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第24話:大食い界の姐御・轟牡丹との邂逅〜見抜かれた異世界の胃袋〜

巨大イベントホール『関東メガ・エキシビションホール』の裏側に設けられた、出場者専用の広大な控室。

先ほどまでの、静まり返った殺伐とした空気はどこへやら。現在の控室は、まるで激しい野戦を生き延びた傷病兵たちの野戦病院のような、悲惨で痛々しい有様となっていた。


「ああっ……水……誰か、氷水をちょうだい……!」

「胃が……胃が燃えてる……。もう一生カレーなんて見たくない……っ」

長机に突っ伏してうめき声を上げる者。用意された牛乳や飲むヨーグルトをがぶ飲みし、涙目で胃の痛みに耐える者。ソファに横たわり、天井を見つめて虚無の表情を浮かべている者。

予選第1ステージ『激辛カレー対決』。

キャロライナ・リーパーをはじめとする凶悪なスパイスの洗礼は、全国から集まった猛者たちの胃壁と精神を容赦なく削り取っていた。

上位十名に滑り込み、なんとかこの予選を突破した選手たちでさえ、ダメージは深刻だった。あの『ドカ食いキャバ嬢』のアゲハでさえ、メイクがドロドロに崩れた状態でパイプ椅子に深く腰掛け、氷嚢を胃のあたりに当てて荒い息を吐いている。


そんな阿鼻叫喚の地獄絵図と化している控室の片隅で、ただ一人だけ、完全に別の空間にいるかのような明るい声が響いていた。

「結衣殿! この『らっしー』という白い妖精の飲み物、本当に素晴らしいですね! カレーの辛さを消し去るだけでなく、これ単体でも非常に甘くて美味しいです! おかわりは無いのでしょうか?」

あずき色のジャージではなく、今日のために新調した緑色のファンタジー風ワンピースに身を包んだ美少女エルフ・シルフィリアである。

彼女は、激辛のダメージなど微塵も感じさせないケロッとした表情で、ケータリングのテーブルに置かれた紙コップのラッシーをちびちびと大事そうに飲んでいた。透き通るような白い肌には汗一つなく、瞳はらんらんと輝いている。

先ほどまで口の中を業火に焼かれて涙目になっていたのが嘘のようだ。


「もう……あんたって子は、本当に心臓に悪いんだから……」

相棒である篠原結衣は、パイプ椅子にへたり込み、疲労困憊の様子でため息をついた。

「激辛で完全に止まった時はどうなるかと思ったけど……まさかラッシーで辛味を中和して、それを魔力変換の起爆剤にするなんて。でも、シルフィの胃袋が無事で本当によかったわ」

「ご心配をおかけしました。ですが、結果的にあの赤いマグマの山を七杯も討伐できたのですから、大収穫です! 豚肉の旨味とスパイスの奥深さ、そしてラッシーの甘味……。現代日本の食の技術は、まさに魔法そのものですね!」

シルフィが満面の笑みでそう語っていると、突如、控室の空気がピクリと変化した。

重厚な扉が、ゆっくりと開かれたのだ。


カラン、コロン。

静まり返った室内に、下駄の鳴る音が響き渡った。

入ってきたのは、一人の女性だった。

年齢は三十代半ばから後半といったところだろうか。黒髪を粋な夜会巻きに結い上げ、燃えるような大輪の牡丹の花が描かれた、極彩色の豪奢な和服をビシッと着こなしている。

背筋はピンと伸び、その立ち姿からは、ただ者ではない圧倒的な存在感と、歴戦の強者だけが持つ『覇気』のようなものが漂っていた。

鋭いながらもどこか温かみのある瞳。そして、豪快な姐御肌を感じさせる口元の笑み。


「…………っ!」

ソファで横になっていたアゲハが、その姿を見た瞬間、弾かれたように跳ね起きた。

「と……轟、さん……っ」

他の疲弊しきっていたフードファイターたちも、次々と姿勢を正し、畏怖と憧望の入り混じった眼差しで彼女を見つめた。

結衣もまた、その女性の顔を見て息を呑んだ。

「あの人は……轟牡丹とどろき ぼたん……! なんで、大食い界の生ける伝説が、出場者の控室に……!?」


轟牡丹。

それは、日本の大食い競技の歴史において、絶対に避けては通れないレジェンドの名前である。

かつて日本中を熱狂させた大食いブームの立役者の一人であり、数々の公式大会で圧倒的な強さを誇った元絶対女王。現在は一線を退いているものの、大食いYouTuberの先駆けとして活動を続けながら、大食い界のご意見番として絶大な影響力を持っている。

