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日だまりルームシェア

作者: 石田空

 会社が唐突に兵庫県に移転してしまった。

 なにを言っているのかわからないけれど、私にもよくわからなかった。

 仕方なく、今まで住んでいたところから、ネットでアパートを見ながら住む場所を探すことにした。さすがにウィークリーマンションは高く付き過ぎる。

 神戸は山側はなかなか交通の便は大変だけれど、海側はたくさんのショッピングモールやデパート、繁華街で賑わっていて、なによりも有名なお菓子屋さんが多いのが惹かれた。神戸の中華街、南京町が歩いたらすぐ辿り着くのも嬉しい。

 神戸に着いた私は、カートを引きながら目的のアパートに向かい、大家さんに挨拶をして、違和感に気付いた。


「あれ? もうそこに住む人来てたけど?」

「はい?」


 私は慌てて不動産屋さんに言われた部屋に向かう。大家さんが一緒についてきてくれた。


「すみません、飯山さん。ちょっといい?」

「はい?」


 扉から出てきた人を見て、私は思わず仰け反った。大柄なお兄さんが出てきたのだ。

 そしてお兄さんの向こう側。DIYでやけに原色系な板が並んでいる、どうも路地裏みたいな部屋のコーディネイトが施されてしまっていた。


「飯山さん、部屋汚したら弁償やけど」

「借りもんの部屋やから、なんも汚してないけど」


 神戸弁だ。神戸弁だ。私の内心はさておいて、神戸混じりの言葉で大家さんと話しはじめた。

 最近はやれ英語だ、やれネットだのせいか、あんまり大きな方言は耳にしなくなったと思っていたけれど、神戸に直接訪ねたらそのまんま神戸の言葉が聞けるんだなあと、私は素直に感心した。

