素直さに免じて
海へと続くの階段の上に座って、秋の海を眺めていた。夕方の砂浜に人影はなく、人恋しさを潮風が孕んで頬を撫で、寂しくさせる。
待ち合わせの時間になっても3人は姿を見せず、佐藤は手持ち無沙汰に時間を潰していた。
3人を呼び出したのは自分で、その理由を3人はそれとなく察して、もしかすると誰もこないのではないかと、佐藤は杞憂しながら、海を眺めていた。
勇み足だったかなぁ、と佐藤が自分を責めながらため息を吐いた時だった。
「さっすがー!やっぱり流石が1番乗り!」
背中からいつもの陽気な舞雪の声がして、佐藤は振り返りながら、階段の上で立ち上がった。
舞雪の後ろで、謙太と麗奈がクスクスと笑いながら、自分を見ていたので、佐藤はすぐに察した。
「お前ら、舞雪に今の言わす為にわざと遅れてきただろ?」
「えー、しらなーい。さっすがの佐藤君が時間より早く来ちゃったんじゃないの?」
舞雪がわざとらしく言うと、後ろの2人がにやにやと笑った。
「舞雪さ、もうやめろよ、そのイジり。高卒もして、俺ら大人なんだよ、もう」
佐藤が真面目に言うと、舞雪はニヤリと笑った。
「さすが優等生は心が大人ですこと」
「だからやめろっつの」
舞雪の後ろの2人は黙って、クスクス笑いながら、だがどこか物寂しそうにお互いを見合っていた。
「流石、ここで話すんか?寒いからどっか入ろうや」
謙太が両手をポケットに入れて肩をすくませて言った。
「ああ、いいけど。なら最初からそう言えよ。この時間なら、最初から冷えるのわかるだろ」
「だったら、こんなとこ待ち合わせ場所に指定すんな。いくらよく4人で遊んだからって。お前が何言いたいかなんて、だいたい検討ついてんだよ、こっちは。わざわざおセンチな気分にさせるような演出すんな」
謙太は素っ気なくそう言うと、くるりと背を向けた。
「さっすがー、考えが甘いし、気持ちもバレバレ」
舞雪が意地悪に言い、背を向けた。
「あーラーメン食いてぇ。ラーメン屋行こうぜ」
謙太が言い、舞雪と麗奈がいいよ、と答えた。3人は佐藤の返事を待たず、歩き始めた。
佐藤は、はあ、とため息を吐きながら、その後をついて歩き出した。
話したいことは単純ですぐに済むことだった。
それを3人とも、いや舞雪は1番わかっているだろうと、佐藤は思っていた。
3人の様子を見ると、そう簡単な話でもないのかもしれないと、佐藤は思いはじめた。
潮風が、強く佐藤の背中から、吹きつけた。
食券機で注文をすませて、4人はテーブルに着いた。
テーブルに来た店員に食券を渡して、3人は黙って佐藤が喋り出すのを待っていた。
佐藤の横には舞雪が座り、向かいに謙太と麗奈。いつもの4人の配置だ。
「あー、食う前に話す?」
佐藤が言うと、謙太が面倒そうに眉を寄せ、頭の後ろを右手で掻いた。
「知るかよ。お前が決めろや」
「さっすがの優柔不断」
舞香が真顔で言って、グラスの水を口に運んだ。
「じゃあ先に言うけどさーーー」
佐藤が言い出した瞬間、舞がグラスを強くテーブルに叩きつけて、遮った。
「私はついていかないからね。その前に、私に言わなきゃいけないことあるでしょ?言われたからって、いかないから。私ここが好きだし、流石の夢なんかに乗っかって、ましてやそれを支える良い女になんてなる気ないから」
苛立った様子で舞雪は言うと、今度は一気にグラスの水を飲み干した。
「まぁ、俺も流石に呆れてるけどな。あ、悪りぃ。まぁそれより。なんで急に歌なんだよ。ギターも素人程度だろ。大学蹴ってまでやることか?」
謙太が呆れた様子で言い、右肘をテーブルについて、手の上に顎を載せた。
「インディーズの会社が、俺の作った曲聴いて、誘ってくれたんだよ。住むところも用意するからって」
佐藤の話を聞き、謙太はさらに呆れたように、はぁぁっ、とため息を吐いた。
「そんなうまい話あるわけないだろーが。お前さ、自分の親父の金目当てに寄ってくる女は毛嫌いしたくせに、なんでそういう話に食いつくんだよ。その会社、お前の親父さんと繋がりもちたいだけだろ」
