ゴーイング・オン
完全敗北した商人が肩を落とす、がこれ以上ゴネる様であれば心象の悪化と自分のロスにしかならない。それは理解している事なのだろうし、一度決定された値段に対して文句を言うのは商人としてのプライドが許さない事だ。なのでこの男は何も言い返せず、そのまま提示金額を受け入れるしかできない、非常に可哀想な話だが、此方も降ってわいたチャンスを逃すような事は絶対にしたくはない。必要金額を書いた小切手を商人へと渡すと、それで少しだけやる気を取り戻したのか、相手は笑顔を浮かべる。
「商品の方はどうしましょうか? 直接お連れするか……」
「どうする?」
ライラの視線が此方へと向けられる。彼女の仕事は終わったし、此処からは自分の出番だろうな、なんてことを思いつつ素早く思考する。今回購入した奴隷は二人だ。直接取りに行くのは若干手間が増えるし、これは向こうから来てもらう方がいいだろう。
「広場の方にいるから連れて来てくれ」
「畏まりました」
「あと……そうだな、ライラ。毟り取ったしリップサービスぐらいいいんじゃないか」
「ふむ……見た目に似合わず優しいな、貴様は」
うるせぇ、なんて言っている間にライラが囁く様に商人の横で言葉を漏らすと、とたんに顔の色が変わる。ライラが商人に封鎖解除の日数について教えたのだろう。それ自体がお金になる情報だし、今回の損失をやり方次第ではカバーできるかもしれない。それは此方から受けた被害に対する埋め合わせにもなるし、此方からの心象も良くなる。……困っている所で餌を出すというやり方は若干酷い事であると認めざるを得ないが。
「とりあえず広場の方へと行くか。お前らも商売頑張れよ」
「ああ」
「お買い上げありがとうございました」
たぶん数年、もしくは二度とこんな所へと来る事はないのだろうと思いつつ部屋から出て、そのまま建物の外へと出る。既に男の方の商人は小走りで奴隷を置いてある場所へと向かっているのだろう。その間にまだ朝霧が充満している奴隷市場、中央辺りに立つ。相変わらずここは臭い。鼻の曲がりそうな臭い。あまり、寄りたくはない場所だと思う。そしてここに来る必要がなくなればいいとも思う。実際ここに来たのは戦力の充実じゃなくて人手を得る為だ。
こうやって戦力を奴隷で整えるよりは、傭兵でも雇った方が遥かに安くすむのだ。割と今回の出費は痛いが、長期的に考えてメリットがあると考えれば問題はなく……もない。若干金銭的に辛い所はあるのは認めざるを得ない。
「さて、これで妾の仕事も終わった所だし、そろそろ帰るか」
「ん? もう帰るのか」
「てっきりこのまま大将についてくるのかと思った。ノリ的に。ほら、ヤンキー少女田舎に飛び出す的な」
ライラのローキックがフーの足に叩き込まれ、フーが道路に倒れ込んで足を抑える。なんでこの男はこうも無駄な事を口にしようとするのだろうか。いや、だからこそこういう明るい性格なんだろうが。まあ、こういうムードメイカーは一人は必須だ。いる間は解らないものだが、一人もいないとありがたみが解ってくる。
「そこまで恥知らずではないぞ。……まあ、ここ最近割と遊び回っていたからな、父上が色々と心配しているのだ。うん、妾は村娘だけど父上を心配させるのはいかんよな」
「それ絶対に言わないといけないのかお前」
「割と気に入ってる」
気に入ってるのかその設定、と呆れ気味に呟くと笑い声がライラの方から返ってくる。この女も大分楽しんでいるが、結局その立場は立場だ。声に出して言わないが、その立ち位置は理解しているし、重要性も解っている。そして彼女がこうやって遊び回っている理由も大体察した。それは今は全く自分にとって関係の無い話なのだからこそこうやって一緒に遊んでいるのだが。
「まあ、そんなわけで妾はそろそろ家に帰る。最後まで見る事は叶わないが、幸運だけは祈っておこう」
「ありがとよ」
「ではな」
そう言うとライラは一歩目を此方へと向かって踏み出す。道を開けようと退く前に、そのままライラの姿が目の前、足元の影の中へと落ちる様に一瞬で沈み、消える。足元の影はまるで水面の様に一瞬だけ揺らぐが、それもほんの一瞬だ。足で踏んでたしかめれば次の瞬間にはそこには影と、そして石で塗装されたの道しかないのが確かめられる。魔法を使って移動したのは理解できた。目の前で発生した魔法が全く理解できない事から、おそらく魔術的技量においては到達不可能な領域に立っているに違いない。
そんな中で、フーが立ち上がり、
