第43話:ペース配分という名の「魔法」〜二人三脚のフードファイト〜
ゴォォォォォォンッ!!
東京ビッグサイトの広大なアリーナに、全日本大食いチャンピオンシップ本戦の開始を告げる、腹の底に響くような銅鑼の音が鳴り渡った。
「スタートォォォォッ!!」
実況MC・陣内拓海の絶叫を合図に、円形に配置された巨大な競技テーブルについた十六名の選手たちが、一斉に第一関門の食材へと襲いかかった。
第一関門『和』。
用意されたのは、直径三十センチの漆黒のすり鉢に山盛りにされた【武蔵野うどん】である。
一杯の重量は一キログラム。これを規定の五杯、計五キログラムを完食した者から、次のピザステージへと進むことができる。
武蔵野うどん最大の特徴は、一般的なうどんの常識を覆すほどの『極太さ』と、歯を押し返すような暴力的なまでの『強靭なコシ』にある。やや茶色みがかった地粉を使った麺は、一本一本がねじれ、うねっており、温かい豚肉とネギのつけ汁に浸して食べるのがセオリーだ。
「ズズズッ! ガツッ、ガツッ!!」
予選を勝ち上がってきた巨漢の男性フードファイターや、大食い自慢の猛者たちが、一斉に極太うどんを啜り上げる。
だが、次の瞬間、彼らの顔が歪んだ。
「お、重い……! なんだこの硬さは!」
「啜れない! 噛み切るだけで顎の筋肉が悲鳴を上げそうだ!」
陣内がマイクを握りしめて解説を挟む。
「おおっと! 開始早々、多くの選手が武蔵野うどんの洗礼を受けているぅっ! このうどんは、啜るというより『噛みちぎる』『喰らう』という表現がふさわしい剛麺! 序盤から強烈に顎の力を奪い、さらに胃の中でつけ汁を吸って膨張する、最悪のスターターだぁっ!」
そんな阿鼻叫喚の光景をよそに、シード枠の怪物たちは別格の動きを見せていた。
「気合よ! アイドルは顎の力も強いのよ!」
姫野くるみは、小柄な身体からは想像もつかないパワフルな咀嚼で、極太麺をガシガシと噛み砕いていく。
「フッ、若手は元気が良くていいが……うどんの食い方ってのを教えてやるよ」
レジェンド・轟牡丹は、麺をつけ汁に浸す時間を絶妙にコントロールし、表面をわずかに柔らかくしてから、流れるような所作で胃袋へと送り込んでいた。
そして。
カチャリ。ズズッ。ゴクリ。
四宮凛子は、相変わらず左手でスマートフォンを操作しながら、一切の表情を変えることなく、一定のリズムで剛麺を処理し続けていた。彼女の機械的な顎には、疲労という概念すら存在しないようだった。
「さて……私も、いただきます!」
シルフィリアは、割り箸を割ると、極太の麺をたっぷりと摘み上げ、豚肉の脂が浮いた熱々のつけ汁にくぐらせた。
そして、勢いよく口の中へ。
「っっっ!!!」
咀嚼した瞬間、シルフィの碧眼にキラキラと星が輝いた。
「美味しいぃぃぃっ!!」
マイクを通して、今日も絶好調の歓喜の食レポがアリーナに響き渡る。
「この麺、とてつもない弾力です! まるでお口の中で、小麦の精霊たちが力強く跳ね回っているかのよう! 噛み締めるたびに、小麦本来の素朴で力強い甘みがジュワッと溢れ出してきます! そして、この温かいつけ汁! 豚肉の濃厚なコクと、長ネギの甘み、カツオのお出汁が見事に調和して、荒々しい剛麺を極上のご馳走へと昇華させています!」
シルフィの身体の奥底から、美味しいものを食べた喜びに反応して、魔力変換器官が猛烈な勢いで稼働を始めようとしていた。
(美味しいです! もっと! もっと早く、たくさん食べたいです!)
エルフの狩猟本能と食欲が、シルフィの背中を押す。
いつものように、限界までペースを上げて、この一キロのうどんを数分で飲み干してしまいたい衝動に駆られた。
だが、その時。
「シルフィーッ!! こっち見なさい!!」
観客席の最前列、競技テーブルのすぐ目の前のフェンスにしがみつくようにして、篠原結衣が大声を上げた。
シルフィがハッとして視線を向けると、結衣は両手で巨大なスケッチブック(カンペ)を頭上に掲げていた。
そこには、極太のマジックで、こう殴り書きされていた。
『ストップ! 時計を見ろ! ペースは70%!』
「……っ!」
シルフィは、スケッチブックの文字を見た瞬間、ハッと我に返った。
脳裏に蘇るのは、中国地方の町中華で、四宮凛子に味わわされた初めての絶対的な敗北の記憶。
十キロのカツカレーを前に、本能のままに爆食いした結果、魔力タンクが限界を迎え、身体が全く動かなくなってしまったあの絶望感。
『いい、シルフィ。このトライアスロンは、本能のままに爆食いしたら絶対に途中で魔力が飽和して止まるわ。あの機械女(凛子)のペースに惑わされないで、自分のペースを守り抜くのよ!』
結衣との特訓の日々が、頭をよぎる。
シルフィは、手元の割り箸を握る力をスッと抜き、大きく深呼吸をした。
(そうです……。私はもう、ただ本能のままに食べるだけの『食いしん坊』ではありません。結衣殿と共に戦う、フードファイターなのです!)