佐藤の父親は大手の広告代理店の副社長をしている。佐藤はスポーツ推薦で地方のサッカー強豪校に入学したが、サッカー部は1か月ですぐに辞めた。父親のコネでのスポーツ推薦。辞めた後も父親の影響力のお陰で高校に残れた。
在学中、父親の財力目当ての女子から言い寄られることも多く、そういう女子にうんざりしていたせいで、幼馴染で同じ高校にまでついてきた舞雪のことも信じられずに、傷つけてしまった。
「夢のためなら、何でも利用する。それくらいの覚悟はなきゃ駄目だろ」
「お前、そんなこと言いながら、舞雪東京に連れてこうと思ってんのかよ!?」
謙太は肘をついた右手から顔をあげて、佐藤を睨んだ。
「それとこれとは話は別だろ」
「違わねーよ!自分の親の金目当てに寄ってきたクソみたいな女と舞雪をいっしょくたにした野郎が、同じように親父さん目当てに寄ってきた輩の世話になって、その上そんな連中に食わしてもらっといて舞雪と東京で生きていきたいなんて認められるかよ!」
「謙太の許可は求めてないよ、別に」
「だったら、何で俺ら呼んだんだ。行くなら勝手に1人で東京戻りゃいーだろが、寂しがり屋のぼっちゃんが」
謙太が皮肉を放った所で、店員が注文したラーメンを持ってきたので、4人は沈黙した。
それぞれの前にラーメンが並び、店員が立ち去ると、再び謙太が口を開いた。
「その会社に曲送った時、親父さんの名前出したんだろ?くっだらねー。そういうことしないヤツだと思ってたけどな、俺たちは」
「あー、ラーメン伸びるからさ、話は後にしようよ」
麗奈に冷静に言われて、謙太は黙って割り箸を取って割り、ラーメンを食べ始めた。
佐藤も舞雪も麗奈も、それぞれ食べ始める。
舞雪はラーメンを口に運びながら、4人が出会った時のことを思い出していた。
電車の中で、佐藤が何かを喋るたびに、舞雪がさっすがーと返すのを、舞雪の前に立っていた謙太が訝しく思って、何気なく声をかけたのがはじまりだった。
「なぁ、さっきから流石流石言ってるけど、そんな凄いこと言ってるっけ?この男」
謙太の問いに舞雪は陽気に答えた。
「ああ、流石ってね、名前なのー。佐藤流石って。だから子供の頃から、イジって遊んでるの」
「流石!?よくそんな名前つけたな、親」
「ちょっと、そういう言い方やめなよ」
隣に居た麗奈が眉を寄せて、謙太を嗜めた。
「川の流れの中で丸くなる石のように、人生の流れの中で丸く穏やかな人間なって欲しいって想いからつけたって言われてるけど、実際は母さんが響きが好きで適当につけたらしい」
素っ気なく流石が答えると、マジで?、と謙太はあからさまに笑った。
「おっかしいよねー。私小学校でさすがの漢字が流石って知ってから、おかしくてさー、もう毎日イジってる」
ケラケラ笑って、舞雪は言った。
「舞雪くらいだけどな、イジってくるの。クラスのやつもみんな優しいから気つかって、そのことに触れるやついないし」
「それは流石のお父さんが校長に圧力かけて、人の名前をけなしちゃいけないって全校集会で言わせたからでしょ?」
「マジで?お父さん何やってんの、流石君の」
「広告代理店の副社長で、そんな圧力かけれるような力ないって。舞雪が歪曲して捉えてるだけで」
「だって、三者面談の翌日だったじゃん」
「名前をイジられてる話なんかしてないから」
「本当かなー?」
ニヤニヤと舞雪は言った。
「あーでも、担任がよく佐藤君の名前をからかう女子がいるって話はしたか。でも舞雪ってことは、母さんも父さんもわかってるだろうし」
「え?じゃあ何!?校長を介してご両親が私に圧力かけてきたの?」
「あるか、そんなこと」
流石はそう言い、パシッと舞雪の頭を叩いた。
「女子の頭をたーたーくなー」
恨めしそうに舞雪は言うと、デコピンをするように流石の鼻先を指で弾いた。
「いてっ」
その様子を見ていた謙太と麗奈は顔を見合って、笑った。
「でも流石君のご両親もあれだな、名字が榊原とか伊集院とかなら、何となく響きで決めるのもわからなくないけどなぁ」
謙太が言うと、またニヤリと舞雪が笑った。