 大家さんは「不動産屋さんに電話してみぃ」と話してくれた。

 私とお兄さん、ふたり揃って不動産屋に電話をしてみたら、あっさりと割れてしまった。


「はあ!? ネットで予約がほぼふたり同時だったから、そのまんま処理されてた!?」

『大変申し訳ございません。普通だったらありえないことなんですが……』


 いわく、ネットの予約システムを更新したところで、不具合でスルッとふたりとも予約完了してしまい、ふたり揃ってアパートに引っ越してくるまで発覚しなかったと。

 私の前の家は既に鍵を返却してしまっているし、あと一週間で私も新しい会社で働かないといけない。


「困ります……私の条件で別の部屋は……」

『大変申し訳ございません、現在立川様のご希望条件に合う部屋がございません……』


 どうするの。全然土地勘のない場所にほっぽり出されるの私。泣きそうになっていたら、ふいにお兄さんがひょいと私のしゃべっていたスマホを取り上げた。


「もしもし、飯山ですけど。別に自分が彼女引き取ってもかまやしませんけど」

「はい?」

「彼女の条件の部屋、見つかるまでは、です。自分も仕事ありますんで、いきなり出てけと言われても無理やけど、それは彼女もでしょ。はよ次の部屋探したってください」

『はっ、はい……!』


 そのまま電話が切れてしまった。私は茫然とお兄さんを見上げた。飯山さんと名乗ったお兄さんは私よりも身長は最低40cmは高くて、どうしても見上げてしまう。

 私たちの話を聞いていた大家さんは心配そうに私たちを見た。


「大丈夫? あなたたち初対面でしょう?」

「はははは、さすがに見知らぬ子ぉ襲ったりはしません。しかも不動産屋の被害者やし。せやろう?」


 話を傾けられ、私はわからないまま、首を縦に振った。

 大家さんは心配そうに「そう? 本当にどうしても駄目そうだったら、立川さんうちにいらっしゃいね」とだけ言って、大家さんは帰っていった。

 私は困った顔で、飯山さんを見ると、飯山さんは肩を竦めた。


「まあ、こんなとこで難やし。とりあえず部屋の振り分けと今後のこと決めようや」

「は、はい……」


 こうして私は一旦部屋に入ることになった。


****


 部屋はDIYであちこちに原色カラーで塗りたくられた板があると思ったら、それはハンガー掛けになったり、部屋の敷居になったり、便利そうに使っていた。


「元カノが細かい性格やったし、あの頃は住んでた部屋が狭かったから、プライバシーに個室は必要言われて、DIYするようなってん。これで部屋の敷居できん?」


 板を調整して、私用にスペースをつくってくれた。

 台所はさすがに私たちで共通スペースにするとして、週末に買おうと思っていた冷蔵庫や家電一式は既に飯山さんが持ち込んでいた。

 最近は料理しないひとり暮らしも多いと言うけれど、これだけ揃っているのは面白い。

 なによりも私は家電を「ほお……」と眺めていて目に付いたのは。丸い型がたくさん付いた鉄板が付いた家電が普通に並んでいたことだ。これは……。


「なに? たこ焼きメーカー見てるん?」


 そう当たり前のように言われて、私は声を上げた。


「関西の人って、本当にたこ焼きメーカーは家に一台あるんですか!?」

「うーん? 関西人が一家に一台あるかどうかは知らんけど、少なくとも関西人やなかったら、たこ焼きメーカー買うほどたこ焼き焼かんのちゃう? たこ焼き粉なんて、他のとこやと売ってるのあんまり見たことないし」

「たこ焼き粉!?」

「たこ焼き用につくってある粉やけど……やっぱりないよなあ。俺も他のとこで働いてたとき、自分の言葉だけちゃうんやなあ、ローカル魂はって感心したもん」

「うわあ!」


 私が勝手に興奮しているのを、飯山さんは呆れた顔で見ていた。

 ひとまず私用の部屋の区分を済ませてから、ふたりで台所のことについて話すことにした。


「一応俺、早朝から働いてて、終わるのは夕方やから、あんま家にはおらんとは思うけど」

「早朝から……どこでですか?」

「ホテルやけど」

「ホテ……」


 この人、なにやってる人なんだろうと思ってたらホテルマンだったのか……にしては、ホテルマンっぽい雰囲気もなく、私はあれ、と思ってたら「ホテルマンちゃうよ、コンシェルジュちゃうよ」と笑われた。


「ホテルん中入ってる店で働いてんねんやな。早朝の仕込みから夕方の準備までは俺の仕事。たまに昼から夜まで働いてることもあるけど、夜勤は月に二日くらいやね」

「はあ……つまりは料理人さん……」

「せやねえ。で、自分は?」

「えっと……」

「ああ。こっちの方言わからんか。自分っていうのは俺のことやなくって、そちらのことやな」


 そう言って私のほうに手を振った。

 あー。関西弁で自分っていうのは「あなた」「君」の意味も含まれるんだな。

 そう納得してから、私は答えた。


「私はここに本社が移転しまして。そこで営業として働きます」

「なるほどぉ。そかそか。ならとりあえず買い物行こか」

「……はい?」

「次の物件見つかるまではルームシェアせなあかんし、俺もひとり分ちまちまつくるよりは何人か分まとめてつくったほうが楽やねん。せやからなに食べたいか見せて」

「あ、はい」


 こうして私は飯山さんと一緒にスーパーに行くことになった。


****


 カルチャーショックを受けたのは、ソースコーナーだった。

 何故か無茶苦茶ある。


「……本当にお好み焼き用ソースってあるんですね」

「せやけど。他の地方やったら、中濃ソースで一緒くたやねえ」

「たしかにとんかつソースとかはありますけど……お好み焼き用ソースと焼きそば用ソースってどう違うんですかね?」

「とろみかなあ。お好み焼きソースは仕上げに使うけど、焼きそば用ソースは炒めながら使うから。そういや立川さんはたこ焼き食べたいんやっけ」

「あ、はい……迷惑じゃなければ、ですけど」

「ええよ。なら買おか」


 そう言ってひょいと飯山さんはたこ焼き用ソースを買った……だから関西、ソース多過ぎるってば。他にも揚げ玉……関西では天かすと書いてあった……、青のり、紅ショウガをひょいひょいと買い、最後にたこを買って帰ることにした。

 帰ったら私はひとまずたこ焼きの鉄板を用意しながら、飯山さんに尋ねた。


「私、なんかしたほうがいいですかね?」

「せやねえ……なら鉄板に油塗っといて。俺はちょっと用意するから」

「はあい」


 とりあえず鉄板の電源をセットし、いつでも温められるようにしてから、油を塗りはじめた。本当にたこ焼き器って人の家にあるもんなんだなあという興味と関心。

 その間飯山さんはせっせとたこ焼きの生地を準備していた。

 たこ焼き粉を水と卵、だし汁を混ぜて用意っていうのは、お好み焼きの生地と似ている。そして器には天かすと紅ショウガ、メインのたこ。あと青のりを入れてお盆に載せると、それをリビングまで運んできた。


