5・公爵様とキスしてみました
「ヴィルフォード様……! これは伯爵家の矜持の問題なのです。いくらヴィルフォード様でも、家の問題に口出ししないでいただきたく存じます!」
(ヴィルフォード……そうだ、公爵様だわ)
ヴィルフォード様は、もとは隣国ゼラニウムの王太子だった。しかし、我が国ティランジアとの国交強化のため、パイプ役も兼ねて、十四年前、彼が六歳のときにこの国に預けられたのだ。
国のためのパイプ役なら王女を嫁がせるというケースが一般的だが、生憎ちょうどそのときゼラニウム側に、年頃かつ独身の王女がいなかったそうだ。そのため、彼がこの国へ送られることになったのだとか。最初は、王宮住まいで留学という形だったのだが、成人してから公爵位を与えられ、この国に永住することになったらしい。
しかし、彼がこの国に預けられたことについては、正直謎が多い。
建前上は「国交強化」とはいえ、同時期に、彼の母親……当時の正妃は魔獣に襲われて亡くなっており、それによって当時の側妃が正妃となった。王位継承権も、ヴィルフォード様から側妃の息子へと移ったらしい。
ヴィルフォード様の母の死は、本当にただの偶然だったのか。誰かの、何らかの思惑が裏で動いていたのではないかと噂されているが、真相は定かではない。
ともかく、そんなヴィルフォード様が、ドグスと対峙する。
(そもそも、ヴィルフォード様ほどの身分の御方が、この結婚式にいらしているなんて……)
いや、不思議ではないかもしれない。ヴィルフォード様は社交がお好きなのか、とにかくどんな貴族の夜会や冠婚葬祭にも顔を出すことで有名だった。
社交がお好きというか……何かの情報を集めるため、あえて人の多い場所に顔を出すようにしているのでは、なんて。彼の母親の死の噂とあわせて、そんな噂も出回っているけど。
(……それより今は、何故、彼が立ち上がってくれたのかだわ)
それだけ私が哀れだった? 同情? 正義感?
……だけど、一瞬。一瞬だけこちらの様子を窺った彼の瞳には、そんな生易しいものではない何かが見え隠れした。
そして彼……ヴィルフォード公爵様は、妖艶な微笑を浮かべながら告げる。
「彼女は私の……ヴィルフォード・スカビオサの婚約者。つまり、未来の公爵夫人だ。伯爵家ごときが口を出さないでもらおうか」
(え……!?)
彼の言葉に、この場にいた全員がザワッとどよめく。はっきり言って、私も驚いてしまった。ヴィルフォード様には何かお考えがあるようだから、表情には出さないように努めたけど。
「それに、被害者は彼女の方だ。それは、この場にいる皆が証人だろう?」
会場内は、しんと静まり返る。公爵様の言葉だから、というのもあるが、そもそもドグス達の方が悪であるということ自体は事実だからだ。
皮肉なものだ。二人の愛の証人となるはずだった人々が、二人の罪の証人となるなんて。
そんなことを考えていると、頭の中に声が響いて――
『素晴らしい能力だね、フィオーレ・ディステル。まさかそんなスキルがあったとは』
『え!? な……何? これ……』
『あなたにレアスキルがあるように、これは俺のレアスキルだ。口に出さなくても、心の声で会話できるんだよ』
『あ……あの。あなたの事情はよくわかりませんが、助けようとしてくださっているのですよね……? あ、ありがとうございま……』
こちらがお礼を言い切る前に、ヴィルフォード様の声に愉悦が滲む。
『はは。まさか俺が、善意であなたを助けているとでも? 残念だけど、俺は無償で人助けをするような優しい男ではないよ』
口に出さず、頭の中に響く声だけで会話をしている状態だ。今もヴィルフォード様は、表面上は涼しい顔をしている。
だけど、頭に響く声は仄暗く、冷たい。闇に声があったらこんな感じなのだろうか、なんて思ってしまうほどに。
『あなたの能力は俺にとって、利用価値がある。これは、利害一致というやつだ』
利害一致、なるほど。すとんと、その言葉が私の中に落ちた。善意で助けられるより、ずっと納得できたからだ。
『フィオーレ、あなたの復讐に協力する。だから……俺の復讐に協力してくれ』
『あなたの、復讐……?』
『ああ。いわば俺達は、共犯者ということさ』
