15・秘密を打ち明けてみました
ゼラニウムの舞踏会までの間。婚約者らしく見せる特訓や、夜会への参加の他に、国王に罪を自白させるための下準備として、私はヴィルフォードから「とある頼まれごと」をした。
これをお披露目するのは、国王に会ってからとなるが。彼が準備してくれた「とある光景」を記録したのだ。着々と下準備は進めながら、隣国に出発する日は近付いてきている。
なお移動には馬車を使うが……各国の貴賓達がゼラニウムに集まる舞踏会ということで、今回は転移門の使用が可能となる。
転移門は各地に普段から設置されているものであり、催しの時でもなければ、ただの門だ。だけど大きな催しの際は、高位魔術師が門に魔力を通し、転移魔法に似た効果を発揮するのである。
もっとも、それも「一瞬で目的地に辿り着ける」という便利なものではない。長距離転移は本当に高位の魔術だし、あまり大人数を同時に転移させることは不可能だから。そのため、「短距離転移を何度も繰り返すことで、長距離移動の時間を短縮する」ための魔導装置が転移門である。
「そういえば、フィオーレ。君は、魔術師が転移魔法を使うのを見たことはあるかい?」
「はい。過去に一度だけ」
「なら、君のスキルで記録されているということか。その映像を見れば、転移魔法の仕組みを解析できるのでは?」
魔法というのは、その家系で伝わるものだ。もちろん、簡単な火魔法や水魔法のようにもはや一般化された魔法も数多い。だが魔力のある家には、親から子へ、その家独自の魔法の仕組みが受け継がれてゆく。
いわば貴族の魔法は、その家独自のレシピのようなものだ。同じものを作るのであっても、家によって手順や味付けが違う、というように。重要な魔法であるほど、秘匿性が高く門外不出であることが多い。もちろん、戦闘の際など人前で魔法を発動させることはあるが、魔法を使うその一瞬で魔法陣の構成や要素を読み解くことなど、通常は絶対不可能だ。
転移魔法は、秘匿性の高い魔法の中でも最上級のものである。専門家にしかその魔法技術は受け継がれていないが――
「はい、私のスキルを使えば解析できるでしょうね。ただ私では、転移魔法を使うには、魔力が足りなくて。……でも、ヴィルフォードなら使えそうですね」
「そうだな、そのときの映像を見せてもらえるか? 解析し、習得しておこう。いざというときの切り札にできそうだ」
「わかりました」
(いざというとき……か)
「……もうすぐ、舞踏会なんですよね」
いよいよヴィルフォードの計画が動き出すのかと思うと、緊張が高まる。一歩間違えばゼラニウムの王族を敵に回し、罪人として命を奪われるかもしれない。そう考えると、怖くもなってくるが……。
「ああ。次の舞踏会でも、君のドレス姿が見られるのがとても楽しみだよ。この前の夜会でも、君はとても美しかったね」
「またそんなご冗談を……」
ヴィルフォードは、私が緊張していることを察して、心を和ませようとしてくれる。
(……本当に落ち着かないのは、ヴィルフォードの方だろうに)
彼はいつも優雅な笑みを絶やさず、動揺を面に出すこともない。
だけど平気そうにしていたって、平気なわけがない。
涙を流して泣いている人だけが、泣いている人なんじゃない。
顔には笑顔を浮かべていたって、その下で泣いている人なんていくらでもいるのだ。
(……私がもっと、力になれればいいのに)
そんなことを考えていると、公爵邸の呼び鈴が鳴った。
使用人さんが、ヴィルフォードを呼びに来る。
「配達員の方がいらっしゃいました。ヴィルフォード様宛のお荷物があるとのことで、受領の魔力紋をいただきたいと」
「ああ、今行く」
やがてヴィルフォードは、小包を持って戻ってきた。
「付き合いのある商人からだ。以前、少し世話をした人間でね。そのときの礼にと送ってくれたみたいだ」
包みを開けると、中から出てきたのは……。
「これって……!?」
細かく砕いたカカオ……いわゆるカカオニブのようだ。これをすり潰すとカカオマスとなり、そこから油脂を取り除くとココアパウダーになるらしい。いずれにせよ、この世界では初めて見た。
「南方の国でとれる薬品だな。俺も以前一度だけ飲んだことはあるが……。身体にはいいそうだが、苦くてね。まあ良薬口に苦しと言うし、健康にはいいのだろうけど」