「じゃ、焼こか」

「あ、はい」


 たこ焼き器の電源を付けて生地を鉄板に流し込むと、そこに手早く天かす、紅ショウガ、そしてたこを放り込んでいく。そして長い棒でくるくると円を描きながら生地をまとめてひっくり返しはじめた。屋台で見たことある光景だ。


「関西の人って、その棒どこの家庭にもあるんですか?」

 私はひょいひょいと丁寧にたこ焼きを引っ繰り返していく棒を見ながら飯山さんに尋ねると、飯山さんは「アハハ」と笑った。


「たこ焼き焼くんやったらせやろねえ。ピック」

「たこ焼き焼かなかったら持ってませんよ、それは」

「そうかもしれんねえ。ほら、第一陣お待ち。そこにソースと青のりはあるから、セルフサービスやで」

「ああ、ありがとうございます」


 私はそう言いながら、たこ焼きソースをかけた。青のりは歯に貼り付くのが嫌で、外の屋台ではまず断るけれど。飯山さんが焼いてくれたしなあ。なによりも青のりはいい匂いがして、これをかけたらきっとおいしくなるだろうなと思ったら抗うことができず、そのまま「えいっ」とかけてしまった。

 そしてひと口食べる……表面がカリッと焼けていて、中はとろとろ、たこと紅ショウガが意外にアクセントになっている……でも食べてて気付いた。


「……天かすはどこ行ったんですかねえ」

「でも天かす入っとるよ。これ火ぃかけたら溶けんねんなあ。それがたこ焼きに深みを与えてるんやな」

「でもたこ焼きに揚げ玉って思いつきませんでした」

「関東やったら揚げ玉やっけ? 天かすはこの辺りやったら結構味のアクセントに使うんやけどなあ」


 なるほど、関西と関東だったら細かくいろいろ違うとは思っていたけれど、まさか味覚でまで違うとは思わなかった。

 なにより、関西と関東だったら味が違うとか言われていたけれど。今のところ抵抗なく普通に関西の料理人さんのつくってくれたたこ焼きは食べられてしまった。

 私のルームシェア兼関西滞在は、順調過ぎるほど順調なスタートを切ったのだった。


****


 とりあえず、ゴミ捨てと掃除は私。料理と食器洗いは飯山さん。洗濯は折半。洗濯は自分で洗って自分のテリトリーで干したいだろうからと、互いの洗濯物には手を付けない。買い物は週に一度ふたりで買うということで話はまとまった。

 そうは言っても、私と飯山さんが一緒に食事をするのは夜だけで、残りはほぼ会わなかった。早朝……というよりほぼ深夜に洗濯機の音がしたら、寝ながら飯山さんが行く前に洗濯機かけているんだなと思うし、朝ご飯の準備の音がしたら、なにをつくったんだろうなとひとりでクイズをしながらまどろむ。飯山さんは自分でつくったDIYの壁を越えて私になにかしらアクションを取ることはまずなかった。

 朝起きて、朝ご飯を確認する。飯山さんはホテルのなんの店の料理人かは知らないけれど、朝ご飯は毎度毎度冷蔵庫の残り物を使って不思議なものをつくっていた。

 今日は冷蔵庫に半端に残りがちなちくわ、青菜の漬物、紅ショウガを入れたキッシュで、材料が全部ごちゃごちゃしているのに、食べたらやけにおいしい味がした。キッシュの生地に使っているのは、多分春巻きの皮だろう。サクサクとした歯ごたえと中のしっとり加減がいい具合で、トースターで少し温めたらおいしくいただけた。

 神戸で働き出して驚いたのは、やけにお菓子屋さんが多く、観光客だけでなく地元民も普通に仕事帰りに店に寄って買っているのが多かったこと。たまたま働いている会社の通勤路にあった店は、夕方になったらやけに混雑していた。

