9・公爵様と両親を会わせてみました
ディステル子爵家の屋敷に着いた私達は、中に入った。
すると家の扉を開けるなり、母の怒鳴り声が飛んできた。私は昨日から行き先を告げずに出かけていたため、家事を押し付けることもできず立腹していたのだろう。
「ちょっとフィオーレ、どこほっつき歩いてたのよ!」
しかし母は、私の隣のヴィルフォードを見るなり、ぎょっと目を丸くした。
「って……え? あ、あら……お客様……え……? いや、まさか……」
公爵家の人間と話す機会などなくとも、大きな舞踏会などで、遠目であってもその顔を見たことはあるだろう。ヴィルフォードは、一度見たら忘れることなどできない美形だ。母も、ひと目見て彼が公爵なのではないかと思ったようだが、「フィオーレが公爵様を連れてくるはずがない」という思いから、混乱している様子だった。
そんな母に、ヴィルフォードは美しく微笑みかける。
「お初にお目にかかります。私はヴィルフォード・スカビオサ。スカビオサ領の領主をしております」
「や、やっぱり公爵様!? 本物!?」
「ええ、本物です。証拠としては、こちらをどうぞ」
ヴィルフォードは胸ポケットから一枚の紙を取り出すと、そこに魔力で模様を浮かび上がらせた。
魔力紋である。魔力を込めたときの模様によって身分を証明することができるのだ。全ての貴族の魔力紋を記憶するのは大変だが、さすがに母も、公爵家の魔力紋くらいは知っていたようで、緊張した面持ちで背筋を伸ばす。
「こ、これはこれは失礼いたしました! どうぞお上がりになってください」
「ありがとうございます。急な訪問で恐縮ですが、子爵にもお会いしたいのですが」
「はい! ただいま呼んでまいります」
母は、大慌てで父を呼びにいった。普段、私や使用人達には威張り散らしている母が、ここまで萎縮している姿は初めて見たかもしれない。自分より下(だと勝手に思い込んでいる)相手には容赦しないのに、格上の相手だと、こうも下手に出るのか。……自分の親のそんな姿を見るのは、無性に虚しかった。
しばらくして、私とヴィルフォードは応接室に通された。私が日々掃除していることもあり、応接室は綺麗だ。私、ヴィルフォード、お父様とお母様の四人で向かい合う。
「あらためまして、突然の訪問にもかかわらずお時間を割いていただき、誠にありがとうございます」
「と、とんでもございません! 公爵様にいらしていただけるなど光栄でございます」
「それで、本日はどのようなご用件で……ま、まさかうちの娘が何か粗相を?」
「いえ、とんでもない」
ヴィルフォードは優美な笑顔のまま、告げる。
「突然のお話で恐縮ですが、私はフィオーレ嬢と婚約したいのです」
お父様とお母様は、目が点になっていた。
まるで時間が停止したかのように、二人はぽかんと口を開けたままになってしまう。
止まった時間を動かすように、ヴィルフォードは次の言葉を発した。
「私達の婚約を、お許しいただけますでしょうか?」
「も、もちろん! 願ってもないお話です」
「はい、是非。ですが……本当にフィオーレでよろしいのですか?」
母が不安そうにそう言い、ヴィルフォードは不思議そうに首を傾げる。
「と、いいますと?」
「この子は本当に出来の悪い子で。公爵家に嫁がせることが、少々お恥ずかしく……」
「……出来が悪い、ですか?」
「はい。なにせ一度伯爵家のご子息に婚約破棄されたような、不出来な娘ですし……お申し出は大変光栄なのですが、この子が公爵様にご満足いただけるか、心配で……」
公爵家との婚約なんて、我が家にとっては望外な話だろうに、どうしてわざわざそんな話をするのかと思えば。なるほど、また婚約破棄されることを危惧しているのか。
両親は、私がヴィルフォードを「上手く騙せた」と思っていて、後から「こんなはずじゃなかった、騙された」と言い出すのを恐れているのだろう。
たとえ婚約を結べたところで、二回目の婚約破棄となってしまえば、ディステル家にとってとんでもない醜聞になってしまうし、下手したら公爵家と揉めることになりかねない。ドグス達の件で懲りているからこそ、両親も慎重になっているのだ。
だからなのか――両親はこんな提案をした。
「ヴィルフォード様。婚約なら、この子の妹の、フローラはいかがでしょう? この子よりも若くて可愛いですし、ヴィルフォード様にもご満足いただけるかと」
