ホーロー看板
以前、勤めていた会社で建設機械営業をやっていたとき
地方の出張がやたらと多かった。大体、週に1回ぐらい。
中国・四国地方が多くて、場所によっては一日に数本しか
電車が来ないという所もあって、スケジューリングに随分と
苦労したものだった。
自然豊かといえば聞こえはいいが、本当に自然以外は
何もないというところもあって、公共事業頼みという地域が
何と多いことかと、今でいう地方格差をしみじみと感じた
ものだった。
いつしか、電車待ちの間、街の雰囲気を楽しむかのように
ぶらぶらと駅周辺を歩くのが好きになっていた。
風が運んできてくれる季節の匂いを心地よく感じながらの
散策は一人旅のようで、いつか来たことがあるんじゃないかと
いう既視感覚とともに少年の日に還ったような懐かしさが
胸の奥から、こみあげてくるのだった。
地方でよく見たのが、廃墟となった木造の家屋にかかった
ホーロー看板だ。長い間、雨露に晒されたせいか、色あせ
さび付いた看板が、いつ来るとも知れぬ人を待ち続けていた。
アース製薬のホーロー看板は水原弘さんと由美かおるさん。
昭和45年に制作されたらしい。そのころは、きっと人が住んでいた
であろう家屋。楽しくて笑いが絶えない家族の夕食時間が
ぼんやりと頭に浮かぶ。列島改造論で日本国中、何となく浮かれて
いたら、突然の石油ショック。そして、高度経済成長の終焉。
地方で生活することが難しくなった人たちが都会へ出て、やがて
故郷のことを思う余裕もなくなって、廃墟となりはててしまったのか。
ホーロー看板は、街の移ろい、人々の生活を見続けてきたのだろう。
先日、近くのリサイクルショップで松山容子さんのボンカレー看板を
目にした。非売品だった。こういう場所で見るホーロー看板には
不思議と何も感じない。