(この世界では、薬品っていう扱いなんだ)
カカオは元の世界でも、昔は薬として扱われていたという。それを考えれば不思議ではないか。
「あの! これ、すごく美味しく食べられるんですよ」
「そうなのか? どうやって?」
「よかったら、私に任せてもらえませんか? これを使って、お菓子を作りますから」
「君は、台所に立つのか?」
この世界において、貴族の令嬢はあまり自分で料理をするものではない。だからこそ、彼も驚いていた。
「はい。以前は家族に、やらされていました」
そう告げると、ヴィルフォードの唇が「ここではそんなことしなくていい」と動きそうになったので、すぐに次の言葉を紡ぐ。
「でも今は、自分の意思で、やりたいんです」
別に、料理自体が嫌いというわけではないのだ。ただ、実の家族から蔑ろにされることが悲しかっただけ。
「ヴィルフォードに美味しいと思ってもらえたら、嬉しいですし」
「…………」
じっと見つめられ、はっと我に返る。
「……あ! もちろん、ヴィルフォードが嫌なら断ってくださいね。私が台所に立つなんて、使用人さんにも変に思われるだろうし」
(そもそもこのお屋敷で、家事は使用人さんの役割だ。皆、正当な対価を貰って働いているんだから、仕事を奪うような真似はよくないよね)
私の言葉に、彼は瞬きをした後、ふっと顔を綻ばせた。
「いや。嫌だなんて思ってない、ただ驚いただけさ。これを美味しく食べる方法なんて、興味深いしね。使用人達は下がらせておくよ」
「いいんですか?」
「彼らだって、突然休みがもらえて嬉しいだろう。給金は通常通り支払うし、今日は自由に過ごしてもらうさ」
そういうわけで、私は公爵邸の台所を使わせてもらうことになった。実家のものより格段に広くて、こんなところでお菓子作りができるのは心が躍る。
まず、カカオニブをすり潰したカカオマスと、もともと公爵邸にあった砂糖などの甘味料を使ったクッキーを作った。チョコレートそのものを作るのにはテンパリングが難しいだろうし、道具もあまりない。そのため、焼き菓子に混ぜた方がいいだろうと考えたのだ。
それから、カカオマスを小鍋で温めたミルクと混ぜ、砂糖を入れたホットチョコレートも作った。
「見たこともない食べ物と、飲み物だ」
「どうぞ、召し上がってください」
ヴィルフォードは、まずクッキーを口に運ぶ。
「驚いた。ほろ苦さはあるものの、薬としてそのまま食したときより遥かに甘くて食べやすく……とても美味しいよ」
「自分で言うのもなんですが、いい出来です……!」
甘味はあるが甘すぎないビター風味なため、くどくなく上品で食べやすい。前世でしか食べてこなかった味わいに、思わずじーんとしてしまう。
(ああ、まさかこの世界でこんなお菓子が食べられるなんて……!)
基本的に砂糖が高価ということもあり、甘いお菓子自体が貴重である。ましてカカオを使ったお菓子なんて本当に、今までこの国にはなかったのだ。
「素晴らしいな、フィオーレ。君はお菓子作りが上手なんだな」
「喜んでもらえてよかったです。今度はケーキとか、他のお菓子にも挑戦してみたいです」
「それにしても……君はどうしてこんなレシピを知っているんだ?」
「ああ」
こんなお菓子を作ってみせれば、そう疑問を持たれるのは当然だろう。
だけどそれも、そろそろ言っておいた方がいいかと思っていたのだ。
「実は私、前世の記憶があるんです」
「……前世の、記憶?」
「私は前世、ここではない異世界の、日本という国で生きていたのです」
「…………」
ヴィルフォードはホットチョコレートのカップを持ったまま、沈黙してしまった。
「……すまない、君が信じられないわけじゃないんだ。ただ、あまりにも突拍子のない話だから、理解が追いつかなくてね」
「ですよね。なので私も今まで言わなかったんですが……実際に見ていただいた方が、いいのかもしれません」
ヴィルフォードの眉が、ピクリと動く。
「それも……君のスキルで見られるというのか?」
「はい」
このスキルは、確かに「私が見たもの・聞いたものを全て記録しておく」スキルだけれど。脳などの器官ではなく魂に付随するもの、らしい。
よって前世の自分が見た、聞いたものであれば、映像として見せることができる。
私がずっとこのスキルを隠していたのも、悪人にこの記憶を使用されるのを恐れてのことだ。なにせ、科学など前世の技術が記録されているのである。あまりにも利用価値が高すぎる。