「その通りです。おい使用人、フローラを呼んでこい」
妹と婚約してもらった方が、婚約破棄されたり、後から不満を言われたりするリスクが少ないと思っているのだろう。――公爵家とのパイプなら、より太く安全なものがいい、というわけだ。
(……私はもう、捨てられることが前提なのね)
ドグスに捨てられた前科があるから、そう思われても仕方がないのだろうか。だが、仮にも親が娘をこうまで貶める必要があるだろうか。……あってたまるか。
『フィオーレ』
『はい』
ヴィルフォードが心の声で語りかけてきたため、表情には出さず応答する。
『君の家族は、日常的に君をこのような扱いをしているのか?』
『はい、そうです』
『…………へえ』
彼の声は、怒ってくれているように聞こえた。……心の声であっても、感情は伝わってくるものなのだな。
ノックの音がし、父が入室を促す。
ドアを開けて入ってきたのは、妹のフローラだ。
「失礼します。公爵様がいらしているとお聞きして……」
フローラはヴィルフォードの美しい顔を見るなり、ぱあっと顔を輝かせた。
「はじめまして、ヴィルフォード様。私、フローラと申します。仲良くしてくださると嬉しいですっ」
そう言ってフローラはヴィルフォードの隣に座り、甘えるように擦り寄る。そして、ヴィルフォードから見えない角度で、私に向け勝ち誇った笑みを浮かべた。
しかしそこで――ぐっと、ヴィルフォードが私の肩を抱いた。
「生憎ですが、義妹として適切な距離の付き合いをするならまだしも、異性として親しくするつもりは毛頭ありません。私が愛しているのはフィオーレだけなので」
ヴィルフォードは、少しも崩れない完璧な笑みを妹と両親に向ける。
「ご両親も、どうかご心配なさらずに。私はフィオーレを溺愛しているのです。これほど私の心を奪う人とは、他のどこを探しても出会えません」
その言葉に、両親は目をぱちくりさせていた。妹は「は?」みたいに顔を凍りつかせている。
「は、はあ。それはよかったですが……。この子のどこをそんなに気に入ってくださったのですか……?」
「そうですね……彼女となら、理解し合えると思ったのです」
彼は微かに目を伏せる。長い睫毛が青い瞳にかかり、息を呑むほど美しい。
「今までの私は、孤独でした。顔や肩書きにつられて擦り寄ってくる者達はいましたが。一方的に甘い汁を啜ろうとする者達に囲まれたところで、虚しいだけでした。……ですがフィオーレは、私と苦楽を共にすると誓ってくれた。誰にも理解されなかった私の心に、触れてくれたのです。彼女とならこの先、手を取り合って歩んでゆける。そう感じたのです」
私達は、本物の婚約者ではない。だから彼のこの言葉だって、真実ではない。
だけど、少しだけ……完全な嘘でもないように感じられたは、気のせいだろうか。
「私にとってフィオーレは、何にも代えられない愛しい人です。私は彼女のこととなると、少し過敏になってしまいましてね。もしも彼女を傷つける者がいれば……どのような手段を使ってでも、制裁をくわえるでしょう」
ヴィルフォードが冷たく口角を上げた。ただ、それだけのことだ。武器や魔法で脅したわけでもなんでもない。……なのに、どうしてだろう? まるで氷魔法を使われたかのような錯覚に陥るほど、部屋の空気が冷たくなった気がした。
「ご両親は先程、婚約破棄を理由に、フィオーレが不出来な子だと言っていましたが。婚約破棄は、ドグスの身勝手さによるものでしょう。フィオーレに落ち度はなかったにもかかわらず、彼女は傷つけられたのです。それを責めるなど、筋違いにもほどがあると思うのです」
にっこり、と。彼はあくまで、両親を睨むわけでもなく、怒鳴るわけでもなく、終始落ち着いた態度で話している。……なのにこれだけ怖い空気を出せるのは、一種の才能に思える。
「もっとも先程のはただの謙遜であり、まさか、本心から娘をあれほど貶めたわけではないと思うのですが。もちろんそうですよね? あなた方は、私の愛するフィオーレのご家族なのですから。親なら外聞や体裁より、子どもを守るものでしょう?」
笑顔の中に、有無を言わせぬ圧がある。こんなふうに言われたら「もちろんです」以外の返答などないだろう。
お父様達は、だらだらと冷や汗を流しながら答えた。
