エピローグ 2
本編終了から12年後の話です
目の前に座る少年は、複雑な顔で、その小刀を見つめていた。精緻な装飾が施されたそれは、幼児でも持てる大きさで、世界で唯一のものだった。それは、少年の父親の為に作られたものだが、当の本人も、おそらく覚えてはいない。だから、少年にその実感がないのは、仕方のないことだった。
「殿下の守り刀は、現在制作中です。これはお父上のものですので、殿下にお返しいたします。」
宰相ライヒス公の言葉に、少年は、やはり複雑な表情のまま顔を上げて、ライヒス公を見つめた。その胸中に、急な環境の変化への戸惑いがあることは分かっている。つい最近まで、少年は辺境の村で、農民の子として暮らしていた。それが、いきなり王子になったのだ。もっと幼い頃だったならともかく、十歳になる少年が環境の激変に戸惑うのは当然だ。
それにしても、こうして相対していると、彼によく似ていると感じる。目元は母親に似ているが、全体的な雰囲気は、父親似だ。能力も受け継いでいるなら、王家の将来にとっては喜ばしいことだが。
少年の右隣には、二歳下の妹が、身を寄せるようにして座っている。艶やかな黒髪に、青藍石を思わせる瞳。中々愛らしい顔立ちの少女だったが、両親を失った衝撃からまだ立ち直れないのか、覇気がなく、兄の側から一時も離れようとしないと聞いている。これも今は、致し方ない。彼らに辿り着くのがもう少し早ければ、運命は変わっていたかもしれない。それに関しては、ライヒス公にも後悔がある。
守り刀は、王家の男子に対して一つだけ作られる。装飾の文様は一人一人異なり、表から見えない部分にも装飾が施される。上質な材料を要することと、制作にかかる手間から、偽造されることはまずない。残された記録から見ても、この小刀は間違いなく、王の兄君、クロトルード王子のものであった。
これが見つかったのは、二年前だ。彼らが去ってから十年が経っていた。王は二人の御子を成していたが、残念ながら二人とも夭折した。その直後にこれが見つかったのは、天啓であったのかもしれない。
彼を養育した樵はもう死んでいたが、近くの村には、彼を知る者が大勢残っていた。村には幾度か人を遣っていたが、村人の一人が、彼の小刀のことを思い出したのが、二年前だった。
『そういや、樵の爺さんが、子供が熱を出したってんで、薬代代わりに小刀を置いていったことがあったな。拾ったばかりの頃でしたかね。』
『いや、爺さんのじゃなくて、子供のもんですよ。ちょうど蓄えのない時だったから仕方ないって。しばらく従弟達がそれで遊んでましたっけ。』
守り刀の価値を理解していなかった村人は、その後、実用的ではないからと、納屋にしまい込んですっかり忘れていた。
穿った見方をするならば、これも盗品が流れただけで、その少年とは無関係とする考えもある。一介の農民に流れるような品ではないのだが、実際、そのように主張して、彼を第一王子とすることに懐疑的な者達はいた。
守り刀の存在が明らかとなってすぐ、秘密裏に彼の行方を探し始めたのだが、十年という月日もさることながら、本気で身を隠すつもりで野に下った彼の消息を尋ねるのは、容易ではなかった。結局、二年かけても彼に辿り着くことは出来なかったのだ。居場所が分かったのは、異変を察知した飛竜が彼女のもとに駆け付けたからだった。それでも、間に合わなかったのであるが。
彼らの子供達が王都へ迎えられた時、出迎えた貴族の中には、疑念を示す者達もいた。その筆頭だったある侯爵夫人が、少女を見た途端、跪いて涙を浮かべながら、先の王妃のお血筋に間違いないと断言した。先の王妃と幼い頃から親交があり、一時は女官長を務めたこともあるこの夫人の言葉が、最後の決定打となった。それほどに、彼の娘は、先の王妃に生き写しだった。
ライヒス公爵が持ってきた小刀は、自分にとっても小さくて、父さんのだと言われても、あまり実感が沸かない。
