第25話 嘘のデートと、言えなかった本音
しばらく歩いていると、誰かに見られている気がした。
後ろからつけられているような感覚。
でも……楽しい時間のせいか、すぐに頭の片隅へ追いやられた。
「着いたよ〜! ねね、どう?」 「びっくりした? ふふっ」
そこは――映画館だった。
悪くない選択だと思う。
ただ、俺はそこまで映画に興味があるわけじゃない。
でも、彼女はそれを知らないみたいだし……わざわざ言うことでもないか。
「何か見たいのあるの?」
人混みに紛れながら、そう聞いてみる。
「うん! 今週公開されたやつがあって、まだ見れてなくて」 「和泉くんと一緒に見たいなって……でも、嫌だったりする?」
「別にいいよ。嫌なわけないし」
「ありがとう、慧翔くん」 「それでね……一つだけ言っておきたいことがあって」 「ごめん、先に言えばよかったんだけど」
「え? 何を?」
「──ラブストーリーなの」
「それくらいなら全然平気だよ」 「むしろ、小説の参考になるかも」 「でも……そんなに面白いのか?」
坂本さんは嬉しそうにうなずいた。
「絶対、和泉くんもハマると思う」
そう言って、チケット売り場に向かいかけて――ふいに足を止めた。
少し照れくさそうに、こっちを見る。
「和泉くん……あのさ、変に思わないでほしいんだけど」 「カップルのふり、しない?」
「え? なんで急に?」
「違うの、そういう意味じゃなくて……」 「カップルだと割引があるんだよ」 「ちょっとでも安くなったらいいなって……」
変な提案だと思った。
でも……確かに一理ある。
「いいよ。それでいこう」
彼女はまだ少し照れながらうなずき、今度こそ窓口へ向かった。
「『渚のディスタンス』、カップルで二枚お願いします」
受付の女性は俺たちを見て、にこりと笑った。
「まあ、若いカップルね。楽しんできてね」
「はい、ありがとうございます!」 「行こ? 和泉くん」
彼女は俺の腕を取って、微笑む。
「ああ――……え?」
振り返った瞬間、後ろに誰かがいた。
同じクラスのやつだ。
ぽかんと口を開けて、俺たちを見ている。
無理もない。
あの風紀委員で、学校一冷たいって言われてる女子が、あんな顔してるんだから。
しかも、その相手が俺だ。
俺にとっても、最悪のタイミングだった。
「…………」
「…………知り合い? 慧翔くん」
「同じ……クラスの……」
そう言った瞬間、坂本さんの顔がさっと青ざめた。
その間にも、そいつはじりじりと後ずさっていく。
「お、お邪魔しました……デート中すみません……俺はこれで……」
空気が変わった。
坂本さんの声も。
なんというか……ドスの効いた、低い声に。
「おい」 「今日見たこと、誰かに話したら――」 「人生、終わりだと思えよ」
そいつはごくりと唾を飲み込み、必死にうなずいた。
俺の知ってる坂本さんじゃない。
初めて見る顔だった。
――と思ったら。
こっちを向いた瞬間、もういつもの笑顔に戻っていた。
「よし。これで大丈夫でしょ」 「どうせ命が惜しいだろうし。ふふっ」
「……あ、ああ……そうだな……」
(怖すぎだろ)
「じゃ、行こっか。始まっちゃう」
「ああ」
◇ ◇ ◇
中に入って、後ろの方の席に座る。
周りにあまり人がいなくて、少しほっとした。
ほどなくして、映画が始まる。
その前から、坂本さんのテンションはやけに高かった。
子供みたいに目を輝かせている。
なんだか……新鮮だった。
やがて館内が暗くなり、静けさが広がる。
聞こえるのは、映画の音だけ。
ちょうどキスシーンが始まりそうになった、その時――
ふと、あの日のことを思い出した。
黒川さんのゴミ出しを手伝って、二人で転んで、重なったあの日。
……なんで今、それを思い出すんだ。
正直に言うと、あの時、真耶が目の前に現れた瞬間は、心臓が止まるかと思った。
「和泉くん……お願い、聞いてくれる?」
「ん? 何?」
彼女がちらっとこちらを見る。
言葉を探しているみたいだった。
「さっき……映画で、二人が手を繋ぐシーンあったでしょ」 「あの……私たちも……やってみたくて……」
「え? なんで急に?」
「変な意味じゃないからね、バカ……」 「ただ……どんな感じか知りたいだけ。それだけ」
「そ、そういうことか……」 「まあ、少しだけならいいけど」
彼女は緊張した様子でうなずき、そっと手を握ってきた。
強がってるくせに……全然隠せてない。
彼女の手は冷たかった。
でも、少しずつ温かくなっていく。
俺の心臓は、別にドキドキしてなかった。
緊張もない。
――何もない。
けど。
坂本さんは、どうやら違うみたいだった。
映画に集中できていないのは、自分でもはっきりわかっていた。
しばらくして、スクリーンの中で二人が指を絡める。
その瞬間、彼女がこちらを見た。
無言で――『いい?』と問いかけてくるみたいに。
「いいよ……別に嫌じゃないし」
彼女は何も言わず、そっと指を絡めてきた。
その瞬間、ぴくりと体が震える。
手は温かい。
でも、胸の奥に妙な感覚が広がった。
うまく言えないけど……多分、違和感だ。
また、誰かに見られている気がした。
……いや、気のせいか。
視線をスクリーンへ戻す。
ちょうど、告白のシーンだった。
夕焼けの海辺。
「誠くん、好きです」 「和泉くん、好きだよ」
「急にごめんね、ずっと前から好きだったの」 「急にごめんね、ずっと前から好きだったの」
「……え?」
思わず顔を向ける。
坂本さんが、真っ赤になっていた。
照れたように笑っている。
……好きなのか? 今の、告白だったのか?
「……和泉くん」
彼女の手が、じんわり湿っていく。
汗をかいているみたいだった。
「坂本さん、俺――」
「あ、ごめん」 「映画のマネしちゃっただけ」 「名前使って悪かったね、へへ」 「ちょっとトイレ行ってくる。すぐ戻るから」
返事をする前に、彼女は立ち上がって出ていった。
かなり慌てた様子だった。
俺の手も、いつの間にか汗で湿っている。
「……本気だったのか?」
あの顔は、冗談には見えなかった。
「……急すぎるだろ」
呼吸が少し乱れる。
冷たい空気と混ざって、妙な感覚だった。
何を信じればいいのか、わからない。
……冗談でよかった。
俺はまだ、誰かと付き合う準備なんてできていないし。
できたとしても……多分、彼女じゃない。
……でも。
これ、小説に使えるかもな。
うん、いいネタになりそうだ。
スマホを取り出そうとした、その時――
坂本さんが戻ってきた。
さっきより落ち着いている。
表情も柔らかくて……少し自信も戻っているように見えた。
「ごめんね、待たせちゃって」 「それと……さっきのは」
小さく頭を下げる。
声も控えめで、周りに聞こえないようにしていた。
「いや、気にすんな」 「急すぎて……どう反応すればいいかわからなかっただけだ」
彼女は隣に座り、ほっと息をついた。
それから、こちらを見る。
そして、またそっと手を伸ばしてきた。
「さっきみたいに……戻らない?」 「ダメかな?」
その目は、どこか子供みたいにまっすぐだった。
……断れなかった。
小さく首を振る。
彼女は微笑んで、もう一度手を握ってきた。
さっきより、少しだけ自然に。
でも――
この感覚は、さっきとは違う。
何かが、変わっている。
……慣れてきただけか?
それとも――気のせいか。