 覗いてみたら、プリンが飛ぶように売れていたので、首を捻りながらもふたつプリンを買って帰ることにした。


「ただいま帰りましたー」

「ああ、お帰りぃ」


 そう言いながら、飯山さんが出迎えてくれた。私は目をパチパチしながらプリンを見せると、飯山さんは破顔した。


「あー、よそから来た子は夜には食べんと思ってたから買うたことなかったけど。ありがとう。でもどうしたん?」

「仕事先の近所の店、やたらと混雑してたんで。でもなんでですかねえ。観光客よりも地元の人のほうが多かったんで」

「それなあ。これは神戸限定というか関西限定というか」

「はい?」

「食後におやつ食べる習慣があんねんなあ。他の地域やったら、夜に血糖値がぁとか、食べたら太るとか言われとうから、聞かれんかったらその習慣は教えんかったけど」

「えっ。それ本当に?」

「ホンマホンマ。神戸はむっちゃ菓子屋あるやろう? そこから普及したんやろねえ」


 そういえば。このお菓子は海外メーカーだろうと思っていたブランドは、大概は神戸発祥だったりする。バレンタインデーはチョコレートをあげる日って日本人独特の感性だって、元を正せば神戸発だったはず。


「なら今度から買ってきますよ」

「えー……でも高いやろう? ええよ、ふたり分もわざわざ」

「だって。さすがに住ませてもらってる上に、ご飯までつくってもらってるじゃないですか。悪いですよ」

「でも立川さん、このあたりのスーパーの位置とかもようわかってないから、自分で買うたほうが早い言うだけで……」

「そう言われても。私プロの料理人からただでご飯の面倒見てもらってるんですから、これくらいはさせてくださいよ」

「えー……金取るようなもんはさすがにつくっとらんけどなあ……まあ、ええか」


 そう言いながら、つくってくれたものをお皿に盛ってくれた。

 海鮮チャーハンのあんかけに、麻婆豆腐だ。


「ほんまやったらそこの南京町で全部買うてきたほうが早いんやけどなあ」

「私、あんまり本格的なものだったら辛くって食べれませんよっ」

「四川料理も本当は辛いだけじゃなくって香りで食べさせるもんなんやけどねえ……まあえっか。いただきます」


 そう言いながらふたりでハフハフと海鮮チャーハンと麻婆豆腐をいただいた。

 海鮮チャーハンにかかったあんかけが、いい具合にチャーハンを包み込んでくれている。そしてどうやってつくってるのかわからないくらいにパラパラなチャーハンは中に入っている海鮮といい具合に混ざっておいしい。前に冷凍シーフード買ったから、それでつくっているんだとは思うけど、これ本当に冷凍シーフードだよなあと、旨味が逃げてない味を噛み締めながら首を捻る。

 そして麻婆豆腐だけど。私は元々そこまで辛いものは得意じゃない。でも飯山さんのつくる麻婆豆腐は花椒のいい香りが食欲をそそり、海鮮チャーハンと合わせていくらでも食べることができた。


「おいしいです!」

「ありがと。その辺にあったもんでちゃっちゃかつくっただけやけど」

「いや、プロの料理人さんにご飯つくってもらって。申し訳ないと言いますか。家事の配分、私のほうが重めにしたほうがよくないですか?」


 何気ない軽口を言ったら、ぴたっと飯山さんは動かしていたレンゲを止めた。私はそれにあれっとなる。


「あの?」

「立川さん。そういうのはあんま言うたらあかんよ」

「えっとどれのことでしょうか?」

「自分を安売りするような真似、マジであかんよ。ホイホイ悪い男に乗せられて不幸になる子むっちゃ見るから。たまたま立川さんは不動産屋の被害に遭っただけやから、自分をいちいち下げるようなこと言うたらあかんよ。マジで」

「えっと……ごめんなさい?」


 私は思わず謝ったら、飯山さんは困ったように笑ってから、ようやっとレンゲを動かしはじめた。


「今はそれでええけど」


 私は飯山さんとの会話をどうにか頭の中で反芻した。

 自分の中では自分自身を下げたつもりはなかったし、むしろ料理人さんをタダ働きさせるのは駄目なんじゃと思っただけなんだけれど。飯山さん視点では私は自分のことを下げている女子に見えたらしい。

 ……要は私が簡単に飯山さんに懐いたから、「そんなにチョロかったら他の男にいいようにされてもしょうがないから気を付けろ」ということらしい。

 ああ、そっか。私。

 チョロ過ぎて心配されたんだ。

 恥ずかしいし情けないしいたたまれない。せっかく食後のデザート文化で買ってきたプリンも食べて、味もつるんとしていておいしかったはずなのに、悶々とした気持ちが治まらなかった。

