第8話「バグだらけの神殿と、白い病室」
お読みいただきありがとうございます。
今回は少しホラーな展開になります。
ファンタジー世界にあってはならない「異物」が登場します。
「……なに、これ」
夜のログイン直後。
神殿の内部に足を踏み入れた私は、思わず声を漏らしていた。
そこは、さっき足を踏み入れた神殿の奥のはずだった。
石造りの壁、苔むした床、魔力を帯びた青い松明。
しかし、その光景のあちこちに、奇妙な「ノイズ」が走っている。
まるで、接触不良のテレビ画面のように、景色がザザッ、と砂嵐に書き換わるのだ。
『……部長、気をつけてください』
インカム越しの有馬の声も、どこか遠く、ノイズ混じりに聞こえる。
『このエリア、マップデータが存在しません。いえ、正確には「壊れて」います。無理やり別のデータを継ぎ接ぎしたような……』
「別のデータ?」
私が尋ねようとした時、九条が足を止めた。
「……おい。あれを見ろ」
彼が指差した先。
通路の瓦礫の山に、場違いなものが埋もれていた。
「え……?」
錆びついた剣でも、宝箱でもない。
銀色の金属ポールと、プラスチックの車輪。
それは、現実世界の病院で見かける「点滴スタンド」だった。
「なんで……こんなところに点滴が?」
ファンタジーの世界観をぶち壊す、無機質な現代の遺物。
それが石壁にめり込むようにバグって(グリッチして)存在している。
寒気がした。
ここは、ただのゲームのマップじゃない。
誰かの記憶か、あるいは悪夢の中なんじゃないか。
【徘徊するノイズ】
『……警告。接近反応あり』
有馬の鋭い声。
通路の奥から、ズルズルと何かを引きずるような音が近づいてくる。
「構えろ、二階堂」
九条が剣を抜く。
しかし、その手はわずかに震えていた。
現れたのは、モンスターではなかった。
いや、かつてモンスターだった「何か」だ。
輪郭が定まらず、黒いノイズの塊となって明滅している人型。
テクスチャが剥がれ落ち、中身のワイヤーフレームが剥き出しになっている。
「な、なにアレ……気持ち悪い……」
生理的な嫌悪感が胃からせり上がってくる。
『……クスリ……』
不意に、ノイズの塊から声がした。
獣の唸り声じゃない。
機械音声で合成されたような、無機質な日本語。
『……クスリ……ハ……ドコ……』
「ッ!?」
九条が息を呑む。
私もギョッとして彼を見た。
その声は、第1話で出会ったあの「老戦士(祖父)」の声に、酷く似ていたからだ。
「まさか……爺さんなのか?」
九条が動揺しながら一歩踏み出す。
「九条、だめ! 近づかないで!」
私の制止も聞かず、彼は剣を振り下ろした。
しかし。
ブンッ。
剣はノイズの体をすり抜け、虚しく空を切った。
「なっ……!?」
物理判定がない。
『……イタイ……クルシイ……』
ノイズが悲鳴を上げ、黒い霧のような腕を伸ばしてくる。
その腕が九条の体に触れた瞬間。
「がぁぁぁぁっ!!」
九条が絶叫して膝をついた。
HPバーは減っていない。
なのに、彼は頭を抱えて激しくのたうち回っている。
『精神汚染です!』
有馬が叫ぶ。
『ダメージじゃない! 脳に直接「苦痛」の信号を送ってきてます! 部長、そいつと戦っちゃダメだ! 逃げてください!』
「九条! 立つってば!」
私はのたうち回る九条の襟首を掴み、無理やり引きずった。
「うぁぁぁ……あぁぁ……」
九条の瞳孔が開いている。
現実で見えている「NPCカーソル」と、目の前の「祖父の声」。
虚構と現実の境目が崩壊し、彼の精神を蝕んでいるのだ。
「しっかりしなさいよ! あんたがイカれたら、誰が私を守るのよ!」
私は涙目で叫びながら、めちゃくちゃにアイテムを投げつけた。
しかし、『床ワックス』も『激辛スパイス』も、すべてノイズをすり抜けてしまう。
「嘘でしょ……物理無効なんて聞いてないわよ!」
『部長! 右の扉です!』
有馬の指示が飛ぶ。
『そこの部屋だけ、データが安定しています! そこに逃げ込んで!』
私は九条を抱えて、死に物狂いで右側の鉄扉に飛び込んだ。
【被験体No.9】
バタンッ!
扉を閉め、背中でロックする。
外からは、あの『……クスリ……』という呻き声と、扉を引っ掻く音が続いているが、入ってくる気配はない。
「はぁ、はぁ……九条、大丈夫?」
私は床に座り込んだ九条の顔を覗き込んだ。
彼は顔面蒼白で荒い息をしていたが、焦点はようやく定まってきたようだ。
「……悪い。不覚を取った」
「ほんとよ……死ぬかと思った」
私は安堵のため息をつき、顔を上げた。
そして、息を呑んだ。
「……ここ、どこ?」
そこは、石造りの神殿の中ではなかった。
白い天井。
消毒液の臭い。
窓から差し込む、夕暮れのオレンジ色の光。
パイプベッドに、心電図モニター。
そこは、紛れもなく「現代の病室」だった。
「……爺さんの、病室だ」
九条が、ふらつく足で立ち上がり、呆然と呟く。
「俺が毎日通っている……現実の病室と、同じだ」
なぜ、ゲームの中に現実の場所があるのか。
侵食は、一方通行じゃなかった。
ゲームが現実を変えるように、現実の記憶もまた、このゲームを形作っている。
「……九条、これ」
私は、ベッドサイドのテーブルに置かれた一枚のカルテ(クリップボード)に気がついた。
古びて黄ばんでいるが、文字は読める。
そこには、無機質な明朝体でこう記されていた。
『プロジェクト・アーカーシャ 臨床実験記録』
そして、その下の被験者名欄を見て、私の心臓が凍りついた。
『被験体No.9 : 九条 蓮』
「……え?」
九条が私の手からカルテを奪い取る。
彼の手が小刻みに震えている。
「なんだよ、これ……。俺が、被験体……?」
彼は何も知らなかったようだ。
祖父を救うためにプレイしていたはずのゲーム。
しかし、その実験台として名前が刻まれていたのは、祖父ではなく、九条蓮自身だった。
『……ようこそ。適合者』
不意に、病室のスピーカーからノイズ交じりの放送が流れた。
それは感情のない、合成音声。
『お待ちしておりました。9番目のサンプル』
白い病室が、夕日に赤く染まっていく。
私たちは踏み込んでしまったのだ。
ただの都市伝説だと思っていた、この世界の「本当の姿」に。
ホラー回でした。
物理攻撃が効かない敵、そして突如現れた「現実の病室」。
九条自身が実験体だったという衝撃の事実が判明しました。
「1〜8」はどこへ行ったのか?
そして「プロジェクト・アーカーシャ」とは?
謎が深まる中、物語は急展開を迎えます。
「続きが気になる!」「ゾクッとした」と思っていただけたら、
下にある【☆☆☆☆☆】マークで評価していただけると嬉しいです!