本大会には『特別解説員』として招かれていると結衣もパンフレットで見ていたが、まさか直接控室に現れるとは思っていなかった。


「お疲れさん。みんな、よくあのふざけた『デス・マグマ・カリー』を乗り越えたね」

牡丹は、キセルをふかすような仕草で指を口元に当て、カラカラと豪快に笑った。

「陣内の奴も悪趣味だよ。いきなりあんな胃腸をぶっ壊すようなモンを出してきやがって。まあ、それだけ今回の『新人王』には本気だってことなんだろうけどね」

牡丹は控室を見渡し、生き残った十名の選手たちの顔を一人一人確認していく。

そして、その視線が、部屋の片隅でラッシーの紙コップを持っている金髪の美少女――シルフィリアでピタリと止まった。


カラン、コロン。

牡丹は下駄を鳴らしながら、迷うことなく真っ直ぐにシルフィの元へと歩み寄ってきた。

「おおっ! 和の心を感じる、とても美しいお召し物ですね! あなたもこの闘技場に集いし戦士の一人ですか?」

シルフィが無邪気に声をかけると、牡丹はフッと目を細め、シルフィの顔を至近距離で覗き込んだ。

「戦士、ねぇ。アタシはもう現役を退いた、ただの食いしん坊のババアさ。……あんたが、ネットで噂になってる『エルフちゃん』だね? さっきのステージ、解説席から特等席で見させてもらったよ」

「はい! エルフのシルフィリアです! 先ほどのカレーは少し痛かったですが、とても美味しかったです!」

「だろうね。あんたのあの食べっぷり、見ていて本当に気持ちが良かった」

そう言うと、牡丹は突然、スッと右手を伸ばし――。

ポンッ、と。

シルフィの、緑のワンピースの上から、ペタンコのお腹を軽く叩いたのだ。


「えっ」

結衣の心臓が、キュッと音を立てて縮み上がった。

牡丹は、シルフィのお腹に手を当てたまま、ニヤリと口角を吊り上げた。

「……お嬢ちゃん。あんたのこの胃袋……『普通の人間』じゃないね?」


――ドクンッ!!

結衣の全身から、一瞬にして血の気が引いた。

(ば……バレた!? なんで!? お腹を触っただけで、シルフィが人間じゃなくて、食べたものを魔力に変換してる異世界のエルフだってことがバレたの!?)

結衣の脳内に、最悪のシミュレーションが駆け巡る。

『エルフの存在が公的機関にバレる』→『国家権力や謎の秘密組織に捕まる』→『シルフィが解剖台の上で実験体にされる』→『私は不法入国を手引きした罪で逮捕される』。

(お、終わった……! 私たちのYouTuberドリームが、こんなところで……!!)


「あ、あわわわわ! ち、違います轟さん! この子は普通の人間です! ちょっと代謝がいいだけの、遠い親戚のハーフの女の子で、パスポートもちゃんと……!」

結衣が顔面蒼白になって牡丹とシルフィの間に割って入ろうとした、その時だった。


「あっはっはっはっは!!」

牡丹は、結衣の慌てふためく様子を見て、腹を抱えて大爆笑した。

「なにをそんなに焦ってんだい、お嬢さんのマネージャーさん。アタシが言ってるのは、そういう意味じゃないよ」

「え……? 違う、意味……?」

「ああ。アタシはね、長年この大食いって狂った世界で、数え切れないほどのフードファイターの『胃袋』を見てきた。たくさん食べる奴はごまんといる。だけどね……」

牡丹は笑いを収め、真剣な、それでいてどこか優しい瞳でシルフィを見つめた。

「あんたからは、他の連中とは全く違う『食のオーラ』が立ち上ってるんだよ」


「食の、オーラ……?」

「そう。大食い競技ってのは、突き詰めればただの苦行だ。胃袋の限界を超えて、吐き気と闘いながら、無理やり固形物を身体に詰め込む。それはもう『食事』じゃない。ただの『作業』だ」

牡丹はチラリと、背後で疲れ切っている他の選手たちを見た。

「さっきの激辛カレーもそうだ。みんな、痛みを堪えて、気合と根性だけで胃袋に押し込んでいた。だけど、あんただけは違った。あんたは、あの地獄のような辛さの中でも、ちゃんとカレーの『旨味』を感じ取り、ラッシーの『甘味』に心から感動し……ただ純粋に、食事という行為そのものを『楽しんで』いた」