シルフィは、競技場の上に設置された巨大なデジタルタイマーをチラリと確認した。
そして、自分の体内で燃え上がろうとしていた魔力変換のフルスロットルを、意志の力でグッと押さえ込み、セーブモードへと切り替えた。
「ズズッ……モグ、モグ、モグ……」
シルフィの食べるスピードが、ガクンと落ちた。
いや、落ちたのではない。『意図的に制御』したのだ。
「おやっ!? どうしたことでしょうか!」
その変化を、実況の陣内が見逃すはずがなかった。
「いつもなら開始直後から神速のペースで他を圧倒するエルフちゃんねる・シルフィリア選手ですが、今日は明らかにペースが遅い! 一口食べては、ゆっくりと咀嚼を繰り返しています! これは、武蔵野うどんの強靭なコシに、早くも顎が悲鳴を上げているのかぁっ!?」
アリーナの観客たちも、ざわめき始めた。
「エルフちゃん、調子悪いのかな……」
「やっぱり、あんな細い顎じゃ、極太うどんはキツいんだよ」
ライバルである姫野くるみも、隣で豪快に麺を噛み砕きながら、チラリとシルフィを見て眉をひそめた。
(シルフィ……どうしたの? あんたのポテンシャルはあんなもんじゃないでしょ?)
しかし、観客席の最前列でカンペを掲げ続ける結衣の顔には、焦りではなく、確かな『手応え』の笑みが浮かんでいた。
(よし! いいわよシルフィ。その調子!)
結衣はスケッチブックのページをめくり、次の指示を出した。
『ゲンさんの教えを思い出せ! 噛む回数、30回!』
そのカンペを見たシルフィは、コクリと力強く頷いた。
大会の二週間前。
特訓に行き詰まっていた二人は、シルフィが初めて現代日本のご飯を食べた原点である、定食屋『満腹亭』を訪れていた。
頑固オヤジのゲンさんは、カツカレーで敗北したというシルフィの話を聞くと、厨房のカウンター越しに腕を組んで、こう言ったのだ。
『嬢ちゃん。あんたの胃袋がブラックホールみたいに何でも吸い込む魔法の袋だってことは、俺も知ってる。だがな、いくら底なしの袋でも、デカい岩をそのまま放り込み続ければ、入り口が詰まっちまうだろうが』
『入り口が、詰まる……?』
『ああ。大食いってのは、ただ胃袋を膨らませる競技じゃねえ。いかに食べ物を「消化しやすいドロドロの状態」にしてから胃に送り込むか、その効率化の競技なんだよ。あんたは今まで、美味え美味えと勢いに任せて、ほとんど丸呑みに近い状態で食ってたはずだ』
ゲンさんの指摘は、図星だった。美味しいものを前にすると、つい咀嚼もそこそこに飲み込んでしまっていたのだ。
『俺たち人間はな、よく噛んで、唾液と食べ物をしっかり混ぜ合わせることで、胃の負担を劇的に減らしてるんだ。うどんみたいな炭水化物の塊は特にそうだ。そのまま飲み込めば、胃の中でスポンジみたいに出汁を吸って膨らみ、消化(魔力変換)に莫大な時間がかかる。……いいか、最低でも三十回は噛め。歯を使って、うどんの繊維を完璧にすり潰すんだ。それが、人間側が編み出した大食いの究極のテクニック、「咀嚼による胃の負担軽減」だ!』
ゲンさんの言葉を胸に、シルフィは目の前の武蔵野うどんに向き合っていた。
ズズッ、と極太麺を啜り上げる。
(1、2、3……)
シルフィは、頭の中で正確にカウントを取りながら、エルフの精巧な顎の骨格を使って、うどんをリズミカルにすり潰していく。
(……28、29、30! ゴクリ)
三十回の咀嚼によって、強靭だった剛麺は口の中で完璧なペースト状となり、豚肉の脂と唾液が見事に乳化して混ざり合った状態で、胃袋へと滑り落ちていく。
「……おおっ!」
シルフィは、小さく歓声を上げた。
胃袋に到達した瞬間、ペースト状になったうどんは、マナ・クラフター(魔力変換器官)にとってこれ以上ないほどに処理しやすい最高の燃料となっていた。
カツカレーの時のように、胃の奥にドスンと重い塊が居座る感覚が全くない。
食べた端から、スムーズに、まるで清流の水が流れるように、静かに魔力へと変換されていくのだ。
魔力タンクの急激な温度上昇(オーバーフローの予兆)は一切なく、メーターは極めて安定した数値を保っていた。
「結衣殿! ゲンさん殿!」
シルフィは、満面の笑みで結衣の方を振り返り、親指を立ててみせた。
「とっても快適です! お腹が全く重くなりません! それに、よく噛むことで、小麦の甘みがより一層深く感じられます!」
「オッケー! そのペースを維持よ!」
