド長をこの部屋に置いておけば、重要なものをとられない、そういう防犯意識が軽く存在している事も否定はしない。


 ただ九割、部屋がこういう風になったのは趣味と好みの問題だった。


 靴を脱いで、靴下を脱いで、両足を机の上に組んで乗せる。この場における法は自分だ。一番偉いのは自分だ。故に誰も自分を咎める事は出来ない。だから全裸になったとしても誰も責める事は出来ない―――流石にそこまではやらないが。だがこうやって普段はやらない行儀の悪い恰好をする程度には気分が高揚しているのは間違いない。少なくともこうやって足を組み、鼻歌を漏らす程度には気分が良い。


「ああ、もう、最高だな」


 表面上は従っているが、内心では見下していた使用人連中。それを全員解雇にして購入した奴隷達、ちゃんとした環境で向上する意味を与えているのだ。頑張ろうとする姿勢は見えるし、前の連中の様なものも感じない。屋敷内限定ではあるが、隠れながら、偽りながら生活する必要が無くなったのだ。それは今までの環境と比べれば大違いである。それこそこれは全体からすれば小さな一歩かもしれないが、それでも確実な前進だ。


 ここ数年で初の前進だ。


 それはもう祝いたくなるような気持ちだ。


 ただ、やはりこれは全体から見たら小さな一歩目である事実を忘れてはいけない。焦ってはいけないし、暴走してもいけない。少しずつ、少しずつ使用人達の心を掌握しなくてはいけない。彼らが望んで此方に対して協力してくれるような環境、状況を生み出す。それと同時に彼らをいろんな目的で使える様にも育てなくてはならない。育成の手間と金額を考えるに、今回引き入れた奴隷達をそれも最低限、メイド長が納得できるレベルまで鍛えておきたい。


「……まあ、一年や二年で済む話じゃないな。長期的にここらは見なきゃいけないなぁ」


 メイド長のサポートなしで日常の家事等が出来る様になるまで長くても一ヶ月か二ヶ月程度と考えておく。少なくともメイド長の目利きで人員を選ばせたのだからそれができる人間を選んだはずだと信頼している。そこから数年間は知識、魔法に対する高い素養を持つのであれば魔術的トレーニング、そして最低限低ランクの冒険者たちと同じレベルでの戦闘力は欲しい―――ここら辺は若干求めすぎで詰め込みすぎかもしれない。


 夢は見れない。現実を否定しても裏切られるだけなので、直視し続けなくてはならない。故に一歩ずつ、それを詰めていかなくてはならない。なのでまず、今すべきことを考える。人が、”使える”人が増えたからこそ選択肢が大幅に増えている。それを考慮してこれから何をすべきか、何ができるのかを考えなくてはならない。


「辛い所だな」


 足を机の上から退けて、引きだしから紙束を取り出し、千切る様に一枚取る。メモやノートに態々羽ペンを使う必要はない。適当な鉛筆を取り、それで現在の状況を書き始める。まずは此方の資産、土地、状況、そして手札は。それから欲しいものを埋めて行く。そうやってリストアップし、持ち札で何ができるのかを少しずつ整理する作業。直ぐに終わる訳ではないが、それでも時間はたった今出来たばかりの事だ。焦る必要は、ない。


 集中しようとしたところで軽いノックの音が室内に響く。一旦鉛筆を置き、視線を入り口の方へと向ける。


「いいぞ」


「入るよ」


 予想通り、入ってきたのは片手にトレイを握ったメイド長の姿だった。どうやら今まで続けてきたこの仕事を新人たちに譲るつもりはまだないらしい。その事に内心軽く笑っておきながら、素早く、そして慣れた手つきで紅茶を目の前に置くメイド長を眺め、そして紅茶を手に取る。非常に腹立たしい事だが、紅茶が美味い。どこを見てもその口の悪さ以外に欠点が見えないのがこの老婆の恐ろしい所だ。ただ惜しい、非常に惜しい。


 人間以外の種族として生まれていれば、まだ先は長かっただろうに。


 今はまだ見えなくても、何時か絶対に老いが追いつく。


 紅茶を少し飲んでから、それを置き、椅子に寄り掛かりながら視線を窓の外へと向けたまま、メイド長へと言葉を向ける。


「で、調子はどうよ」


「あたしが連れてきた連中に関してはそこまで気に掛ける必要はないよ。どれもこれも向上心の塊というか、しっかり餌に食いついて来ている。予め趣味や好み、性格やらを聞きだして調べておいたから、名前と一緒に全員分を覚えておきな。好かれる上司ってのは部下を理解してくれるものだからねぇ」


「その割にはメイド長に関しては割と知らない事が多いんだけど」


「いい女には秘密があるんだよクソガキ」


「おん……な……?」


 疑問と共に視線をメイド長へ向ければ、帰ってくるのは竜人さえも殺せそうな視線だった。これは次に剣の相手を頼む時に物凄く苦労しそうだなぁ、なんて事を思考し、軽く溜息を吐く。これも所詮は何時もの流れだ。日常を感じる事の出来る一つの流れだ。本質的には変わってない事を理解させる事の会話だ。


「まあ、腹に一物抱えているのはあの狼と天使のお嬢ちゃん共だねぇ。馬鹿虎に関してはアレはそういうのは置いてきた後だった感じかね……アレは大事にしときな。馬鹿やっているようで一番気にしてくれているよ、アレは。あたしを抜いた話、この場限定で言うならあの馬鹿虎が一番の味方だよ。逆に一番厄介なのは天使の方だね。”加護”が切れている辺りアレは仕えていた神から出奔したのか、クビにされたのか、もしくは脱走したのか……どれかに一つの所をハンター辺りに捕まったんだろうけど、そのせいで全くと言っていいほど他者を信用してないね」


「まあ、予想の範疇って言っちゃあそうなんだけどな」


 まあ、今回の件に関して一番重要なのは虎人を初めとする戦力を得た事ではない。


 人手が増えた事、そしてそれによって屋敷内を任せる事が出来る人員が増えた事が重要なのだ。


 ―――つまり、最強の駒であるメイド長を動かす事が出来る様になったという事実にある。


 状況は限られるし、最低限の訓練を新人達に施さなくてはならない。だがそれでも、状況次第で最強の駒を動かす事が出来るというのは大きい。


「さて、やる事は山積みだな。妹を迎える準備、戦力を整える事、味方を増やす事に資金稼ぎ。堂々とこれができないのが傀儡の難しい所だ」


「だけど楽しんでいるんだろ?」


「非常に残念ながら非常に充実しているって感じてる。人でなしって罵ってもいいんだぞ?」


「残念だけど充実と遣り甲斐に関してはあたしも認めてるよ。やれやれ、あと十歳若けりゃあたぶん最後まで一緒に暴れられたんだろうけどねぇ」


「ま、死んだらその分俺が馬鹿やって騒がしくやるよ」


 くだらない何時も通りの会話だが、


 間違いなくそれも、また一歩先の為に、次の為に進んでいた。

 さて、漸くスタートラインという感じで。手段を選ばないのと選べないのはまた違う事かなぁ、と思いつつ次回よーやく貴族らしい内政っぽい何かや領地の把握やらで。

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