「も、もちろんです、公爵様。先程は、突然の婚約のお申し出に、混乱してしまっており……。失言をお許しください」
「あなた方が許しを請うべきは、私ではなくフィオーレだと思いますが。もっとも、先程の発言は、私を試していたのですよね? 愛娘が突然見知らぬ男を連れてきたから、心配だったのでしょう。ですが私はフィオーレを心から愛しており、心配なさることは何もありませんので……あのような発言は、二度としないでいただきたい」
「も、もちろんです!」
お父様達は、完全にヴィルフォードに気圧され、腰が引けているようだった。
「そうそう。本日はハイドランシア伯爵家の結婚式だったでしょう? 私は招待されていたのですが、なにぶんフィオーレはドグスに、婚約破棄の汚名を着せられたままだったのです。そこでフィオーレの名誉、ひいてはこのディステル子爵家の名誉のため、彼女は婚約破棄されるような女性ではない、公爵家の妻になれる女性なのだと。以前から婚約済みであったという発言をしてしまったのです。これはディステル家のためでもありますので、口裏を合わせていただけますか?」
「え、ええ、もちろん」
すごい。相手が気圧されていたこの流れで、すらすらと「ディステル家の名誉のため」なんて言葉まで出し、有無を言わさず丸め込んだ。
すると、また脳内に心の声が響く。
『フィオーレ。本音を言えばもっと制裁をくわえてやりたいが……今はこの程度に留めておくのが得策だと思う』
『はい。充分です』
『俺は、ちっとも充分ではないとは思うけどね。……だがこれ以上の復讐なら、俺がゼラニウムの国王になってからの方が、きっと愉しい。どうせ落とすなら、相手が有頂天になっているときのほうがいいしね』
クスクスと愉悦に浸る笑い声が頭に響き、こっちがぞくっとしてしまうくらいだ。私よりも私の復讐にノリノリに思えるのは気のせい?
(でも確かに、娘が公爵夫人になったと思って有頂天になっていたら、突然転落なんて……正直、いい気味かもしれないわね)
『今は、これ以上は何もしない……とはいえ、後の破滅への布石くらいは用意しておこうかな』
ヴィルフォードは持っていた鞄から、何かを取り出した。
「私達の婚約を認めていただいたこと、口裏を合わせていただけること、誠にありがとうございます。お礼と言ってはなんですが、これは『公爵家からこの領地への寄付金』です。どうぞ領民のためにお使いください」
彼が渡したのは、小切手だ。そこに書かれた額を見て、両親は目を輝かせる。
「これはこれは……! さすがは公爵様! 誠にありがとうございます!」
「お心遣い、感謝申し上げます!」
「さて。それでは善は急げと言いますし、婚約の書類を書いてしまいましょうか。ついでに、そちらの寄付金の受領書もお書きください」
「はい、すぐに書きましょう!」
両親にとって、婚約の手続きは早ければ早いほどいい。そのため、書類作成にも完全に乗り気だった。そしてその「ついで」に受領書も書いて、ヴィルフォードに控えを渡すことになったわけで……。おそらく、ヴィルフォードの思う壺だ。
彼が渡したのはあくまで「領地への寄付金」。受領書にも明確にその旨は記してある。公爵家からの寄付金に手をつけ、領地経営に無関係な私用の贅沢品などを購入すれば、横領として罰することができる。
――手をつけるだろうな。うちの家族なら。
うちの領地はそう大きいわけではない。そのため上級貴族ほど贅沢な暮らしはできなかった。それゆえに、上級の暮らしに憧れを抱いており、皆それぞれ「流行最先端のドレスが欲しい」「王都の一流絵師に肖像画を描いてほしい」なとど日頃から口走っているのだ。こんな大金が突然舞い込んだとなれば、確実に着服して我欲を満たすだろう。
そしていずれその事実を公にされ、有頂天から転落し、破滅を迎えるだろう。
そもそも今まで、この家の帳簿は、父に押し付けられて私がつけていたのだ。私が家を離れたら、お父様もお母様もフローラも、面倒くさくて適当にやるだろう。
(……ヴィルフォードは、そこまで全部計算しているんだろうな)
秀麗な顔の奥に隠した狡猾さに、ぞくりとしてしまうほどだ。
この先に破滅が待っているとも知らず、両親と妹は、突然舞い込んだ大金に涎を垂らしそうだった――
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