結衣も、拳を握りしめてガッツポーズをした。
シルフィの様子を見た陣内が、実況のトーンを一段階上げた。
「おや!? シルフィリア選手、ペースは遅いものの、その表情には全く苦痛の色がありません! むしろ、一キロのうどんを平らげ、二杯目、三杯目へと突入しても、食べるスピードが『1秒たりとも落ちていない』ではありませんか!」
そうなのだ。
一般の選手たちが、三杯目(三キロ)あたりから急激に顎の疲労と胃の膨張に苦しみ、箸が止まり始めている中。
シルフィリアの『咀嚼三十回ペース』は、遅いながらも、恐るべき安定感でうどんの山を削り続けていたのだ。
その安定感は、隣で食べる四宮凛子の目に、かすかな疑念を抱かせるには十分だった。
(……エルフちゃんねる・シルフィリア。私の『一定のペース』を模倣しているようですね)
凛子は、レンゲを動かしながら、メガネの奥で冷ややかに分析した。
(しかし、無駄な努力です。感情を捨てきれない人間に、機械のような正確なペース維持など不可能。いずれ焦りが生じ、ペースが崩れるのは目に見えています)
だが、凛子のそのデータに基づく予測は、今回ばかりは大きく外れることになる。
なぜなら、シルフィは感情を捨てて機械になったわけではない。
結衣という相棒の指示への『絶対的な信頼』。
そして、ゲンさんから教わった、食べ物をより美味しく、より身体に優しくいただくという『食への愛と工夫』。
それらの『感情』と『絆』が、彼女のペースを支える強靭な柱となっていたからだ。
「はふっ、もぐもぐもぐ……!」
シルフィの額には、うっすらと汗が浮かんでいるが、それは苦痛の汗ではない。スポーツ選手が心地よい疲労感と共に流す、爽やかな汗だった。
一杯一キロの武蔵野うどんが、次々と空になっていく。
「残り時間、六十分!! ここで、第一関門の五キロを突破する者が出たぁぁぁっ!!」
陣内の絶叫と共に、アリーナにけたたましいブザーが鳴り響いた。
一番乗りで五杯のうどんを空にしたのは、やはり四宮凛子だった。彼女は口の周りをナプキンで事務的に拭き、無表情のまま、すぐ後ろに用意された第二関門のテーブルへと移動を開始する。
「凛子選手、圧倒的! 息一つ乱さず、第一関門突破です! 続いて……おおっと! ほぼ同時に、レジェンド轟牡丹、そしてアイドル姫野くるみも五キロを完食し、第二関門へ!!」
トップ集団が次々と次のステージへと進んでいく。
そして、トップから遅れることわずか二分。
「ごちそうさまでした!!」
シルフィリアもまた、五杯目のすり鉢のつけ汁を最後の一滴まで飲み干し、満面の笑顔で両手を合わせた。
「エルフちゃんねる・シルフィリア選手も第一関門突破!! 序盤の遅れを見事に挽回し、トップ集団にピタリと食らいついています!!」
ワァァァァァァァッ!と、観客席から大歓声が送られる。
シルフィは、席を立ち、第二関門のテーブルへと向かう途中、観客席の結衣に向かって大きく手を振った。
「結衣殿! 人間の方々のテクニック、素晴らしいです! 魔力タンクの容量は、まだ半分以上も空いていますよ!」
「上出来よシルフィ! このままのペースで行けば、絶対に勝てるわ!」
結衣はスケッチブックを抱きしめ、涙ぐみながら叫び返した。
ただの食いしん坊の少女と、限界ディレクター。
二人は今、完全なる『二人三脚』で、日本最高峰の戦いの舞台を駆け抜けているのだ。
第二関門のテーブルには、すでに凶悪な『洋』の刺客が待ち構えていた。
直径四十センチ。分厚いパン生地の上に、滝のようなチーズとサラミ、そしてギトギトのオリーブオイルが海のように広がる、【特大アメリカンピザ】である。
うどんで酷使した顎と、膨れ上がった胃袋に、とどめを刺すための脂と炭水化物の暴力。
他ブロックの選手たちが、そのピザを見た瞬間に絶望で顔を覆う中。
「おおおおおっ!! 次はチーズとお肉の円盤ですか!! 和のお出汁の後に、洋の濃厚な脂! なんて完璧なコース料理なのでしょうか!!」
シルフィリアだけは、両手を頬に当て、今日一番の輝く笑顔を弾けさせていた。
「いただきます! メインディッシュ、全力で堪能させていただきます!」
魔力タンクのコントロールを覚え、フードファイターとしての本物の技術を手に入れた美少女エルフ。
彼女の進撃は、もう誰にも止められない。
全日本大食いチャンピオンシップ、戦いの舞台は、さらなる絶望が渦巻く第二関門へと突入していく。




