真相・ゼラニウム国王デルビス視点
今回はだいぶ重めな話です! 残酷な描写もありますので、苦手な方はお気をつけくださいませ。
私、デルビス・ゼラニウムは、このゼラニウムの第二王子として生まれた。
自分が魔獣になれると気付いたのは、十四のときだ。
スキルとはそういうものだ、ということは知っていた。ある日突然、料理の腕が上達したり、絵画の才能に目覚めたり。血筋に関係なく、前触れなどなく、唐突に発現するものなのだと。
だが魔獣化というのは、前代未聞のレアスキルだ。
隠しておくべきだ、と考えた。人に知られてはならない。知られさえしなければ――非常に有効なスキルだから。
私には、消してやりたい奴らが、山ほどいたから。
「兄上。たまには盤上遊戯でもいかがですか」
「ああ、デルビス。一緒に遊んでやりたいんだが、勉学で忙しくてさ」
「……兄上は、いつもお忙しそうですね」
「私は将来、王になるからね。その重圧を考えると、ただ遊んでいることはできないんだ」
三つ年上の、第一王子である兄エインズは、昔からこうだった。
王太子として常に勉学や魔術の修練に励み、「自分は国王になるのだから、その自覚を持ってしっかりしなければ」という態度が鼻についた。兄は、自分の努力をひけらかすかのように毎日修練を積んでいたため、剣技でも魔術でも、一度も勝てたことがなかった。だが、そもそも年が離れているから仕方がない。私の方が先に生まれていたら、私の方が優秀だったはずだ。
そうだ、私を第二王子などに産んだ親が悪いのだ。この立場のせいで、両親も周りの人間達も、昔から兄にばかり期待していた。それは、幼い頃からの想い人――レヴィシアもそうだった。
美しきレヴィシアに、私は事あるごとに求愛していた。だが彼女から返ってきたのは、冷たい返事だった。
「私は王妃になりたいのよ。第二王子のあなたなんかに興味ないわ」
……つまり私が第一王子でさえあれば、レヴィシアは私のものになったのだ。
私は次第に、兄への憎悪を膨らませていった。ただ早く生まれただけでちやほやされて、楽なものだ。
そして私は――兄が国内の視察のため王都を離れた際、魔獣化のスキルを使って、御者や護衛騎士ともども殺害した。
スキルによって魔獣化した私は、ドラゴンのように巨大な肉体を持ち、更には鋭い牙や爪を操り、炎のブレスなども吐くことができる。今まで剣技でも魔術でもずっと敵わなかった兄にも、容易に勝つことができた。
兄は、「魔獣に襲われて亡くなった」。それを疑う者はいなかった。魔獣化なんて、前例のない唯一無二のスキルだから。
そうして兄が死に、両親や臣下達が、やっと私を次期国王として扱うようになったのだ。
ああ、これこそ正しい世界ではないか! そうとも、兄が持て囃される世界は間違っていたのだ。私は世界を矯正してやったのだ!