「わかるー。佐藤って普通の名字に流石ってつけてもねー。もうイジってって言ってるようなもんだよねー。私はなんかさ、関係ないのにサトウのごはんとかイメージしちゃって、いっつも流石見ると笑っちゃうの」
「マジで関係ねーな、サトウのごはん」
謙太はハハッと笑って舞雪を見た。
「玄関開けたら流石のサトウのごはん!」
「くだらねー!」
舞雪と謙太は陽気にケラケラ笑った。
舞雪はまるで何も感じていなかったが、謙太はもうこの時から、舞雪を意識していた。
4人はラーメンを食べ終わると、各々黙ったままスマホをいじっていた。
沈黙がしばらく続いたが、麗奈が痺れを切らして口を開いた。
「いつまで黙ってるつもり?流石さ、舞雪に言いたいことあって、呼んだんだよね?私達には何?味方して欲しかったの?」
「別に、舞雪にだけ話があったわけじゃ」
「俺らに何の話があんのだよ。舞雪と2人で会うのが怖かっただけだろ、弱虫の腰砕けが」
「謙太は気になるだろ。舞雪のこと」
「なんで?俺はもう麗奈と学生結婚すること決めてるから、何も気になんねーよ。お前だけだ、グズグズしてんのは。舞雪もお前についてく気はないって、さっきはっきり言っただろ」
「舞雪、さっきのは本気で言ったの?感情まかせじゃなくて?」
麗奈が冷静に、舞雪に聞いた。舞雪はスマホに目を落としたまま黙っていたが、フイっと謙太の方に目をやると、口を開いた。
「学生結婚するって、はじめて聞いたんだけど」
「ああ、昨日お互いの家族で話し合って決めたからな。流石には昨日LINEで言った」
「なんで私には言わなかったの?」
「言いづらいだろ。流石もフラフラしてんのに」
「私が未練たらしく、謙太のことまだ想ってると思った?」
「思わないけど、気遣うだろ。元カノなんだから」
「そっか」
ひと言言い、舞雪は麗奈の方を向いた。
「麗奈はなんで言わなかったの?私に」
「別に理由なんてないよ。今日4人で会うから、今日言えばいいと思っただけ」
「そうなの?2人で私のこと追い詰めて、流石とくっつけようとさせてない?3人で何か仕組んでない?」
「してないよ」
「さっきの俺と流石の話聞いてたか?俺は許さんって言ってんだよ、舞雪を連れていくのは」
「だから何でお前の許可がいるんだよ。舞雪が決めることだろ」
流石が少し苛立った様子で言った。
「お前はな、肝心な時に舞雪傷つけて、今もグズグズ男らしく何も言えずに、何を偉そうにブチ切れてんだよ」
「いつまでも昔の話すんなよ」
「昔も今もあるか!あの時、舞雪が泣いて俺のとこ来た時、俺はマジでお前のこと殺してやりたい思ったよ!まぁ、そんなことできないからな、俺が舞雪のこと絶対死ぬまで守ってやるって本気で俺は思ったよ!」
「結局別れてんじゃねーか」
「何もせず逃げたお前がほざくな!!昔も今も!!」
「ちょっと、やめてよ謙太」
麗奈が落ち着かせようと、謙太の肩に触れたが、謙太はそれを払った。
「俺はいつも本気だよ!舞雪と付き合った時も別れた時も、麗奈との結婚も!悔しいんだろが!俺みたいに出来ないのが!」
「別にねーよ。一緒にすんな。ホイホイ女変えてるお前みたいになりたいわけないだろ」
「ああ!?」
「ちょっと何今の!私と舞雪にも謝って!私達、謙太をそんな軽い男と思ってないから!」
冷静だった麗奈にまで怒鳴られて、流石は気まずそうに俯いた。横目で舞雪を見たが、舞雪も怒りを宿した眼を宙に向けていたので、流石は逃げ場をなくした。
自分が追い詰められた時、いつも陽気に笑ってくれて味方してくれた舞雪も、今日は味方をしてくそうになかった。
中学のサッカー部最後の大会で、流石の致命的なミスで勝てなかった試合の後でも、舞雪は陽気に笑って慰めてくれた。
相手のシュートが顔面に当たり、それがそのままゴールに入って、オウンゴールになり、それでチームは負けた。
チームメイトに責められたのは、シュートをブロックにいかずに避けた上に顔面に当たってオウンゴールになったからで、しかも交代枠を使い切っているのに、そこで流石は気を失って医務室に運ばれ、チームは一人欠けた状態で残り時間を戦わなければならなくなった。
