こちらは黒潮テレビから
黒潮テレビからの臨時ニュース
こちらは黒潮テレビからの臨時ニュースです。
深夜零時二十三分、県内全域にて大規模な通信障害が発生し、現在も復旧のめどは立っておりません。
また、同時刻に目撃情報が相次いで寄せられています。
「顔のない人々が、水の上を歩き、こちらを見つめている」
と。
現在のところ、被害の報告はありませんが、不要不急の外出は控え、戸締まりを徹底してください。
……次のニュースです。
僕はテレビの前で固まっていた。
音は確かにニュースのものだが、アナウンサーはいない。カメラの向こうはスタジオで、だが天井から水がぽたぽたと落ち、床はすでに浅い水たまりに覆われていた。
時計の針は零時二十三分を指したまま動かない。
「……ドッキリか? 停波か? それにしても長すぎる」
ぶつぶつと呟きながらも、リモコンを握る手が汗で滑る。
ニュースの声は続く。
「先ほどより、スタジオ内の床に水が浸入しています。
原因は不明ですが、現在スタジオの水位は膝ほどまで上がっています。
放送は継続します。」
ぞわり、と背中を冷たいものが這った。
いや、違う。
冷たいのは……足元だ。
見ると、カーペットにじわじわと濃い水が染み出している。
水音が、はっきりと聞こえる。
ぽちゃん、ぽちゃん、と規則正しい水音が、部屋の外から、こちらに近づいてくる。
ドアの隙間から白い指が伸びるのを見たとき、息が詰まった。
ざらざらとした白い指先が、濡れた床を這い、僕の足首に触れた。
同時にテレビの画面が暗転し、スタジオが完全に水没していく映像が映った。
椅子に座ったキャスターは顔のないまま、胸元まで水に沈み、最後に赤いランプだけがぼう、と灯った。
(逃げろ)
頭の奥で声がする。
だが、身体はもう、膝まで水に埋もれていた。
「……こちらは黒潮テレビからの臨時ニュースです……」
テレビから聞こえる声が、いつのまにか僕の耳元で囁いている。
「……あなたの部屋にも、水が伺います……」
窓の外に視線をやると、そこはもう川の底のように暗く濁り、白い顔のない人々が水中に漂っているのが見えた。
彼らはゆっくりと手を伸ばし、こちらに合図する。
おいで、と。
息ができない。
足元から冷たい水が絡みつき、頭まで引きずり込まれる。
もがいても、視界は濁った水でいっぱいになる。
耳の奥で、あの声が、最後のニュースを読み上げる。
「……ご視聴、ありがとうございました……」
闇の中で、赤いランプがぽつりと灯る。
マイクの前で、僕の口が勝手に動き出した。
「……こちらは黒潮テレビからの臨時ニュースです……」
スタジオは沈黙している。
ただ、スタジオの水面の向こう、ガラス窓の外で、無数の顔のない視聴者がこちらを見つめている。
零時二十三分のまま、時計の針は動かない。
(ぽちゃん……ぽちゃん……ドン……)
黒い水音だけが、今夜もゆっくりと響いていた。