やがて、次期国王となる私に相応しい結婚相手を、ということで、ミオソティスの王女ルシアヴェールとの結婚が決まった。
その少し後、かつて私を袖にしたレヴィシアにも迫られた。以前私をふった女が、今度は向こうから尻尾を振ってくるなど、快感だった。ふん、最初から私の求愛を受けていれば、正妃にしてやってもよかったものを。
とはいえ……レヴィシアは私を愛してはいない。奴が愛しているのは、肩書きだけだ。
その点ルシアヴェールは――慈愛に満ちた女、というのが相応しいだろうか。
こんな女は、今まで周りにいなかった。
彼女といる時間は温かくて……だが、不思議と居心地が悪かった。その理由が、当初はわからなかった。わからないまま、ヴィルフォードが生まれた。
父が病で倒れ国王の座につき、美しい正妃に側妃、そして息子達も生まれた。人生は順風満帆だと思っていたのだが――
ある日のこと。反乱を起こそうとしていた貴族を殺害し、魔獣から人型に戻るところを、ルシアヴェールに見られてしまった。
「あなた……人を、殺していたのですね」
「こ……この男は、王家に対し反乱を目論んでいたのだ。殺さなければ、私やお前、ヴィルフォードの命だって危なかったのだぞ!」
「……ですが、随分慣れたご様子ですね。本当に、これが初めてですか……?」
「それは……」
いくら国王とはいえ、かつて兄を殺害したことが露呈すれば立場が危うい。いっそ、口封じにルシアヴェールも殺してやろうかと思った。
だが彼女は、毅然と私に向き合い、言った。
「……過去にも、何か事情があったのかもしれませんが。このようなことは、二度としないと誓ってください」
「……誓ってどうなる。そうすれば、このことを公表しないとでも言うのか?」
ルシアヴェールは高潔な女だ。レヴィシアなら、私が人を殺していてもどうとも思わないだろうが……。ルシアヴェールが罪の隠蔽に協力するとは思えなかった。
だか、彼女は珍しく、苦悶するように眉根を寄せた。
「王が殺人者であると知ってなお、その事実を公表しないなど、許されることではありません。……共に責任を負うのが私だけであれば、真実を公にしていたでしょう。ですが……」
ルシアヴェールが目を伏せる。
そのときのあいつは、「王妃」ではなく「母親」の顔をしていた。
「私達には、ヴィルフォードがいます。あの子に、『父親が殺人者である』という汚名を、着せたく、ないのです……。そんなことになれば、あの子の人生に光などありません。あの子は何も悪くないのに、幸せな人生を絶たれるのです。……私は、耐えられない。王妃として、人として失格であっても、親として。どれだけ多くの民よりも、あの子のことが大切なのです……」
「では……本当に、このことを誰にも告げぬと誓うのか?」
「……どうか、もう二度とこんなことはしないでください。そうすれば私も共に、この罪を抱えます」
「有り得ない。受け入れるというのか。罪を塗れたこの私を」
高潔で、公平で、清廉な女。悪を看過できぬ女だ。レヴィシアが見過ごすことでも、ルシアヴェールは決して見逃さない。だから私は、この女に自分のスキルが露呈することが、一番怖かった。なのに、あいつは私を罵倒しなかった。
「……これからのあなた次第です」
人を殺したばかりの私は、まだ血に塗れている。
けれどルシアヴェールは恐れることなく、罪を分かち合うように、私に付着した返り血に触れた。
「ヴィルフォードさえ守ってくれるなら……私は、これからもあなたの妻である努力をします。……ですがあの子を害そうとするなら、私はあなたを決して許しません」
その目には、何か強い光が宿っていた。私は、こんな瞳を初めて見た。
「……失いたくないのです、愛しいあの子を。たとえあなたの罪を見逃すことが、人の道に背くことだとわかっていても。どうかあの子に、幸せになってほしい……」
そんなルシアヴェールを、私は――
――恐ろしい、と思った。
王宮とは、金の蓋をした泥溜まりのようなものだ。表面上は美しくても、中身は汚泥のようにドロドロと害意や陰謀が渦巻いている。
そんな中で、何故、そうも清廉であれる?
