第九話・一難去ってまた一難ですわ
こうして男爵領に平穏が訪れたのですが、面倒事というものは得てして連鎖するものです。一難去ってまた一難となるのも時間の問題でしょう。
それまでのんびり待つとしますか。
「ところでさ」
「何かしら?」
「リシアは武器とか体術とか使えないのか?」
盗賊狩りが終始上手くいってから二十日くらい過ぎた、ある日の午前中。
私はスタンから何気ない質問を受けました。
「ほら、あんたのせいであの死ぬに死ねなくなった盗賊の頭。あいつを槍で刺した時の手さばきが……こんなこと言うとあれだが、その……ド素人そのものだったから」
「一応、練習しましたのよ? こう、大勢の敵を相手に、鮮やかに立ち回ってみたいなと思って」
「それで?」
「誰かに師事しなかったのを差し引いても、自分でもわかるくらいのどうにもならないキレの無さで、あえなく断念したんですの」
屋敷の敷地内にある倉庫から、こっそり剣や槍を持ち出し、よくわからず我流で適当に振り回したあの頃の記憶が甦ってきました。
他人がその時の私を見たら、頭のおかしい少女が武器を手に暴れまわってるとしか思えなかったでしょうね。
「ちょっと見せてくれよ」
スタンが木剣を差し出してきました。
「恥を晒せと? 雇い主ですわよ私?」
「からかうつもりはない。馬鹿にしたいんじゃなくて俺の目にどう見えるか確かめたいだけだ。見どころがありそうなら、多少の護身術を教えたいしな」
「必要なくってよ? それは貴方もご存知でしょう?」
「手札は多いに越したことはないさ。それに暇だろ? 身体を動かさないとあちこちに余計な肉がつくぞ」
「既に最強の手札があるのですが……」
目方が増えるのは嫌ではありますから、彼の提案に乗ることにしました。
それに体を動かすのは元々好きというのもありますが、鍛え抜いた身体能力があるのに技術が無いのも勿体ないなと以前から思ってはいましたから。
もしかしたら、今からスタンの助力によって私の新境地が開かれるのかもしれませんね。
「駄目っぽいね」
「駄目っぽいですわね」
屋敷の庭の隅っこで唐突に始まった剣術道場でしたが、その唯一の門下生たる私の結果はさんざんなものでした。
これでも真剣に振り回したり構えたりしたのですが、何度やろうとどうにも腰が抜けた挙動になってしまい、ついにお師匠様が匙を投げ、新境地の開拓はここに頓挫したのです。儚い夢でしたね。
「もういいですわ。こんな下らないもの」
明後日の方向に木剣をぶん投げて悪態をつく有様の私。
「あ、こんなところにいた──」
ごしゅっ
片手で雑に投げ飛ばした木剣が、妹であるランファイナの近くの木に見事突き刺さりました。
「……次の当主の座を巡って争うには、ちょっと早くない?」
幹に半分くらい食い込んだ木剣を横目で見て、ラファが冷たく呟きました。
普通ならびっくりして腰を抜かすか青ざめて立ち尽くすか白目を剥いて漏らすかでしょうが、我が妹はこの程度でビビるような子ではありません。下手したら自分がその木のようになっていた事に不機嫌そうに目を細めはしましたが、特に動揺もなくこちらに歩いてきます。
「あら、ラファ、どうしたの? 何か用かしら?」
「危うく実の妹を無き者にするところだったのに平然としてるのね」
「無事で何よりでしたわ」
ラファが片眉を吊り上げました。
「その言い方は流石にないと思いますよ。……申し訳ありません、ランファイナ様。この駄目なお嬢様にはあとで俺がきつく言い聞かせますので」
それほど親しくもない間柄なのもあって、スタンの口調も礼儀正しいものになっています。私の事を駄目なお嬢様と言ったのは聞き逃してませんからね。
「ラファでいーわよ。あと、お喋りももっとフランクにいきましょう」
スタンがこちらに目配せしてきました。この提案に乗っていいのかという許可を求める目です。
別段どうでもいいので、私は少しだけ頭を上下させました。好きにしなさいの合図です。
「わかった。これからは堅苦しい話し方はしないよ、ラファ」
「そうそう、それでいいのよ♪ 同い年の男の子にそんな肩肘張ったお喋りされたら、こっちが疲れるわ」
「それはいいとして、用件があるのではなくて? だからわざわざ探しに来たのでしょう?」
「あ」
本来の目的を思い出したのか、ラファが判子を押すように右拳で左手の平をポンと打ちました。
「あのね、リシア姉様に珍しいお客様が来てるのよ」
「あら、誰かしら」
「オドランド侯爵家のお嬢様よ」
「……ああ、あの方ね。それは確かに珍しいですわね」
私の婚約者でこの国の第二王子だったクレス様に随分とメロメロになっていた方でしたわよね。私より一つ上で、クレス様と同じ十八歳だったはずです。
また何用でしょうか。
親しさなど全くない関係でしたから、こちらに遊びに来る訳がありません。ましてや、彼女がお慕いするクレス様は私のせいで……それはまあ置いといて。
「お目当てというか、ターゲットは姉様ではなく──」
ラファが指差したのは私ではなく、スタンでした。まさかの展開です。
「俺?」
「状況が読めませんわね。説明願いたいわ」
「……それは、本人達から聞いたほうが早いと思うわ」
ラファが静かに振り返り、こちらに近づいてくる一組の男女へと、私達の視線を誘導しました。
女性のほうは知った顔です。侯爵家のご令嬢、ステファニー様でした。
煌びやかな金髪をこれでもかとカールさせ、エメラルドのごとき瞳でスタンを値踏みするように見ています。
男性のほうは……見覚えがありません。長槍を背負った美少年です。武装してるのですから普通に考えて護衛でしょうか。
年齢は、スタンと同じくらいに見えます。長い黒髪を首の後ろでまとめ、強気そうな青い瞳でこちらをじろりと見据えています。
背中の長槍の穂先は、魔法の光らしい青い輝きを宿していました。
「ごきげんよう、リフレクシア様」
「ごきげんよう、ステファニー様」
挨拶に挨拶を返します。ですが、この場の空気は友好的な雰囲気ではありません。
口調こそ礼儀正しいですが、ステファニー様の語気からは冷えた刺々しいものが感じられます。恨みの感情なのでしょうか。
「……そちらの彼が、貴女が雇ったという護衛なのでしょうか? 無敵と名高い貴女らしからぬ、面白いことをなさるのね」
「お耳が早いんですわね」
「常に新しい情報を吸い上げ取捨してきたのが、侯爵家の繁栄の秘訣ですのよ?」
都合のよい情報をチョイスして自分達の利になるよう何代にも渡り仕組んできたのだと、奥ゆかしくステファニー様が語りました。
ところで、面白いと言った割には目が笑ってませんね。
「唐突ですけれど、もしよろしければ、わたくしの護衛役を務めるこのグラギスと手合わせ願えないかしら? 彼がどうしても一戦交えたいと駄々をこねるのですわ。血気盛んで困った護衛ですの」
……なるほど、貴女が家臣のワガママに折れたという形にもっていきたいのですね。
恐らく、自分の護衛で私の護衛を打ち倒して鼻をあかしたいのでしょう。愛しい愛しいクレス様を追いやった私にせめて一矢報いたい気持ちがバレバレですわね。
さて、どうしましょうか……なんて思案する必要もないですね。せっかく男爵領まで来たのに追い返すのも気が引けます。
手痛い敗北でもお土産にしてあげるとしましょう。任せましたわよスタン。