【6】脱出
……もう、ずいぶん真っ直ぐに歩いているはずだが、突き当りが見えない。
横にそれるような曲がり角はどこにも見当たらず、ただ真っ直ぐに歩いてきたのだが…失敗したかもしれない。
今来た道を、戻るか……?いや、それは悪手だ。
規則的に設置されているろうそくが、ところどころ燃え尽きている。だんだんと視界の先が暗くなっているから、おそらく…戻る前にろうそくはすべて消えて、闇に包まれるはず。
ここに来るまでに、何も糧になるようなものがなかったのだから…、戻る意味はない。戻ったところで、辿り着くのは何もないただの通路でしかないのだ。
このまま突き進むのが、正解……いや、それは、Goodの答えだな。
Excellentの答えは、おそらく…一刻も早く先に進んで、ろうそくの火が燃え尽きる前にゴール、あるいはゴールにつながる何らかの事象にたどり着くこと。
真っ暗闇で前に進むなど、無謀としか言いようがない。少しでも明かりがあるうちに、1センチでも先に行くべきだ。
俺は歩く速度を上げ、移動する風圧でろうそくの火が揺れないことを確認してから、全速力で駆け出した。
タッタッタと軽快な足音が響き、髪と体躯が上下に揺れる。筋肉が激しく収縮して疲労感が増してゆく。全身にうっすらと汗が浮かぶ。
一体…、いつまで…、俺は、走り続ければいいのだろう。
全速力を維持し続ける事がきつくなってきた。
バクバクと激しく鼓動を打つ心臓の音が、体中に響き渡る。
足を止めようか、しかしそんなことをしていてはろうそくの火が。
葛藤しながら、ややスピードを落としつつ走り続けていると、ふと…空気が変わったような気がした。
…気のせいか、音の…反射も変わったような気がする。
もしかしたら、突き当りが近い、または分かれ道があるのかもしれない。ほんの少しの安心感を胸に、駆けていると…ああ、またろうそくが一つ消えた。…急がねばなるまい。
疲労感で鈍り始めたスピードを加速するべく、中学生のころ陸上部で走っていた事を思い出し、姿勢を正して、手を大きく振り、太ももを高く上げ、前へ、前へとすすむ……。
ああ、この、感じは。何度も挑んだ、走り幅跳びの……。
自分の周りに風を感じていた時代を思い出す。
全力で土をけり、全速力で踏み切って、空中を舞い、砂の上に着地する…あの、爽快感。
若さに陰りが見え始めた肉体の疲労感を…振るい落とすがごとく。
そのまま、勢いに乗って、薄暗い通路のど真ん中で……つい。
頭の中で、走り幅跳びをしていた過去の自分の姿をなぞりながら、思い切り…、砂が塗された、かすれた白い線の見当たらない場所で。
勢いに乗ったまま、右足で踏み切って。
遠くを目指して跳んだ、あの瞬間を!
グラウンドの隅でいつも睨み付けていた、茶色い砂地。砂を蹴散らせて、白線を踏み切り、青い空が目の端に移りこんで。
着地の衝撃、汗ばむ肌に貼りつく砂。このままずっと、風を全身で受けながら…空中に留まり続けたいと、空を舞い続けていたいと願ったあの時。
ああ、今…俺は、跳んでいる。
今、俺は、このおかしな空間で、飛んでいる。
脳裏に浮かぶ、あの頃の景色が…俺に混じる。
青い空が…俺に、混じる。
いや……、俺が、空に…、溶け込んでいく。
ああ、なんて気持ちがいいんだ。不快なものがすべてはがれていく。
おかしなところにいる不安。
混乱を受け入れなければならない重圧。
何で俺ばかりという不満。
許せない出来事、許さなければいけない環境。
言えない本音、塗り固められた感情。
出せない怒り、出したくなる嘆き、出さずにはいられない弱い自分。
酒に弱い体、酒の力で失われた理性。
限度を超えた、越えてしまった、ひとつの…魂。
なんだ、俺は……もう。
着地する場所をなくした、ただの。
……ただの。