牡丹の言葉に、シルフィは目を丸くしてコクリと頷いた。

「はい! だって、あんなに手間暇かけて作られた美味しいご飯を、味も分からずにただ飲み込むなんて、食材の命に対する冒涜ではありませんか。食べ物は、味わうためにあるのです!」

「……その通りだ」

牡丹は、満足そうに深く頷いた。

「普通の人間は、極限状態になれば『味わう心』なんて真っ先に捨てちまう。だけどあんたは、どんな時でもそれを手放さない。あんたの胃袋から立ち上るその圧倒的な熱量……アタシには、それが不思議なオーラのように見えたのさ」


(オ、オーラ……)

結衣は、心の中で特大のため息をつき、その場にへたり込みそうになるのを必死に堪えた。

要するに、牡丹はエルフの正体を見破ったわけではなく、シルフィの体内で魔力変換が行われる際に生じる『マナの熱量』を、長年の経験から直感的に「大食いファイターとしてのオーラ」として感じ取っただけだったのだ。

あまりにも鋭すぎる直感だが、正体がバレていないのであれば問題ない。結衣は胸を撫で下ろした。


「いいかい、お嬢ちゃん」

牡丹は、シルフィの両肩に手を置き、真っ直ぐに彼女の碧眼を見据えた。

「これから先のステージは、激辛なんて目じゃないほどの、とんでもない質量のバケモノ食材たちが待ち受けている。周りの連中も、なりふり構わず牙を剥いてくるだろう。だけど……あんたは、今のその『食べ物を楽しむ心』を、絶対に忘れなさんなよ」

「食べ物を楽しむ心……」

「大食いのマナーの基本は、食べ物を粗末にしないこと。そして、誰よりも『美味しく食べる』ことだ。それができなくなった時、フードファイターはただの暴食の亡者に成り下がる。あんたのその純粋な胃袋なら……ひょっとすると、今の冷え切っちまった大食い界に、新しい風を吹かせられるかもしれないね」


大食い界のレジェンドから、新世代のダークホースへ。

それは、単なるアドバイスを超えた、重みのある『継承』の儀式のようにすら見えた。

シルフィは、牡丹の真っ直ぐな言葉をしっかりと受け止め、花が咲くような極上の笑顔を浮かべた。

「はい! 轟牡丹殿! 私、どんな強敵(ご飯)が現れようとも、決して感謝を忘れず、最後の一口まで最高に美味しくいただいてみせます! エルフの誇りにかけて!」

「エルフの誇り、ね。あっはっは、言うじゃないか! その意気だよ!」

牡丹は豪快にシルフィの背中をバシッと叩き、「それじゃあ、解説席に戻るよ。次のステージも楽しみにさせてもらうからね」と言い残し、再び下駄の音を響かせながら控室を去っていった。


嵐のように現れ、嵐のように去っていったレジェンド。

彼女の残した言葉は、シルフィの心に、そして結衣の心にも、深く、温かいものを残していった。


『――予選第1ステージを突破した十名の選手の皆様にお知らせいたします。これより、予選第2ステージを開始いたします。速やかに特設ステージへご移動ください』

再び、控室のスピーカーからアナウンスが響く。


「よし……。行くわよ、シルフィ」

結衣は立ち上がり、気合を入れるように両手で自分の頬をパンッと叩いた。

「牡丹さんの言う通りよ。私たちは、私たちのスタイルを貫く。どんなルールだろうが、どんな相手だろうが、あんたのその『最高に美味しく食べる』っていう才能があれば、絶対に勝てるわ!」

「はいっ! 結衣殿!」

シルフィは元気よく返事をすると、お腹の辺りをさすってニヤリと笑った。

「激辛のダメージは完全に抜けました! むしろ、ラッシーのおかげで胃袋の準備運動は完璧です! さあ、次の最高級食材は何でしょうか! お肉!? お魚!? それとも甘いお菓子!?」


『――ギュルルルルルルルルルルルルルルルッッッ!!』

再び、控室の空気を震わせるほどの轟音の腹の虫が鳴り響く。

先ほどまでの疲労から立ち直りかけていたアゲハたち他のフードファイターたちは、その音を聞いて再び「ビクッ!」と肩をすくめ、完全に怯えきった視線をシルフィに向けた。


レジェンドからの言葉を胸に刻み、はらぺこエルフの胃袋はさらなる強敵を求めて鳴動する。

次に彼女たちを待ち受けるのは、海の宝石箱とも呼ばれる、とてつもない質量の『海鮮丼』であった。

大食い新人王決定戦・予選第2ステージの幕が、今、高らかに開かれようとしていた。

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