父さんと母さんがいなくなって、叔父さんがいると聞いた時はホッとしたし、会ってみたいと思ったけれど、まさかそれが王様だなんて思いもしなかった。おまけに、自分が王子になるなんて。
今でもまだ、夢でも見ているみたいだ。夢だったら良かった。目が覚めたら、何もかも元通りだったなら。
誰よりも強かった父さんが死んだ。村で一番強くて物知りで、野盗の集団が襲ってきた時も返り討ちにした。でも、そいつらが街道を荒らし回っていたせいで、魔物がやってきた。父さんは、みんなを守って、魔物に深手を負わせたけれど、そいつに殺されてしまった。
母さんが泣いたところを、初めて見た。その母さんも、魔物が回復して村に戻ってくる前に、止めを刺すと言って、行ってしまった。
『あの魔物をたった二人で倒すのは無理だ。あの二人でなかったら、ここは全滅していた。』
飛竜と一緒にやってきた魔物討伐部隊の人達は、そう言っていた。軍の人も、村の人達も、みんな父さんと母さんを褒めていた。でも、そんなことよりも、父さんと母さんに、戻ってきて欲しかった。
妹も変わってしまった。前は、よく泣くし笑うし、口が達者で生意気だった。口で勝てないから、つい手が出て、父さんに叱られたこともある。でも、二人がいなくなってから、妹は笑わなくなったし、ほとんどしゃべらなくなった。
「殿下、お時間です。」
「ああ、うん。」
声をかけてきたのは、ネルヴィル子爵ルークレヒトだった。自分とほぼ同い年のその少年は、公爵様のお坊ちゃんで、生まれながらの大貴族だ。さらさらの銀髪、澄んだ青の瞳、優雅で洗練された動作、どこからどう見ても、自分なんかより王子様っぽい。そんな彼に殿下と呼ばれるのが、どうにも落ち着かないけれど、ルークレヒトは初めて会った時から、偉そうなところもなくて、丁寧だった。お父さんのライヒス公爵はちょっと怖い人だけど、ルークレヒトのことは、妹も怖がらない。だから、このお坊ちゃんのことは、信用することにした。
「フィオラ、どうする?待ってるか?」
教師が来てくれる時はまだいいけれど、武術の修練の時は、他の貴族が大勢いるところを通らないといけない。だから、本当は妹を連れて行きたくない。
でも、フィオラは無言で袖を掴んだ。一人で置いていかれるのが、恐いんだ。
王様も王妃様も優しいし、世話係の人たちも、親切だ。けれど、この城には、母さんを馬鹿にする連中もいる。
母さんは、村では尊敬されていた。狩りが上手くて、村長も知らないようなことを知っていて、魔物を倒せるくらい強かった。でも、異境の民だとか言って母さんを馬鹿にする貴族達の声に、妹は俯いてしまう。品定めをするような視線に、怯えてしまう。それが、すごく腹が立つ。
部屋の外に出る時は、侍従やら侍女やらお伴がついてくる。こちらに気付くと、みんな廊下の端に寄っていく。なんだか奇妙な感じがして、落ち着かない。でも、黙って通してくれるなら、まだいい方だ。
「これはこれは、お小さい方々。」
大げさな仕草で、口だけは笑っていて、でも、どことなく嘲るような目で見ながら話しかけてくる男がいる。その周りにいる貴族達も、似たような表情だ。フィオラが、つないでいる手をぎゅっと握って、背中に隠れようとする。
「王子殿下と、王女殿下です。侯爵様。」
ルークレヒトの声が硬い。この侯爵の呼びかけ方は、間違ったものらしい。
「いい。ネルヴィル子爵。」
フィオラが怯えるから、あまり相手にしたくない。
「さすが、寛容でいらっしゃる。」
勝ち誇ったように見る侯爵から目を逸らした時、向こうから大勢のお供を連れた貴婦人が歩いてくるのが見えた。銀色の髪を結いあげて、碧の目を煌めかせて、堂々とした様子は、まるで女王様だ。
気づいた貴族達が、恭しく礼をしながら迎える。前なら、貴族と目を合わせるなんてありえないから頭を伏せていたけれど、今は貴族の礼をしなければならない。最近覚えたそれをしようとすると、それより前に、貴婦人がすっと腰を落とした。とても自然で優雅な仕草で、つい自分が動くのを忘れてしまうくらいだった。
「クロトルード殿下。フィオラ殿下。」
