13・公爵の婚約者に相応しいか確かめてあげるとテストされたので、全問正解してみました
ゼラニウムで行われる舞踏会の前に、私達はこの国での夜会に参加することになった。
いきなりパートナーとして踊るのが舞踏会本番というのは怖い。いわばこの夜会への参加は、予行練習のようなものだ。
ヴィルフォードにエスコートされながら会場に入ると……ザワ、と人々に動揺が走った。
公爵様の隣にいる女は誰だ、と。皆の視線が私に集まる中、ヴィルフォードが口を開く。
「彼女は、フィオーレ・ディステル。少し前から婚約していたんだ」
ザワッと、いっそうどよめきがひろがる。
「ディステルって、子爵家の令嬢……だよな。あの、婚約破棄された……」
「あの子って、あんなに綺麗だった……?」
「もっと地味な子だと思っていたけど……」
ひそひそと人々の唇が動き、そんな言葉が聞こえてくる。
公爵邸に住むようになってから、美味しい食事や充分な睡眠など健康的な生活をさせてもらっているし、最高級の石鹸や洗髪剤を使わせてもらっているため、肌や髪も以前より潤っている。服装も、先日買ってもらったあの綺麗なラベンダー色のドレスだ。
少しでも、ヴィルフォードの婚約者として恥ずかしくない姿になれていたなら、嬉しい。
もっとも、ヴィルフォードなら「君がどんな姿でも、恥ずかしがることなんてないよ」とか言ってくれそうだけど。それが本心かは別として。
ヴィルフォードの知人達に挨拶をして談笑していると、やがて楽団の演奏が始まり、ダンスの時間となった。
「フィオーレ」
ヴィルフォードが手を差し出し、私はその手を取る。
出会ってから今までだけでも、何度も彼の手を取ることはあった。だけど、彼の手に触れるたび、胸の鼓動が増してゆく気がする。
円舞曲に合わせてダンスのステップを踏む。夜会で男性と踊るなんて本当に久しぶりだけど、今日まで毎日、公爵邸でヴィルフォードが練習に付き合ってくれた。
こうしてパーティー会場で、多くの人々がいる前で踊るのは、緊張もするけど……。彼は終始優しく微笑みかけながら、いつものように私をリードしてくれた。その所作に、ほっと心が解けてゆく。
「素敵ね……」
「お似合いだわ……」
ほうっと、感嘆の吐息が聞こえてきた。どうやら多くの人々に、ヴィルフォードの婚約者として受け入れてもらえたようで安堵する。
だけど同時に――激しい敵意のような視線も感じた。
ちらりと様子を窺うと、少し離れた箇所から、華やかなドレスを纏った令嬢が私を睨みつけていた。……ぽっと出の女、それも過去に婚約破棄されたことがある女がヴィルフォードの婚約者なんて、許せないという人もいるのだろう。……婚約は、他人の許しを得るようなものでもないとは思うが。
何曲かダンスを踊ったあと、曲と曲の合間に、私はヴィルフォードに告げた。
「すみません、少し化粧直しに」
「わかった」
そうして彼と離れて――
◇ ◇ ◇
(……ん?)
化粧室を出ると、まるで私を待ち構えていたように、二人の令嬢が立っていた。
「フィオーレ・ディステル」
「はい」
「私はロベリア。クレマチス侯爵家の者よ」
彼女は高圧的に腕を組んでいる。侯爵家の令嬢か。であれば、子爵家出身の私より身分は上だが……今の私は仮にも公爵の婚約者なので、見下されるような立場でもないと思う。
「あなた、本当にヴィルフォード様の婚約者なの?」
こちらを圧するような態度に、怖気づいてしまいそうになる。だけど、それではいけないと自分を律した。
(……こんなところで怖気づいていたら、ゼラニウムの国王や王妃と対峙することなんてできない。ヴィルフォードの復讐の足を引っ張ってしまうことになる)
ヴィルフォードは、自分の目的のためとはいえ、私を助けてくれた。
私も、ちゃんと彼の隣に立てるよう、堂々としていなければ。
そう思い、息を吸い込んでから、笑顔を浮かべた。
「ええ、本当です。ヴィルフォードが嘘を吐いているとおっしゃるのでしょうか」
にっこり、と。普段の彼を真似るような鉄壁の笑顔だ。お手本があると表情も作りやすい。
「ヴィ、ヴィルフォード様は嘘なんて吐かないわ! ただ、どうやって取り入ったのかと……。あなたなんて、彼には相応しくないでしょう」
「まあ。私が彼に相応しいかどうかを、あなたにジャッジする権利があるのでしょうか?」
笑顔のまま毅然と言い返すと、令嬢はぐっと言葉に詰まっていた。
(……自分のことだけなら、何を言われても、言い返すことなんてなかった。でも、今の私は仮初でも、『ヴィルフォードの婚約者』。舐められるわけにはいかないわ)
以前は、ずっと馬鹿にされていた私だ。何か言われても、揉め事になるのが嫌で反論できなかった。
だけど彼のことを想うと、強くなれる気がする。
「そうよ! 私は侯爵令嬢なのよ!? 自分より格下のことに口出しして何が悪いのよ」
肯定するのか。まあ、今更後に引けないのだろうな。
「私の言うことは、いつだって正しいのよ。これまでだって、最初は生意気にも私と反対の意見を唱えていた者だって、私の話を聞いているうちに皆黙ったのだから! 私のあまりの正しさに、言い返せなくなってしまったのよ。ああ、今まで言い負かしてきてやった奴らの、無様な負け顔といったら! 本当に愉快だったわ」
(それは言い負かしたわけではなく、相手が波風を立てないよう譲ってくれただけでは……)
この令嬢との言い争いなんて明らかに不毛そうだし、穏便にすませたくて口を閉ざす場合はそりゃああるだろう。この人はそれに気づかず「あいつを黙らせてやった、こっちの勝ち!」とはしゃぐのだな、と。心はどんどん冷めてゆく。
