推し未所持者相談窓口
「現在、“無推し状態”がどれくらい続いていますか?」
窓口の女性は、責めるでもなく尋ねた。
「たぶん、三年くらいです」
女性は少しだけ眉を下げる。
「それはお辛かったですね」
私は曖昧に笑った。
別に、辛いわけではない。
ただ最近、人と話していると時々不安になる。
映画の話になっても、アイドルの話になっても、みんな何かを“推して”いる。
その熱量を前提に会話が進む。
「○○のライブ行った?」
「新ビジュやばくない?」
「生きがいって感じ」
そういう言葉に頷きながら、私はずっと少しだけ遅れている気がしていた。
だから軽い気持ちで、“推し未所持者相談窓口”を予約したのだ。
女性は端末を操作しながら言った。
「近年、推しを持たない方は増えています。安心してください」
安心、という言葉に少し驚く。
まるで軽度の不眠症みたいな扱いだった。
「原因としては、熱狂疲労、感情投資への恐怖、自己同一性の保護などが考えられます」
「はあ」
「ちなみに、過去に強く何かへ没頭された経験は?」
私は少し考える。
高校時代の部活。
帰りの夕方。
「また明日」が当たり前だった頃。
「……まあ、一応」
女性は静かに頷いた。
「でしたら、“高揚後平熱化症候群”かもしれませんね」
初めて聞く病名だった。
「一度強い接続を経験した方が、その後の熱狂を“代替品”のように感じてしまう症状です」
私は思わず笑ってしまった。
「そんな病気あるんですか」
「正式にはまだ障害認定されていません」
女性は真顔で答えた。
「ただ、近年かなり増えています」
窓口の外では、大型モニターに今期人気推しランキングが流れていた。
街の人々は、それを安心した顔で見上げている。
推しを持つことは、健全な感情循環の証明だった。
「治るんですか、それ」
女性は少し考えてから言った。
「治療というより、“再接続”に近いですね」
「再接続」
「はい。推しに限らず、“ちゃんと自分の感情が動くもの”を探していくんです」
私は窓の外を見る。
夕方だった。
青空とオレンジの夕空が、混ざらないまま同じ空に存在していた。
「……それ、見つかる人いるんですか」
女性は少しだけ笑った。
「最近は、“見つからない状態を共有するコミュニティ”も人気ですよ」
――窓口を出る。
駅前のモニターを眺めながら、自分の推しがランクインしていることに一喜一憂している。彼らにとってはこれが日常なのだ。
私はその横を通り過ぎながら、スマートフォンを開く。
特に連絡は来ていない。
ふと立ち止まって空を見上げた。
混じり合わない絵の具のように、青とオレンジが共存する空が、ただ美しかった。
別に、推しが欲しくなったわけじゃない。
ただ、
“こういうのを誰かに話したくなる感じ”は、まだ残っているらしかった。




