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推し未所持者相談窓口

作者: 仮保存
掲載日:2026/05/18

「現在、“無推し状態”がどれくらい続いていますか?」

 窓口の女性は、責めるでもなく尋ねた。


「たぶん、三年くらいです」


 女性は少しだけ眉を下げる。

「それはお辛かったですね」


 私は曖昧に笑った。

 別に、辛いわけではない。

 ただ最近、人と話していると時々不安になる。


 映画の話になっても、アイドルの話になっても、みんな何かを“推して”いる。

 その熱量を前提に会話が進む。


「○○のライブ行った?」

「新ビジュやばくない?」

「生きがいって感じ」


 そういう言葉に頷きながら、私はずっと少しだけ遅れている気がしていた。


 だから軽い気持ちで、“推し未所持者相談窓口”を予約したのだ。


 女性は端末を操作しながら言った。

「近年、推しを持たない方は増えています。安心してください」


 安心、という言葉に少し驚く。

 まるで軽度の不眠症みたいな扱いだった。


「原因としては、熱狂疲労、感情投資への恐怖、自己同一性の保護などが考えられます」


「はあ」


「ちなみに、過去に強く何かへ没頭された経験は?」


 私は少し考える。


 高校時代の部活。

 帰りの夕方。

 「また明日」が当たり前だった頃。


「……まあ、一応」


 女性は静かに頷いた。


「でしたら、“高揚後平熱化症候群”かもしれませんね」


 初めて聞く病名だった。


「一度強い接続を経験した方が、その後の熱狂を“代替品”のように感じてしまう症状です」


 私は思わず笑ってしまった。

「そんな病気あるんですか」


「正式にはまだ障害認定されていません」

 女性は真顔で答えた。

「ただ、近年かなり増えています」


 窓口の外では、大型モニターに今期人気推しランキングが流れていた。

 街の人々は、それを安心した顔で見上げている。

 推しを持つことは、健全な感情循環の証明だった。


「治るんですか、それ」


 女性は少し考えてから言った。

「治療というより、“再接続”に近いですね」


「再接続」


「はい。推しに限らず、“ちゃんと自分の感情が動くもの”を探していくんです」


 私は窓の外を見る。


 夕方だった。


 青空とオレンジの夕空が、混ざらないまま同じ空に存在していた。


「……それ、見つかる人いるんですか」


 女性は少しだけ笑った。

「最近は、“見つからない状態を共有するコミュニティ”も人気ですよ」


 ――窓口を出る。


 駅前のモニターを眺めながら、自分の推しがランクインしていることに一喜一憂している。彼らにとってはこれが日常なのだ。

 

 私はその横を通り過ぎながら、スマートフォンを開く。

 特に連絡は来ていない。


 ふと立ち止まって空を見上げた。

 混じり合わない絵の具のように、青とオレンジが共存する空が、ただ美しかった。


 別に、推しが欲しくなったわけじゃない。


 ただ、

 “こういうのを誰かに話したくなる感じ”は、まだ残っているらしかった。

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