第12話 仮初めの食卓
しばらくして、真夜が――ようやく――自分がここに来た理由を説明し終えると、張りつめていた**雰囲気**は、かなり落ち着いていた。
「つまり……家で一日中なにもしないでいるより、私に会いに来たほうがいいって思って、家出した……ってこと?」
俺の要約に、真夜はやけに勢いよくうなずいた。 まるで、今の言葉が“正解”だったかのように。
全員、リビングに座っていた。 真夜の結論はすでに出た。あとは――母が、どう判断するかだけだ。
案の定、母は額に手を当て、目を閉じる。 その表情には、はっきりとした落胆と……疲れが滲んでいた。
「……はあ。まあ、今さらどうしようもないわね」
そう口を開いたのは、真希さんだった。 柔らかな微笑みを浮かべ、その言葉は明らかに、母の気持ちを和らげようとしている。
最終的に、母もそれを“仕方のない事実”として受け入れたようだった。 起きてしまったことは、もう変えられない。
「そうね、真希ちゃん。 真夜の気持ちも、少しは分かるわ…… 慧翔に、ここへ引っ越してから全然会えてなかったものね」
「うん。お兄ちゃんに、すごく会いたかったの。 それに……来てよかった。 だって、今はお姉ちゃんにも会えたし」
「こちらこそ。お会いできて嬉しいです」
真希さんは、いつもの完璧な笑みでそう答えた。 あまりにも整いすぎていて――本心なのかどうか、判断がつかないほどだ。
「真希ちゃん……慧翔の彼女でいてくれて、ありがとう。 もう、家族みたいなものね」
「母さん! そういう言い方はやめてくれ……」
「ありがとうございます、一葉さん。 至らない点もあると思いますが、頑張ります」
俺の抗議など、まるで存在しないかのように。 真希さんは、あまりにも自然にそう返した。
一気に顔が熱くなる。 話の進み方が早すぎるし、彼女は“彼女役”に入り込みすぎていた。
「なあ、真希さん……あまり気にしないで。 母さん、からかってるだけだから」
そう言うと、彼女は小さく首を傾ける。 本気で考えているような、わざとらしい仕草だった。
……本当に、役になりきっている。
「さて、そろそろ失礼しようかしら。 お昼ご飯の準備をしないと。 何か食べたいもの、ある?」
「わあっ! 私、手伝ってもいい!?」
真夜は勢いよく手を挙げ、ソファから跳ねるように立ち上がった。
あまりの必死さに、母は一瞬だけ戸惑う。 それでも、真夜は期待に満ちた目で、じっと見つめ続けていた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、お願い。 ここにいさせてもらったお礼、させて」
俺は真希さんを見る。 彼女は、落ち着いた笑みを浮かべて、静かにうなずいた。
「……断れないわね。 それに、きっと助かると思うし」
「ありがとう、お姉ちゃん〜!」
母はその様子を、どこか懐かしそうに見つめたあと、 小さく――ほとんど聞こえない声で、何かを呟いた。
真夜と真希さんは、並んでキッチンへ向かっていく。 俺は、母と二人きりでリビングに残った。
「いい彼女ができたわね。 ここへ行かせるって決めたの……正解だったかもしれないわ」
真希さんの“演技”は、あまりにも自然だった。 母はすでに、彼女にすっかり心を許しているように見えた。
……本当に、ここまでやるとは思わなかった。 やろうと決めたら、とことん突き進む人だ。
それでも――これは、あくまで**一時的**なもの。 全部、演技だ。本物じゃない。
だからこそ、これ以上、彼女に迷惑をかけないようにしないといけない。
「そういえば……二人は、どうやって知り合ったの?」
母の声は、キッチンにまでしっかり届いた。 俺が反応する間もなく、真希さんはまるでその瞬間を待っていたかのように、自然な口調で答える。
「それについてですが、一葉さん。 私たち、同じ高校に通っていたんです。 毎日顔を合わせるうちに、少しずつ距離が縮まって……気づいたら、お付き合いするようになっていました」
その答えも―― いや、それ以上に、その“言い方”が完璧すぎた。
まるで、最初から全部台本があったみたいだ。 一言一句、計算されている。
「……うん。そういう流れだった」
俺の補足は、正直かなり頼りなかった。 それでも、十分だったらしい。
母も真夜も、疑うことなく信じていた。 ……とはいえ、避けられない質問というものは、やはりある。
そして、核心を突いてきたのは――予想どおり、母だった。
「それで? どっちが先に告白したの? それから……どうして、一緒に住むことになったの?」
来た。 一番聞かれたくなかった、二つの質問。
でも――もう、答えは決まっている。
「えっと……それは……」
「私から、慧翔くんに告白しました」
真希さんが、俺の言葉を遮った。 少しだけ頬を赤らめ、視線を落としながら。 まるで、照れているかのような仕草で。
……本気で思う。 小説家より、役者のほうが向いてるんじゃないか。
俺が何を言おうとしているのか、全部分かっているみたいに。 いつも、一歩先を行く。
母と真夜は、同時に言葉を失った。 そして、真夜の口から、小さな声がこぼれる。