 風呂に入ってからも、寝床に行って飯山さんに「おやすみなさい」と挨拶してからも、消灯して布団の中に転がっているときも、ずっともやもやと、なにに対してそこまでいたたまれないと思ったのかを考えないといけなかった。

 ああ、いたたまれない。


****


 私が飯山さんと生活しはじめて、三週間目になった。ときおり催促で不動産屋さんに連絡してもしどろもどろで、どうにも次の住処が決まらない。

 いい加減あそこを信用するのを辞めて、他の不動産屋さんに相談に乗ってもらうべきか。そもそもあの人は私を舐めているようだからなあ。

 どうしたもんかと思いながら、私は仕事をしていた。

 経理の仕事なんてとすぐに馬鹿にされるが、税処理は年ごとに替わるし、この数年は国家レベルで替わることが続いているから、その都度研修や勉強を重ねないと続けるのが難しい。その日も私は研修ノートを読みながら仕事手順を確認していたら。


「立川さん。ようやっと新年度も終わりそうですし、そろそろ飲みに行きませんか?」


 そう神戸に越してきてできた同期の真中さんに誘われる。それに私は「あー」と声を上げた。そういえば、前は経理の仕事が嫌過ぎて、帰る途中にコンビニに寄ってビールとおつまみを買わないとやってられなかったのに、最近は断酒気味だ。

 飯山さんは味覚が資本の仕事のせいなのか、あんまりお酒を飲まない。料理人でもお酒を飲む人もいるから、あの人の料理の仕事の問題だろう。私は未だにあの人がなんの料理人なのかを知らないんだ。

 まさか同居人のご飯がおいしくって飲みに行ってないなんて言えなかったけれど。私は尋ねる。


「どこに飲みに行くんですか?」

「ホテルで無茶苦茶おいしいおしゃれなワインバーがあるんですよ」


 そう言ってホテルの名前を挙げてくれた。それに私は内心「あ」となった。そのホテルはちょうど飯山さんが働いているホテルだ。ホテルのどの店で働いているかまでは知らないけれど、もしかすると会えるかもしれない。

 私も自分の仕事をしているところなんて飯山さんに見せたいとは思わないし、もし遠巻きにでも押しかけたら幻滅されてしまうかもしれないけれど。ただあの人の仕事を見てみたかった。


「行きたいです」

「わかりました! 予約取りましょう! 昼と夜、どっちがいいですか?」


 尋ねられて、私は当然のように答えた。


「昼で」


 やっぱり押しかけに行くのに、夜にすれ違うのはなんだか嫌だった。

 そうと決まったら、私は出かけるために服を買いに行った。一応ホテルのワインバーには堅苦しいドレスコード自体はないみたいだけれど、さすがに仕事に行く服で行くのもどうかと思い、シックなワンピースを一枚買った。

 それを着て、どこかで飯山さんを見てみたいと思った。


****


 ワインバーに流れているピアノ曲は、ときどきピアニストが激しく叩き付けるようにジャズを弾いたかと思ったら、突然バラードを弾き出す。中にはドラマやCMで聞いたことのあるものまで弾き出すから、比較的カジュアルな店なんだろう。

 私は真中さんや同期と待ち合わせをして、ワインバーに入ると、「それではどうぞ」とカウンターに案内された。

 カウンターの向こう側では料理しているのが見える。


「ここのワインバー、料理がものすっごくおいしいんですよ。創作フランス料理と言いますか」

「へえ……」


 食前酒はなにを頼もうかとしていたところで、私は思わず「あ」と声を漏らしかけて、飲み込んだ。カウンターの向こう側で、白いコックコートを着て、腰に黒いエプロンを巻いている飯山さんが見えたからだ。

