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第11話 母はすべてを見抜く

 真希さんは、ひとまず大きな問題は起きなさそうだと分かり、ほっと息をついた。

 少なくとも……今のところは。


 彼女は俺たちの後ろについて、自分の部屋へと向かう。そこが、次の作業場所だった。

 やることはもうほとんど残っていない。実際、片付けも終盤で、あと少しで全部片がつくところだった。


 部屋の前に着くと、俺は真耶に向かって指示を出した。


「そこの隅にある段ボール、まとめてくれるか? あとで、ちゃんと置く場所も考えよう」


 それから、黒いゴミ袋の方を指さす。


「ゴミ袋は、俺と真希さんで捨てに行く」


 真耶は元気よくうなずき、背筋をぴんと伸ばした。

 まるで命令を受けた兵士みたいだ。


「了解!」


 そう言うなり、すぐに作業に取りかかる。

 それを横目に、俺と真希さんも自分たちの役割を始めた。


 作業は思ったよりも順調だった。

 俺はゴミ袋を二つ、彼女は一つ持つ。量の差はあったが、特に問題もなく、手際よく進んでいく。


 気づけば、残っているのは最後の二つだけだった。


 俺一人でも持てなくはなかった。

 けれど、真希さんがちらりとこちらを見るのが分かった。

 ……置いていかれるのは、あまり好きじゃないらしい。


「………………」


「真希さん、最後の一つ……一緒に持つ?」


 声をかけると、彼女はびくっと肩を震わせ、顔を赤くしたまま強い口調で返してきた。


「ば、ばか! ……まだ、その呼び方に慣れてないのよ」


「……今は我慢するしかないだろ。別の言い方、考えなかったのか?」


 彼女は舌打ちし、明らかに苛立ちを抑えながら、ゴミ袋の一つを掴んで玄関の方へ歩き出した。


「分かってるわよ。私のせい……ここまで話が大きくなるなんて、思ってなかっただけ。

 まあ、今日一日だけだと思えば……」


 そう言って、少しだけ声の調子が落ち着く。


 俺は小さくうなずき、残った袋を持った。

 彼女の様子を見て、少し重そうだと感じ、自然と手を伸ばして支える。


 真希さんは拒まなかった。

 最後の袋だったし……どうやら、彼女もそれなりに疲れていたようだ。


 ***


 一階に降りると、あとはゴミをコンテナに放り込むだけだった。

 それで、すべて終わりだ。


 真希さんは、大きく息を吐いた。

 まるで何時間もぶっ通しで片付けをしていたかのように。


 実際には、真耶が来てから、まだ二時間ほどしか経っていない。


 彼女はそのまま動かず、通りの方をじっと見つめていた。

 何かに、意識を奪われているみたいに。


 時間の感覚が少しずれていたことに気づき、俺は不思議に思って近づく。


「……なんか様子が変だけど。どうかした?」


 短く問いかけると、彼女はゆっくりと振り返り、俺の顔をじっと見た。


「慧翔くん……あの人、知り合い?」


 視線の先を追った瞬間、俺はその顔に気づいた。


 柔らかな笑みを浮かべた、まだ若々しい女性が、落ち着いた足取りでこちらへ向かってくる。


 真希さんの質問に対する答えは――

 残念ながら、嫌というほど知っている。


 それどころか、今日来る予定だったことを、完全に忘れていた。


「………………」


「ねえ、無視しないで。答えてよ」


 彼女が言い切る前に、俺は口を開いた。


「……母さんが、今日、様子を見に来るって言ってたの、忘れてた」


 自分でも分かるほど、顔に出ていたのだろう。

 真希さんは、納得したように目を細めた。


「じゃあ……やっぱり。

 あの人が、慧翔くんのお母さんで、真耶ちゃんのお母さんなのね?」


 返事をする前に、母はすでに俺たちの目の前まで来ていた。

 意味ありげな笑みを浮かべ、タイミングを測っていたかのように。


「慧翔、外で会うなんて珍しいわね」


 そう言いながら、視線は真希さんから一瞬も離れない。


「こんなに早く来るとは思わなかったよ」


「言ったでしょう? 今日は早めに行くって。

 それより……紹介してくれないの?」


 ――やっぱり、そこだ。


 彼女が真希さんを見た瞬間から、これを狙っていたのは分かっていた。


 もう、選択肢は一つしかない。

 真希さんが作った“設定”に、乗るしかなかった。


「はじめまして。黒川真希です。

 慧翔くんと……お付き合いしています。

 初めまして、一葉さん」


 真希さんは、驚くほど丁寧な態度を崩さなかった。

 背筋の伸びた立ち姿と、落ち着いた言葉遣いが、彼女を実年齢以上に大人びて見せている。


 それを見た母は、一瞬はっきりとした驚きを浮かべ――

 すぐに、どこか意味深な笑みに変えた。


「ふふふ〜……あなたが、数日前に電話をくれた子ね?