「俺あの女苦手。超苦手だわ」
「半分自業自得じゃねぇの」
「実家周りだと大体こういうノリだったんだけどなぁ……」
環境が変わればノリも変わる、つまりはそういう事だ。まあ、領地へと戻れば嫌でも苦手な人物というリストにメイド長の存在がトップでランクインするので、今のうちに言える事は言わせておこう。これから挑むであろう地獄に対する少しでも救いになるのであれば、いい話になるのかもしれない。
ともあれ、フーを横に置いて、くだらない事に話を咲かせていると、やがて三つの気配が近づいてくるのを感じ取る。フーと共に気配の方へと視線を向ければ、男の商人が率いる様に二つの姿を連れてくるのが見える。どちらもその服装は非常に貧相なものだ。ボロボロの布を縫って繋げた様なワンピースの服を、首から膝下まで伸びる一枚の服が靴を除いた唯一の服装だ。それに身を包む二人はどちらも顔が整っている。
一人目、左側の女は長い白髪の女だ。身長はそこまで高くはなく、おそらく百五十前後、頭と服の下から髪と同じ色の耳と尻尾を生やしているから彼女が狼人であるという事が解る。琥珀色の瞳は見れば人間の様ではなく、獣の持つような鋭いものを持っているのが解る。それはまるで此方を計る様な、調べる様な視線を向けている。
二人目、此方は狼人の様に特筆すべき身体的特徴は持ってはいない。長く伸びる菫色の髪は手入れがされてないのか、狼人の方と同じ様に若干色がくすんでおり、そして元々髪が長かったのか伸びっぱなし、という風になっている。身長は此方は百五十後半程、青色の瞳を此方へと敵意と共に向けてきている。此方、天使の女は狼人の少女と比べてまだ己の立ち位置、居場所に対して納得を持っていない。屈服していないのが解る。未だに反抗心を抱く天使の目を見れば、彼女が真っ当ではない手段で奴隷という身分へと落とされた事が解る。
―――まあ、最強種の奴隷なんてそもそもまともな手段で確保できるわけではないのだが。
「此方がお客様の商品となります」
「二人の名前は?」
「狼人の方がシーリン・クリンガル、天使の方がルインとなっています。既に権利は伯爵様へと渡っておりますので、一切の問題なく二人を使用する事が出来ます」
「解った。もう行ってもいいぞ」
「はい、毎度ありがとうございました」
無駄に此方を詮索する事も、質問もすることなく商人は去って行く。その姿を最後まで眺める事無く視線を奴隷の二人へと戻すどちらっも視線は此方へと真直ぐ向けている。おそらく此方の言葉を待っているに違いない。フーの姿を見れば此方が奴隷という身分に対して非道を行わない事はある程度解るはずだが、それでも言葉に出さないと伝わらない事がある。故にさて、と言葉を置く。その言葉を持って注目を集める。
「君達二人の新しいご主人様、カーン・ウォリックだ。一応伯爵。カーンとウォリックの間に色々と長ったらしいものが入るんだがここ、激しく面倒だからウチのババアから教わってくれ。俺は覚える気はないし、この先覚えるつもりもない。だからご主人様の名前がカーン・ウォリック伯爵である事を覚えておこう。……いいかい?」
それに対する返答は無言だった。横のフーへと視線を向ければ、頭を横に振った返答しか返ってこない。フーは自分から望んで身を売ってきたために心に対して余裕を持っている。だがこの二人は違う。望まない形で奴隷へと落ちてきた―――大多数と同じ、被害者たちだ。だからといってそれを考慮する必要は自分にはない。だが彼女達が奴隷である以上、気を付けなくてはならない事がある。それはメイド長に再三言われている事であり、自分も認識している事だ。
必要なのは屈服ではなく恭順である。
屈服とは相手の心を折る事。恭順とは此方に納得し、同調させる事。屈服させることは簡単だがこの状態から恭順へと持って行くのは難しい。だからといって屈服を選ぶのは抑圧させるという事、敵を生み出す道となる。支配階級にとって一番恐ろしいのは反逆、革命、クーデター、そういう下からの武力行使だ。それを起こさないようなガス抜き、コントロールは重要な技能だ。故に屈服ではなく恭順だが、この場で出来る事は非常に限られている。ともあれ、特にリアクションを見せない二つの姿に対して軽く溜息を吐く。少々時間がかかりそうな二人ではあると思う。
……まあ、まず最初にやる事は決まっているよな。
「―――さて」
ぱちん、と指で音を鳴らせば後ろからフーが前に出る。その姿に天使と狼人、ルインとシーリンが警戒した様子を見せる。だがそんな事を気にせずに、一方的に言葉を向ける。
