第13話「30歳の私と、愛しい小さな手」
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組織に捕まった玲奈。
意識を失った彼女が目覚めた場所は、病院のベッドでも、牢屋でもありませんでした。
チュン、チュン……。
小鳥のさえずりが聞こえる。
木の香りと、スープを煮込むような良い匂いが鼻をくすぐる。
「……ん……」
私は重いまぶたを持ち上げた。
頭が痛い。さっきまで、あの紳士に謎のデバイスを向けられて、頭が焼き切れそうになって……。
「……あれ?」
体を起こすと、そこは知らない部屋だった。
病院の無機質な病室じゃない。
太い丸太を組んで作られた、暖かみのあるログハウスのような寝室。
窓からは、見たこともない美しい森と、どこまでも青い空が見える。
「……どこ、ここ?」
私はベッドから降りた。
体が、なんだか重いような、それでいて芯がしっかりしているような、不思議な感覚がする。
ふと、部屋の隅にある姿見(鏡)が目に入った。
そこに映っていたのは。
「…………は?」
寝癖のついた女子高生じゃなかった。
落ち着いた色のリネンの服を着て、髪を緩く束ねた女性。
目元のあどけなさは消え、少し大人びた雰囲気を纏っている。
でも、その顔立ちは間違いなく私だ。
「え……嘘……」
私は恐る恐る自分の頬に触れた。
指先の感触も、肌の質感もリアルだ。
シワがあるわけじゃない。むしろ、10代の頃より肌艶が良いかもしれない。
ただ、明らかに「経た時間」が違う。
「……老けてる? いや、成熟してる?」
直感的に分かった。
鏡の中の私は、どう見ても「30歳くらいの私」だ。
【愛しい闖入者】
「なによこれ……新しいイベント? アバター強制変更?」
私は慌てて空中に指を滑らせた。
メニュー画面を開いて、ログアウトしなきゃ。
しかし。
シュッ。シュッ。
指は虚しく空を切るだけ。あの青いウィンドウが出てこない。
「……嘘でしょ? メニューが開かない」
嫌な汗が背中を伝う。
「有馬! 聞こえる!? ねえ、有馬!!」
大声で呼んでみる。
しかし、脳内に響くはずのインカムの声は聞こえない。ノイズすらない、完全な静寂だ。
「……どうなってるのよ」
ここがVR空間なのは間違いないはずだ。現実でいきなり10年以上も歳を取るわけがない。
でも、この空気の密度、匂い、温度……すべてが現実よりもリアルだ。
その時。
ドタドタドタッ!
階下から、慌ただしい足音が近づいてきた。
「ママー!!」
バン! と勢いよくドアが開く。
「……え?」
飛び込んできたのは、7歳くらいの女の子だった。
黒髪のボブカット。活発そうな瞳。
女の子はそのまま、私のお腹にダイブしてきた。
「おはよー! ママ、やっと起きたー!」
「ぐえっ!?」
結構な衝撃。痛い。VRなのに痛覚がある?
「ちょ、ちょっと待って! 誰がママよ! 私はまだ花の17歳……」
私は女の子を引き剥がそうとして、その顔をまじまじと見た。
「……っ」
言葉が詰まった。
その子は、私によく似ていた。
そして、その少し目尻の上がった鋭い瞳は……どこか、あの不愛想な男(九条)に似ている気がした。
「ミナ……?」
私の口から、勝手に名前が零れ落ちた。
そうだ。この子はミナ。私の娘。
え? なんで知ってるの?
記憶がないはずなのに、この子への愛おしさが胸の奥から湧き上がってくる。
「どーしたのママ? 寝ぼけてるの?」
ミナが不思議そうに首を傾げる。
「パパは遠征に行っちゃったでしょ? 今日はミナと森に行く約束だよ!」
「あ……そ、そうだったわね」
パパ? 遠征?
混乱する頭の片隅で、別の私が「それが日常でしょ」と囁いている。
【完璧な日常】
わけがわからないまま、私はミナに手を引かれて外に出た。
「今日はシチューのお肉を獲るんだよね!」
ミナが木の枝を剣のように構える。
「お肉……?」
家の裏手は深い森に繋がっていた。
私は壁に掛かっていた狩猟用のナイフと弓を、自然な手つきで手に取っていた。
(……重い)
ゲームのデータじゃない。ずっしりとした金属と木の重み。
森に入ると、茂みの奥でガサリと音がした。
「あっ! ウリボウだ!」
猪のようなモンスター……いや、野生動物が飛び出してくる。
「危ない!」
私は考えるよりも先に動いていた。
ヒュッ!
構えた弓から放たれた矢は、吸い込まれるように猪の眉間に命中した。
「すごーい! ママかっこいい!」
ミナが歓声を上げて抱きついてくる。
私は自分の手を見つめた。
スキルの補正じゃない。
長年、この体で生きてきたからこそできる、熟練の職人芸。
「……私、ここで生きてるの?」
その夜。
私は獲った肉でシチューを作り、ミナと向かい合って食卓を囲んでいた。
「おいしー! ママのご飯、世界一!」
ミナが口の周りをクリームまみれにして笑う。
「ふふ、あわてないで」
私はナプキンで彼女の口元を拭いてあげた。
その温もり。
スープの味。
暖炉の火の爆ぜる音。
すべてが温かくて、満ち足りていて。
現実世界で感じていた将来への不安や、九条を助けなきゃという焦燥感が、嘘のように遠ざかっていく。
(……帰りたくないかも)
ふと、そんな思いがよぎった。
有馬の小言も、学校の勉強も、命を狙う組織もない。
ここには、愛しい娘と、平和な日常がある。
これが「夢」なら、覚めないでほしい。
私は30歳の体で、7歳の娘を強く抱きしめた。
窓の外には、見たこともないほど美しい満月が輝いていた。
新章・異世界編です。
目覚めたら30歳。可愛い娘付き。
あまりにも幸せすぎる世界に、玲奈の心は揺れ動きます。
しかし、この世界には決定的な「何か」が欠けています。
次回、玲奈はこの甘い夢の「違和感」に気づいてしまいます。
そして、現実に戻るための決断を迫られます。
「ミナちゃん可愛い!」「九条似の娘……尊い」と思っていただけたら、
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