「し、試合は?」
医務室で意識を取り戻した時、ベッドの側の椅子には舞雪がいた。
「さっすがー、意識の目覚め方は超一流選手!自分のことより試合がいちばーん!し、試合は?」
舞雪は超一流選手の雰囲気で、流石の真似をした。
「いいから、どうなったんだよ」
「負けたんじゃない?さっきキャプテンが廊下で怒鳴ってたから、佐藤のクソ野郎って」
「あ、そう、、、」
「そんなに深刻にならなくてもさ、死ぬわけじゃないんだから、サッカーで負けたくらいで」
いつもの陽気な笑顔で言われて、心が救われたのを流石は覚えている。なんでもない、ありきたりな言葉でも、舞雪に言われると何かが違った。
「私が告白した時に、流石さ、舞雪はそういうんじゃないと思ってたって言ったよね?」
俯いている流石に、宙を見つめたまま舞雪は言った。
「ああ」
「私がいくら、流石のお父さんのお金目当てじゃないって言っても、信じてくれなかった」
「そうだよ」
情けないことを思い出させないでくれと、流石は思った。
「私は、それで謙太と付き合っちゃったから、私も流石に私のこと信じてって、言えないんだけど、でもさ、お互い様ってわけにはいかなくて。私はあの時私を信じてくれなかった流石を許せない、今も」
「ああ、だろうな」
「謙太と別れた時だって、流石のこと考えもしなかったから、私の中にはもう、流石に対する気持ちは何もないと思う。幼馴染のままではさ、いれるかもしれないけど、今更好きとか、そういうのにはなれない」
「ああ、わかった」
もう何も言わないでくれと、流石は思った。惨めで情けない。ずっとそばにいて欲しかった人にまで拒絶されるような馬鹿なことをした自分が。
「身から出た錆だな」
素っ気なく、謙太が言った。
「まぁ幼馴染でいてくれるだけ、ありがたいと思えよ。俺と麗奈も絶縁するってわけじゃないから」
「ああ。ありがとう」
「さっすがー。物分かりもよろしくて、反省もなさってるようで、よかったです」
皮肉っぽく舞雪は言うと、立ち上がった。
「帰ろうよ。もう話すことなんてない」
「ま、そうだな」
謙太も言い、立ち上がった。麗奈も黙って立ち上がる。
「一生、許してもらえないか、もう」
ポツリ、流石が言った。
「俺らは別に、ほとぼり冷めたら、何もなくなるよ。なあ?」
謙太が麗奈の方を見ると、麗奈は頷いた。
「一生は大袈裟よ。ねえ、舞雪」
麗奈に聞かれ、帰ろうと歩き出していた舞雪は立ち止まった。
「それよりさ、私にいわなきゃいけないこと、あるよね?流石」
「ええ?」
「あるな」
謙太が頷き、麗奈もあるね、と言う。
流石が戸惑っていると、謙太がはあーっと大きくため息を吐いた。
「お前は舞雪のことどう思ってんだよ。何にも言わずに、舞雪が許してくれたり、東京についてきてくれたりすると思ってたのか?」
「あ、いや、俺は舞雪には一緒に来てほしいと思ってる、、、」
「一生無理だな」
謙太が呆れたように言い、テーブルから離れて歩きはじめた。麗奈もあーあ、と落胆したようにその後に続く。
流石は焦った様子で、舞雪を見た。
舞雪はムーっと不機嫌な顔をしている。
言わなきゃいけないことは、わかっている。
が、何故か口にできない。
口をもごつかせていると、痺れを切らして舞雪が口を開いた。
「私のこと、好きなの?」
「あ、いや、、、」
「もういい」
舞雪は素っ気なく言い、背を向けた。
「あ、あ、好きだよ!あの時、信じてやれなくて、ごめん!ずっと好きだった!今も好きだよ!これからも!」
流石は恥ずかしさで体が熱くなるのを感じた。まるで中学生の告白だ。
「さっすがに、信じられないなー」
悪戯っぽく笑いながら、舞雪は流石の方を向いた。
「好きだから、本当に」
真面目に、流石は言った。
「まぁ許してあげようかな。素直さに免じて」
舞雪はそう言って、清々しそうに、ラーメン屋から出た。
潮風を感じて、自分はこの街で生きていこうと舞雪は決めた。
「さっすがに、すぐには戻れないから」
ポツリと呟き、舞雪は歩き始めた。