エピローグ 1
西に聳える山を仰ぎ見る、森に囲まれた小さな村に、荷馬車を操る男達が入ってきた。
「今回も何事もなくて、良かったな。」
ホッとした様子の男の一人が、馬車の横に並んで馬を歩かせている男に声をかけた。荷馬車の男が見るからに農民であるのに対し、騎馬の男は傭兵のような雰囲気だったが、彼らは皆、この村の住人だった。ほとんど自給自足で生活できる村だが、時折町と行き来する必要はある。このような辺境でも、盗賊が出ることはあるので、道中は緊張する。何しろ、村を代表して物を運んでいるのだ。
「最近は出くわさなくなったな。この辺はそう豊かでもないし、よそへ行ったかな。」
「いや。」と騎馬の男は静かに返した。
「様子を窺っている者達はいた。手を出すことは諦めたようだが。」
「え、そうなのか?」
荷馬車の男は驚いて目を丸くした。別の男は納得したように頷いている。
「他の村の連中からは、盗賊の話を聞くからな。うちの荷が襲われないのは、あんたのおかげだな。」
村の広場に止まった荷馬車に、人が集まってくる。途中から加わった子供達が賑やかに周囲で騒いでいる。
「これはお前さんの分だ。今回も助かったよ。次も頼むな、クロー。」
荷を受け取り、穏やかな村の中を家に向かう。日が西の山にかかり、村は静かに影の中に入っていく。
王都を出て約二年。しばらくは移動を続けながら、商隊の護衛をしたり、傭兵のようなことをしていた。この村へは、町で護衛の依頼を受けた時に始めて来たが、辺境の小さな村の割に、外の者への警戒が薄く、人が温かい印象を受けた。定住を考えていた時でもあり、村長の誘いを受けて、この村に住むことになった。
レーナはここで、子を産んだ。
戸を開けると、炉にくべられた火には、鍋がかけられ、既に良い匂いが漂っていた。
「お帰りなさい。」
足音で察したのか、戸を開けた時には、レーナは顔を上げてこちらを見ていた。炉の前の揺り椅子に腰かけて、腕には赤子を抱いている。
「どうだった?」
「問題ない。」
短いやり取りで、互いの意図が伝わる。そういうことも、増えた。
「キルクは、寝ているのか?」
「さっき、おなか一杯飲んで、眠ったところよ。」
そう言って、微笑みながら、赤子に目を落とす。そうしてから、また、目を上げた。
「手は洗った?」
「ああ。」
思わず苦笑しながら、言葉を返す。これは彼女のこだわり所だ。特に、食事の前と、子供に触れる前には、手を清めるようにと念を押されている。
小さな息子は、軽く口を開けて、すっかり安心したように、母の温もりの中で眠っている。まだ首は座っていないが、日毎に顔つきがしっかりしたものになり、生まれたばかりの頃より確実に大きくなっている。起きている時は常に手足をばたつかせ、最近では声を出したり笑っているような顔をすることも増えた。
身籠ったとき、レーナは、自分の中に新しい命が宿ったことを、不思議な感じがすると言った。この世界に来たばかりの頃は、自分がいつか母親になるとは、想像も出来なかったと。こうして、血を分けた子を目の前に見ると、その気持ちが分かる気がする。親を知らずに育った自分もまた、いつか親になり家族を持つとは想像していなかった。
ふっくらした頬に触れ、まだ細い柔らかな黒髪を撫ぜると、自然と口元が綻ぶ。小さくてか弱いこの赤子は、自分の中で、日毎に力強く大きな存在になっていく。
炉の火が爆ぜて、母子を照らす。あどけなく眠る子と、慈しみに満ちた眼差しを向けるレーナと。
この二人を、この光景を、例えようもなく、愛おしいと思う。
「食事にしましょうか。」
そう言って、赤子を起こさないように、そっとレーナが立ち上がる。籠に寝かせようとするレーナに、声をかけた。
「レーナ。」
「何?」
「今、幸せか?」
レーナは、不思議そうに眼をしばたかせた後、ふわりと笑った。母になって、深みを増した笑顔で。
「ええ。この上なく。」