「まずお前らに対する最初の仕事をやる。いいか、良く聞けよ?」
懐、執事服の内側の手を伸ばすと二人は警戒の色を見せるが、首に装着されている首輪の制約もあって自由な行動をとる事は出来ない。もしここで乱暴な行動をとるにしたって、自衛する事すら許されない。それが奴隷という身分の恐ろしさ。相手の立場等を無視できるだけの意志があったとしても、首輪がそれを封じる限りは手を出す事は出来ない。故に強く歯を噛みしめる二人の様子を眺めながら告げる。
「お前らちょっとヤバイぐらいに臭いからちょっくら風呂入って来い。流石にそのままで一緒に連れ回す事はできないわ」
「くっくっくっく……! あ、これが石鹸と風呂代な。一応備え付けの石鹸はあるんだけどやっぱり購入した奴じゃないと色々と臭いが落ちないからやっぱ持ち込みがオススメだぜ。しっかり洗えよ? 足の指の間とか。一見綺麗になったように見えても臭いは中々落ちないからそこんところ結構気を使って洗わないと汚れは落ちても臭いままだからな。あ、これ数日前に風呂に入った経験者の談な」
フーが懐から二人分の石鹸と、そして入浴に必要な金銭を渡す。差し出されたものを返す事も出来ず、呆然としている二人がそれを受け取るのを見ると、うむと呟き、そして頭を縦に振る。やはりこういうリアクションになるだろうな、と。
「……解り、ました」
「……従おう」
短い返答が帰ってくる。まあ、この程度で懐柔されてくれるわけはないし、この指示はどうとでもとれる。この奴隷市場も十分に臭い。そろそろこの臭さとはおさらばもしたい所ではあるし、さっさと離脱する為に出口の方へと向かう。
門には入った時と同様に見張りの者がいる。此方を見かけるのと同時に無言で頭を下げてくれる。片手で労ってから少しだけ声を落とし、フーへと言葉を向ける。
「じゃあここから出たらフー、お前が二人を風呂屋まで案内してやってくれ。あと二人が出てくるまで店前で待機。その間に俺は馬車の手配でもしておくわ。俺の居場所は……お前の鼻なら俺を負えるよな」
「香水のおかげで追いやすいぜ」
やはり獣人はこういうところが便利で、そして羨ましい事であると改めて思う。
そんな思考をしつつ、少しだけ身を寄らせて魔法を発動させる。今回は用件が早く済んだため、時間もまだ早く、やっている店も少ない。少なくともほぼ二十四時間営業である風呂屋は開いているだろうが、馬車に関しては時間が決まっている特別な事が無ければ今から手配出来たとしても、実際に馬車を動かせるようになるのは昼ごろからだろう。その間の時間の埋め方を考えなくてはならない。
あっさりと特に問題もなく封鎖している信徒達の横を抜け、そして大通りに出た所で魔法を解除する。特に悲観する様な声を出す事もなく、文句を言わない辺りシーリンもルインも心の方は割と強いのかもしれない。まあ、彼女たちを恭順させる策に関してはまた後で、それはそこまで急ぐ必要のある案件ではない。
どうせ帰ってからまた忙しくなるのは確定しているのだから。
「じゃあ、新人二人の面倒をよろしく」
「任せな大将―――ちなみに俺の分の風呂代は」
「ねぇよ。さっさと連れて行けよ」
「へいへい。そんじゃ天使さんと狼ちゃん、こっちだぞー、ってそう怖い顔で睨まないでくれよ」
性格は軽いが、それでもこの数日で与えられた仕事はちゃんとやる男であるとフーの事は把握している。なので奴隷達に関する心配はない。それよりも彼女達の服装を見るに、領地に帰る前に服屋に顔を出して彼女達に使用人用のメイド服か何かを見繕っておく必要はある。あの汚い恰好のまま連れ歩いていたら主としての品格が疑われる。
「お金は苦労しなきゃ稼げないのに何で使う時はこんなにも簡単なのかねぇー……」
まだあと少しだけ、散財しなきゃいけない事を思うと鬱になるが、これで人手は増えた。首輪に対して屋敷内の出来事を他言しない様に制約を刻めば秘密を洩らさない使用人の完成となる。これで漸く、メイド長の人脈を利用したり、少々派手な行動をとる事が出来る。
これからの目標は、
「妹を呼び戻す環境を生み出す事だな」
これからの事を考えると鬱になりそうなのは確かだが、
それに遣り甲斐を感じるのは何故なのだろうか。
本当はお買いもののお話は4話ぐらいの予定でしたんですけどね。何故こーものびるか。次回辺りで王都ともさようならですね。当初の予定を忘れてはいけないのです。