「それに私はね、あなたなんかよりずっと長く、ヴィルフォード様のファンだったのよ。だからあなたが本当に公爵夫人に相応しいのか、テストしてあげるわ」
「ロベリア様は、あなたと公爵家の未来のために言ってくださっているのよ? ご厚意に感謝することね」
(今日私と初めて顔を合わせた人が、どう私のためを考えてくれているというのかしら……。まあいいわ、私にこんなことを言ってくるってことは、私のスキルがバレていない証拠だもの)
もしも彼女達から何かされたところで、後で記憶を見せてヴィルフォードに報告することだってできる。
するとそこで――頭の中に、声が響いた。
『あまり君を一人にするのが不安で、様子を見に来てみれば。面倒そうなのに絡まれているようだね』
『ああ、はい』
ヴィルフォードの心の声は聞こえるが姿は見えないので、どこか近くから私を見ていて、声を送ってくれているのだろう。ここできょろきょろとヴィルフォードを探してしまってはロベリア達から不自然に思われるので、視線を動かすことはしないが。
『じゃあ、ちょっとぎゃふんと言わせてあげようか。どんな質問をされるかわからないけど、俺の言う通り答えてくれればいいよ』
『わかりました』
「ちょっと、あなた聞いているの? 今からのテストに答えられないようであれば、ヴィルフォード様の婚約者となることは諦めなさいよ」
「はあ。では、答えられた場合は、何をしていただけるのですか?」
「ふん! そうしたら侯爵令嬢であるこの私直々に、今日含めその他の夜会で、あなたはヴィルフォード様に相応しい最高の婚約者であると広めて差し上げるわ」
だけど絶対にそんなことにはならない、と。よほど自信があるようで、彼女は「おほほほほ」と声を上げて笑う。
「じゃあ、第一問よ。ヴィルフォード様が、先月のライラック家主催の夜会の際に着ていた上着の色は?」
『青藍色だ』
「青藍色です」
「な!? ……そ、その夜会、あなたは来ていなかったでしょ! どうして即答できるのよ、おかしいじゃない!」
『フィオーレ、こう言ってくれ』
心の声で、ヴィルフォードが言葉を伝えてくれる。
なので私は、彼が言ってくれた言葉を、笑顔でそのまま伝えた。
「ヴィルフォードは、春の訪れを告げる夜会では、春を運ぶ青藍蝶の色の御召し物を身に着けるのです。自分が一番彼に詳しいというような顔をしておいて、まさかそのようなことも知らなかったのでしょうか」
「な……も、もちろん知ってたわ! あなたを試しただけよ! 次いくわよ、次! ヴィルフォード様が、昨年のオーキッド家の晩餐会で披露した楽器といえば!?」
『ヴァイオリンだ』
「ヴァイオリンです」
「な……! なんで知って……!?」
これもまた、ヴィルフォードが細く頭の中に言葉をくれたので、そのまま伝える。
「婚約者が弾ける楽器くらい、知っていて当然です。ちなみに、彼は他にピアノと竪琴が弾けます」
「つ、次の問題いくわよ!」
それからも、彼女は問題を出し続けた。次第にヴィルフォードのことに留まらず、貴族としての教養や人脈を問うような出題もされたが、頭の中でヴィルフォードが全て教えてくれたため、私はさぞ完璧に答える有能令嬢のように見えただろう。……全部ヴィルフォードのおかげなんだけどね。
(そうか、離れていても心の声で会話できるなら、こういう使い方もできるのね。便利なスキルだな……)
「おかしい……おかしいわ! どうしてあんたなんかが、答えられるのよ!? あんたなんか、婚約を破棄されるような出来損ないで、最近はどこの夜会にも参加していなかったじゃない! なのになんで……」
そこで――ぐいっと、私の肩が抱かれる。
「彼女が私のことを知っているのは、私が何でも彼女に話しているからさ」
「ヴィ、ヴィルフォード様……!?」
「あなたこそ、どうして私のことをそんなに知っているのかな」
「そ、そんなの……! ヴィルフォード様をお慕いしているからです! あなたには私の方が相応しいでしょう! 私の気持ちには応えてくださらないのに、何故そんな子なんかと……!」
「そんなの、当然だろう? こうして陰で人を見下し、詰るような者を妻にする気などない、というだけさ。フィオーレより自分の方が公爵夫人に相応しいと思っているなら、思い上がりだ」
「な……!」
「もういいかな? 私の愛しい人を困らせないでくれ」
彼は、私を守るように肩を抱いたままだ。ロベリアは、悔しそうに口を開閉させている。
「私はフィオーレを愛している。……私達の婚約に、何か不満でも? クレマチス家は、公爵家の結婚に口出しをするのか?」
「い、いえ、そのような……!」
「そうか。では、彼女に何か言うことがあるんじゃないのかな?」
にっこり。ヴィルフォードが笑顔で圧をかけると、ロベリアはだらだらと汗を流し、すごい勢いで頭を下げた。
「も、申し訳ございませんでした……!」
「このようなことは、二度といたしません! 失礼いたします!」
ロベリアとその取り巻きはドレスのスカート部分を持ち上げ、逃げるように走ってゆく。
(やっと終わったわ……)
『ヴィルフォード、ありがとうございました』
『いや。それに最初、毅然と言い返した君も、素晴らしかったよ』
『あ、ありがとうございます……』
彼に微笑みかけてもらうと、ほっと緊張が解けてゆく。
しかし、胸を撫で下ろしていたのも束の間。
今度は、知った顔が近付いてきて――
「フィオーレ!」