 ……そっか。ワインバーで働いているんだから、普段からお酒の匂いをずっと嗅いでる訳だし、そんなに飲みたくなくなるか。

 一瞬だけ飯山さんはこちらを見たあと、すぐに料理しに出かけてしまった。


「ここ、お勧めはなんですか?」

「なんでもおいしいですよ。ワインと一緒のジャーマンポテト、海鮮アヒージョ、牡蠣のポワレ……」


 どうもこの店、ワインに合うフレンチやイタリアンをいいとこ取りして出している店みたいだった。ところどころドイツ料理も混ざっているみたい。

 結局は白ワインとそれに合わせて海鮮アヒージョ、あと生ハムとチーズの盛り合わせを皆で食べることにした。


「はい、お待たせ。海鮮アヒージョ。バケットにちゃんと油吸わして食べぇや?」


 そう言って出してくれたのは飯山さんだった。きっと普段だったら標準語でしゃべっていただろうに、私を見て崩れてしまっている。私は半笑いになり「どうもぉ」と言って受け取った。

 途端にカウンターがざわつく。


「ええ、立川さん、今のシェフと知り合い!?」

「知り合いと言いますか、一緒のアパートに住んでますね」


 まさかなし崩し的に同居しているなんて言えない。でもそれは格好のネタだったらしく、アルコールが回ったのもあってキャーキャー言われる。


「ガタイいいし料理おいしいし最高じゃないですか!」

「でも料理やる人って、プライベートだと伴侶に任せっぱなしってことないです?」


 そんなことないです。私が帰ってくるといつもおいしいご飯で出迎えてくれるので、家に真っ直ぐ帰る癖が付きました。

 そんなこと言える訳もなく、私は「アハハハハ」と半笑いしてたけれど。


「でも関西と関東って、いろいろ勝手が違うじゃないですか。色彩センスとか、味覚とか。大丈夫なんですか?」

「あー……それはありますねえ。関西の中でも特に神戸ってお高く止まっているというか。そういうところありますもんねえ」


 なんなんだよ、もう。私のことだったらいざ知らず、飯山さんのことを下げるの止めてくれないかな。


「なにが違うって言うんですか」


 アルコールが入っている私は、気が大きくなって思わず声を荒げる。

 一瞬周りはピタリと止まるけれど、私は白ワインをひと口飲んだ……鼻までツーンと通っていく芳香がたまらなく心地いいのに、ここで酔いを発散させないといけないのが可哀想だ。


「たしかに変わってるかもしれませんよ。神戸って大阪と京都となにがどう違うのか全然わかんねえって思ったときだってありますよ。でも、親切ですし、気が利きますし、優しいですし。お高く止まってるとか色彩センスが変とか、言っていいことと悪いことってあると思うんですよねっ」


 フォークでグサッと生ハムを突き刺すと、むしゃむしゃと平らげる。

 生ハムと白ワイン。程よい塩加減と酸味で無限に食べて飲める奴だこれ。私がなおも口を開こうとしたとき。

 カウンターからカランと音がした。氷と一緒にお冷やが継ぎ足されたのだ。継ぎ足したのは飯山さんだった。飯山さんは明るい笑みを浮かべている。ここで恥ずかしいから黙れじゃなく、カウンターで騒ぐなやかましいという怒りでなく、ただただ笑っている場合、こちらもどういう感情を読み取ればいいのかわからず迷ってしまう。


「お客様堪忍な。ほら、ちゃんと酒飲んだら水飲みぃ」

「あ……はい。すみません。ごめんなさい」


 私が飯山さんと気まずくなったのに気付いたのか、皆は慌てて「ごめんなさいねー!」と謝罪してから、会社の事務あるあるの話に話題が移行してくれた。

 私はそれに半笑いになりながら、一生懸命牡蠣と格闘していた。

 飯山さんに、恥ずかしい思いをさせてしまった。ただ遠巻きに飯山さんが見られたらいいなと思っただけだったのに、恥を掻かせてしまった。

 私、もう出て行ったほうがいい奴なのでは。

 解散してから、私は公園に向かうと、ベンチに座ってスマホを出した。電話で不動産屋さんに電話をかける。


「お世話になっております、立川です」

『ああ、立川さん! お世話になっております! お待たせして誠にすみません!』

「それで……私の次の部屋って見つかりましたでしょうか?」

『はい! そちらにメールでお送りますが、好物件が見つかりました! 内覧は……』


 本当だったら、内覧もなくすぐに引っ越したいところだけれど、また飯山さんみたくダブルブッキングになったら困るし、住みはじめてから「こんなの違う」じゃ遅過ぎる。

 私は内覧の予定を決めてから、やっとスマホを切った。

 まさか相手を恥掻かせたことで気付きたくなかった。私、飯山さんのこと無茶苦茶好きじゃない。

 涙が出てきた。失恋してから気付きたくなんてなかった。


****


 私が自分のスペースの中で布団を敷いてしばらく泣いていたら、玄関の扉が開いた。飯山さんが帰ってきたのだ。私はどうしようと思って、しばらく布団に転がったまま動けないでいたら、怪訝な声を壁の向こう側からかけられた。


