第一話・森の中での再会ですわ
「ふん、ふんふん、ふふんふん。ふふん、ふんふん、ふふふぅ~ん」
木々の葉っぱの隙間から、まばらに光の差す森の中。
この私──リターナ男爵家の長女、リフレクシア・リターナは、王宮にいた頃聞いたことのあるようなないような曲を適当に口ずさみながら、我が家があるリターネルクの町から少し離れた森の中を気ままに歩いていました。確か、リタルトという名前のついた森だったかしら。
これが物語の序章なら、獣や魔物、あるいは人さらいや盗賊や暗殺者に追われているとか、気がついたらここにいて何も覚えてないだとか、ありきたりな緊迫や謎で彩られるのでしょうけど、ただの散歩です。
ほのかに吹く風が涼しくて心地いいですわね。
「……まあ、無謀ですわよね、普通」
護衛もつけず、一人で森の中。
膝まであるブーツ、気持ち地味目の衣服とスカート、その上からコートを羽織り、見た目だけならセンスのいい赤毛赤目の女冒険者ですが、武器は何一つ持ち合わせておりません。
ただのお嬢様がこのような浅はかな振る舞いをすれば、それは餌食にしてくれと自ら願っているに等しい愚行であり、どんな末路になろうと同情の余地などないでしょう。
けれど、私にとってここは勝手知ったる庭も同然。危険など蟻の爪先や蝶のため息ほどもありません。
どこに綺麗な湧き水があり、どこに甘い果実が実り、どこに魔物蠢くダンジョンがあったかなど、ほぼ全て把握しております。
物心ついた時から暇さえあれば駆け回っていましたので、そのうち目をつぶってでも自由に移動──は流石にそれは、まあ、あれですね。できるできないとかではなく、やる意味がそもそもありません。転ぶのは一度で充分ですから。
「ここに来るのも久しぶりですわね」
何の代わり映えもない、あの頃のままの森に、なぜか嬉しさを覚えてしまいました。
自分の力を試したくて屋敷を抜け出し、森でトレーニングや狩りを行っていた、あの幼き日のまま。
「ここ数年は、足を踏み入れることもありませんでしたけれど……あれから少しは獲物が増えたかしら?」
つい調子に乗って、この広い森が静かになるくらい根絶やしにしてしまいましたからね。
我ながら手酷いことをしました。あのダンジョンも、まだ空のままかもしれません。
「……あら、懐かしいですわ」
かつて仕留めた一角鹿の骨が、まだ転がっていました。
ここで私に襲いかかってきたのです……よね? うろ覚えですけど骨があるのが動かぬ証拠です。確か、私がそれまで見た中でも特に大柄な個体でした。
とうに朽ち果てたものかと思っていましたが、魔物の骨だけあって丈夫なのでしょうか。私は賢者や学者ではないので、その辺についてはまるっきりわかりませんけど。
「あら?」
気のせいかしら。動かぬ証拠が動いたような。
「あらあら?」
気のせいではありませんね。動いてますわ。これでは証拠にならないのでは?
「きっとアンデッド化したのですね。なるほど、それなら朽ち果てないはずですわ」
目玉のない眼窩を赤く爛々と輝かせ、骨だけの身体が、まるで操り人形めいて起き上がりました。
肉がないのに動けるなんて、どういう原理なのでしょうね。私は賢者や学者以下略。
「昼間でも活動するんですのね」
この辺は木々の葉っぱも特に生い茂り、光がそれほど差さないからでしょうか。それとも、アンデッドとして強力だからなのか。わたけん略。
「もしかして、襲いかかるつもりかしら?」
一角鹿は、燃える瞳で狙いを定めるように、こちらを睨み付けています。
これは来ますね。これで突っ込んで来ないなら詐欺です。何を言ってるのか自分でもわかりませんが。
「おやめなさいな。また死んでしまいますわよ……いやもう死んで──」
聞く耳などない(実際もうありませんが)と言わんばかりに、またしても一角鹿は私に体当たりしてきました。生前もそれでお亡くなりになったのにまたやるの?
ちなみにこの鹿の魔物は、獲物に角を突き刺してそのまま角で血を吸うらしいです。要はバカでかい蚊ですね。
とか思っていたらお腹に角が当たりました。
この太く長い角が当たるのは二度目ですね。私のおへそも旧友との再会に喜んでいるかもしれません。
そして。
パァアアアン!
次の瞬間、骨だけの一角鹿が、下から腹部を突き上げられたかのように、天に向かって吹き飛ばされました。
衝撃に耐えかねた身体が細かく砕け、そのまま、儚くパラパラと四方に飛び散りました。うふふ、汚い花火ですわね。
「? 何かしら?」
棒のようなものが落下してくるのだけど……あれってもしや……
どすっ
奇跡的に原形をとどめていた角が落下してきて、土の見えている地面に突き刺さりました。
「……自分で墓標を作るなんて、なかなかの芸達者でしたのね、あなた」
私は魔物らしからぬその最期に感心しつつ、それはそれとして、
「えい」
墓標を蹴り砕きました。
「そんな上等なものは魔物にいりませんわ」
無用の長物をいくつもの破片に変えて、私は森の奥へとさらに足を進めるのでした。なんだか、今日は面白いことが起きそうですわね。
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