だけどヴィルフォードになら、見せてもいいと思った。
私達の前に、プロジェクターで映し出すかのように、映像が出現する。
それは、この世界ではない……前世の私の記憶。
「…………」
彼は食い入るようにそれを見て、思考を巡らせているようだった。
「正直、驚いた。こんな世界があるとはな……。これを、俺に見せてしまってもいいのか?」
「はい。私は、あなたの共犯者ですから」
「そうか……信用してくれているというわけだね。ありがとう」
ヴィルフォードはそのまま、興味深そうに映像を眺める。
自分の記憶を見せるというのは、結構恥ずかしいし気まずい。
私は前世でも、ヴィルフォードに出会う前の私のように、灰色の毎日を送っていたから。
前世でも親から愛されず、クラスメイト達からも馬鹿にされる日々を送っていた。
あまり幼い頃を見られるのは恥ずかしくて、今見せているのは、比較的マシだった高校時代だけれど。それでも私は、基本的に独りぼっちな日々を送っていた。
「あ、あの。もう、私が転生者だということはわかったでしょう? そろそろ消しますね」
「…………いや」
それまで記憶の映像を見ていたヴィルフォードが、私の瞳を見つめる。
「君のことを知りたい。君の過ごしてきた日々を共有して、君の心に、少しでも寄り添うために」
「……っ」
「もちろん、君が嫌なら無理にとは言わないよ」
「い、いえ……。嫌というか……私の記憶で、ヴィルフォードの目を汚してしまうのではないかと……」
「俺の目はとうに汚れているが……。君の記憶を見て更に汚れる、なんてことはないよ。君のその美しい瞳も見てきたものなのだから」
「え、ええと、その……。ヴィルフォードの瞳の方が綺麗ですよ」
「そうか、君にそう言ってもらえるのは嬉しいな。じゃあ後で、しばらくお互い見つめ合っていようか?」
「もう……」
私達はそのまま、二人で記憶を眺めた。
(あ……)
すると、私自身も忘れかけていたような人物が、映像の中に現れる。
この世界での私が十八歳なので、ようはもう十八年以上前の出来事なわけだしな。
それは、私の高校時代の同級生……松宮君という男子だ。
高校時代、クラスで孤立していた私に、唯一話しかけてくれた人である。
彼も私と同じように家庭環境が酷かったらしく、よく怪我を負っていて、そのせいでクラスで浮いていた。だけど話してみれば、優しい人だった。
ある放課後、クラスメイトに雑用を押し付けられて彼と二人で居残りしていたときのこと。ふとお互いの家族の話になった。重い家庭環境のことなんて普段他の人には打ち明けられないが、彼とは境遇が似ていることもあり、すっと言葉を交わすことができた。
そんな私の記憶を見ていたヴィルフォードが、微かに眉根を寄せる。
「……これは、君の前世の恋人か?」
「違います、同級生ですよ」
「そうなのか。ずいぶん親しそうに見えるが」
「同級生以上の関係にはなりませんでしたよ。……彼、このしばらくあと、亡くなってしまったので」
彼は事故で命を落とした。あまりにも、早すぎる死だった。
すると、彼を見て何故か複雑そうな顔をしていたヴィルフォードが、はっと目を見開く。
「……すまない。嫌なことを聞いたな」
「いえ」
松宮君のお葬式は開かれなかった。それでも、どうしても、お線香をあげるくらいしたくて、彼の家を訪ねたことがある。彼の母親らしき人が出てきて、いかにも面倒だといった態度で言った。
――「なにあんた、あいつの女? あいつの仏壇なんてあるわけないでしょ。てか、あいつのものとか邪魔だったし、いらないからあげる」
そう言って渡されたのは、雑多に物が詰められたダンボールだった。入っていたのはほぼ教科書など学校での必需品で、彼の「私物」なんて、皆無に等しくて。
唯一彼らしいものといえば、日記だった。
そこには、彼がこれまで家族から受けてきた酷い仕打ちや、叶わなかった淡い夢が綴られていて――読みながら、涙が出た。
さすがにその部分は松宮君のプライバシーに関わることであり、いくらヴィルフォードにでも見せるわけにはいかないので、飛ばしながら記憶を進めた。
そのまま、二人で映像を眺め続け――
ふと、彼が目を見開いた。
「――フィオーレ。あれは、なんだ?」