12・公爵様から贈り物を貰いました
結局、試着したものと、他にも何着もドレスを買ってもらい、私達は店を背にした。
「さて、フィオーレ。他に見たい場所はあるかい? 好きな場所へ案内するよ」
「いえ、もう充分で……」
(……あ)
歩いている最中、ふっと目を引くものがあった。
雑貨店だろうか。店先に、愛らしい人形が飾られていたのだ。
(可愛い……)
幼い頃、買ってもらえなかったのだ。「どうせすぐ大きくなって、そんな子どもっぽいもので遊ばなくなるんだから、もったいない」と。でも妹のフローラは何故か、可愛い人形を与えられていた。
(……まあ、今思い出すことではないわね)
「もう充分です、ヴィルフォード。ありがとうございます」
「そうか。まあ、君もそろそろ歩き疲れてきた頃だろう。屋敷に戻るとするか」
◇ ◇ ◇
その後、私達は屋敷に戻り、使用人さんが作ってくれた夕食を食べた。
このお屋敷の使用人さん達は、ヴィルフォードの方針もあり、当主や客人に干渉しないようにしているらしい。私についても一切詮索してくることはなかった。料理や給仕など、完璧に仕事だけに徹してくれているので、契約婚約者としてはやりやすかった。
その後は昨夜のように入浴した後、この公爵邸で与えられた自室に戻り、就寝しようとしたところで――扉がノックされた。
「夜分に失礼。入ってもいいかい? フィオーレ」
「どうぞ」
応答すると、彼が部屋に入ってくる。
「何かご用ですか?」
「用というか、慣れない屋敷ではあまり眠れないかと思ってね」
「……添い寝でもしてくれると言うのですか?」
「ん? 君が望むなら、いくらでも」
にっこり。背景に美しい花でも咲きそうな笑顔だ。
「……すみません。冗談に冗談で返してくれてありがとうございます」
「はは。まあ今夜のところは、この子と一緒に寝たらどうかな」
「え……」
そう言って彼は、後ろ手に隠し持っていたものを差し出す。
「……! これ……」
街で見かけた、あの人形だ。思わず、目を見開いてしまった。
「ヴィルフォード……あなた本当は、私の心、全部読めたりしますか?」
「はは、まさか。人の心を読める能力なんてあったなら、自分の目的のためにもっと有効活用しているさ」
「説得力のありすぎるお言葉ですね。でもじゃあ、どうしてこれを……」
「だって、見ていただろう? 欲しいのかなと思って」
「見ていたって……あんな一瞬のことに、気付いてくださったんですか?」
「俺はたとえ一瞬でも、君のことを見逃したりしないさ」
(……っ。どうして、そんな言葉をくれるの? まるで、愛の囁きのような……)
だけど、この人がそんな生易しい男ではないことは、ドグス達や両親への言動から、よくわかっている。
この人はきっと、私を篭絡しようとしているのだろう。
私を惚れさせれば、私のスキルが自由に使える。彼の計画の成功率が上がるのだ。どこかで私が裏切ったら、彼の計画は崩れてしまうから――だから、私が離れていかないように甘い言葉を贈るのだろう。
(けど……それでも、嬉しい)
「ありがとうございます、嬉しいです。……でも、いいんでしょうか。私は、もう子どもではないのに……」
昔親に言われた、「そんなものは子どもっぽい」という言葉が蘇り、気後れしてしまう。
「おや。子どもじゃなかったら、可愛いものを愛でてはいけないのかい?」
「いえ、それは……」
「なら、俺が率先して愛でようか。よしよし、可愛い子だ。君の名前は何にしようか」
ヴィルフォードは、人形を高い高いしてみせる。普段美しく公爵然としている彼が人形遊びをするような姿は、アンバランスで妙に可愛らしく、思わず吹き出してしまった。
「ふふっ……ヴィルフォードってば……」
笑いながら――目の奥から、熱いものが込み上げてくるのを感じた。
それを見て、ヴィルフォードは目を見開く。
「……どうした。何故、泣いているんだ?」
「ご、ごめんなさい」
ぽろぽろと、目から涙が流れてしまって、止まってくれない。
私は、彼がくれた人形をぎゅっと抱きしめながら、涙と一緒にぽつりと言葉を零す。
「こんなに優しくしてもらったの……初めてで……」
――かつてドグスには、薔薇色の腕輪を貰った。
あのとき私はまだ彼を信じたいと思っていたし、綺麗な腕輪を贈られたことが嬉しかった。薔薇色。幸福な色の腕輪を、私が身に着けてもいいのだと――
だけど、結局それも偽りだった。薔薇色は、彼が愛したローズの色だ。私はずっと、何も知らずにそれを身に着けていた。陰では二人に、愚かな女だと笑われながら。
ヴィルフォードがくれる優しさだって、結局は彼の目的のための偽りなのだろう。それはわかっている。
だけど少なくとも、彼は他の女性を見てはいない。他の人のためじゃなく……私が、本当は欲しかったものを贈ってくれた。私の心を見抜いてくれた。……それが、どうしようもなく嬉しくて。心に灯りをともしてもらったように、胸が温かい。
「嬉しい……本当に、ありがとうございます。ずっと、大切にします……」
彼の驚いた表情が、次第にバツの悪そうなものへと変わってゆく。
「……俺に、優しいと言うなんて。君は、本当に酷い奴ばかり見てきたんだな」
「私にとっては、ヴィルフォードは、優しいです」
「なら君はこの先もっと、大勢の人間と知り合うべきだな。俺より優しい人なんて、無数に見つかるはずだ」
「この先何人の人と出会っても、私に初めてこんなに優しくしてくれた人は、ヴィルフォードです」
物を貰えたことが嬉しいんじゃない。
自分の選んだものや、好きなものを、否定されないことが嬉しかった。
「……すみません。私、変なことを言っていますか? 忘れてください」
「いや……」
彼はくしゃりと自分の髪をかいたあと、口を開く。
「……なら、俺も今からおかしなことを言う。忘れてくれ」
「え?」
瞬きをしていると、ふとヴィルフォードの瞳が真剣なものになった。
「……君にはすまないと思っている、フィオーレ」
「……何の謝罪ですか?」
「俺は君を、自分の復讐に巻き込もうとしている」
「そんなこと……今更でしょう? わかったうえで、私はあなたと共にいるのです」
「そうだな。だけど……俺はずるい男なんだ」
微かに目を伏せ、彼の瞳に睫毛の影が落ちる。
「フィオーレ。俺は君に、真実ばかりを話しているわけではないよ」
「……ヴィルフォード……?」
「おっと、お喋りが過ぎてしまった。君の涙は俺を惑わす魔力でもあるみたいだね。……さっき言った通り、俺は君の言葉を忘れるから、君も俺の言葉を忘れてくれ。それじゃ、おやすみ」
彼が部屋を出ていき、ぱたんと扉が閉じられる。
私は元婚約者の結婚式をぶち壊すような、救いようのない愚か者だけど、一応理性はある。傷心のところに優しくされてコロッと落ちるなんて、馬鹿だ。
だけど、彼の何が嘘であっても、構わない。
ヴィルフォードになら、裏切られてもいい。
――あの人もそれだけ、他者から傷つけられ、歪んでしまった人だと思うから。