「ただいまー。大丈夫か、立川さん。なんや自分とこの職場の人ずいぶんしゃべりやね」

「……お帰りなさい。すみません。普段は気のいい人たちなんですけど」

「あれやね。関西の人って基本的に距離感無頓着やから。詰め過ぎてよそから来た人を不快にさせたかもわからんね。すまんなあ」

「ああ、気にしないでくださいよ、全然」

「んー……どないしたん? 帰ってきて早々昼寝は、夜眠れなくなるで」

「寝てないですよ……ああ、そうだ。内覧決まったんです。不動産屋さんから連絡もらって、今度行こうと思ってるんです。これで、飯山さんに迷惑かけ通しだったの、やっと終わると思います」

「んー? ちょい待ちぃ。ちょっとそっち行ってもええ?」

「はい?」


 それに私は焦る。

 ずっとDIYで部屋の間取りをつくっていた飯山さんは、わざわざ私につくってくれたスペースに土足で入ってくることはしない。私だって、飯山さんのスペースに入ったことはないのだから。

 私は慌てて壁の向こうから出てくると、深々と飯山さんに頭を下げた。

 飯山さんは顔をしかめていた……やっぱり、昼間のこと、思うところがあったんじゃ。私はあわあわと口を開く。


「すみません。さんざん食事の世話だけしてもらって、それでお愛想もなしで出て行くなんて決めてしまって。せめて、なにかお礼だけでもさせてください」

「なんで出て行くん?」

「はい?」

「だって立川さん、この辺りのルールやしきたり、全然慣れてないのに。俺とおったらええやん。わざわざひとりになって苦労せんでも」


 そんなこと言われても……まるで付き合ってもいないのに関白宣言みたいなことを言う。私は視線をうろうろとさまよわせて、どうにか自分の考えをまとめようと努める。


「……そんなことないですよ。飯山さんに教わってだいぶ慣れました。最初はびっくりし通しでしたけど、それでもいつかは慣れるんです」

「慣れんでもええやろう?」

「なんでそんな意地悪言うんですか。だって……ずっと甘えてたら、私駄目になるじゃないですかあ」


 私は泣きそうになりながら、口をモゴモゴと動かした。


「地元と全然環境違うところに行って。突然物件トラブルにあって見ず知らずの人と同居することになって。その同居先の人にちょっと優しくされてコロリと落ちても」


 それに少しだけ飯山さんは目を丸くした。

 ……こんな形で伝えるつもりはなかったのに、こんな売り言葉に買い言葉で伝えるなんてどうかしている。なにか言おうとする飯山さんが口を開く前に、私は必死で口を滑らせた。


「それって本当に恋に落ちたって言えるんですかね。それってただの依存じゃないんですかね。恋はいいけど依存はなんというか、全然駄目です。自分で考えてなんにもできなくなるじゃないですか。地元から離れて、それって本当に、駄目過ぎます」

「あー……立川さんがずっと悩んでたことは、それやねえ」


 ようやっと納得したように、飯山さんは頬を引っ掻いた。うっすらと頬が赤いような気がするのに、私は戸惑った。


「参ったなあ……なんやこんな喧嘩みたいな告白受けたん初めてやし……」

「すみません、すみません、すみません」


 私だって、こんなにやり直したい告白をしたのは生まれて初めてだ。高校時代のほうがもうちょっと上手くやっていたと思う。

 やがて飯山さんは、私のほうにポンッと肩を叩いてきた。最近だったらなにをやってもセクハラと呼ばれかねないから、この人に触れられたのも今が初めてだった。私は飯山さんを見上げた。


「せやね。自分の気持ちがわからんっていうのはしゃあないわ。俺もさすがになあ、そんなブランブランの子に手ぇ出して、やっぱりただの気のせいでしたごめんなさいされたらしんどいし」