私達が思念で会話している間にも、周りの時間は止まっているわけじゃない。ドグスは自分の罪を覆い隠そうとするかのような大声を上げる。
「言いがかりはやめてもらおう! 恋愛は個人の自由。俺達は真実の愛を見つけただけだ! 不貞は犯罪じゃない!」
確かに、彼らの行いを正式な罪として裁くことはない。
けれどヴィルフォード様は、ふっと口角を上げ、他の人達にも聞こえるよう、普通に声に出して話す。
「そうだな。だが、『自身の身勝手な感情によって、平気で婚約者を傷つけて捨てた』なんて相手との付き合いは遠慮したいと思うのも、個人の自由であり、私の自由だ」
にこりと、ヴィルフォード様が微笑を浮かべた。
優雅な貴族のお手本というほど完璧で美しい表情なのに、どこか得体の知れない不穏さを感じさせる。
「ご存じの通り我が領地は、魔石の鉱山がある。今まではこのハイドランシア伯爵領とも取引をしていた。だが、我が領地の上質な魔石を欲する地は、国内外を問わず多くてね。これを機に取引先を変えても、私は全く困らないよ」
魔石は、この世界における重要なエネルギー源だ。この世界にはネット小説のように、魔力によって動くコンロや、お風呂、水洗トイレなどがあるが、魔力のない者は、魔石がなければそれらを動かすことはできない。魔石の供給を止められるということは、元の世界でいえば、電気や水道を止められるようなものである。ドグスは顔面を蒼白にした。
「そ、そんな、魔石を人質にとるような真似! 卑怯ではありませんか!」
「おや。あなたは我が婚約者に、薬草の産地であることを理由に、慰謝料の支払いを拒否しただろう? それに自分の領地の取引をどう決定するかは、領主の自由だ。我が領地には優秀な回復術士も多く、ハイドランシア領からの薬草がなくても困らないしね」
「そんな……そんなの、勝手です! 個人の感情でそんなことをして、許されると思っているのですか!?」
「はは、あなたの口からその言葉が出るとは面白いね。――あなたは身勝手に婚約者を捨てるのと同時に、社会的信用も捨てた。それだけのことさ」
「そんな……!」
「自分の都合で、あれほど勝手に婚約破棄するような人間は、他の取引や契約だっていつ勝手に破るかわからない。関わりたくないと思うのは当然だろう? ……何より私は、愛する者を傷つけられたんだ。あなたに真実の愛があるように、私にも真実の愛があるということさ」
――よく言う。今この場で、初めて会ったばかりなのに。
だけど彼に話を合わせるため、私はなるべくヴィルフォード様に恋焦がれている様子を演出することにした。うっとりと彼を見つめてみる。
それでもドグスは納得いかないようで、声を荒らげる。
「適当に言っているのでしょう! ヴィルフォード公爵殿がフィオーレなんか選ぶはずがない! 公爵家の婚約者がこんなことをするのもおかしいでしょう!? 絶対嘘だ、何か裏があるに決まっている!」
「何もおかしくないだろう。今回の件については、私が彼女に言ったのさ。君は彼らに傷つけられたのだから、君の思うようにすればいい。君のことは私が守るから……と。ね? フィオーレ」
「……はい。ヴィルフォード様」
熱い眼差しを交わす(ように見せている)と、ドグスとローズは顔を真っ赤にしてわなわなと震えていた。……多分だけど、ずっと見下していた私が公爵様と結ばれるなんて許せないのだろう。私を捨てたのは彼の方なのであっても……捨てたからこそ、彼らにとって「フィオーレ」はずっと自分達より格下で、惨めでなくてはいけないのだ。本当は価値のあるものを捨ててしまったなんて、思いたくないから。
「信じられません! あなた達は嘘を吐いている! 本当だと言うなら、婚約者だという証拠を見せろ!」
「証拠……か」
ヴィルフォード様はコツコツとこちらに歩み寄りながら、私に思念を飛ばす。
『フィオーレ』
『はい』
『これは、あなたが嫌なら断っても構わない。ただ、もしあなたの許しをもらえるなら』
『はい』
『あなたに、口付けても?』
『――ええ。どうぞ、お好きなように』
私の目の前で足を止めたヴィルフォード様。そっと、頬に彼の長い指が滑る。
次の瞬間――二つの唇が、重なった。