「……信じられない」
「こんなに可愛い子から告白されるなんて…… うちの息子、そんなに魅力があったのね」
分かっている。 母はちゃんと分かっている。 俺が、自分から踏み出すタイプじゃないことくらい。
「本当に、運のいい子ね。 真希ちゃんみたいな人と出会えるなんて。 ……それで、ご両親には、もう話してあるの?」
真希さんは、一瞬だけ黙り込んだ。 深く悩んでいる様子ではない。 でも、言葉を選ぶための、ほんの少しの“間”だった。
「いいえ、まだです。 タイミングを見て、きちんと伝えようと思っています」
その笑顔は、少しだけ硬かった。 簡単な話じゃない――そう、暗に伝えている。
「そう……なるほどね。 その日が、早く来るといいわ。 ぜひ、一度お会いしてみたいもの」
「両親が、少し厳しくて…… なかなか、簡単には話せないんです」
声が、ほんのわずかに落ちる。 母は、それをすぐに察したようだった。
「ごめんなさい、真希ちゃん。 踏み込みすぎた質問だったわね」
真希さんは、すぐに首を横に振る。 変わらない、穏やかで丁寧な笑みのまま。
「いえ。お気になさらないでください。 悪気がなかったことは、分かっていますから」
母と真夜は、目を合わせて、無言でうなずいた。 ――“本当に、できた子ね” そんな気持ちが、はっきり伝わってくる表情だった。
それ以降、その話題が出ることはなかった。 正直、助かった。少なくとも……今は。
会話は、他愛のない雑談へと移り変わる。 どうでもいい思い出話や、たまに混じる笑い声。
気づけば、料理の**香り《かおり》**が、部屋いっぱいに広がっていた。
――そして、昼食の時間が訪れる。
テーブルの上は、すでに料理で埋め尽くされていた。 思わず、言葉を失ってしまう。
……どう見ても、普通の食事じゃない。 まるで、何かの**祝宴**みたいだ。 今日が特別な日だと、誰かが勘違いしたんじゃないかと思うほど。
席に着く。 向かい側に、母と真夜。 俺の隣には、真希さん。
揚げたての天ぷらが大皿に盛られ、まだ湯気を立てる牛肉の唐揚げ。 丁寧に巻かれた海苔巻きも、綺麗に並べられている。
……冷蔵庫に、こんなに材料があったとは思えない。
いや。 そう考えて、すぐに思い当たった。 真夜が持ってきた、あの大きな袋。 多分、あれが半分以上を説明している。
一方で、母もまた、目の前の光景に完全に圧倒されていた。 テーブルを見渡しながら、同じことを考えているのが分かる。
真夜と真希さんは、どこか無邪気に笑っていた。 きっと内心では、二人とも同じくらい驚いているのだろう。
「わぁ……すごいわね。 これ、本当に食べきれるかしら……」
母は、料理から目を離さないまま、ひとつひとつを吟味するように呟く。
「こんなに作れると思ってなかった…… 私も、ちょっとびっくりしてる。 ねえ、姉ちゃん?」
そう言って、真夜が振り返る。
真希さんは、あの“完璧な彼女”の笑みを崩さないまま、軽くうなずき―― ごく自然な調子で、口を開いた。
「じゃあ、冷めないうちに食べましょう」
それぞれの前に、白いご飯の茶碗。 俺は箸を揃え、手を合わせる。
「いただきます」
全員の声が重なり、食事が始まった。
まず手を伸ばしたのは、揚げたエビだった。 真夜と俺が、ほぼ同時だ。
一口かじる。 衣の**食感**と、中の身の甘さが広がる。
……その時、気づいた。 真希さんが、まだ一口も食べていない。
じっと、俺を見ている。 まるで、判決を待つみたいに。
俺は、ゆっくり噛み続ける。 視線は、ずっと外れない。
「……どう? 慧翔くん……」
声に、わずかな緊張が混じっている。 期待と不安が、はっきり表情に出ていた。
黙って、もう一本エビを取る。 さらに、もう一口。
……さすがに、言わないわけにはいかない。
「美味しい…… いや、本当に美味しい。 こんなの、初めて食べたよ」
その瞬間、真希さんの顔が一気に赤くなる。 視線を落とし、ほとんど囁くように答えた。
「……ありがとう。 そう言ってもらえて、よかった」
顔を上げた彼女の笑顔は、自然と全員の視線を集めていた。
「兄ちゃん、いいなぁ。 こんな料理上手な彼女がいて」
真夜の感想は、ど直球だった。
真希さんは、照れながらも、嬉しそうにうなずく。
「えへへ……ありがとう、真夜ちゃん」
それほど時間を置かず、母も感想を口にした。 内容は、ほとんど真夜と同じ。 ……どうやら、考えていることも一緒らしい。
その後は、静かな食事の時間になった。 ――とはいえ、完全に静かだったわけじゃない。
真希さんが作った料理が出てくるたびに、 真夜は毎回、感嘆の声を上げる。
一品ごとに、前より美味しいと本気で思っている様子だった。
まるで、一流の料理人が作ったみたいだ。 ……少なくとも、二人の目にはそう映っている。
一方で、俺はまだ慣れていなかった。 それに、何度も「美味しい」と繰り返すのも、 俺の立場としては、どこか不自然に感じてしまう。
――役割を、取り違えてはいけない。
これは、あくまで演技だ。
たとえ、それが―― 少しずつ、本物みたいに感じ始めていたとしても。