「いや……その……」


 私が及び腰になったせいか、慌てて肩から手を離してアワアワと手を振りはじめる飯山さん。


「せえへんせえへん。嫌がってる子にはなんもせえへん。たとえや、たとえ」

「はあ……」

「でも、嬉しかったんはホンマや。最初はえらい運のない子やねえとは思ったけど」


 そりゃそうだ。会社の移動が原因で転勤してきた矢先でダブルブッキングは、普通に運がない。相手が飯山さんでなかったら、土地勘のない場所に放り出されて路頭に迷うところだった。それに飯山さんはニコニコ笑う。


「でも一緒におったらおもろいし、なに食べさせてもニコニコしてるもんやから、最初は餌付けみたいな感覚やったけどねえ……どこからこうなったんかはようわからんけど、居心地よかったんは事実やで」


 それに私は固まった。

 ダブルブッキングでほぼ勝手に押しかけてきた人間に住み着かれて、嫌がることもなくそのまま過ごさせてくれたこの人に、ちゃんと好かれているとは思わなかった。

 だからこそ。私は小さく飯山さんの手を握った。


「……少しだけお別れさせてください。それで気のせいだったら、もうここには来ません。気のせいじゃなかったら……好きになってもいいですか?」


 あまりにも気の弱過ぎて、告白と言うには厚かましい言葉だった。それに飯山さんはクツクツと笑い声を漏らす。


「ええよ」


 そしてコロッと声色を明るく塗り替えてきた。


「でもそれはそうと、その内覧についていってもええ? あの不動産屋、男おらんかったらなにやらかすかわからんし。また立川さんをダブルブッキングしかけて、訳わからん男と同居なったら目も当てられん」

「え……そりゃ着いてきてくれるならありがたいですが。一応私の出した要望の物件らしいんで問題はないとは思いますが」

「一応や。女やと思われて足下見られて契約のときに断れんかったら困るやろ」

「あ、はい」


 こうして、内覧にはふたりで行くことになったのだ。


****


「いやあ……まさか自分のダブルブッキングのせいで、おふたりがお付き合いすることになるとは思ってもみなかったんですが」


 不動産屋さんは私と一緒に着いてきた飯山さんを見て、かなり腰が引けていた。

 元々飯山さんが大柄だというのがひとつに、ダブルブッキングの被害者が片方だけだったらともかくふたり揃って内覧に来たのは「またミスったら絞める」という宣告にも取れるのだろう。

 実際に私も、飯山さんみたいないい人とまたダブルブッキングになるとは思わないし、変な人と無理矢理一緒に住まわされても困るから、今度こそ念押しで確認しておきたかった。

 水回りは特に問題もなく、日差しも程よい具合。家具を持ち込めば普通に生活ができるだろう。私はキョロキョロ確認している中、飯山さんもキョロキョロと部屋を見回して、台所を気にしていた。


「飯山さん、なにか気になるところありましたか? 私はここの台所に特に問題ないと思ってましたけど」

「いや……うちの使い勝手は変わらんやろうなあと考えとった」

「あれ……」


 思わずポロッと言葉が出る。飯山さんはうっすらと頬を赤く染めていた。


「……彼女のとこに来たら、なんかつくろかなって思うやろ」

「さ、さすがにもし来てくれるんでしたら、今度は私がつくりますよっ! そう何度も何度も餌付けされる訳にはいきませんしっ!」

「ええ? なら次は自分が餌付けしてくれるん?」


 からかい混じりに言われ、私は「ううううっ」と喉を詰まらせた。


「……餌付けできる料理になるよう、頑張ります」


 でも中華料理もおいしくて、関西粉モン文化にも強くて、ワインバーで創作料理をつくっている人に、なにを出せばいいんだろう。

 ただ飯山さんは、私の背中をバシバシ叩いた。


「おうおう、頑張りぃや」

「はいぃ」


 私はそう背中を伸ばした。


 引っ越して、近くに飯山さんがいなくても、私は普通に通勤退勤繰り返して、日常生活は送れていた。

 でも、互いにアプリで連絡を取り合う。


【今度の土曜、遊びに行ってもええ?】


 そう言われて、私は思わずビクンと肩を跳ねさせ、慌てて返事をする。


【ご飯頑張ります】


 まるで笑っているかのように、スタンプがポンポン送られてきた。


【そんなきばらんでも】


 私たちの関係は、こうして続いていく。


<了>

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