 慧翔、こんな素敵な彼女がいるなんて、本当に運がいいわ」


 そう言いながら、母は少しだけ真希さんの方へ身を乗り出す。


「そうそう。前に一度、自己紹介はしてるものね。

 呼び方は自由でいいわよ……真希ちゃん〜」


「は、はい……えっと……一葉さん、で……よろしいですか?」


 母はほんの一瞬だけ、不満そうに口元を歪めた。

 だが、すぐに何も言わず、肩をすくめる。


 ――自分で“好きに呼んでいい”と言った手前、文句は言えないのだろう。


「まあ、いいわ。

 直接会えて嬉しいわ、真希ちゃん。

 うちの息子のこと、どうかよろしくね」


 二人でそろって、軽く頭を下げる。

 ただし……真希さんと違って、俺は緊張を完全には隠せていなかったと思う。


「さて、立ち話もなんだし……中に入りましょうか」


 母の妙に明るい声に、真希さんと俺は一瞬だけ視線を交わした。

 ――同じことを考えている、そんな感覚だった。


「……何?

 二人とも、なんだか怪しいわね」


 母は、思っていたよりもずっと早く察していた。


「い、いや……その……

 もし、真耶が……家を出て、どこか遠くに行ってたら、どうする?」


 母はすぐには答えなかった。

 代わりに、鋭い視線を俺に向ける。


「……何が言いたいの、慧翔」


 声の温度が、一気に下がる。

 一歩、こちらへ踏み出した。


「まさか……

 真耶が家出してて……ここにいる可能性がある、なんて言わないでしょうね?」


 俺が返事をする前に、母はもう背を向けていた。

 迷いのない足取りで、建物の中へ向かっていく。


「………………」


 ――ごめん、真耶。

 さすがに、これ以上は庇えない。


 心の中で、先に謝っておいた。

 これから起きることを思えば……覚悟は必要だ。


「……仕方なかったわね。

 いずれ、バレることだったし」


「……ああ。俺も、そう思う」


 疲れた息を吐き、真希さんと並んで部屋へ向かう。

 母の数メートル後ろを、静かについていった。


 さっきまでの笑顔は、もうどこにもなかった。

 そこにあったのは、冷え切った、厳しい表情だけだ。


 階に着くと、部屋の前で立ち止まる。

 ドアは、少しだけ開いていた。


 その瞬間――

 中から、甲高い声が響いた。


 真希さんと俺は、同時に理解した。

 ――もう、始まっている。


「やっぱり!

 何してるの、ここで!

 家にいなさいって言ったでしょう!」


「えっ!?

 お母さん!?

 どうしてここに……仕事じゃなかったの!?」


「質問に質問で返さないで、真耶。

 ちゃんと答えなさい」


 空気が、張り詰める。

 このままではまずいと思い、俺は部屋の中へ踏み込んだ。


「母さん……

 真耶が何も言わなかったのは分かってる。

 でも……まずは、話を聞いてやってくれないか」


 母は腕を組み、真耶の前に立つ。

 どう対処するか、じっくり値踏みするような視線だった。


 そして、大きく一つ、ため息をつく。


 そのタイミングで、キッチンの方から真希さんが現れた。

 両手には、水の入ったグラスが二つ。


 その笑顔は――完璧すぎるほど、完璧だった。


「一葉さん、真耶ちゃん。

 お水、どうぞ。

 きっと、お二人ともお疲れでしょう?」


 あまりに唐突な空気の切り替えに、二人とも言葉を失う。


「ありがとう、真希ちゃん……

 確かに、ちょっと落ち着きたかったの」


 一方で真耶は、戸惑いながらも両手でグラスを受け取った。

 安心していいのか……それとも、罪悪感を持つべきなのか。

 その判断が、まだついていない顔だった。


 数秒間、誰も口を開かない。


 テーブルにグラスが置かれる音だけが、

 静かに、その沈黙を切り裂いた。


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