……いいや。真実を知りながら隠蔽しようというのだから、狡猾な女ではあるのだろう。清廉とは程遠いのかもしれない。
だけどその根底にあるのは、親としての、子への想いだ。
私の目には、ルシアヴェールはあまりにも美しく見えた。
己の闇が、全て眩い光で剥き出しにされるようであった。
それが、たまらなく気色悪かった。
彼女の隣にいると、自分がひどく醜悪な俗物に思えるのだ。
(なんなんだ、この感情は……っ)
次第に、私はルシアヴェールが疎ましくなっていった。
レヴィシアがルシアヴェールを虐げていると知ったときも、あえて無視した。……縋ってほしかったのだ。他の女のように、泣いて「レヴィシアを殺せ」と言ってくればよかった。そうすれば、彼女も私と同じところまで堕ちてきてくれる気がしたから。
だが、レヴィシアからどれだけ嫌がらせを受けても、ルシアヴェールの魂が穢れることはなかった。彼女はいつも背筋を伸ばし、慈しみに溢れ、ヴィルフォードに惜しみない愛を注いでいた。
――愛。私にはそれが理解できず、気色悪い。
王族にそんなものは不要だ。国王は孤高でいい。圧倒的頂点に立ち、隣に並ぼうとする者は許さない。全ては王の下にあるべきなのだ。私の道を塞ぐ者は何人たりとも排除する。正しい世界のために必要なことだ。
そうだ、私はずっと魔獣化という、天より与えられしスキルによって世界を正してきた。
これからも世界の間違いを矯正せねばならない。
そのために、あの女が邪魔だ。
あの女に打ち勝たねば、私は真の王になることができないのだ。
そんな思いが、埃のように降り積もっていった。
――ルシアヴェールを殺せ。奴は私の秘密を知っている、私の敵だ。清廉な顔をしていたって、いつ裏切るかわかったものじゃない。そうだ、あいつがいるから、私はこんな得体の知れない闇を抱えたままなのだ――
私はルシアヴェールに、ミオソティスに里帰りするように言った。名目としては、レヴィシアにいつも虐げられているから、一人で実家に戻り心を癒すように、と。
そして私は魔獣と化し、奴の馬車を襲った。
まず御者を殺し、次いでルシアヴェールに攻撃した。
あいつは、自分を殺そうとしている魔獣の正体が、私だとわかっていた。
「……知っていました。あなたが私を殺したがっていること」
「知っていて、わざと罠にかかったというのか?」
「どこかでまだ、信じたい気持ちもありました。思いとどまってくれるのではないか、と。……だけどやはり、あなたは愛を信じず、殺すことしかできないのね。……かわいそうな人」
哀れみの目を向けられることが屈辱だった。かっと頭が熱くなり、爪を振り上げる。
「貴様はこれで終わりだ。ああ、これでやっと私の秘密を知る者が消える!」
「いいえ、終わりじゃないわ」
死ぬ間際というのは、人の本性が出るものだ。
それでも彼女は、やはり高潔に見えた。
「近いうちにヴィルフォードが死んだら、それは王の仕業だと……。あなたの魔獣化のスキルのことも併せて……文章にしておいたの。王妃の魔力紋も押してね……」
「なんだと……!?」
自分が死んだら、ではなく「ヴィルフォードが死んだら」。……それはつまり、私に対する「ヴィルフォードだけは殺すな」という牽制である。自分が殺されたとしても、自分の死後も、ヴィルフォードだけは守る。そんな、固い意志が宿っていた。
「手紙は……ある人に、託してあるわ……あの子が死んだら、内容を世に公表してほしいと頼んである……」
「ある人とは誰だ! 答えろ!」
そんな奴は、八つ裂きにしてやる。そう思ったのに、ルシアヴェールはもう息絶えていた。手紙を託したという相手を聞き出すことはできなかった。
身も心も美しかったルシアヴェールは、死に顔さえ綺麗で、自分には永遠に手の届かないもののようで――
どうしようもなく、汚してやりたくなった。既に息がないというのに、何度も牙を立てた。
その瞳がもう私を映さないことに、心底ほっとしているのに、絶叫を上げたくなるほど虚しかった。
今までずっと、彼女の美しい瞳に、醜悪な自分が映るのが嫌だった。
だがその瞳が私を映さないのは……喉を搔きむしりたくなるほど、耐え難かった。
私は、この女さえいなくなれば、自分の心に安寧がもたらされるのだと思っていた。
だが、私が望んでいたのは、本当にこんなことだったか?
私は本当は、一体何が欲しかった?