貴婦人の声に、慌てて習ったばかりの礼を取りながら、
「ライヒス公爵夫人。」
と答えた。その姿勢から戻ると、公爵夫人は、
「王家の方が、先に臣下に礼をなさってはなりません。お二方がこの国で礼を取るべきは、国王陛下と王妃殿下のみでございます。」
と言った。
「はい。ライヒス公爵夫人。」
宝石のような目の公爵夫人は、感情が良く分からない。ライヒス公爵のように、怖いとは思わないけれど。謝った方がいいのか、下手に謝らない方がいいのかも、よく分からなかった。
すると、近くに控えていた他の貴族達が、にやにやと笑った。
「致し方ありません、公爵夫人。お二人とも、庶民の中でお育ちなのですから。」
「それに、お父君は王族としても、お母君は・・・」
「ねえ。」
わざとそこで言葉を切って、意味ありげに笑い合っている。母さんのことを、知りもしないくせに。思わず、かっとなる。
「ええ。」
公爵夫人の硬い声が重なった。沸騰しそうな頭に蓋をされたような気がするくらい、冷淡な声だった。でも、続いて聞こえた言葉は、その声から想像したのとは、全然違うものだった。
「お母君は、いつも毅然とされていました。あの方の御子であるなら、堂々となさいませ。」
あっけに取られて公爵夫人を見たのは、俺だけじゃなかった。フィオラの緊張も、緩んだのが分かった。公爵夫人は、母さんを馬鹿にしていなかった。
「殿下。申し訳ございませんでした。」
修練場に向かう途中、ルークレヒトがそんなことを言った。
「なんで、君が謝るんだ?」
「殿下がご不快な思いをなさったのは、私の力不足です。」
「別に、君が母さんの悪口を言ったわけじゃない。君のお母さん・・・お母上も、ああ言ってくれたし。」
公爵夫人の言葉に、ニヤついていた貴族達はそそくさと退散していた。でも、ルークレヒトの表情は硬い。
「母は一言で収めました。ですが、それ以前に、殿下に対してあのような態度は不敬です。お側にいたのが父ならば、あの者達も控えたでしょう。私が侮られたのです。」
どうやら、彼は彼なりに怒っているようだ。自分のことより、母さんの悪口が我慢できない俺とは、少し、怒るポイントがずれてはいるけれど。
ふと後ろを見ると、ついてきている侍従やら侍女やらも、目がつり上がっている。やっぱり、怒っているんだろうか。
「母さんは、どうだったんだろうか。」
こんな風に笑われて、やっぱり嫌な気分になったんだろうか。
「初めの頃は、嫌がらせや妨害を受けることもあったようです。」
「異境の民だからか?」
母さんが異境の民だということも、ファリエンの総長だったことも、母さんが死んでから知った。俺にとってはどうでもいいことで、そんなことで母さんを馬鹿にされたくない。
「それもあります。今より、異境の民は低く扱われていたようですから。にも拘らず、母君は、ご自身の力で騎士位となられました。そのままであれば、爵位も賜っておられたでしょう。そのような才のない者が、母君を妬んだのです。」
「・・・くだらないな。」
「母君は、そのような者達には負けなかったそうですよ。常に超然として、時には一睨みで黙らせたと聞いております。一般の民には、ファリエンの初代総長に、畏怖の念を抱く者はあれ、軽視する者はおりません。」
ここに来てから聞く話は、大体そんな感じだ。ルークレヒトも、多分褒めるつもりで言っている。でも、俺には違和感しかない。
「想像つかないな。」
ルークレヒトは、不思議そうな顔をした。
「父さんは、怒ると怖かったんだ。でも、母さんが怖かったことはないし、冷たくもない。村では、好かれてたよ。それに、母さんは、いつも笑っていたんだ。」
俺の知らない母さんは、いつも厳しい顔をして、少しも笑わない、冷たい人らしい。
でも、俺の知っている母さんは、いつも笑っていた。村のおばさんたちとおしゃべりをして、一人前になる前の年長組に弓を教えて、時々歌を歌ってくれて、そして、父さんの横で、いつも笑っていたんだ。