わからない。わからないのに、永遠に失ってしまった気がする。
「ああ……うわあああああああああーーーーーーーーーーーーっ!!」
乱れに乱れた心を抱え、魔獣の姿のまま、絶叫を上げることしかできなかった。
◇ ◇ ◇
ルシアヴェールを殺した後、私は王宮へと戻った。
魔獣化によって邪魔者を消すとき最も問題なのは、殺害のための場所とそこまでの移動だ。魔獣化すれば、翼があるため飛行が可能だが、飛んでいるところを見られれば魔術師などから攻撃されてしまう。
普段は、人目につかない場所まで馬車か魔法で移動し、そこから魔獣化して空を飛んでいるが……。人を殺した帰りは特に、誰かに見つかるわけにはいかない。またルシアヴェールのときのように、誰かにこのスキルが露呈することは避けたかった。よって、一度人間に戻って認識阻害の魔法薬を飲み、人目につかない状態で飛行して王宮へと戻った。
認識阻害の魔法薬はとても希少なものであり、効果も三十分程度しかない。空瓶は山に捨てていこうかと思ったが、ルシアヴェールが死んだ山にそんなものがあっては怪しまれる。高位魔術師であれば、空瓶や硝子片からでも魔力の気配の名残から、何の魔法薬が使われたか鑑定してしまうだろう。認識阻害薬なんて希少なものを手に入れられる人間は限られているし、どこかに捨てるより、誰も容易に立ち入れない王宮の自室に持ち帰った方が安全だと判断したのだ。
空瓶が見つかったからといって、ただちに私のスキルや、殺しが露見することはないだろう。だが、王妃が死んだ事実と同時にこれが発見されれば、怪しまれることは間違いない。王族の魔力紋によってしか開かない、特殊な箱に封印しておくことにしたのだが――
……よりによって、ヴィルフォードにそれが見つかってしまった。
「触るな! それに、触るなぁっ!」
ルシアヴェールといい、ヴィルフォードといい……。何故私の罪を見つけるのは、いつもこいつらなのか。
私は、ヴィルフォードのことが苦手だった。
あまりにも、ルシアヴェールに似ていたからだ。
幼いというのに何もかもを見通しそうな、あの女と同じ青の瞳が怖かった。
私の内側の醜悪さを見透かされ、罪を暴かれそうで。
幼いなんて関係ない。ヴィルフォードを殺してしまいたかった。
だが、ルシアヴェールの遺した言葉が歯止めとなった。
――「近いうちにヴィルフォードが死んだら、それは王の仕業だと……。あなたの魔獣化のスキルのことも併せて……文章にしておいたの。王妃の魔力紋も押してね……」
――「なんだと……!?」
――「手紙は……ある人に、託してあるわ……あの子が死んだら、内容を世に公表してほしいと頼んである……」
結局私はヴィルフォードを疎みながらも殺すことはできず、ティランジアに送るくらいしかできなかった。ミオソティスには、騎士どもに巨大な魔獣を討伐させて、その首を「ルシアヴェールを殺した魔獣の首」と献上した。
……その後。ルシアヴェールが息絶えるのを、何度も悪夢として見るようになった。
おかしい。今まで何人もこの手で葬ってきたが、そんな夢を見たことなど一度もなかったというのに。
あいつを殺せば、この不快な感情から解放されると思っていたのだ。
だが、体内で蠢く気色の悪い衝動は、いっそう酷くなっただけであった。
これは何だ? ルシアヴェールの呪いか?
夢の中で、あいつは何度も私に語りかける。
――「ヴィルフォードさえ守ってくれるなら……私は、これからもあなたの妻である努力をします。……ですがあの子を害そうとするなら、私はあなたを決して許しません」
うるさい……うるさい、うるさい、うるさい、黙れ!
あの女の血を引き、あの女に似た面影を持つヴィルフォードが恐ろしい。殺したい、やはり殺すべきだ。大体、手紙を預かった者が、ヴィルフォードが死ぬまで事実を公表しないと、馬鹿正直に信じていいわけがないのだから。
ルシアヴェールを殺したあの日から、私は永遠に悪夢を見続けている。
だが、あれから十年以上が経った。
ルシアヴェールの愛した息子である、ヴィルフォード。
あいつを殺すことで、今度こそこの悪夢に打ち勝つのだ。